#2-3 モノポリー
「シャーロット殿下」
「えっ……? どちら様ですか?」
賑わう街中、ベンチに腰掛けて待っていたシャーロットに声を掛けると、彼女は警戒しつつ腰を浮かせる。
エルテはそこで、被っていたフードを脱いだ。
「ゆ、勇者さ……」
「シッ」
指を一本立て、目を丸くするシャーロットを黙らせるエルテ。
周囲を見回してもう一度フードを被り直した。
「驚きました。どうして分からなかったのでしょう」
「これの力ですよ。正式名称は……なんだか忘れたけど、要するに『モブ化フード』です。
被ってると『自分の知らない誰か』に思えるっていう逸品です。
相手が警戒してたり、魔法的感覚を鍛えてたりすると通じないんですけどね。
エルテはフードを被って頭を隠していたが顔を隠していたわけでもないし、そもそも着ている服は例の一張羅だ。それでもシャーロットはエルテを認識できなかった。
この『モブ化フード』の力だ。おそらくシャーロットは記憶領域にパターンマッチングソフトとかインストールすれば機械的に判別して見分けられるだろうけれど。
これも魔王城で手に入れた戦利品である。似たような品は裏社会で密造されて出回っていたりするが、エルテの持っているものは古代技術で作られた逸品で効き目が違う。
これを被っていればそう簡単に『勇者エルテ』だと気付かれないので、正体を隠して街を歩くには便利なアイテムだった。行く先々で大騒ぎになって注目されていては行動に差し支えることもある。
「……いっそ一か八か、これ被って話聞きに行くべきだったかな。
関係者に話聞きに行ったけど俺の顔を見るなり門前払いされちまった」
「勇者様を、ですか?」
「ええ。ムルエリ様……いや、なんか今はもうエリちゃんって言った方がイメージに近いかな。
エリが言ってた通りで、俺が引き金になって『神殿』が来たってことで恨んでるんでしょう」
「そんな……」
エルテはエリに会った後、この街の外れから山に少し分け入った場所にある『礼拝堂』なる場所を訪れていた。ムルエリ様に祈りを捧げるための場所だ。
そこは小さな神社くらいの建物で、ちょっとした集会所のような雰囲気もあり、ムルエリ様の祭事に関わる人々が居たのだが……
中年の巫女に無言で水をぶっかけられ、エルテの前で礼拝堂の扉は無情にも閉ざされた。
「ご立派な神殿だよな。炉の神と竈の女神の神殿……
鉱業都市はだいたいこうだよな」
エルテはシャーロットと並んでベンチに座り、せわしなく人や馬車が行き交う通りの反対側に建つ壮麗な神殿を見上げた。
エリの礼拝堂とは何もかもが違う。
白い石を魔法で整形して作ったと思しきその建物は四階建てくらいの高さで、さて市役所か学校か、という大きさだ。
城門みたいな大きさの正面入り口両脇には、鎚を手にした半裸のマッチョマンと、大鍋を捧げ持つ穏やかな女性の石像が飾られている。
『統合神話』に属する、夫婦にして表裏一体の同一存在ともされる神性、炉の神ファルアーダと竈の女神アケルニだ。
『統合神話』を奉ずる(つまり、この世界のほとんどの)人々は、何柱も存在する神々の中から、己の職能や生き様に合わせた一柱を主と定め祈りを捧げる。
そのため大国の首都などは、主立った神々全員の神殿が個別に存在するほどだ。
ムルエリマインは鉱業の街。ほとんどの人はファルアーダの信者だろう。そこでひとまずファルアーダの神殿を置き、神殿内に『その他の神のための礼拝室』みたいなものが設置されていると思われる。
もちろん『統合神話』に属さない土着の神の居場所など、ここには無いわけだが。
建物自体は石造りなので、地属性元素魔法を修めた建築術師を呼べば数日で大枠を作れるだろうけれど、それを整えて維持しているのは『神殿』の力の賜物だ。
個人商店と国際企業の差は歴然としていた。
「勇者様、これをご覧になってください」
シャーロットが何枚か束になったビラをエルテに差し出した。
『ムルエリ山 春祭』と大きく書かれ、その下にはプログラムが箇条書きにされている。そして春の山を描いたと思しきポンチ絵も。
控えめで洗練されておらず芋臭いデザインの、だがそれが良いビラだった。
「旧ムルエリ村の住人だったという、雑貨店のご主人に頂いてきたのですが……」
「祭りの告知? 5月30日って……もう3日後じゃないか」
街は賑わっているが、それはあくまで日常の賑わいでしかなく、祭の『ま』の字も感じない。
神事が関わる祭は概して大がかりなもので、数日前ともなれば街の景色が変わるものだが。
「中止になったのだそうです。この告知文も街中には貼られていません。
村落の頃から続いていた、ムルエリ様を讃えお祀りする儀式は、去年までは細々と続いていたのだそうです。ですが今年は遂に『神殿』からの圧力で中止に」
「おいおーい。流石に露骨すぎんじゃねえか?」
この山に大勢が入植して7年。
満を持してトドメを刺しに来ている、という印象だった。
重要な祭事まで圧殺されたら、もはや信仰は形を失う。
