25・カロルの放課後と週末
注意・肉を解体します。
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カロルは放課後、魔術塔に来ていた。今日からイヌクシュクの魔法学の授業を受ける。
魔術塔のイヌクシュクの部屋に案内されたカロルはドアをノックする。するとすぐにゆっくりとドアが開く。中に入ると、またゆっくりとドアが閉まった。誰もドアに触れてはいない。魔法なのだろうか。
イヌクシュクの部屋は綺麗に整頓されている。乱雑なチエリの部屋とは大違いだ。
「イヌクシュク様、私の為に時間を頂きまして、ありがとうございます。今日から、よろしくお願いいたします。」
カロルは深く礼をして言った。イヌクシュクは微笑み座るよう促す。カロルは机を挟んでイヌクシュクの前に座った。
「カロル様は加護が無いのでしたね。それで、生活魔法以外の魔法が使えない、と。」
「はい。そうなのです。学園の授業にもついていけないのです…。」
「私に解決出来るかは、分かりませんが、色々と試してみたいと思います。もしかしたら、この時間全てが無駄になる可能性もありますよ?」
「はい。それでも、イヌクシュク様にお願いしたいです。」
カロルは真剣な表情で頷いた。イヌクシュクは美しい顔で笑うと授業を始める。
「ではカロル様、まずは貴女様の魔力量を測らせて頂きます。」
魔力量、確か冒険者カードにも記載があった。何故か他のパラメーターよりも高かった。毎日錬金術をしていたからだろうか。
イヌクシュクはカロルに水晶玉に触れるように言う。カロルが触れると水晶玉を覗き込む。
「やはり、魔力量はかなり多いですね。では魔法を使う時の魔力の放出方法を見てみましょう。」
イヌクシュクはファイヤーボールの魔力の放出方法をカロルに教える。学園で習ったものと同じだ。カロルは言われた通りに掌の上で球を作るように魔力を回し大きくしていく。直径20センチ程の魔力の球体がゆっくりと回っている。
「魔力の放出は問題ないようですね。ではここで呪文です。ファイヤーボール。」
イヌクシュクが呪文を唱えると魔力の球は燃える火球となり壁に飛んで行った。そしてそのまま壁に吸収される。攻撃魔法を吸収する魔法が建物全体にかけられているらしい。
「ファイヤーボール。」
カロルも呪文を唱えたが、魔力の球に変化は現れない。イヌクシュクは、ふむ、と考え色々と試し始めた。呪文を古代語で唱えてみたり、炎のイメージをさせてみたり、実際にイヌクシュクが炎を出してそれと融合させてみたり…。
「何の変化もありませんね。」
「…申し訳ございません。色々と考えて頂きましたのに…。」
カロルは項垂れた。頑張ってみたが、やはりダメだった。
「今日の所はダメでしたが、次回また頑張ってみましょう。」
イヌクシュクは優しく微笑んだ。カロルは頭を下げる。
「はい。ありがとうございました。また次回、よろしくお願いいたします。」
それからもイヌクシュクとカロルは属性を変えて様々な魔力の放出方法を試したが、何一つ成功しなかった。イヌクシュクはカロルに下級魔法のほとんどの魔力放出を試させていた。闇属性や聖属性の放出も試させた。この二つの放出は他の属性魔法よりも難しいものなのだが、カロルは放出だけは出来るようだった。
魔力も高く、扱いも秀でているのに勿体ない…イヌクシュクは何とかしてやりたいが、残念ながらもうすぐ夏季の長期休暇に入り、カロルは二ヶ月程城へは来られないという。
「カロル様が来られない間も、色々と調べてみますので。」
「イヌクシュク様…出来の悪い生徒で申し訳ございません…。あの…これ以上成果の出せない私にお付き合いさせてしまうのは心苦しいのです…。ですので…。」
「おや、もう諦めてしまうのですか?」
