#2-7 春祭り
見晴らし界は地球のように四季があり、一日は24時間、一年は365日だ。
もっとも、こちらの世界の住人に言わせてみれば『地球がこちらに似ている』ということなのだろうけれど。
実際これは見晴らし界と太古行き来された別世界の多くに共通する性質であるらしく、共通する生物や植物もかなり多いことから、ある種の並行世界みたいなものだとエルテは理解していた。
女神ムルエリにとって最も重要な神事である『春祭り』は毎年5月の末に行われる。
冬が終わり、山には恵みが満ち、畑には作物が植えられ、そんなてんてこ舞いの騒ぎがちょっと落ち着いた、暇ではないが忙しすぎもしない時期だ。
春を喜び、これから一年の恵みを乞うこの祭は、かつてムルエリ村において村を挙げたものだった。
魔族の動きによりミスリル鉱脈が発見され、住民が増えてからは、以前よりの住人と言えど全員が協力するわけではなくささやかなものとなっていたが、それでもこの祭こそが『女神ムルエリ』の存在を成立させる上での命綱となっていた。
皆で料理を食べたり踊ったり、祭にかこつけて騒ぎ共同体の結束を高めつつ気晴らしをするというのもまあ重要だったのだろうが、新住民が流入してからは相対的に規模が縮小されたし、今年はギリギリまで中止の方向だったのでお祭り騒ぎはナシだ。
催されるのは本来の祭。山の女神に感謝の意を捧げる神事のみ。
日も暮れかける頃、神事を行う巫女が街を練り歩く『お召し行列』が始まる。
かつてムルエリ村の中心の広場でもあった、今では金属の魚が水を吐いている噴水広場から行列は出発。
白装束を着た宮司の衆が、鈴の付いた絢爛な錫杖を振るいつつ先導し、その後をエルテはゆっくり静かに歩いて付いていく。
エルテはあの危険な巫女装束の上に、綺麗に磨いた白石を連ねてある長い数珠だの、背中ぐらいまである純白のヴェールだのを身につけていた。
履き物は山の植物で編んだサンダルなので、巫女装束の丈の問題も相まって生足度は極めて高い。
勇者エルテが祭の巫女役を引き受けたというニュースはたった一昼夜で街中に広まったらしく、エルテが歩く通りの両脇にはそれなりに見物人が詰めかけていた。
鈴の音がかえって厳かに静けさを醸す。
これだけ人が集まっている割りに、エルテには鈴の音がよく聞こえた。
大きな道だけを通って概ね街を一周し……それでもかつての村祭りより遥かに長いルートだったろうけれど……行列はやがて街外れの礼拝堂へ至る。
礼拝堂の主殿は石造りのワンルーム。エルテにとってはジャパニーズ・ジンジャを連想させるものだが、建築様式としてはヨーロッパの古い教会みたいな部分もあり、その混ざり具合が何とはなしに不気味の谷みたいなものを感じるデザインだ。
あの豪勢な神殿からすると掘っ立て小屋も良いところだけれど、それでも大切な祈りの場だ。
主殿前に設えられた祭壇には山で狩りをして採れた鳥獣の肉や、山菜などが並んでいた。
神事の舞いはこの建物の前で行われる。
社務所的な建物に囲まれた四角い空間には、見物人をせき止めて儀式のスペースを確保するためロープが張られている。雑用係を買って出たエルテ自身が準備したものだ。
正直ここまでする必要は無いのではないかと思っていたが、必要だった。行列が礼拝堂へ辿り着いた頃には見物人が詰めかけており、さらに行列を追いかけて来た人々が流入して人口密度は高まるばかりだ。
――めっっっっっっっちゃ見物人居るじゃねえか!
待って、俺こんな衆人環視の中で踊るの? このギリギリパッツンな巫女装束で?
『神殿』からも敵視されている状況で、街の新住人にとっては関心を持つに値しない祭事だったはず。
だから甘く見ていたのだが……エルテは人というもののミーハーさを思い知った。
反転して男が対象になった『非モテの呪い』のせいか、めっちゃエロい格好なのに見物人に男は少なめだ。
だが。
若い女どもから熱視線が割と注がれているのは一体全体どういうことか。
確かに女の子に黄色い歓声を送られるのは勇者エルテの夢の一つだったがこういうのはなんか違う。
――まあいい、やってやる! 男は度胸、女も度胸!
目に焼き付けろ、てめえら。これがムルエリの儀式だ!
宮司の衆が儀式場を囲むように立ち、錫杖を地に打ち付けて鈴を鳴らす。
一定のリズムを刻むその音に合わせ、宮司の一人が朗々と祝詞を捧げる。
エルテは、舞う。
滑るように、宙を泳ぐように。
動きは緩やかかと思えば時に急で、摺り足でゆるりと動いたかと思えば鋭くターンする。
絶対に見えているがエルテはもう気にしないことにした。
見物人たちからは控えめな、抑えても漏れるような歓声が上がった。儀式の神々しさに打たれたための歓声であってくれとエルテは祈った。
エルテとワルツを踊るように躍動する気配がある。
日も落ちて篝火に照らされる中、真っ白い髪に真っ白い装束の少女が踊っている。
いつの間にか、気が付けば彼女はそこに居て、エルテの舞いと溶け合うように重力を感じさせない挙動で踊っていた。
『……ふふ。今度はお前にしか見えてないです。
黙って教えられた通りに踊るのです』
エルテの頭の中に、エリの声が響いた。
周囲の者は彼女の言う通り、エリが見えていない様子だ。
『この『舞い』は神降ろしの力を持つもの。
この後、巫女の口を借りて託宣を授けることもあったのです。
今となっては……言うべきことも無いですが』
どこか清々とした様子でエリは踊っている。
特に楽しそうでもなく、ただ心を静めて己と向かい合うかのように。
『つっ……』
そんなエリの表情が一瞬、苦痛に歪み、ステップを乱した。
――なんだ? 今何か……
しかし次の瞬間には何事も無かったようにエリはまた踊り始めた。
『晴れ舞台……ですね。こんなに大勢が儀式を見に来たことはありませんでした。
見世物と言ってしまえば聞こえは悪いのですが……信仰を集めるという観点で言えば、これも間違いではないのです。
何より……エリに仕えてくれた皆のしてきたことが……この山に人が住み始めてからの全てが……認められたようにも思えて……』
エルテの頭に響くエリの声は、嘘偽り無く満足そうだった。
その声は何故かノイズのように喘鳴のように、途切れ途切れに間延びしていたけれど。
『……うっ……!』
エリの足が、遂に止まる。
刃に貫かれたように身を竦ませ、彼女は息をつくような仕草をした。
『きっと……エリ、は、幸せ者…………なのです…………
ありがとう……』
彼女と再会してから初めて、エルテは笑顔を見たような気がした。
そして彼女は倒れ伏す。
咲き終えた花が散り、地に落ちるように音も無く。
「…………エリ、ちゃん?」




