26・コンサート
日曜日、カロルはいつもより早く解体作業場に来ていた。最終日なので、作業場の掃除と作業道具の手入れをしようと思っていた。朝から広い作業場の掃除を全て終え、作業道具の手入れをしていく。すると親方が現れた。
「おはようございます。親方、お早いのですね。」
カロルは立ち上がり挨拶した。
「おう。カロルも早ぇな。…何だ掃除してくれたのか。」
「はい。今日で最後なので。…私に出来る事はこれくらいしか無いですから。」
最終日となると、この広い作業場が少し寂しい。
「そうか…ありがとな。…カロル、渡すものがある。」
親方はカロルに皮袋を手渡した。
「え?ありがとうございます…。見ても良いですか?」
「ああ。気を付けて扱えよ。」
カロルが皮袋を開けると、解体作業場で使っているものと同じ道具が入っていた。カロルは目頭が熱くなり、親方を見つめた。
「親方、ありがとうございます…!」
「カロルは技術を教わりたいからって給料を受け取らなかったからな。代わりだ。」
親方はぶっきらぼうに答えた。
「…また、来ても良いですか?」
「ああ。客としても、解体員としても、歓迎だ。ここに来たら、こき使ってやるからな。」
親方は豪快に笑った。カロルも楽しそうに泣き笑いをした。
午前中、カロルは最後の解体作業を懸命に行った。日曜日の午後はいつも学園に帰る準備をする為、午前中だけしかここに居られない。カロルの我儘を聞いてくれた皆には、感謝の気持ちでいっぱいだった。
「それでは皆さん、今日までありがとうございました。とても勉強になり、感謝しています。…本当に、お世話になりました。」
カロルは深々と頭を下げる。解体作業員達は口々に、ありがとう、や、頑張れよ、とカロルに声を掛けてくれた。カロルは涙目になりながら冒険者支援協会を出た。
解体作業員達もそうだった。むさ苦しい男達は、情に厚かった。すんっと鼻を鳴らしている者や、泣いている者もいた。カロルを娘のように思っていたので、旅立ちが寂しく、成長が嬉しい。男達は、冒険者であるカロルの無事を願った。
家に帰るとカロルは防具の洗濯をした。乾いたら取り込んで部屋に保管してくれるよう、ルイーズに頼む。洗濯した後はシャワーを浴びた。恐らく屋敷に帰ったらまた湯浴みさせられるが、肉片や血がついていたら心配させてしまう。昼食を軽く済ませると、トマとルイーズに後をお願いし、屋敷に帰った。
屋敷に帰ると、ゾエに身体中を磨きに磨かれた。ゾエは久々にカロルのお世話をする事が出来、幸せだった。今日は王太子とコンサートに行くという。これ以上ない位、カロルを美しく磨き上げてやろうと、ゾエは腕を振るった。
肌に香油を塗られ、髪を軽く巻かれ編み込まれ、ドレスを纏ったカロルは午前中の肉片や血に塗れたカロルとは大違いだった。
どこからどう見ても侯爵令嬢だ。
約束の時間になりリュシアンが迎えに来た。報せを受けたカロルはジョルジュとミレーユに挨拶をしているリュシアンの元へ向かった。
部屋をノックし入室すると、リュシアンが振り向いた。紺地に金の飾りのついた宮廷服を着ている。髪もセットされていて、いつもより大人びている。リュシアンはカロルを見るといつものように甘く微笑んだ。
「カロル、今日のカロルは輝かしい程に美しいね。こんなに美しいカロルをエスコートできるなんて、私はとても幸運だね。」
「リュシアン様、ありがとうございます。…リュシアン様も、今日の装い、とてもお似合いです。とても格好よくて、素敵です。」
カロルは真っ赤になりながらリュシアンを褒めた。リュシアンはとても自然にカロルを褒める。カロルは両親の前という事もあり、お互いを褒めるのは恥ずかしかった。
「ではローラン侯爵、カロルをお預かりします。少し遅くなってしまいますが、必ずお送り致しますので。」
「わかりました。殿下、カロルをお願いいたします。カロル、今回のプログラムはとても好評らしい。楽しんでおいで。」
ジョルジュは穏やかに微笑み二人を送り出した。カロルが冒険者となっていた事に頭を抱えていたが、こうしてリュシアンと交流を深めている事に安堵している。いや、安堵は出来ない…カロルは夏季休暇に入ると、ミズホノクニへ向かう。何も安心は出来ない。残念ながら、ジョルジュにとって頭の痛い日は続く…。
リュシアンとカロルは馬車に揺られコンサートホールに向かっていた。リュシアンはカロルの手を握りカロルを熱く見つめる。
「カロルはどんどん美しくなるね。私は心配になるよ…。」
「何を仰るのですか。リュシアンの方が、学園でも令嬢達の視線を集めております。心配しなければならないのは、私の方です。」
「カロルが本当に心配してくれたら、嬉しいんだけどね。でも、私はカロルしか見てないから。」
リュシアンは微笑みカロルの指先にキスを落とす。
「心配はしておりますよ。」
