51・デート3
帰国した数日後、カロルはリュシアンと共に一日を過ごすデートをしていた。毎回長期休暇中会えなくなるので、このように過ごす事が恒例になっていた。
この日はガルニエ王国の南部に位置するヴォージュ渓谷に来ていた。切り立った絶壁の間を流れるヴォージュ川は美しいエメラルドブルー色に輝いている。高さ二百メートルという、ものすごい高さの崖は石灰岩で出来ており、白い岩肌に木々が張り付くようにして生えていて、美しい川の色と相まって素晴らしい眺望だった。
「晴れていて良かったですね。川の色がとても美しいです。」
リュシアンとカロルは雪之丞と力丸に跨り飛行しながら渓谷の景色を楽しんでいた。カロルが騎士団に協力するようになってから、雪之丞と力丸をリュシアンに紹介し、一日デートの際はこうして遠出するようになっていた。
「うん。素晴らしい景色だね。カロルとこうして来る事が出来て嬉しいよ。」
リュシアンは嬉しそうに微笑む。カロルも頬を染めて微笑み返した。二人は川沿いに降りて歩き出す。雪之丞達は川上にいるモンスターを狩りに出掛けた。
「リュシアン、今回の旅で、私は冒険者としての活動を終わりにしました。ご心配をお掛けしてしまい、申し訳ございませんでした…。」
「…いいのかい?私に気を使っているのでは…。」
「いいえ。今回の旅で目的を果たす事が出来たので、悔いはございません。」
心配そうにカロルの顔を伺うリュシアンに、カロルは笑顔で答えた。リュシアンはホッとしたように眉尻を下げてカロルに問う。
「目的って、何だったの?」
「コンバグナ様にお会いしたかったのです。今回無事、会うことが出来まして、結婚式に参列頂けるお約束を取り付ける事が出来ました。これで、街に広まっている、私の加護無しの噂も良くなると良いのですが…。」
リュシアンもカロルの噂が街で広まっている事を知っていた。四年前に魔術塔から去った貴族の男は、その後家から追い出され平民となった事までは聞いていた。平民に噂を広めたのは、恐らくこの男だろう。
しかし、この噂をカロルも知っていて、それを打開する為に行動していたとは知らなかった。
「そうだね。コンバグナ様が参列して下さるのなら、カロルの事を神に見放された者なんて言う者は居なくなるはずだね。でもカロル、少しは私の事も頼りにして欲しかったな。」
リュシアンはカロルの顎を指で上げて顔を自身の顔に向かせる。カロルは強く賢い為に、いつも一人で解決してしまい、リュシアンはそれを後になってから知る事が少し寂しかった。
「…それが、今回の旅で、イザール国の第一王子とお会いする機会がありまして、その際にプロポーズをされました…。勿論リュシアンと結婚する予定があるとお断りしたのですが、もしかしたら何か連絡があるかも知れません…。リュシアンの手を煩わせてしまうのは、大変恐縮なのですが…。」
「いいよ、カロル。やっと私を頼ってくれたね。」
リュシアンは、私のカロルに結婚を申し込むなど!と内心怒りで満ちていたが、蕩けるような微笑みを浮かべてカロルを抱き締めた。
「カロルと結婚をするのは私だ。隣国の第一王子であろうと絶対に渡さない。」
リュシアンの抱き締める腕がいつもより強い。カロルもリュシアンを抱き締め返した。
「私も、リュシアンじゃなきゃ、嫌です…。」
カロルがリュシアンの肩に頭を乗せて言うと、リュシアンはカロルの唇を荒々しく奪う。カロルに求婚した他国の王子への嫉妬心もあり、少し乱暴になってしまう。唇を離した時には、カロルの頬は赤く染まり、瞳は潤んでトロンとしていた。リュシアンはそんなカロルの表情を見て満足そうに笑うと、もう一度軽く口付けた。
