#1-2 勇者凱旋
魔王城……
生きとし生ける人々の恐怖の根源たる暗黒の城塞は、騒々しき鬨の声と剣戟の調べに包まれていた。
飛び交う悲鳴は拷問される捕虜のものなどではなく、魔族の騎士や、魔王城に仕える侍従たちのものだ。
流れる風には血のニオイが混じる。
『勇者』エルテは戦いの中、決然と歩みを進める。
自らは敵と一太刀も交えることなく玉座の間まで辿り着くと、観音開きの巨大な扉をバツ印でも付けるように切り捨て、侵入した。
荘厳ながらも禍々しく飾り立てられた、大広間のような玉座の間。
僅かな側仕えの魔族騎士がエルテに武器を向ける。
その向こうに禍々しく巨大な人影があった。
魔王が立てこもる玉座の間まで無傷で辿り着けるということは、つまりそれ以外の戦いはほぼ既に決着が付いたということだ。
魔王城を包囲した人族連合軍は既に城門を突破し城内に侵入。
防衛機構は次々に無力化され、残り滓のような防衛戦力も薙ぎ払われた。
残るは最高にして最後の駒。大将である魔王のみ。
「終わりだ、魔王」
自らの力の具現たる聖剣を、エルテは魔王に突きつける。
魔王を討ち滅ぼせるのは勇者のみ。
……逆に言えば他は大体、勇者以外が戦っても問題無く片付くので、諸国が足並み揃えて戦力を出し、数十万の合同軍とオールスターの猛将軍団ができあがった時点で勝負は付いていた。
エルテはそのためにずっと各地を転戦し、世界中で被害をもたらしている魔王軍を削りに削ってきたのだ。
巨大な玉座には、少なくとも姿だけは比較的人間に近い、しかし巨大で、明らかに人ではないものが座り待ち受けていた。
刺々しい鎧のような漆黒の甲殻が全身に浮かび、デッサン用石膏像めいた隆々たる肉体を覆っている半裸の人型存在。老人とも若者とも言い難い顔からは曲がりくねった角、背中からは皮膜の翼が生えている。
吹き付ける暴風のように邪悪な気配を感じ、地の果てまで吹き飛ばされてしまいそうにも思った。
これが魔王。この魔王を討つべく、エルテはこの世界に喚ばれ、戦い続けてきた。
いかに魔王が強大であろうと、エルテの中には一欠片の恐怖も存在しない。
感無量だなんて、悠長に思いはしない。
一刻も早く。
一秒でも早く。
この魔王を討ち滅ぼさなければならない。
「何故だ、勇者よ……この世界で生まれたわけでもない貴様が、何故、このように命を賭して戦える!」
進退窮まった魔王は、炎の如き目でエルテを睨み、漆黒の剣を手に立ち上がる。
「お前を倒すため、俺は……! 捨ててはならないものを捨ててきた!!」
多くの手下を従えながらも、自身単独ですら国を滅ぼしうる大災厄。それが魔王だ。
これまでで最も厳しい戦いになるだろうと理解しながらも、エルテは怯まなかった。
そこにあるのは、決意だけだった。
「この剣に! 俺の怒りと悲しみを全て込めてやる!
