28・修行
次の日、ルトロの街を出たカロルと数珠丸は海の上を飛んでいた。目の前の景色は空と海だけが果てしなく広がっている。
数珠丸は疲れを見せずに飛び続けている。日が沈み、月の光が波を所々光らせる。今日は月が二つ並んで光っている。
今日は寄り添っているな、とカロルはぼんやりと思った。この夫婦月が並んで見える事は稀だ。珍しく仲の良さそうな二つの月に自然と笑みが零れる。
遠くに陸地が見えてきた。あれがミズホノクニだろうか。針のような物がいくつか見えた。それは標高の高い山…山と言うよりもビルのように、聳え立つ山だった。あれを歩いて登るのは難儀しそうだな、と思いながら眺めていたら、その山の一つに数珠丸は向かって行く。あそこにあの女性と美仁がいるのだろう。
山の天辺は平らになっていて、建物がぽつぽつと建っていた。こんな所に一体どうやって建てたのだろう。
「ご苦労だったのう。数珠丸。」
数珠丸が降り立つと、女性が建物から出てきた。カロルは数珠丸から降りて荷物を抱え、女性の前に進んだ。
「お師匠様、自己紹介が遅れて申し訳ございません。私はカロル・ローランと申します。本日より、お世話になります。よろしくお願いいたします。」
カロルはそう言うと、深く礼をした。
「ほほほ。苦しゅうない。妾は翡翠。この翠山の主をしておる女仙じゃ。今日はもう遅い。美仁も休んでおるからの。今日の所は妾の家で休むと良い。明日、美仁に紹介しよう。」
翡翠はそう言うと、大きい方の建物にカロルを招いた。家へ入るとすぐは土間になっており、竈があった。日本の昔ながらの建物に似ている。土間から囲炉裏のある部屋が繋がっており、更に襖の奥が寝室らしい。どちらも板敷きの部屋だった。
翡翠は何処から出したのか、布団を囲炉裏のある部屋に敷いてくれていた。
「妾は奥におるからの。何かあれば声を掛けると良い。では、ゆるりと休まれよ。」
「おやすみなさいませ。お師匠様。」
カロルは頭を下げると、襖が閉められた。カロルは荷物と脱いだ防具と服、盾と剣を枕元に置き、布団に入る。布団なんて、何十年ぶりだろうか。前世でもベッド生活が長かった。布団で寝ていたのは十年に満たない。懐かしさを感じながら、カロルは眠りについた。
次の日カロルは夜明け前に目が覚めた。布団を畳んで荷物を持って外に出る。昨日の翡翠の言葉から、カロルが寝泊まりするのはこちらの建物ではないだろう。カロルは荷物を地面に置いて、いつも通りトレーニングを始めた。一通りトレーニングをしてからランニングを始める。下界からこの山へ、どのように来るのかも気になるので、辺りを散策がてら走り始めた。
そういえば、この山はかなり標高が高いはずだ。なのに風も弱く樹木も普通に生えている。家の裏には畑まであった。女仙を主とする山だから、常識など通じないのだろうか。カロルが走っていると、石の柱が二本立っていて、その上に水平に石が置かれた、門のような物を見つけた。ここから下界へ降りて行く道が繋がっているのだろうか。少し進んでみると、道はすぐに途切れていた。代わりに岩のような山肌に、大きな鉄杭が打ち込まれ、鎖で繋がれていた。高さの違う二本の鎖は、足を掛ける鎖と、手で掴まる鎖だろう。山頂を目指す者達は、この鎖を伝って登って来るというのか。カロルは冷や汗が出るのを感じ、家の方へ戻る事にした。
家へ戻ると、翡翠の家とは違う、もう一つの板張りの屋根の少し小さい家の戸が開いた。中からカロルと同年代位の白茶色の髪を肩で切り揃え、ルビーのような真っ赤な目を持つ少女と、二足歩行で割烹着を着た貂が現れた。
「あ、おはようございます。私、昨夜からこちらにお世話になっております、カロル・ローランと申します。これからよろしくお願いいたします。」
カロルは割烹着を着た貂には驚いたが、すぐに挨拶をした。
「あ!翡翠様が言ってた子だね!私は美仁です。会えるのを楽しみにしてました!」
「私はガレルダァの小夜と申します。翡翠様と美仁様の身の回りのお世話を任されております。カロル様も、何か御座いましたら何なりとお申し付け下さい。」
割烹着を着た貂はガレルダァというモンスターだった。ガレルダァは体長50センチ程の小柄な体格だが、動きは素早く爪や牙は鋭いモンスターだ。だが目の前の小夜が二足歩行で割烹着を着ている様は、とても可愛らしい。言葉が話せるのは翡翠が使役しているからなのだろうか。
「今からどちらへ向かうのですか?」
「朝食の支度をしに、畑に行く所なの。」
「御一緒してもよろしいですか?」
「うん!一緒に行こう!」
美仁は嬉しそうに笑って頷いた。竹で出来た平らなザルを手に家の裏の畑へ向かう。畑ではたぬきが二匹、畑の世話をしていた。こちらはタホンという、たぬきに似たモンスターだ。タホンはあまり好戦的ではない。
「小豆、長光、お野菜貰っていくね。」
美仁が二匹に話し掛けてから、野菜を収穫していく。その収穫方法に驚いた。美仁は指をちょきの形にして、野菜を切る。指で挟んだだけに見えたが、鋏で切ったような鋭利な切り口で切られていた。
「それ…どうやっているのですか?」
カロルは美仁の後ろから尋ねた。
「ああ、これはチャクラを使っているの。翡翠様が教えてくれると思うよ。」