申し訳なさそうに俯くカロルにイヌクシュクは優しく微笑む。
「カロル様が諦めても、私は諦められません。それでは、これからは私にお付き合い下さいね。」
イヌクシュクは楽しんでカロルの教師をしていた。イヌクシュクは、カロルのこれを研究対象として見ていた。そして結果を出すまで続ける気でいるようだ。
「ありがとうございます、イヌクシュク様。城に来られない間も、私なりに色々してみます。」
カロルも決意表明し、イヌクシュクと別れた。金曜日である今日はリュシアンも城に戻っている。カロルは長期休暇の間、リュシアンに会えないという事を伝えねばならない。重い足取りでリュシアンの部屋に向かった。
ドアをノックすると、笑顔のリュシアンがドアを開け部屋に招き入れられる。ソファに二人で腰掛けた。
「カロル、どうしたの?話って?」
リュシアンは優しく問い掛ける。恐らくリュシアンにとって嬉しい話では無いという事は予想しているのだろう。いつもの甘い空気は身を潜めていた。
「夏季休暇の間、私はミズホノクニへ参ります。」
「あんなに遠くへ…?」
リュシアンは色を無くして驚いている。
「カロルは、帰ってこないつもりなの…?」
「いいえ。行くのは夏季休暇の間だけです。学園が始まる前に戻って来ますよ。」
「でもどうやって?騎士団のマーカルゴラだって行くだけで半月はかかるだろう?」
リュシアンは青い顔のままカロルの手を握り問う。
「ミズホノクニに住んでいます、私の師匠の使役していらっしゃるモンスターが迎えに来てくれるのです。その方に乗れば、三日で着いてしまうらしいのです。」
カロルはリュシアンを安心させるように笑った。それでもリュシアンは安心出来ない。
「その道中だって危険ではないの?一人なのだろう?宿で何者かに襲われたりはしないか…。」
リュシアンは心配でたまらないと、眉を寄せて首を振る。カロルも危険は承知で行く。将来死なない為に行くのだ。今死んでしまっては元も子も無い。それに道中はあのズブラレウを見て襲って来る者は少ないだろうし、安宿を選ばなければ宿で襲われる心配も減る。
「リュシアン、私はちゃんと、リュシアンの元へ帰って来ます。約束します。」
カロルはリュシアンの目を見て言った。リュシアンは渋々頷く。
「必ずだよ…。帰って来たら、またカロルの一日を私にくれるかい?…あと、明後日の午後だけど、会えないかな?」
「明後日の午後ですか?…ええ。会えますが…。」
「良かった。ルー先生からコンサートのチケットを頂いたんだ。カロルも是非って。」
サミュエル・ルーはリュシアンとカロルの音楽の家庭教師をしていた者だ。サミュエルはマセナ交響楽団の専属指揮者もしている。彼は様々な楽器に長けた音楽家だった。彼からコンサートに招待されるのは初めてではない。カロルは是非にと快諾した。
リュシアンには二ヶ月も会えない事を渋られると思っていたカロルは少し驚いていた。会えない事よりもカロルの身を案じてくれるリュシアンの愛に、カロルの心は暖かいもので満たされる。
「一緒にコンサートに行くのは初めてですね。とても楽しみです。」
「そうだね。カロルと外出をしたのは、あのデートの日以来だから、私もとても楽しみだよ。」
リュシアンは自身の指をカロルの指と絡め、優しくキスをした。
カロルは土曜日の朝、寮から街の家に向かう。学園が始まってから毎週そうしていた。
「おはよう。トマ、ルイーズ。」
「おはようございます。お嬢様。」
「おはようございます、お嬢様。今日もお暑いですね。」
トマとルイーズはこの家を管理する為に雇われ、夫婦で住み込みで働いてくれている。この家に住んでいた時は冬だったが、もう初夏だ。カロルはこの家の自分の部屋に向かった。そこで防具を着込み剣と盾も身に付ける。
「じゃあ行ってきます。」