カロルは寂しそうに微笑んだ。心配はしているが、諦めている。運命に逆らえないだろう、いつかはリュシアンが、離れて行くだろう、と。リュシアンはそのカロルの諦めを、違う形で気付いていた。カロルがリュシアンを好いているのは分かっていたが、何故か距離があるのだ。その距離が何か分からない。だがいつかは、本当に愛し合える関係になりたいと願っていた。
カロルの寂しそうな笑顔を見て、リュシアンは胸が詰まる。何が彼女をそんな表情にしてしまうのか。
「カロル、今日は楽しもう。ローラン侯爵も言っていた通り、今話題のプログラムなんだ。」
「はい。とても楽しみです。リュシアンと、こうしていられるのも、幸せです…。」
カロルはリュシアンに体を預けるようにくっ付いた。リュシアンはそんなカロルの腰に腕を回してカロルを抱き締めた。
リュシアンとカロルを乗せた馬車はマセナ・フィルハーモニック・ホールに到着した。馬車と人で混雑している。リュシアンはカロルの手を取りエスコートしてくれる。そのまま貴賓席まで案内された。
談笑していると辺りが暗くなり幕が上がる。指揮者のサミュエル・ルーが礼をしてオーケストラに向き直ると、演奏が始まった。バスドラムが鳴る。バスドラムと同時に硬いものを叩く小気味の良い音も聞こえた。この曲を、カロルは知っている…。
ヴァイオリンの音色が加わる。その後すぐにフルートの音色も加わった。カロルの演奏していた物よりも数段豪華になっていた。
カロルはとても驚いたが、ひとまずこの素晴らしい演奏を楽しんだ。
途中カロルがリュシアンに渡した音魔石に録音されている曲が、何倍も豪華になった曲が演奏され、休憩時間となった。カロルはリュシアンに渡されたプログラムを見る。カロルが知っていた曲の作曲者名がカロル・ローランになっていた。カロルは頭が痛い思いをしながらリュシアンを見た。
「リュシアン…この曲は…しかも作曲者が…私の名前に、なっているのですが…。」
「カロルのくれた音魔石を聞いていたら、ルー先生が是非コピーさせてくれって仰ってね。ルー先生も気に入ったみたいだね。」
にこやかなリュシアンと対照的なカロルは思う。ここまで公になってしまっては、もう自分が何を言っても無かった事にはならないのだから、諦めよう…と。自分の作品では無いのに…皆を欺いている事に罪悪感を感じてしまう。
カロルが錬金術の方で名前を公表されたくなかったのは、断罪後の国外追放の際に自分の名前が残っていては、障りがあるだろうと思ったからだ。自分が関わった商品が売れなくなってしまったり、禁止されたりしてしまうかも知れない。それを避ける為だった。
「カロル?どうかした?」
リュシアンがカロルの顔を覗き込んだ。カロルは思考から覚める。
「あ、申し訳ございません。少し考え込んでしまいました。」
カロルは困ったように笑う。そんなカロルを、リュシアンは気遣わしげに見つめた。
後半の曲も素晴らしいものだった。カロルの曲をオーケストラで演奏出来るように仕上げる手腕は流石としか言いようがない。スタンディング・オベーションでアンコールが行われ、喝采の中コンサートは終演した。
リュシアンとカロルはマセナ・フィルハーモニック・ホールから出て散歩しながら貴族街のレストランに向かった。指を絡めて手を繋ぎ、ゆっくり歩く。
「素晴らしい演奏でしたね。あの演奏を聞いた後では、私の録音した曲など恥ずかしくて聞けないです。」
カロルは困ったように笑った。
「私はカロルの演奏したものが好きだな。勿論今日のルー先生のオーケストラも素晴らしかったけどね。」
「ふふ。ありがとうございます、リュシアン」
カロル第一のリュシアンらしい台詞が出る。カロルは礼を言いつつ、少し恥ずかしい気持ちになっていた。拙い物をリュシアンに渡してしまったと少し後悔している。
二人はレストランで食事を終えると、カロルを送る為馬車に乗り込む。来た時と同じように隣に座り手を繋いだ。
「ミズホノクニから帰って来たら、今度はカロルと一日何をして過ごそうかな。」
リュシアンはカロルの髪を指で梳かしながら言った。カロルは少し眠くなるような気持ち良さを感じている。
「またお出掛けしましょうか?ピクニックとか、遠乗りも良いですね。」
「いいね。涼しくなっているだろうから、そうしようか?私としては、一日カロルを部屋に閉じ込めておくのも捨て難いなぁ。」
悪戯っぽく言っているが、本当にそう思っていそうだ。しかし、リュシアンの部屋に行くと、またあの激しいキスをされてしまう気がするので、カロルとしては遠慮したい。カロルは少し赤くなる。
「二ヶ月も会えないなんて、寂しいよ…。無事に帰って来て…。」
リュシアンは切なく言うとカロルを抱き締めた。そして触れるだけのキスをする。カロルと至近距離で見つめ合い、次は深く激しく唇を合わせた。リュシアンは今日会ってから、すぐにでもカロルに口付けたかったが、カロルが紅を差していた為に遠慮していたのだ。馬車の中に口付ける音と息遣いだけが響く。屋敷に到着する頃にはカロルは真っ赤になってしまっていた。
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