チャクラとは、魔力のようなものだろうか。魔法もろくに使えないカロルに出来るだろうか…。
「美仁様、こちらもお願いします。」
タホンの一匹が美仁に木製バケツを渡した。中には川魚が入っている。
「長光ありがとう。」
美仁はバケツを受け取ると、その瞬間バケツが消えた。カロルは驚く。
「美仁様…バケツは、何故消えたのですか…?」
「え?アイテムボックスに仕舞ったんだよ?重いから。」
美仁は事も無げに言った。アイテムボックスとは何なのか…。カロルは先程から美仁のやる事に驚いてばかりいる。
カロル達は朝食の支度を終えて翡翠を呼んだ。食事は翡翠の家でとる。囲炉裏に火が入り、味噌汁の鍋が自在鉤に吊るされている。川魚には塩をふり串に刺して炉に立てている。野菜は浅漬け、トマトは塩をふっただけ。炊かれたご飯はお櫃に入れられている。カロルは懐かしさのある風景にほっとする。前世でも囲炉裏を囲んで食事をした事は無かったのだが、テレビ等で見た事のある風景に郷愁を感じている。
「早くからご苦労じゃったな。カロルも、昨晩は遅かったが、疲れは残っておらぬかえ?」
「はい、お師匠様。疲れは全く感じておりません。」
「そうか。では今日から修行が始められそうじゃな。沢山食べて、力をつけておくと良い。」
カロル達の食事が終わると、小夜が食器を片付けてくれる。
「あの、こちら、よろしければどうぞ。お口に合うか分かりませんが、ガルニエ王国でよく食べられている物です。」
カロルは王都で有名なお店のチョコとクッキーを出した。
「ほお。有難く頂くとしよう。」
翡翠が包みを開けると、美仁が目を輝かせた。
「わぁ!チョコにクッキー!」
ミズホノクニには無いお菓子を三人は愉しみ、その後美仁の暮らす家で勉強をした。午前中は勉強の時間らしい。カロルはここに居る間は美仁の家で暮らす事になる。美仁とカロルは並んで勉強をした。昼近くになると小夜が現れ、昼食の支度を一緒に始め、また翡翠の家で三人で食べた。
午後になり、翡翠から修行をつけて貰う。建物から少し離れた所にある広場に来ていた。美仁は他で修行をするらしく、数珠丸に乗ってどこかへ飛んで行った。
「さてカロル。そなた、妾に何を望む?」
「私は、お師匠様の様にモンスターを使役出来るようになりたいです。あと、美仁様の言うチャクラの使い方や、アイテムボックスという物も気になっております。」
「ふむ…なるほどな。」
翡翠はカロルを見て考えた。
「アイテムボックス…収納術は習得条件が多いからのお…空間を創り出すだけで一年程かかるものじゃから…うむ。まあ、無理じゃろ。」
考えた末ににっこりと断言されてしまった。確かにカロルは一年以上ここに居る事は出来ない。
「チャクラの扱いと、魔物の使役を教えてやろう。」
翡翠の修行が始まった。チャクラは魔力と同じであった。腹の底にある魔力臓から作られ身体中を巡り、魔力穴から出ていく。そのチャクラの流れをコントロールする事から始まった。
これは学園の魔法学の実技と全く違うものだった。魔法学では身体の中で魔力を巡らせる事はせず、放出する事しかしなかった。
チャクラをゆっくりと身体中に巡らせる。巡らせるスピードを上げて身体の中でチャクラを練る。練ると通常よりもチャクラが濃く、力を溜めているような感じがした。
「チャクラを練りつつ、魔力穴からチャクラを出さないように意識するのじゃ。限界まで溜めてみりゃれ。」
カロルの身体の中にあるチャクラが濃くなり、膨れ、カロルの身体から滲む。滲んだチャクラがカロルの身体を覆っているような感覚だった。
「おお。上手く出来たの。その状態で普段の生活をするのじゃ。」
この修行はチャクラをかなり消費する。カロルは錬金術の道具を持って来ていたが、使う余裕は無さそうだ。
「寝ている時も出来るようになるまでは、これ以上の修行はせぬ。」
翡翠はそう言うと、翡翠の家に帰って行った。カロルは唖然としたが、ここに居る間の修行がこれだけで終わってしまっては、モンスターの使役が出来ずに帰る事になってしまう。カロルは気合いを入れ、まずはこの状態でいつもしているトレーニングを始めた。
美仁が戻り、一緒に夕食を作っている時にカロルは目眩がして倒れた。美仁がカロルを支え、アイテムボックスから出したらしい薬を飲ませてくれた。ガリっと噛むとすぐに目眩はしなくなった。
「美仁様…ありがとうございました…。」
「いえいえ!この修行、何回もチャクラ切れになって倒れるらしいから!カロルもこの薬持ってなよ。私は使わなかったから、いっぱい余ってるの。」
美仁はそう言うと先程の丸薬をカロルに渡した。この薬、結構苦い。これから何度もお世話になるのか…。
「ありがとうございます。」
「おや、妾が助けてやろうと思うておったが、美仁に先を越されたな。」
翡翠が優雅に歩いて来た。丸薬を持っている。
「これも持っておれ。苦いが遠慮せず、飲むのじゃぞ。」
翡翠はくっくっと笑うとまた家に戻って行った。カロルは調理をしながらチャクラを練る。食事をしながらも、風呂に入りながらも、何をしている時もチャクラを練り留め続けた。夜眠る時には数珠丸が枕元に来て監視をすると言う。カロルは夜中、何度も数珠丸の尻尾に叩かれ起こされた。




