30・雪之丞
音のしなくなった穴に近付く。中を覗くとズブラレウが土埃に埋まっていた。意識を失っているらしいズブラレウを引き上げる。出血が激しく、毛皮も鬣も焦げている。上級タブレットポーションを口に入れ、少しするとズブラレウが目を覚ました。カロルの姿を見るなり唸る。
「手荒な真似をした事は申し訳ございませんが、私と使役契約を結んで下さい。」
傷は塞がっているが、まだ身動きはとれないらしいズブラレウは目だけでカロルを見た。先程までの怒りの表情は無い。何を考えているのか表情からは分からない。カロルは巻物を出した。親指を切ると血が滲み出る。
「私と、使役契約を結んで頂けますか?」
ズブラレウは重そうに前脚を上げた。カロルはそれを見ると巻物に親指を擦り付けて円を描いた。気合いを入れて切りすぎてしまったらしい。切り口が痛む。タブレットポーションを口に入れるとズブラレウに近付く。ズブラレウの肉球を切り、滲んだ血を肉球全体に広げて巻物に押し付けた。綺麗な肉球の形に押せた事に満足し、また上級タブレットポーションをズブラレウに飲ませる。
「ではここに、チャクラを流して下さい。」
カロルは自身の血で描いた円に指を置き、ズブラレウも前足を置いた。先程とは打って変わって静かな時間が流れる。
「では、貴方の名前を考えなければなりませんね。」
うーん、と考えるカロルをズブラレウは静かに見つめている。
「らいおん丸!というのはどうでしょう?」
「絶対に嫌だ。」
パッと顔を輝かせ、名案だと言うカロルとは対称に嫌そうにズブラレウは顔を顰めた。
「可愛い名前だと思ったのですが…。」
「俺もらいおん丸は無いと思うぞ。」
遠くから見ていてくれたらしい数珠丸が現れた。そしてダメ出しを受ける。ズブラレウは数珠丸を見て固まる。
「お前はさっきの化け物…!」
「おう。災難だったな。」
「…あんな目にあったのは初めてだ…。」
数珠丸の言葉で思い出したズブラレウはげんなりしたように言った。数珠丸は笑っている。モンスターも笑うんだな、とカロルは思いながら二頭のズブラレウを見る。カロルと契約したズブラレウは数珠丸よりも体が少し小さい。緑みの灰色の体色に鬣は紺鉄色をしている。数珠丸よりも黒っぽい。
「…雪之丞。」
「マトモな名前になったな。」
「ああ。それなら良い。」
「良かった。では、貴方は雪之丞です。よろしく、雪。」
カロルは無事に名前を付ける事が出来、ホッとした。
「まだ時間はあるが、帰るか?」
「…そうですね。帰りましょう。お師匠様は…?」
「先に帰ってる。」
翡翠らしい行動にカロルは笑う。
「では、帰りましょうか。」
雪之丞は傷は治ってはいるが、無理をさせたくなかった為カロルは数珠丸に乗って翠山に帰って行った。
翠山に戻ると翡翠が家から出て来て出迎えてくれる。雪之丞を見るとほぉ、と感心したような表情になった。
「カロル。なかなかやるではないか。ズブラレウを使役するとは、よくやったのう。」
「ありがとうございます、お師匠様。罠や魔石を使いましたので、私の実力とは言えませんが、雪之丞を使役出来、嬉しく思います。」
「なに、何も無い所から罠を張ったのであろ?そして罠にかけ、相手を降参させた手腕はそなたの実力と言って良い。今日のところは修行は終いにし、ゆっくりと休むが良い。」
「ありがとうございます。」
カロルは頭を下げた。肉体的には疲れないが、精神的に疲れた。雪之丞に追いかけられた時は本当に怖かった…。言われた通り、今日はゆっくりと過ごそうと思った。
「数珠丸も、ありがとうございます。数珠丸が居たから雪を使役出来ました。」
「俺は案内しただけだ。」
数珠丸はそう言うと、いつも寝ている木の方に向かった。雪之丞と対峙している時、上空から見ていてくれてカロルが危なくなれば、連れて逃げてくれたに違いない。素っ気ない態度の数珠丸を微笑みながら見送った。
ゆっくりしようと思ったが、何をして過ごそうか…。カロルは無意識に雪之丞の背を撫でる。
「カロルー!」
遠くから美仁が走って来た。息を切らせている。
「カロル!おめでとう!すごいね!ズブラレウじゃん!」
息を整えると美仁はカロルを褒めた。
「ありがとう、美仁。頑張ってきました!」
カロルも嬉しそうに返す。二週間生活を共にして二人は仲良くなっていた。美仁への敬称も取れている。
「翡翠様が今日はカロルとゆっくりして良いって!日本の事でも話したらどうだって…。」
「日本の…。」
そうだった。美仁も前世が日本人だったのだろうか…。それで翡翠は美仁から話を聞いて日本を知っていたのだろうか。
二人はお茶とお菓子を用意して、家で話をする事にした。雪之丞は外の木陰で寝ている。
「カロルも日本から来たの?」
「え?いいえ…。私は前世が日本人だったのです。美仁は生まれ変わってこちらにいるのでは無いのですか?」
「前世…?そうなんだ…カロルはこっちで産まれたんだね。私は気付いたら翠山で寝てたの。翡翠様に保護されて、翡翠様の家で寝てた…。」