「もしカロルが、あちらの方が良いと言っても離してやれないよ。母上だって反対するだろう。母上は、カロルの化粧品の熱狂的なファンだからね。」
「そのような事、絶対に言いません…。あの化粧品が王妃殿下に気に入って頂けて光栄です。私の自信作ですから。」
カロルは特上ポーションを利用して化粧品を作り出していた。シミ、皺、ソバカスに効く年齢化粧品で、完成した時にはカロルは大変喜んだ。前世でも年齢化粧品を使ってはいたが、特上ポーションを使って作り出した化粧品は効果が段違いだ。前世の自分に使ってあげたい、とすら思う。
この化粧品を作り出す前に、特上ポーションを使ってハンドクリームも作っていた。これは侍女達に大変好評で、価格も抑える事が出来た為平民にも流通している。特に冬、水仕事をしてあかぎれた手指に付けると一晩で綺麗になるので、ローラン家の侍女達に有り難がられた。
残念ながら、化粧品の方は価格が高くなってしまい、高爵位の貴族婦人にしか流通していない。ローラン家の侍女が施術を担当する美容サロンも作り、そちらも予約でいっぱいだった。王妃にはゾエが城に出向いて施術を行っている。
「それにしても、何故プロポーズされる事になったの?」
「それが、よく分からないのです。ワイバーンを二百体程討伐した後に、配下にならないか、と声を掛けられたのですが…。お断りして、言われた通りに兜を脱いだら、妃になって欲しいと言われました。」
カロルは首を傾げる。全く何処にも男性をときめかせる要素が見当たらない。しかしリュシアンにはよく分かった。圧倒的な強さを見せつけたカロルが、その後この美しい素顔を晒したのだ。恋に落ちない訳がない。しかもイザール国は戦闘民族の国。強く美しい者を伴侶にしたいと思う者も少なくない。
「きっと、ワイバーンを討伐するカロルは美しかったのだろうね。恋敵だけど、イザール国の王子の気持ちが分かるよ。」
「あの装備の私はとても女性には見えませんが…。」
「そんな事はない。とても美しいよ。」
リュシアンはカロルの耳元で囁いた。リュシアンはカロルの事が好きなのだからそう思うのだ、とカロルは思う。惚れた欲目が過ぎる。
リュシアンはそのまま耳元にキスを落とし始める。カロルはリュシアンの体を押して止めて欲しいと態度で示した。そして落ち込んで見せるリュシアンの頬に耳元にキスを降らせた。最後に耳を甘噛みするとカロルはリュシアンから離れる。
「…カロル、それは反則だよ…。」
真っ赤になったリュシアンが顔を両手で覆って恥ずかしがっている。カロルは中々見られない反応をするリュシアンに頬が緩む。
「リュシアン、可愛いです。」
カロルは真っ赤なままのリュシアンの頬にキスをした。リュシアンはカロルの手を取りキスをして舌を絡ませる。音を立てて唇を離すと鼻と鼻が触れそうで触れない距離でリュシアンは熱くカロルを見つめる。
「あんまり煽らないで。我慢出来なくなる…。結婚してからって約束が守れなくなるよ?」
リュシアンはカロルの腰を両手で引き寄せて体を密着させた。カロルは心臓とは違う場所がキュンとしてしまい、慌ててリュシアンから離れた。先程の自分は少しはしたなかっただろうか。カロルはまだ閨の教育を受けていない。急に恥ずかしい気持ちになった。
「あ、あの、もっと近くで川を見てみませんか?」
カロルは話題を逸らしてリュシアンの手を取る。リュシアンはクスリと笑うと頷いた。
リュシアンとカロルは手を繋いだまま川に近付いた。カロルは川に手を入れて水温を確かめる。
「結構冷たいのですね。」
「本当だ。冷たくて気持ちが良いね。」
カロルの横で腰を屈めてリュシアンも水に手を付ける。カロルはブーツを脱ぎズボンの裾を上げると川に入る。リュシアンもカロル同様川に入った。
