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#2-6 信徒の誓い

 ムルエリ礼拝堂の半ば物置化した空き部屋にて、エルテは白装束に袖を通していた。

 どうにか前を合わせ、タペストリーのように緻密な装飾がされた帯で縛る。


「着れたかの?」


 扉の向こうから宮司の老婆が声を掛けてきた。


「前合わせの形式なんで、なんとか……ちょっと肩周りキツイですけど」

「お前さんほどの歳で巫女になる者はこれまでおらんかったからな」

「丈も足りねえ。膝上何センチだ。なあこれ下着見えてないよな?」


 エルテがひとまず巫女装束を着るだけ着てみて部屋を出ると、集まって待っていた宮司の老婆たちとシャーロットが目を輝かせる。


「ほう……!」

「よくお似合いですよ、勇者様」


 シャーロットは、どこからか持ってきたらしい壁掛け鏡をエルテに向かってかざしてみせる。

 鏡の中には肌色成分の多い美女が居た。


 神事において巫女が身に纏う巫女装束は、色糸で袖口などに控えめな刺繍がされている以外、白一色の服だ。

 日本人が『巫女装束』と聞いて思い浮かべるものの上衣の裾を延長し、ワンピース状にしたようなものだ。この上から色々と飾りものを身につけるのだが、巫女装束自体は至ってシンプルだった。