カロルは驚いた。美仁の見た目は日本人には無い色をしている。白茶色の髪に、ルビーのような赤い瞳…。
「…でも、美仁が急にいなくなって、きっと親御さんは悲しんだでしょうね…。」
カロルの言葉に美仁は困ったように眉を下げて笑った。
「私、施設で育てられたから。…ほら。この目の色、真っ赤でしょ?この色…気味悪い、呪われてるって赤ちゃんの時に捨てられてたんだって。だから親が誰か分からないの。施設でも皆に虐められてた。悪魔って呼ばれてた…。だから、私がいなくなっても、悲しむ人はいないの。」
カロルは美仁の過去に胸を痛めた。軽率な事を言ってしまったと、後悔した。
「…そうだったのですね…。ごめんなさい。嫌な事を思い出させてしまいましたね…。」
「いや!いいの!ねぇ、カロルの事も聞かせてよ!日本でどんな事してた?」
「私は普通のおばさんでしたよ。子供が二人…二人とも男の子で、小さい頃は甘えん坊で元気で、すごく、可愛かった。私が死んだ頃にはもう大人になっていましたけどね。」
カロルは微笑み話しているが、美仁は鎮痛な表情を浮かべている。カロルが前世で一度死んでしまった事、大切な家族と離れもう会えないカロルを思い、悲しんでいる。
「美仁は、日本人なのですよね?チャクラをよく使いこなせてますね。」
「ここに来て五年も経つからね。初めは全然分からなかったよ。字も読めないし。勉強と修行ばっかりしてたなぁ。」
「ああ、わかります。言葉も文字も勉強しましたもの…。」
頷くカロルを美仁はキョトンと見つめた。
「言葉も?」
「え?…はい。お母様のお腹の中に居る時は理解出来ていた言葉が、産まれてからは全然理解出来なかったのです。」
「そう…なんだ…。じゃあ言葉も違うんだね…。」
美仁は何やら考え込んでいる。
「美仁には言葉が分かるのですね。」
「そうみたい…。カロルに言われるまで、日本語だと思ってた。確かに文字だけが違うなんて変よね。」
美仁は一体何者なのだろう…カロルも美仁も考え込んだ。
「私、いつか地獄に行くの。」
「地獄ってブラゾス大陸の?」
ブラゾス大陸とはカロルの住むガルニエ王国があるエルブルス大陸よりも西にある大陸だ。ミズホノクニからはかなり離れている。
「そう。その地獄に行けば私がこっちに来た理由が分かるんだって…。」
「地獄に…?でも地獄に入るには色々とやらないといけない事があるのでしょう…?」
「うん…。だから私がその時に困らないように、翡翠様や他の仙人様が色々教えてくれてるの。」
日本では愛されなかった美仁が、今色々な人から大切にされているらしい事が救いだった。これからも、美仁が傷付けられる事が無ければ良い、とカロルは思った。
「ガルニエ王国に立ち寄ったら、カロルに会いに行っても良いかな?」
「勿論です!是非、ローラン侯爵家を訪ねて下さい!」
二人は笑い合った。カロルはあと一ヶ月もすれば帰る事になる。もう二度と会えないかも知れなかったが、美仁がガルニエ王国に来て訪ねて来てくれるのなら、是非会いたい。
「そうだ。美仁はチャクラを使って属性の攻撃とか出来ますか?」
「ん?火術だったら出来るよ?」
美仁は魔法ではなく、忍術を使えるらしい。属性の加護が無くても使えるのだろうか?
「美仁には加護があるのですか?」
「加護?なにそれ?」
「産まれた時に神様から頂くものなのですが…生憎私には加護が無くて、属性の魔法が使えないのです…。」
美仁はカロルの話を聞き、考えた。
「私に加護があるのか無いのかも分からないけど…翡翠様に聞いてみよう!」
美仁は立ち上がり、翡翠の家へ向かった。カロルも慌てて立ち上がり、美仁を追いかけた。
美仁が翡翠の家をノックすると、やれやれと言うような笑顔を浮かべた翡翠が出て来た。
「どうかしたかえ?」
「翡翠様、加護について教えて下さい。」
「…ふむ。では二人共、入るがいい。」
翡翠の家に招かれ囲炉裏を囲んで座ると、小夜がお茶を用意してくれた。熱いお茶を飲み、翡翠は話を始めた。
「加護の、何が知りたいのじゃ?」
「翡翠様、私に加護はありますか?」
「精霊の加護はついておらぬ。美仁も、カロルも、じゃ。じゃが、代わりに違う能力を持っておろう?」
翡翠はにんまりと笑い二人を見た。
「美仁には底の見えぬチャクラ量。カロルには疲れを知らぬ体力が。これは神からの贈り物だと、中央の真珠が言っておったのう。」
「真珠様が…。」
真珠はミズホノクニの中央山にいる女仙だ。中央山がミズホノクニで一番高い山であり、ミズホノクニの仙人が時々集まる場でもある。
「お師匠様、私は魔法が使えないのですが、精霊の加護が無いからなのでしょうか?美仁の使う火術であれば、使えるのでしょうか?」
「…うむ。どうじゃろうな…。美仁は色々と規格外故…。しかしやってみると良いじゃろう。明日から火術の修行をしてみるかの。」
翡翠はそう言うと、カロルを見て笑った。カロルは、これが自分の魔法に対する打開策になれば、と思った。
誤字報告ありがとうございました。