67・古龍
リュシアンとカロルは二人の王子と一人の姫に恵まれ幸せに暮らしていた。数年前に王位を継承し、リュシアンは国王として勤しみ、カロルも王妃として公務にあたりながら子育てに騎士団の要請に応えたりしていた。退位した元国王、現デュランス公爵に元王妃の現デュランス公爵夫人は時々孫を可愛がりに来ている。カロルの理想とする老後を送る二人を羨ましくも微笑ましく思っていた。
リュシアンとカロルの三人の子供達は十歳になる長男のディミトリ、八歳の次男アントワーヌ、五歳の長女クリステルだ。ディミトリとアントワーヌは幼いながらも王族教育や家庭教師による学問等の勉強に励み、騎士団の少年団にも入って毎日を過ごしている。クリステルは遊んで過ごしているが、騎士団に興味があるようなので、カロルがこっそり自分が幼い頃行っていたラジオ体操にウォーキング、体幹を鍛えるトレーニングを教えていた。
日々を平和に暮らしていたカロルだったが、イザール国から来た使節によって、その平和は破られる事となる。
「ギード様ではございませんか。顔をお上げ下さい。」
「私を覚えていて下さるとは…ありがとうございます、王妃殿下。私はイザール国王ヴィルフリート陛下より、王妃殿下へ救援要請に参りました次第であります。」
「救援要請とは?詳しく伺いたい。」
リュシアンが眉間に皺を寄せてギードに問う。イザール国の軍事力はガルニエ王国よりも上だ。それなのにカロルに救援を求めるという事は、かなり不味い状況なのだと伺える。
「はっ。北の大地、エルフの国がございます、アマルナより古龍が南下して来たのです。イザール北方にある村が一つ、その古龍にて消されました…。古龍の力はあまりにも強大で、我々には抗う術がございません…。そこで、地獄を一人で攻略し、コンバグナ様の加護を持つカロル殿下の力をお借り出来ないか、と。」
「…古龍…。」
リュシアンは考え込む。助けてやれるものなら、助けてやりたい。しかし、それには自分の愛するカロルを危険な目に合わせる事になる。古龍は強大だ。カロルが無事に帰って来られる確証など到底持てる相手ではない。
「分かりました。ではその古龍の居る場所を教えてください。共はいりません。」
「カロルッ!」
「陛下、行ってまいります。今まで通り無事に帰ると約束致します。」
カロルは力強く笑い、ギードを立ち上がらせると謁見の間から出た。リュシアンは不安で仕方なかった。今までも、騎士団の要請でカロルが出る度に不安を感じていたが、今回はその比ではない。城内ではカロルがドラゴン討伐に向かったと噂が流れ、カロルの無事を祈る為にコンバグナの神殿を訪れる者が後を絶たなかった。
カロルは今回は髑髏兜を被らずに、他の装備は13年前に冒険者を辞めた時と変わらぬ物を身に付けていた。髑髏兜は通常であれば装備するのだが、今回は古龍が相手だ。美仁の使役するロンのように、人に変化出来話が通じるのならば顔が見える方が良いかも知れないと思い、置いて来た。
ギードから得た情報をもとに、古龍の元へ向かう。雪之丞達の速さであれば、一日かからない。共に連れて来たのは雪之丞と力丸だけだ。まだ大きい筈の古龍の姿も見えない距離から、強い気配を感じた。その気配の方向に飛んで行く。
雪が積もる深い森の中に、炎で焼かれたらしく炭と化した木々に茶色い地面の見える場所が現れた。その真ん中には黒く巨大な龍がこちらを睨むように見ていた。敵意と、戸惑いが混じる視線を投げてくる。
「古龍よ、お話をさせて下さい。」
カロルはよく響く声で語り掛けた。話が通じる相手なのか、もし通じなければ戦わなければならない。
「お前は、何者だ…。」
「私はガルニエ王国のカロル・ガルニエです。古龍よ、何故貴方はアマルナからこちらに来られたのですか?」
カロルは古龍が会話の出来る相手だった事に安堵した。戦わずに済めば良いのだが、と緊張しながら話を聞く。
「ワシが何処に行こうとワシの自由じゃ。人間の集落を潰したのも邪魔だったからに過ぎん。それについて文句を言いに来たのであろう?」
「…確かにドラゴンの方々からしたら、私達人間は小さく取るに足らない命なのでしょう。しかし私達も生きる為には貴方方のような強く大きいものと戦う選択をしなければならない事もあります。しかし、今回もそうなのですか?」
カロルは出来れば戦いたくないと滲ませた。古龍は目を細めて雪之丞と力丸の間に立つカロルを見た。小さい人間族の女。しかしこの小さい体に秘められた魔力量はアマルナのエルフ族よりも多く、しかも神の加護を二つ与えられているのが見えた。
「お前、何者だ。何故人間族にない強さと加護を持っている。」
「一つの加護は生まれつきです。もう一つの加護はコンバグナ様から与えられました。長年努力してきましたので。」
「努力、か。」
古龍はカロルを見て自分を思い返す。最強種のドラゴンである自分は、努力等無縁であった。自分と対極にいる努力を重ねた小さき者を興味深げに見る。
カロルも目の前の真っ黒な古龍を見上げた。対話が出来ている。しかもこの古龍は今、自分に対して敵意を持っていないように感じる。光明が見えたと思ったその時、古龍の顔が歪んだ。