 問題はその服が10代前半から半ばくらいの少女向けのサイズで作られていたことだ。


 エルテはこの世界の(と言うかこの辺の国の)基準だと小柄な方だが、それでも現在24歳のエルテが着るには無理がある。

 どうにか袖を通して帯を締めることには成功したが、上下の丈が足りずほぼ胴体しか隠れていない。

 閉まりきらず広めに開いた肩口からは官能的な鎖骨と豊満な胸の谷間が覗き、下は下で下着が見えるかギリギリで、健康的に引き締まりつつも弾力性を確保した生足が眩しい。


「………………エロい」

「勇者様!?」

「やばい! ダメだ、なんかダメだこれ! 街中の青少年によくない! 有害指定される!」

「お、落ち着いて下さい! 勇者様のおっしゃることが半分くらいしか分かりません!」


 自分自身に欲情するような趣味は無いはずなのだが、鏡の中の自分の姿を見ているだけで居ても立っても居られぬような胸の高鳴りを覚えた。

 これは神事とか巫女装束という概念への冒涜ではないかという考えすらエルテの頭をよぎる。


「サラシで胸隠したりできないんですか、これ。北半球とまでは言いませんがユーラシア大陸くらいまで見えてますよ」

「何を言っているか分からんが、巫女が身につけるものは下着に至るまで決まっておる」

「うへえ、上下ともに危険過ぎる。

 あれだな……裾が持ち上がらないように、こう、しゃがむ時は足を閉じたまま真っ直ぐ腰を落として……

 いや、いっそ幻術系の魔法でモザイクでも……」


 人助けのためなら道化役ピエロになっても構わないし、非モテの呪いくらい引き受けるエルテだが、避けられる恥を避けたいという見栄くらいは持ち合わせている。

 予想だにしなかった障害をどう乗り越えるか真剣に考えるエルテだったが、結局は『体捌きでどうにかする』という戦士的な結論が最も余計な問題を誘発しないように思われた。

 宮司の皆様は特に気にした様子も無いのは、良いのか悪いのか。


「するべき事はまず、街を練り歩く『お召し行列』。まあこれは歩くだけじゃ。問題無かろう。わしら宮司の衆に付いてくればええ。

 その後の『舞い』が問題じゃな……」

「……明日となると正直ぶっつけ本番に近いですが、やってみます。

 中学ん時は運動部が嫌でダン同入ってたんで、その経験値で何とか」

「『祝詞歌のりとうた』はこの際ヘタクソでもええ。山に響く大きな声で朗々と歌うことが大切じゃ」

「あー……声楽は子どもの頃囓ってたんでむしろ得意です。あとは歌詞のカンペがあると助かるんですけど」


 母の夢に付き合わされた幼少期のそれは、あまり愉快な記憶ではなかったが、その技術をかみ助けのために使うのであれば否応も無い。


「案外何とかなりそうだな」

「ええ、流石にお前のしつこさには根負けしたです」

「うおっ!?」


 いきなり背後から……と言うか尻の辺りから声を掛けられてエルテは驚く。

 エルテ以外には無人だったはずの部屋から、白髪赤目の少女が歩み出てくるところだった。


「ま、まさか……ムルエリ様!?」


 エルテも驚いたが、礼拝堂に集まっていた老人たちの驚きようは、このままポックリ逝ってしまわないか心配なほどだった。


「こんなとこで人前に出て来ていいのか? いや、人前っつーか……」


 街を歩いていた時、彼女は謎の神様パワーで周囲の認識から逃れていたし、これまでエルテが宮司の衆と会っているところに出て来たりもしなかった。

 それでエルテはなんとなく、エリが人から姿を隠しているような気がしていたのだ。


「神が滅多に人前に姿を現さないのは、有り難みを維持するため出し惜しんでるだけです。

 今のエリに出し惜しむほどのものなんて何も無いので構わないのです」

「おいたわしや、我らの力が足りぬばかりにそのようなお姿に……」


 宮司たちは女神ムルエリ顕現時の本来の姿を知っているようで、幼女化した現在の姿を見てやるせない様子で跪き嘆く。


「とんでもない。皆、よくエリに今日まで仕えてくれたです。

 ……鉱山開発のために多くの人口が流入し、村が村でなくなっていく中、信仰を守るためにどれだけ皆が苦労していたか、エリは全部見ていたです。

 皆の気持ち、エリはとても嬉しく思うです」


 エリは、エルテを相手にしている時のネガティブで嘲笑的な様子はおくびにも出さず真摯に労った。

 宮司たちは悔やみと感激に涙を流していた。


「その上で、敢えて言うです。

 エリは、エリのせいで誰かが不幸になるのは見過ごせないです。

 たとえ『神殿』に従うことになろうとも、祭りができずとも、皆が私を忘れることなどないと信じているです。この山に生き、巡る季節を感じてかつての暮らしに想いを馳せた時、そこにエリは居るのです。

 『神殿』と戦うだけが信仰を守ることではない。

 そう、エリは言っておくです」


 それは、とエルテは言いかけて言葉を飲み込んだ。


 それは死者を想い、記憶の中で生かすのと同じ事。

 『ムルエリ様』に感謝したり祈りを捧げたとしても、きっとそこにもう神としてのエリは居ない。個の存在も保てなくなり、自然界の要素エッセンスたる妖精に零落して、やがてエリは記録の中だけに名を留め、いつかはそれさえ忘れられていくのだろう。


 跪いて手を突き項垂れていた老婆が、キッと顔を上げる。

 しわくちゃの顔に涙の跡が光った。


「ムルエリ様。そのお慈悲は有り難く思います。

 なれど我ら宮司の衆、とうに覚悟は決めております」

「ここで我が身可愛さにムルエリ様を見捨てて逃げれば、一生後悔しますじゃ」

「お前さんの一生なんぞ、あと何年あるかわからんじゃろ!」

「じゃあ死んでからもじゃ!」

「他所の世界からやってきた勇者様がこれだけ本気でやってくれとるのじゃ。

 ここでわしらが気張らんでどうしようか」

「こそこそと隠れて祈り続けることは確かにできましょう。ですが私どもはムルエリ様をお守りしたいのです」


 宮司の衆は口々に決意を述べる。

 誰一人、その目に揺らぎは無かった。

 数多の死線をくぐった戦士としてエルテは保証できる。これは死すら厭わぬ者の顔だと。


 彼女らとエリが、信徒と神として、今までどのように時を送ってきたかエルテは断片的にしか知らない。

 それでも分かるのは、ただ純粋にエリが慕われているということだ。


「ホラ見ろ。お前、全然要らなくなんかないだろ」

「ふん……どいつもこいつも脳天気です」


 むくれたような顔でエリは顔を背けた。

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