消え去れぇ――――っ!!」
* * *
その世界の名は、住人たちが名付けて曰く『見晴らし界』。
数多の別世界や並行次元を観測し、時に干渉する立場にあることから、ある種の優越感に基づいて名付けられた。
もっとも、その秘術の大半は古に失われて久しい。
驕れる古代の術師たちは、破滅的な怪物の住まう世界へと門を繋げてしまい、そこから溢れ出した災厄によって見晴らし界は滅亡寸前となったからだ。
存亡を懸けた戦いによって世界を渡る門はほぼ閉じられたが、勢力と技術を衰えさせた人々は、依然としてこの世界に漏れ出してくる『魔』の手に脅かされてきた。
古代の人々の負の遺産に苛まれる人々を救ったのは、しかし、やはり古代の術師が遺した技だった。
神への祈りと共に他の世界から喚び出した者を、『魔』の討ち手……『勇者』に仕立てる世界間召喚術式。
異世界の存在の助けを借りることで見晴らし界の人々は存えてきた。
有史以来7度目の魔王襲来に立ち向かったのは、召喚勇者・エルテ。
異世界に来て初めて名乗った時に『エルテ』と聞き間違えられた名前は、訂正せずにそのまま通している。『エルテ』は割と一般的な名前で、『アルト』はそうでもなかったらしい。
16歳の若さで別世界より喚び出され、見晴らし界へと渡り来たエルテは、8年の戦いを経て遂に魔王を討ち果たした。
そして……
* * *
広々とした謁見の間には、しかし人は少なく。
勇者の帰りを出迎えたのは、王の他にごく一部の王族、ごく一部の高官、騎士団幹部や少数の高位聖職者などだけだ。
というのも、この場には世界レベルの最高機密を知る者しか集まっていない。
誰もが皆、大通りに詰めかけ勇者の凱旋を出迎えた市民とは対照的に沈痛な表情をしている。
「どういうことですか! 魔王を倒したのに世界の危機が去っていないって!」
玉座に座す壮年の王……エルテをこの世界に喚び出した、ガンドラ国王ジョーゼフ四世は、白いものが混じる豊かな髭を撫で付けつつ苦い表情をしていた。
「……そなたが魔王を討伐した三日後のことじゃ。多くの予言者や神官たちが託宣を受けた。
竜種の侵攻がこの世の全てを脅かすと」
純白ローブにキンキラキン装飾姿の老人が……エルテの召喚儀式を担当した高位聖職者、枢機卿のグウェル師が頷いて、王の言を肯定する。
「結果的に言うのでしたら、あなたが勇者でなくなるためには、魔王を討伐してその場で勇者の座を返上するための儀式をするしかありませんでした。その後、私たちは新たな勇者を召喚するということになります」
「RTAの戦法かなんかですか」
「ですが、それは今や遅し。
神々が認めた『人族の危機』である以上、勇者の存在は固定化されます。つまり……」
「俺が勇者引退するの、お預け……?」
エルテは、耳元で轟々と濁流が流れているように錯覚した。
勇者とは、この世界そのものの免疫システムみたいな存在だ。
『辞めます』と言って辞められるものではなく、勇者が不要な時に神々に願い出て勇者の座を返上する儀式を行うか、死ぬか。そのどちらかでしか勇者は辞められない。
実際、エルテ以前にこの世界で仕事をした召喚勇者たちは、志半ばに倒れて代わりを呼ばれた者を除けば、世界の危機を解決して勇者を引退していったそうだ。
エルテもそうなるつもりだった。
魔王を討ち果たしたことで、遂に勇者の座を返上できる。
この日を夢にまで見た。
今日という日を思って、辛く苦しい戦いに耐えてきたのに、まさか魔王を倒すなりそれとは別の危機が訪れるとは。
過去の勇者たちはこんな目に遭わずに済んだはずなのだが、それはエルテの道行きを何ら保証しない一事例に過ぎないのだ。
「新たな世界の危機に、戦い慣れた現役の勇者が対応してくれるのであれば、それは人族にとってはとても喜ばしい事ではあるのだが……
済まぬ、勇者殿。どうかこの世界のために、今一度剣を振るってはもらえぬか」
愕然としていたエルテは、しかしいつまでも打ちひしがれているばかりではなかった。
エルテは多くの戦いを乗り越えてきた。考えるのを止めれば死ぬ、という局面が何度かあった。
しかし今の自分に何ができるかという選択肢を全て頭に並べれば、たとえ最善の答えが存在せずとも比較的マシな答えを選び、最悪の結果だけは避けられる。
決断までに要した時間は数秒。
背に腹は代えられない、というのがエルテの正直な考えだった。
「……陛下。でしたら一つ、お願いしたき義がございます」
「なんじゃ、改まって」
神殿から受けた勇者教育によると、勇者は王侯貴族が相手でも必要以上にへりくだらないのが正しい態度なのだとか。
そう教えられてその通り振る舞ってきたエルテが、しおらしくも決然とした様子でお願いなどしてきたものだから、王は只事ならざる雰囲気を感じた様子だ。
「俺が女になる手段を探してきてください」
『はあ?』とすら言われなかった。
その場に集まったエルテ以外の全員が、目を剥き、魔法で氷付けにされたかのように、呼吸すら忘れて硬直していた。
「陛下が俺を召喚するに当たって、勇者の力の代償としてくっつけた『非モテの呪い』……
そりゃ確かに、他に候補に挙がってた『不幸体質』とか『女難の相』よりはまだマシだったかも知れませんが、流石にこれ以上は抱えてられません」
エルテは拳を握りしめて語る。
『非モテの呪い』は、勇者の戦闘能力を損なわせないという意味では妥当なチョイスだったのだろうと、後々エルテは納得する。
妥当ではあったのだろうけれど……
「モテるとかモテないとかいう話じゃなく、普通に仲良くなれるかな……って思った瞬間に向こうがふと真顔になって離れていくんです!
