60・シャルル
シャルルは初めからカロルの事が今のように好きだった訳ではなかった。健康で毎日外でトレーニングをしているカロルを羨ましく思い、妬ましく思った事もあった。自分はベッドから起き上がる事も出来ないのに、カロルばかり元気に外で遊んでいる…。大好きな姉なのに、その姉に対してこんな暗い感情を持ってしまう事を後暗く感じる。カロルは自分に対してすごく優しかった。体調を気にしてくれ、退屈しているだろうと色々な本を持って来てくれた。だからシャルルは姉が大好きだったのだ。だけど、外でトレーニングをしている姿を見ると、どうしても胸の奥に黒い靄が広がってしまう。
しかし六歳の初夏の頃、シャルルは魔術塔から来た魔術師師長と数人の魔術師から魔力量を計られ、指輪を贈られた。この指輪は、無魔力穴病用装飾品なので外す事無く毎日付けているように、と教えられた。そして毎週ヤニックが往診に来てくれるようになった。
シャルルはすぐに起き上がれるようになり、今までの不調が嘘のように元気になった。いつも羨ましく見ていたカロルのトレーニングも一緒に出来るようになり、シャルルはカロルが全く疲れない事に驚いた。自分に体力が無いだけなのかと思っていたが、ジョエルも一緒にトレーニングをしていた時にカロルの体力が無尽蔵なのを教えられた。シャルルはそんなカロルを誇らしく思った。羨ましくは思ったが、妬ましい気持ちは湧かず、素直にそう思えた事がまた嬉しかった。
そして王太子との婚約式があった。凛と背筋を伸ばしてリュシアンと入場するカロルは美しかった。姉が将来王太子妃に、ゆくゆくは王妃になる事を自慢に思っていた。
そしてある日、往診に来ていたヤニックが、廊下でカロルと話している内容を聞いてしまった。
「こんにちは、カロル様。シャルル様が元気になりまして、良かったですね。」
「ふふっ、そうですね。これも錬金塔と魔術塔の皆様のお陰です。とても感謝しております。」
「何を仰りますか。カロル様がこの装飾品を発明しなければ、シャルル様が元気になる事は無かったのですから。」
盗み聞きしていたシャルルは目を見開き驚いた。まさか、この装飾品をカロルが発明していたなんて…!勿論シャルルには知る由もなかった。だが、シャルルはカロルの努力を思い、過去にカロルを妬ましく思った自分を責めた。何て醜い…愚かな子供なのだろう、と。それからシャルルはカロルを敬愛するようになる。
シャルルは一度カロルにこの事で感謝の気持ちを伝えた事があった。
「お姉様、私の為に無魔力穴病用装飾品の研究をしていたと聞きました。ありがとうございます。お姉様のお陰で私はこうして普通の人と同じように生活出来るようになりました。」
「ああ、どこかで聞いてしまったのですね。シャルルが元気になってくれて、私はとても嬉しいのです。錬金塔と魔術塔の皆様に感謝ですね。」
「はい…。でも私はお姉様に一番感謝しています。」
シャルルの言葉にカロルは微笑み頷き、シャルルの頭を撫でた。カロルの愛情がとても心地よく嬉しい。シャルルは将来王妃となるカロルを支えたいと思った。爵位を継ぐのはジョエルだ。自分はカロルの近くで仕事が出来るように勉強をして、ゆくゆくは城勤めになろう。そうシャルルは決心し、日々勉強に励むようになった。
シャルルはカロルを敬愛しているが、その婚約者に対してはあまり良い感情を持っていない。初めてカロルとリュシアンが仲睦まじく会話をしているのを見た時の衝撃は忘れられない。ジョエルから、学園でもそうなのだと教えられショックで放心してしまった。自分はカロルの弟なのだから、リュシアンのようにするのはおかしいし、そうしたいとも思わない。だが、リュシアンがカロルと仲良くしているのは面白くなかった。なのでシャルルは学園に入学してから弟の特権を使って、時々リュシアンの邪魔をした。それはカロルには分からない程の匙加減で行っていたが、ついカロルの目の前でリュシアンとやり合ってしまった為に、カロルにお叱りを受けてしまった。
「シャルル、リュシアン様に対してあのような態度はよくありませんよ。」
「…はい。申し訳ございませんでした…。」
シャルルは素直に謝った。二人の仲を引き裂きたい訳では無く、少し邪魔がしたかっただけなのだ。相手は王太子であるし、カロルもリュシアンを好いている。今はまだリュシアンが大目に見てくれてはいるが、怒らせたら怖い相手なのは分かっているのでこれ以上続けるのはよろしくない。シャルルは将来カロルの傍で働く為にもリュシアンに直接謝る事にした。
「リュシアン様、今までの数々の無礼、大変申し訳ございませんでした。」
シャルルはリュシアンの前で深々と頭を下げた。リュシアンは心の読めない笑顔を浮かべてシャルルを見る。
「シャルル君、頭を上げて下さい。私は別に怒ってなどいません。」
シャルルが頭を上げると、口元だけ微笑ませたリュシアンと目が合った。シャルルは強い瞳で見られて固まる。
「シャルル君、将来私に仕えるつもりは無いかな?」
「お姉様にお仕えしたいと思います。」
「はははっ、ブレないね。しかしカロルに仕える事は、ひいては私に仕えるという事だ。私に仕えて、カロルを助けてやって欲しい。」
シャルルはリュシアンに再び頭を下げた。
「お姉様の助けになるのであれば、リュシアン様にお仕え致します。」
「うむ。君のその度胸と頭の良い所はとても評価しているよ。それに引き際の見極めも中々のものだ。」
「お褒めいただき光栄です。」
シャルルは恭しく礼をした。早々就職先が見つかり安堵している。しかも希望通りの王城勤めだ。
「あと、もう私とカロルの邪魔はしないでくれよ?」
「お姉様に怒られましたので、もう致しませんよ。」
シレッと答えたシャルルにリュシアンは苦笑した。
「リュシアン様、失礼ですが、不用心ではございませんか?私と二人だけでお会いになるなど…。」
シャルルはリュシアンに問いかける。リュシアンの部屋にシャルルは訪問していた。扉の外に護衛が待機しているが、部屋の中にはリュシアンとシャルルしかいない。シャルルが害意を持っていたら、リュシアンが傷を負う可能性もあるのに、とシャルルは思ったのだ。
「ああ。それなら大丈夫。私にはカロルの護りがあるからね。」
リュシアンはカロルを想い微笑んだ。シャルルにはよく分からなかったが、カロルなら離れていてもリュシアンを守る事も出来そうだと妙に納得した。リュシアンはそれ以上はシャルルといえども教える気はなかった。この護りはカロルとリュシアンだけの秘密なのだ。シャルルが部屋を去りリュシアンだけになると、リュシアンは一人呟いた。
「いつもありがとう。」
「いいえ、これが私の仕事ですから。」
リュシアンの頭に子供のような声が響いた。いつも通りの真面目な口調にリュシアンは目を閉じ頷いた。
ゾエもシャルルも、カロルの為に城で働く用意を始めている。カロルが何を考えていようとも、リュシアンはカロルを逃すつもりはない。リュシアンはその日を楽しみに自分の影を眺め笑った。




