#2-4 無辜の咎人
礼拝堂の会議室(と言う名のなんでもやる部屋)には、平均年齢の高い女たちが集まっていた。
「……と言うわけで、神殿には話付けてきました」
「本当か? 本当に……本当か!?
ほ、本当というのはつまり、祭りをやって儀式を執り行えるということかという意味じゃが!」
エルテが言うと、白装束を着た老婆が身を乗り出し、唾を飛ばして叫ぶ。
「はい。こんなギリギリになってしまいましたが……」
「いや、それが本当なら今からでも祭りはできる。
いくらか縮小せねばならん部分もあるが」
「『お振るまい』の料理なんぞは今からでは用意できまい」
「それは構わん、儀式を行うのが第一じゃ! ひとまずそれさえできておればええ!」
数十年前は麗しの巫女だったかも知れないお歴々が沸き返った。
彼女たちは神事を司っていた『宮司』だ。外よりやって来た人々が街を築き、村が飲み込まれても、その中でムルエリ侵攻を守り続けた女傑たちである。
要するに神事に伴う祭の実行委員でもあった。
「勇者様、本当にありがとうございます! 練習していた『舞い』が無駄にならなくて済みました!」
この場で最年少となる、十代半ばの少女がエルテの手を取ってぶんぶん振った。
笑顔が眩しい。
「どういたしまして」
「もう……だから言ったじゃないですか! 勇者様は敵じゃないんだって!」
「む……」
少女はほっぺたを膨らませて振り返り、皆を睨む。
宮司の衆は少々バツが悪そうだった。
* * *
もともと、ムルエリ村で専従の宗教人というのは居なかったようだ。
祭礼は『宮司』の肩書きを得た村の老人たちを中心に共同で運営にあたり、その他の村人たちが持ち回りで仕事を担う。
祭の本筋、肝心要の神事も実はそれで、女神の依代役となる『巫女』も特に専門の訓練を受けていない村の少女たちの役目だった。
別に年齢制限は無いようだが、巫女は純潔の乙女でなくばならない決まりだ。
のどかな村(←オブラートに包んだ誰も傷付けない表現)では、ある程度以上の歳の女は全員既婚者で子どもも居るのが当然だから、必然的にそれは年頃未満の少女たちの仕事になっているのだ。
今、エルテはそのための衣装を持って街を歩いていた。祭が中止になって仕舞い込まれていたものを洗濯して、手入れがされたものを、衣装合わせのため巫女役の子に届けに行くところだ。
「お届け物なんて、勇者様自らなさらなくても良いでしょうに」
「いいんですって。勇者なんて偉い人のお使いやってナンボなんですから。
……まさかこっちの世界でも本当に『王様のパシリ』って揶揄があるとは思ってませんでしたけど」
「そんな……世界を救った勇者様に対してあんまりではありませんか」
祭を告知するビラを掲示板に張り出すべく、老人中心の広報部隊がビラ束を持って擦れ違っていく。
新住人たちも多少は付き合ってくれているようで、商店街には万国旗か何かのようなちょっとした飾りが出始めている。
街にはうっすらと非日常の空気が漂い始めていた。
――ちょうど平和になった所なんだから、大々的に祭をやれば観光客だって呼べたろうに。
ともあれエルテは祭を巡るゴタゴタに関わってしまった以上、後はお任せで立ち去るのではなく最後まで手伝って見届けたいと思っていた。
とは言えいきなりやってきたエルテが手伝えることなど大して無いわけで、こんな風にひとまず雑用を引き受けているわけだが。
しかし、つつがなく雑用をこなして祭を迎えるなんて安穏としたルートは用意されておらず、勇者の行く先には事件が待ち受けているのだとエルテはすぐに思い知る事になった。
「……なんだ? 何の騒ぎだ?」
非日常のざわめき、と言っても祭を前にした浮き足立つような気配とは違う。
どこか不穏に囁き合うような声がして、前方の民家前に人だかりができていた。
「勇者様、あれは……巫女役の女の子の家ではないでしょうか」
確かにそこはエルテのお使いの目的地。
旧ムルエリ村の住人だった一家の住まいだ。
その家の前、人だかりの向こうにちらつく幟旗のようなものは……
――教皇庁の旗……!?