「行ってらっしゃいませ、お嬢様。」
最初の頃は冒険者の出で立ちで現れたカロルに目を丸くしていたトマとルイーズも、もう慣れたもので、にこやかに送り出した。
カロルは冒険者支援協会のモンスターの素材を買い取る窓口に来ていた。
「おはようございます、ドニさん。」
「カロルちゃん!おはよう!親方はもう奥にいるぜ。」
「それは急がないと!待たせてしまいましたかね…?」
「だーいじょうぶだって!親方はカロルちゃんが来ると嬉しいんだ。だから土日はいつもより早く来るんだよ!」
ドニはニカッと笑う。カロルは奥に急いだ。
「親方!おはようございます!遅くなってすいませんっ。」
カロルは慌てて親方の元へ小走りに駆け寄った。親方と呼ばれた髭面の大男はじろりとカロルを見る。
「今日はちと早く起きちまっただけだ。今日もいっぱいあるぞ。支度出来たら来い。」
「はい。わかりました!」
親方はしゃがれた野太い声でカロルに指示をする。カロルは気合いを入れた。兜を脱ぎ、作業用ゴーグルを装着する。更にマスク代わりにボロ布を顔に巻き、作業用エプロンをつけた。そしてこの作業場にある解体包丁、骨切鋸、ガットフックナイフ、皮剥ぎ包丁、包丁ヤスリを準備して親方の元へ戻った。
「よし。じゃあ始めるぞ。」
「はい!」
カロルは目の前に積まれたコルナパンという一角を持つクリーム色の兎を解体していく。皮を剥ぎ血抜きをする為に吊るす。血抜きの間、他のコルナパンの皮を剥ぎ血抜きの為に吊るす、これを繰り返す。血抜きが済んだものは内臓を取り除き骨から肉を剥がして行く。一角も肉も皮も余計な傷を付けないように慎重に、しかし素早く行っていく。
カロルは前世では精肉店でパートとして働いていた。そこでも肉を切る事はあったが、皮を剥いだり内蔵を除いたりとかはしなかった。しかしカロルの学習能力の高さと真剣に取り組む事で数ヶ月間、毎週末ここに来る事で解体作業が出来るようになってきていた。流石に上級モンスターは一人では捌けないが、目の前のコルナパン位ならカロルに任せて貰える位にはなっていた。
コルナパンは肉を食べる事が出来るモンスターなので新鮮な肉は肉屋に売られる。皮は色々な製品に加工される為、そちらの店に卸される。内臓、血、骨は肉骨粉となり飼料や肥料に、一角は錬金術の材料になる。毒されているものや、新鮮でない肉は廃棄処分となる。解体された物は売りに来た冒険者が引き取り希望しなければ、協会が全て買い取り、素材を方々に売る。協会はクエストの仲介料だけでなく、素材の売買で得た金銭で経営している。
昼休憩になると、カロルは親方と他の解体作業の職員達と昼食に出掛けた。冒険者支援協会の近くにある大衆食堂で皆で食べる。
「明日でカロルちゃんが最後だなんて寂しいな!」
「皆さんには大変お世話になりました。」
カロルはニッコリ笑って答えた。
「週末の俺達の癒しが…。」
泣き真似している者もいる。確かに解体作業場はカロルが居なければむさ苦しいオジサンの職場なのだ。初めてカロルが解体作業場にモンスターの解体に来た時は皆、目を丸くしていた。解体をすれば内臓を引き摺り出し、肉片や血で塗れる事なんて毎日の事だ。しかしカロルは嫌な顔一つせずに淡々と作業をしていた。職員達は感心し、日々技術を磨こうとするカロルを認めてくれていた。
「今まで通りになるだけだ。おめぇら、腑抜けてたら蹴り飛ばすぞ。」
親方がじろりと皆を見た。親方だってカロルが来なくなるのは寂しいと感じているのを知っている職員達は、睨まれても怖がる事はなかった。むしろ生暖かい目で親方を見ていた。
「ちっ…。食ったら行くぞ!まだまだ作業は残ってるんだ!」
髭面で見えなかったが、親方の顔は赤くなっていただろう。職員達もカロルも、午後は親方にしこたま扱かれた。
誤字報告ありがとうございました!