零落しつつある女神にとっては致命的だろう。
――エリのやつ、そんなことは俺にひとっつも言わなかったが……
エリは助けを求める事も、愚痴を言う事もしなかった。
そんなことをしても無意味だと思っているのか、それとも。
「これは俺が勇者として、ガツンと言っとかなきゃなんないよなあ……」
エルテはフードを脱ぎ、眼前にそびえる神殿へと向かって行った。
* * *
「ですから、我ら神殿側としては特に、催事の中止を迫ったり改宗を求めたことは無いのです」
街の喧騒は不思議と遠く、どこからか祈りの声が聞こえる応接間。
金髪七三分けの、役人じみた神殿長は、弱り果てた様子で額の汗を拭う。
「なら現状、ムルエリ様を信仰していた人々が萎縮してるのはどういうわけですか」
「萎縮と申しましても、具体的になんらかの心境の変化が起こっていることを確認しているわけではありませんが……」
言い訳めいた言い草に、エルテが目つきを険しくすると、神殿長はぐっと身を縮める。
「……神殿を中心とした共同体に加わることは多くの利益をもたらします。
以前、この街が小さな村落であった頃は共同体の一員であるため土地神信仰に加わっていた人々が、信仰の流入によって軒を変えたということでしょう。
人が減れば信仰の維持も難しくなるというだけのことかと」
「政治的なやり方ですね。
飴と鞭で締め上げつつも直接的には手を下さず、あくまで自発的な決断として責任を免れるというのですね」
シャーロットもこれを決然と批難した。
彼女は政治の表舞台に立ったことこそほぼ無いが、生まれた時からずっと政治的な存在として生きてきた彼女は、魚が泳ぎ方を知るように政治のやり方を知っている。
神殿長は言葉に詰まる。
「……俺も勇者なんでね、それなりに情報は入ってくるんですよ。
土着信仰なんかの改宗を進めさせるよう号令が掛かったそうじゃないですか。
こういうのはまさに事例のド真ん中だ」
「勇者様」
エルテもド真ん中の直球をぶちこんだ。
『統合神話』の神々を奉ずる組織は、『神殿』とか『神殿勢力』と呼ばれる。
ムルエリ様のような土着神などの信仰組織と特に区別する場合、彼らが自称して『正統神殿』。他称は……あまりに多く、ほとんどが蔑称である。
その正統神殿は目下、全世界の信仰シェアを限りなく独占状態に近づけるキャンペーンを展開中だ。
それはつまり、正統神殿に属さない土着信仰などを叩き潰していくことでもあった。少なくとも、このムルエリマインでは、そう解釈されて実行されている。
神殿長は眉間の皺を深くして、こめかみの辺りを揉みながら溜息をつく。
「なれば信者を増やし、祈りを集めることの意義をお分かりでしょう。
それこそが神々の力の源泉。
これから世界が直面するであろう次なる危機へと……戦いに備えるためにも万全でなければならぬのです。魔王が倒され、竜種の侵攻は未だ本格化せず、束の間の平和を享受している今のうちにせねばならぬのです」
祈りこそが神々の力の源泉。
神々が信徒に授ける奇跡の力も、彼らが使う神聖魔法も、元はと言えば人々の祈りの力の結晶であるとされる。
信徒が増えるほどに神は力を増す。それが世界の危機を払う力になるというのが、彼らの理論だった。
エルテをこの世界に召喚した勇者召喚の魔法も、その神々の力を借りたもの。
そして便宜上、召喚者であるガンドラ王国に身を寄せてはいたが、勇者の所属は本来なら正統神殿だ。魔王との戦いでも有形無形の援助を受けた。
神々と神殿の力が増すのであれば、エルテにとっても良いことだろう。本来は。
「何がしたいのか理解はしますよ。そのためにここまで徹底的に、ケツの毛までむしるようなやり方をする必要があるのかって話です」
1000を1001にしたところで大して変わらないだろうが、1を0にするのは全く違う。
今そこに居る人々と、確かに存在する神を踏み躙ってまで手に入れるほんの僅かな成果に、意味があるというのか。
正統神殿以外に価値を認めないお偉方は平然と頷くのだろうが、だとしてもエルテは同意できない。宗教的正義のために戦っているのではなく、全ての人を……と言うか人ではないものも含めて……救うために戦っているのだから。
それに統合神話と無関係の神の信徒であっても、別に敵対するわけではなく世界の危機には結局連携して立ち向かうことになるのだから構わないはずだろうとエルテは考えていた。
全ての力を正統神殿に集める効率性を説くなら道理は通るが、それはちょっと我田引水ではないかという気もする。
「お祭りくらいやらせてあげたっていいでしょう。
上から責任追及されそうなら『勇者のワガママです』で通せばいい。
自分で言うのも何ですが、俺が動けば世論も動きますよ。大事にはしたくないんでしょう?」
「む……」
神殿長は二の句が継げない様子だった。
同情に値するかは諸説あるだろうが、その姿は中間管理職の悲哀を体現しているようでもあった。