白地に金糸で、もしくは黒地に白糸で聖印一つを縫い取った旗は正統教会の本部組織・教皇庁の印だ。
今見えているものは後者の黒い旗。
あまり表向きの華やかなものではない仕事に関わる時、掲げられる旗だ。
「開けろ! 道を開けろ!」
権威を振りかざすことに慣れきった、横柄な男の声がする。
人だかりが割れて、黒い僧服を着た男たちが民家から出て来た。
彼らは手枷をかけられた数人の男女……うち一人は巫女役の少女だ。泣いている……を、引きずるように引っ立てていった。
* * *
「俺を騙したんですか!」
怒れる勇者が昼食中に怒鳴り込んできたもので、仕事部屋で昼から豪勢な飯をかっ込んでいるところだった神殿長は、パンの塊が喉に詰まったような青い顔で応対する。
「め、滅相も無い!
あれは私の与り知らぬこと。『異端狩り』は教皇庁直属の機関ですゆえ!」
「異端狩りぃ!?」
神殿勢力が何らかの口実をくっつけて巫女役の少女とその家族を捕らえたのは明らかだった。
だが、異端狩りなんてものの名前が出てくるとはエルテも思っていなかった。
神様まで行くとどうかは知らんが、精霊ぐらいなら殺せる対神秘戦闘の専門家。標的は主に悪魔や、人の世に仇為す存在となってしまった狂った妖精など。
外なる世界の悪魔に魂を売った邪教徒や魔女も相手にする機関であり、その関係でエルテも何度か関わったことがあった。とにかくそういう人族共通の敵と戦うための機関だというのが表向きの看板で、相応の権威も持ち得ていた。
異端審問官を裁判所とするなら、彼らは機動隊を含む警察の役回りだ。あくまでも神殿に属する機関だが、事情さえ有ればガサ入れをする権利くらい、国家から公的に認められている場合が多い。
「そんなもんまで呼びやがるのか……!」
「私は何もしておりません……状況を教区長にご報告申し上げてはおりましたが、そのことで異端狩りが派遣されるなど……」
神殿長はしきりに恐縮し、ハンカチで額の汗を拭っていた。
「しかしです、勇者様。異端狩りはあくまで、邪教や悪魔との契約者を裁くのが役目。
世俗において罪として規定された特定の信仰を取り締まることはございますが、ムルエリ信仰は現下、異なります。
此度の捜査は、ムルエリ信仰が悪魔崇拝ではないか調べるためのものと聞き及んでおります。つつがなくお調べが済めば疑いは晴れることでしょう」
淡々となだめる調子の言葉を聞いて、琥珀色をしたシャーロットの目が、研がれた刃物のように鋭く細められた。
「ええ、そうでしょう。『統合神話』に組み込まれていない土着信仰は、教皇庁も表だって否定してはおりません。この国でも認められているはずです。
ですから、ムルエリ信仰が悪魔崇拝である可能性を調べるという名目で捜査をしたのでしょう? 仮に異端審問に掛けたところで無罪になるでしょうけれど、異端狩りによってお調べを受けたというだけで烙印となる。
……彼女たちはもう、この街で暮らしてはいけないでしょう。商店は戸を閉ざし、人々は石を投げるはず」
「そんな……!」
エルテは、一瞬でも神殿長の言葉に納得しかけた自分が憎らしい。
シャーロットの解説する通りなら、これは罪無き者の罪を越法的に咎めるような、とんでもなく陰湿なやり方だ。
「信仰の中心部にある方々は、ムルエリ様を守るべく覚悟を固めていたことでしょう。
だから、持ち回りで巫女を引き受けただけの少女とその一家を狙ったのですね。
弱く抵抗する術を持たぬ者から狙い、それを烙印として本陣を孤立させていくと」
「で、ですから、それは私の与り知らぬことと……」
生え際が後退しつつある神殿長の額に脂汗が光る。
何も知らなかった、というのは本当なのだろう。仮に彼が神秘狩りに通報しても、いち地方都市の神殿長に彼らを自由に動かす力は無い。
あの逮捕劇は比較的高度な政治的判断か、神秘狩り自身の裁量による行動という事になる。
「いずれにせよ、重要な祭事を前に巫女を拘束したのですから妨害の意図は明白でしょう。彼女が祭までに拘束を解かれて帰ってくる保証もありません。
……この状況で代役を買って出る方などおられるのでしょうか?」
シャーロットの最後の言葉は、誰に向けたわけでもない、事態の行く末を案じる言葉だった。