「冷たいですね。でも気持ち良いです。」
カロルは楽しそうに笑いバシャバシャと歩く。夏ももう少しで終わるが、まだ暑い。冷たい水に浸かるのが気持ち良かった。二人は小さい子供のように、石を積んで川の中に池を作ったり、水切りをしたりして遊んだ。
大人びて見えるリュシアンが、このような遊びを楽しそうに、無邪気に笑いながらしている事がカロルには意外だったが、嬉しかった。
カロルは懐中時計を確認し、雪之丞達を呼ぶとブーツを履き近くのイシーレ村に向かう。イシーレ村はヴォージュ渓谷の深い谷底にある小さな村で、村の奥にはヴォージュ川が滝となっており、村の中心を清流が流れている。村の背後には切り立った山々が迫り、村のあちこちから岩山が覗く。村の建物の石壁や石畳が、落ち着いた雰囲気を出している。
二人はレストランで軽く食事を済ませ、村を散策する。イシーレ村は陶器の産地として有名で、陶器を扱う店が並んでいる。
岩山を登るように続く石畳の階段を登って行くと、断崖を繋ぐように掛けられた紐のようなものがあるのに気付く。紐の中心には二つの大きさの違う丸いオブジェが掛けてある。二つの月リュナとダワを象ったオブジェだ。リュナは白くて大きく、ダワは青みがかっていて縞模様がある。
「夫婦月のオブジェでしょうか。少し遠くて見え辛いですね…。」
「もう見えた?そう。この村には夫婦月の伝説があるらしいんだ。」
リュシアンはそう言うと、カロルにイシーレ村に伝わる夫婦月の伝説を話して聞かせる。その昔、まだ戦争をしていた時代に、この村には仲の悪い二つの家があった。しかしその二つの家にそれぞれ産まれた二人の男女は惹かれ合い、愛し合うようになる。家の者は二人の結婚を認めようとはしなかった。そんな中、男は戦争に徴兵されて行く。男は戻ったら必ず結婚しようと約束し、戦争に向かって行った。女は毎晩月に向かい、男の無事を祈った。男も月が見えると女を想った。十年という月日が流れ、戦争が終わり徴兵された者達が帰って来た。男もその中にいた。女は男の無事を喜び二人は抱き合う。しかしそんな二人を家の者は引き離そうとした。その時、珍しく寄り添い輝いていた二つの月が語り掛けてきた。この者達の愛は相手を想い慈しむ気持ちで溢れている、十年間会うことも話す事も出来ずにいたのに、その愛情に変化が無かった、結婚を認めてやりなさい、と。家の者達は驚いたが、二人の結婚を認める事にした。二人は夫婦月に感謝し、村の上空にオブジェを飾るようになった。
「リュナとダワが二人を見てくれていたのですね…十年間も…。」
カロルは二人の一途な想いに感嘆する。自分だったら、十年間も同じように想い続けられるだろうか。想い続る事が出来たとしても、帰った時、相手の隣に違う誰かがいたら…、待ち続けて、帰って来た相手の隣に誰かがいたら…。
「カロル?」
「あっ、すいませんでした!」
無意識にリュシアンの手を握っていたらしい。パッと手を離す。リュシアンはそんなカロルに微笑み、カロルの腰を片手で引き寄せそのまま歩き続ける。辿り着いたのは愛の女神の教会だった。二人は参拝すると村から出て帰路につく。
城でリュシアンと別れの挨拶をしようとすると、リュシアンがカロルの手を引き雪之丞から降ろした。
「今日はカロルが私の所に泊まる番だよ。大丈夫。ローラン侯爵にも、父上母上にも伝えてあるから。」
リュシアンはにっこりと良い笑顔で言った。カロルは青ざめて頬がカッと熱くなった。何故国王とジョルジュは許可したのだろうか。二人はまだ未成年なのに。何にせよ、親公認になっている事が恥ずかしい。
青くなったり赤くなったりしているカロルを見てリュシアンは微笑むと、カロルの手を引いてリュシアンの部屋に向かった。




