24・婚約解消の行方
カロルのノートが切り刻まれてから数日後、ジャンからリュシアンにノートを切った犯人が分かったと告げられた。
そしてリュシアンは、カロルに婚約解消を焚き付けた者、ノートを切った者を集めて忠告するだけに留める事にした。本当なら、カロルの事を傷付け、更には婚約解消を焚き付けるなど、到底許せるものではなかったが、リュシアンは自分を抑え込んだ。将来国王となる自分が感情に任せた行為をしてはならない。
空き教室に、令嬢達を呼び出した。初めは色めき立っていた令嬢達も、集められた顔ぶれを見て、自分が呼ばれた理由を察した。リュシアンが教室に入ると、令嬢達に緊張が走る。
「急に呼び立ててすまない。ここに集まって貰った理由は君達も察しているとは思う。カロル・ローラン侯爵令嬢の噂、勿論知っているね?」
リュシアンは穏やかな笑顔で話す。抑えている怒気が声色から漏れている。令嬢達は固まり冷や汗をかいている。震えている者までいる。
「私の愛するカロルが、その噂の為に婚約解消を申し出て来たんだ。」
リュシアンは憂いの表情になる。美少年の色香溢れる表情を見ても、令嬢達は誰もときめいたりはしなかった。怒気の滲む声色に場の空気は凍りつく。
「覚えておいて下さい。私は、絶対に、婚約解消しません。貴方達がこれ以上カロルを傷付け悲しませるのならば、私も動かねばなりません。私にはカロルが何よりも大切なのです。…話は以上です。では失礼します。」
リュシアンは笑顔で宣言すると、凍りついて動けない令嬢達を残して教室を出て行った。後ろからついてくるアンリが苦笑いしている。
リュシアンは王妃に明日のカロルの王妃教育を休みにして貰うよう連絡した。これで、カロルに婚約解消を断る準備が出来た。またカロルに何かする者が現れるかも知れないが、二度目は無い。
令嬢達はリュシアンが去ってしばらくすると、やっと動き出す事が出来た。自分達が優位に立って下に見ていたカロル・ローランにしていた事が、王太子にバレてしまった。しかもこのように集められ忠告を受けた。
いつも笑顔でいて穏やかに見える王太子の、滲み出た怒気を感じ、多くの令嬢は後悔した。
そして、カロルの加護無しの噂は、この日から、カロルに手を出すと王太子が黙っていない、という噂に変わっていく。それは魔法学の教師が変わって更に信憑性を増し、カロルは腫れ物のように扱われるようになる。
そして次の日、リュシアンはカロルが来るのを部屋で待っていた。入学式の日にカロルが来て以来、忙しくしていたカロルとやっとこうして二人で過ごせる事に喜びを感じていた。愛しい気持ちで懐中時計を撫でる。懐中時計はカロルに託して一ヶ月程で戻って来ていた。婚約式の日からずっとリュシアンの宝物だ。
リュシアンは緩む頬を引き締める。まずは婚約解消を断らねばならない。
ドアをノックする音が響く。弾む心臓と声を抑え、入るように促した。
「失礼します。お話があると伺いました。どういったご用件でしょうか?」
カロルはドアを閉め固い表情でこちらを見つめる。リュシアンは立ち上がりカロルに歩み寄る。カロルは体を固くした。緊張しているのが分かる。
「カロル…婚約解消を母上に願い出たそうだね。」
リュシアンはカロルが逃げられないように鍵をかけて両手をドアに押しつけた。カロルは言い辛そうに目を伏せ答える。
「…はい…。私は加護無しで神に見放された者です。リュシアン様に相応しくないのです。このような者が王太子妃になど、国民が認めて下さいません。ですのでリュシアン様、私と婚約を…っ。」
カロルが最後まで言う前にリュシアンに口を塞がれる。舌を差し込まれ口内を蹂躙される。そのままリュシアンに抱きすくめられながら移動してベッドに縺れるように押し倒された。