「グァ…………ッ!」
首を持ち上げ上を向いたかと思うと、古龍は体を縮ませた。どんどんと小さくなっていき、大柄な老人の姿に変身した。黒っぽく裾の長い異国の服を着た老人は苦しそうに胸を押さえて這うように地面に手を付いた。カロルは慌てて駆け寄り老人の背中に労わるように手を置いた。
「…どうなさいました?」
カロルは老人が落ち着くのを待ってから声をかけた。老人を雪之丞にもたれかかるように座らせ話を聞く。
「ワシの死期が近付いているのだ。力もどんどん弱くなっている。情けない事だが、痛みに耐えきれず暴れる始末だ。」
「…それでも貴方は、私達を傷付けまいと痛みの中変身してくれました…。」
「フン。要らぬ世話だったかも知れんがな。」
老人は自嘲気味に笑う。人間の集落を一つ壊滅させた自分が、女一人の為に痛みの中変身をした事が可笑しかった。しかもその女は恐らく、自分の攻撃を避ける事も受け止める事も容易く出来るであろうに。
「私に貴方を助ける事が出来れば良いのですが…。人間の薬は効くでしょうか?この最上級ポーションを飲んで頂けますか?」
カロルはウエストバッグから瓶を出し古龍に渡した。古龍は瓶を受け取ると一気に飲み干した。
「体に傷があればこれで治ると思いますが、痛み止めも飲んでおきますか?」
「…貰おう。」
カロルは痛み止めの錠剤を古龍に飲ませた。
「痛み止めの効果は半日程で切れてしまいます。…これからどう生きていくのか、選んで頂きたいのです。」
カロルは言いづらい事を言うように、下を向いて言った。
「今私が持っている痛み止めを全てお渡ししますので、アマルナにお帰り頂く。若しくは私と使役契約を結ぶ。使役契約を結べば、私が生きている間は痛みも老いもありません。…あとは、私に討たれるか…。」
「ワシを殺れると?随分と舐められたものだ。」
老人はニヤリと笑いカロルを見た。口元は笑っているが、目元は鋭く光っている。
「貴方と戦って無事に済むとは思ってはおりません。が、殺らねばならぬのであれば、成し遂げてみせます。」
カロルは老人の前に跪いたまま、老人と睨み合う。老人に背中を預けられたままの雪之丞に緊張が走る。カロルは強い光を瞳に点し、老人を見た。
「くっ…かっかっか!」
老人は下を向き吹き出すと、顔を上げて笑った。どういった心境の変化なのか、カロルには分からずに老人の次の言動を待った。
老人はひとしきり笑うと、カロルに向かいニヤリと笑う。
「お前の提案は全て断る。」
「…では、」
「残りの生を、お前の元で過ごす事にする。使役契約はせぬ。」
カロルは老人の答えに面食らった。何故そんな結論が出たのか、よく分からない。
「お前はワシが苦しい時に薬を渡す。ワシが死んだら骸は好きにして良い。どうだ?良い話であろう?」
良い話どころか、カロルに利点しか無いではないか。古龍が錯乱し、城で暴れたりしなければ、の話ではあるが。古龍の骸から取れる素材は武器や防具、錬金術、様々な用途として最上の価値がある。カロルはこの提案が魅力的ではあったが、村一つを消し去った古龍を城に迎える事は不安だった。
「貴方は痛みに暴れ、この国の村を一つ壊滅させました。そこに暮らす民も居たでしょう。…同じ事を、我が国でされては困ります。」
「大地は人間だけの物では無いぞ。ワシがどうしようとワシの自由だ。しかし、世話になるのだから、お前の国では暴れない。現に先程は暴れたりしなかったであろう。」
「…念には念を入れ、対策をさせて頂いても?貴方の暮らす建物を、中から衝撃が漏れないようにさせて頂きます。あと…。」
「何だ、まだあるのか。」
老人はため息をつきカロルの言葉を待った。カロルは意を決して言葉を発した。
「血を、定期的に頂きたいです。」
老人は目を丸くしてカロルを見た。
「お前は、度胸があるだけでなく、欲も深いのお。ワシの骸だけでは足らんと申すか。…まぁ良いだろう。ダワの満月の日に一瓶だ。」
「充分です。ありがとうございます。」
カロルはニッコリと笑った。二ヶ月に一度の頻度で古龍の血が貰えるのはとても嬉しい。これがあれば、最上級ポーションも万能薬も作る事が出来る。
カロルと老人はイザール王城に向かい、ヴィルフリートに謁見した。老人を古龍だと伝え、カロルがガルニエ王国で死ぬまで面倒を見る事になった事を話すと、ヴィルフリートは驚いていたが受け入れた。
「陛下、この度は、お悔やみ申し上げます…。」
「ガルニエ王妃、力添え感謝する。貴方が居なければ、被害は増えていただろう…。」
ヴィルフリートは十年以上前に思いを寄せていた相手を見る。あの頃から変わらぬ美しさを保っているカロルを眩しそうに見つめた。
「ガルニエ王妃、古龍討伐感謝申し上げる!」
ヴィルフリートは声高に宣言した。これでカロルは古龍を討伐した事になった。話し合いだけで解決したのだが、村一つを消したモンスターが生きている事が受け入れられない者もいる事に対する配慮だったのだろう。しかしこれで、カロルに古龍狩りの異名が付いてしまう事となった。
誤字報告ありがとうございました。




