#1-11 新たなる旅立ち
その日は快晴だった。
のどかな五月の空はただ青く、この世の果てまで続く。
『鏡の離宮』の屋上からは周辺地域をまるっと見渡せる。
鏡のような美しい湖は空を映し、うねるように穏やかに隆起する草原はまさしく緑の絨毯だ。所々、トッピングのように森か林が見える。すぐ東には堅牢な街壁に囲われた王都、その中心に突き出した塔は王城のものだ。
「勇者エルテは世界を救った……
だけど、世界の全てを救ったわけじゃない」
かぐわしい風を浴びながらエルテは言う。
「世界を救うために犠牲になった人や、救いきれなかった人が居る。……俺はそれをそのままにしたくない。
だから俺は、魔王を倒したら世界中に残した宿題を片付けに行くと決めていました。
なんか新しい世界の危機への準備と被っちゃったけど、まあなんとかなるでしょ」
旅支度は既に済んでいた。
勇者の装束は、伝説級の素材に最上級の魔法的加工を山ほど施したもので、傷どころか汚れすらそう簡単には付かないので着替えは最低限で充分。
どうせガンドラ王国のツケにできるとは言え路銀も潤沢。
携帯食料、野営の道具、戦闘用のアイテムがいくらか。旅の思い出の物品もいくらか。
魔王城で見つけてきた、外見の数百倍の物品を収納できる『インベントリバッグ』(エルテ命名)に詰め込んだ。
「そのためには女になる必要があったんです」
「呪いを回避するため、ですか?」
傍らにシャーロット。彼女も旅支度を調えている。
いつものドレス姿ではなく、マキウスで調達したスチームパンクの香り漂う冒険者用装備だ。
歯車の錆のような色をしたワンピースは、彼女の義肢と姉妹であったかのように一体感がある。弾倉めいた無骨な革のベルトポーチには、義肢を使うために必要な小物が収まっている。
「いや、だって。モテないだけかと思いきや、普通に交渉とかする上でもめっっっっっっっっちゃ障害になるんですよ!
事務的な接触に徹することができる人は良いんだけれど、俺と仲良くなる可能性を向こうが一瞬でも想像しちゃった時点でアウトらしくて!」
エルテは敢えて触れなかったが、この呪いがどれほどえげつないかはシャーロット自身が知っているはずだ。
普通に会うことさえ難しく、女避けとでも言うべき程の効果を発揮した。
それは魔王を倒す旅の間、しばしば、もどかしく手の出しようが無い事態を発生させた。
「だから……男だった時に関われなかった人らを、女の身体になって救いに行くんです」
空を見上げてエルテは決然と言った。
エルテはまだ、世界を救っただけだ。それだけでは救われない人々が、世の中にはいくらでも居る。
無論、魔王を倒すまでの戦いの中でも可能な限りの人助けはしてきたのだが、やり残したことは多い。
特に女性だ。『非モテの呪い』がこれほどの面倒をもたらすとは思っていなかった。会話もできない相手からは事情を聞くのも難しい。
「予定外でしたが、殿下が第一号になりましたね」
「ええと……そうですね。光栄です」
「それよりも本当にいいんですか。パーティー入り」
シャーロットは、新たなる世界の危機に立ち向かう新生勇者パーティーのメンバー第一号。
彼女自身が志願して、エルテがそれを受け容れた形だった。
「はい! 勇者様とマキウスの皆様のおかげで戦えるようになったと思っておりますし、勇者様のお墨付きですから、きっと勇者様に付いて行けるだけの力があるのでしょう」
「とは言え、危険は危険ですよ。そのうち世界滅ぼすレベルの敵と戦うんですから」
「私などが世界の滅びと戦えるのでしたら、どれほど喜ばしい事でしょう。
私はとうに、民に身を捧げた覚悟で居ます。世界のために戦うのであれば恐怖などありません」
「……流石」
さして気負いも感じさせず、当然という顔でシャーロットは言った。
そういう覚悟ができる人だというのは分かっているので、エルテはもう何も言わない。これは彼女の決断だ。
「王様になんか言われませんでした?」
「いえ、むしろ快く送り出してくださいました」
「……そりゃそうか。俺の傍に誰か一人置いときたいだろうからな」
結局成り行きでシャーロットに頼ろうというのだから苦笑すら湧かないが、それはそれだ。エルテは王の意向など気にしないことにした。
「じゃあ、殿下が新パーティーのメンバー第一号、ってことで!」
「はい、よろしくお願いします」
「そしてゆくゆくは全員女のハーレムパーティーを!」
「……勇者様……」
シャーロットは呆れているのか思考について来れないのか微妙なところだった。
「以前もおっしゃってましたが、その、ハーレムパーティーとは……」
「俺が魔王と戦ってる間! 直属のパーティーメンバーも何度か入れ替わりましたし、それ以外にも一緒に戦ってる人居ましたけど、オール男ですよ! 完全に男オンリー!
いくら戦場が男社会だからって、人口比をぶっちぎって男オンリー!
冒険者なんてトップクラスほど男女同数に近づくのに俺の周囲は男オンリー!!
その鬱憤晴らしです! 華のあるパーティーは夢だったんです! どうせ今の俺にくっついてくる男はそんなに居ないでしょうし!」
血涙を流してエルテは八年間の鬱憤をぶちまけた。
世界を救うための戦いなのだから贅沢は言っていられないし、『非モテの呪い』を承知でパーティーに女性を入れる気も無かった。
だが。
多感な時期の少年にとって、男臭い職場で仕事に明け暮れるのはなかなか辛いものがあった。
別に特定の相手とお付き合いがしたいとかいう事は…………考えはしたけれど、必須事項というわけではなく。
単純な野郎どもは、普段行動している空間に女性が居るだけで気分がアガるものなのだ。
「ですんで、以前の冒険で目星付けてた世界中の最強女性陣をこれから勧誘しに行くんです。
世界の危機が本格化するまでにはドリームチームを組めるように。
それも女になった理由、ってわけです」
「……滅茶苦茶ですね」
「もしかして褒めてます?」
「ええ。きっと勇者様のなさる事ですから、何か大切な意味があるのでしょう」
「まあ、一応……」
趣味と実益を兼ねてはいるが、概ね趣味なのは否定しようがないので、勇者は笑って誤魔化した。
「ところで……髪、どうしたんですか? こっちに戻って来た時はまだ長かったはずですよね?」
実はさっきから気になっていたことをエルテは聞く。
風になびくシャーロットの赤金色の髪は、いつの間にかショートになっていた。
元は背中までの長さだったはずだが、今はもうエルテの方が髪が長いほどだ。
「別に長いままでも冒険はできると思いますけど」
「そ、そのっ! 今までの境遇を捨てて女性が旅に出る時は髪を切るものだと…………ものの本で」
「……あー、小説とかでありがちな気はしますけどね?」
シャーロットは形から入るタイプだったようだ。
しかも情報源は小説か何か。
子どもじみたことをしているように思えたのか、シャーロットは俯きがちにはにかむ。
「似合わない、でしょうか」
「似合うようになるんじゃないですか?」
「……はいっ!」
今日の空のように、シャーロットは笑った。