断っておきますけど明らかに恋愛どころじゃないシチュエーションででもですよ!?
一欠片でも邪念が混じった時点で話が進まなくなるんです! しかも相手の気持ちの問題だから俺にはどうしようもないし!」
この呪いは、女性相手だと普通に関わる上でもそれなりの障害となっていた。
貧弱だったエルテの肉体は、戦いと時間によって成長したし、自分で言うのもなんだが顔もなかなかのイケメンになったとエルテは思っている。
しかし、『モテない』を通り越して、思春期以降五十代くらいまでの女性がエルテに寄りつかず、接触すら避けられている気配がある。
あるいは見目が良いためにかえって呪いを誘発しているのかも知れない。
単にモテないだけならまだ良かったかも知れないが、信頼関係を築く上でも呪いが障害となる。
魔王を倒す戦いの途上での苦労が走馬灯の如くエルテの脳裏を駆け抜ける。
女だけの戦闘民族・アマゾネスの国を出禁になった事件は記憶に新しい。
それも、魔王を倒すまでの辛抱だったはず。
仕事上必要な女性との接触は、なるべく仲間や神殿関係者を名代とすることで切り抜けてきた。
だが、よりによって、仕事の期間はさらに延びた。
「あと騎士団を壊滅させたサキュバス軍団が俺相手に何もできず全滅したのはいくらなんでも人生考えましたよ!!
醜男でも爺さんでも無関係に誘惑してくるはずのサキュバスが!
俺を見て『うげっ……』て顔をしたっきり何もできずに斬り倒されて行くんですよ!?」
「う、うむ、あの時は大変助けられた……」
「俺の心は救われなかったんですよ!」
エルテの目から汗が流れた。
正直、この呪いを甘く見ていた部分は自分自身にもあるのだと反省していた。
この世界に来るまでエルテ、すなわち亞留斗はどこにでも居る高校生に過ぎず、例の事故と転校直後を除けばろくに注目を浴びるとこともなく、交友関係も狭かった。だから孤独など平気だと思っていたのだけれど、否応なく多くの人と関わることになる勇者という立場で、合う女性合う女性皆に避けられることがどれほど辛かったか。
「と言うわけで! 世界のために引き続き戦うのはもう構いませんが、女になる魔法をどこからか持ってきてください!!」
「何故そうなる!?」
「俺はこの呪いの抜け穴を発見したんです。この呪いは『異性にモテなくなる』というものです。
つまり! 俺自身が女になれば、女の子とお付き合いすることに何の問題も無いんです!」
「お父様、今勇者様が何かとんでもないことをおっしゃいませんでした!?」
この場に居る中では唯一の女性、ガンドラの第二王女であるシャーロットは、あまり王女の肩書きには相応しくない驚きの表情を浮かべていた。
もっとも、それは王様も、王国の高官たちも神官たちも同じような状態ではあったが。
「もう男の人脈・伝手は世界中にありますし、邪念抜きで一旦築いた信頼関係は呪いの対象になっても維持されるでしょう。
新しい脅威が迫ってるなら、その人脈を世界の残り半分にも広げる方がいいんじゃないですか?
ほら、アマゾネスの皆さんとか魔王城の戦いにも結局引っ張り出せませんでしたし」
「まっ、待たれよ勇者殿!」
ようやく衝撃から立ち直ったジョーゼフ王が声を絞り出す。
「た、確かにそういった魔法はあろうが、そう簡単に女になったり男に戻ったりできるものではないのだぞ!? 戦いが終わっても男に戻れるとは限らぬぞ!」
「覚悟の上です」
「勇者たる者、次代への希望となる子を残してもらわねばならぬ。そなたは女として子を為す覚悟があるのか!?」
「子ども!? そんなものホムンクルスみたいに遺伝子情報混ぜ合わせて100人でも200人でも製造すればいいんですよ! そういう魔法技術があるって冒険中に聞きましたし!」
「お父様、今勇者様がまた何かとんでもないことをおっしゃいませんでした!?」
とにかく背に腹は代えられない。
目の前の問題をまず解決すべきなのに後先のことを心配しても仕方が無いと言うべきか。
王には王として心配すべきことがあるのかも知れないが、今は現場の判断を優先してもらうより他になかった。
「とにかく、手段を探して下さい。さもなくば冒険中に手に入れた伝手を頼って勝手にやります」
最後通牒のつもりでエルテが言い放つと、その場の全員が崖っぷちへ追い詰められたかのような顔でごくりと息を呑んだ。