リュシアンの激しく優しいキスは終わらない。お互いに息づかいが荒くなり、リュシアンがカロルの唇を吸うと音を立てて唇を離した。
これ以上したら止まらなくなる。リュシアンは理性で自分を押し留め、とろりと火照る顔のカロルを見た。困ったように眉根を寄せるカロルを見て、その可愛らしさと色っぽい妖しさに箍を外されそうになりながらもリュシアンは口を開いた、
「カロル、私は婚約解消は認めない。」
「しかしリュシアン様っ。」
「また口を塞がれたいの?」
上半身を起き上がらせたカロルの顔に顔を寄せてリュシアンは言う。
「二人きりの時はリュシアン、だったよね?」
「…リュシアン。私の噂を聞いていないのですか?魔法学の教師も言っていた事です。リュシアンにはもっと相応しい方が。」
カロルはまたしても途中で遮られてしまった。唇を吸われ、舌を絡められ、またベッドに押し倒される。
「このまま、最後までしてしまうよ?」
唇を少し離し、そう言われる。カロルは真っ赤になる。
「リュシアン…。」
「…分かってる。しないよ。…でも、カロルがどうしても婚約解消をすると言うなら、もう我慢しない。」
涙目のカロルをリュシアンは起き上がらせる。
「カロルが嫌がっても、カロルの全てを私のものにするから。」
怖いくらい真剣な目で言われる。
「だからもう、婚約解消するなんて言って私を驚かさないでね。私は絶対に婚約解消はしない。父上も母上も了承しているよ。」
リュシアンはニッコリと笑って言う。先程と雰囲気が変わり、カロルはホッとした。
「…分かりました。リュシアン、驚かせて、ごめんなさい。国王陛下、王妃殿下にも、後日謝罪させて頂きます。」
「良いんだ。カロルは悪くない。…悪かった点は、私に何も言わずに母上に婚約解消を申し出た事かな。ジャン君から聞いた時は、心臓が止まったかと思ったよ。」
リュシアンは優しく笑った。そして、大事な事を伝える。
「あの教師が言っていた事は嘘だった。魔術塔に確認したが、あの教師の作り話だった。あの教師は解雇されて、新しい教師が来る事になるよ。」
「そうだったのですね…。」
カロルは安心した。しかしカロルが落ちこぼれである事に変わりはない。
「あと、王妃教育の日の内の一日が魔法学の授業に変わるよ。イヌクシュクが家庭教師として教えてくれる事になる。」
「イヌクシュク様が…?」
「私としては、他の者が良かったんだけど、イヌクシュクは知識も実力も魔術塔一だからね。カロルの為になるなら、私は我慢するよ。」
何をリュシアンが我慢するのか、カロルにはピンとこない。
「何故イヌクシュク様は嫌なのですか?」
「カロルは昔、イヌクシュクの事を少なからず思っていただろう?」
「え?」
目が点になる、とはこの事だろう。カロルは目を見開きリュシアンを見た。
「違うの?」
「私、イヌクシュク様に恋をした事はございませんよ?イヌクシュク様は確かに壮絶に美しいです。お顔を見て眼福に思った事はありますが…私の初恋はリュシアンですし…」
最後の言葉にリュシアンは胸をキュンとさせられる。カロルを優しく抱き締めた。
「ありがとう、カロル。大好きだよ。私の事を好きになってくれて嬉しい…。」
「私もです。リュシアン。…あの、今回の事、本当に申し訳ございませんでした…。」
「いいや、私こそ、気付いてあげられなくて済まなかった。」
リュシアンは表情を曇らせる。これからは早く情報が入るようにジャンにいつでも、どんなことでも連絡してくれるように言ってある。ジャンは情報収集能力に長けていた。この事件の中、良い人材と出会えた事は素晴らしい釣果であった。
「ジャン君も言っていたけど、カロルは自分一人で解決しようとする所かあるからね、何か困った事があったら、頼って欲しい。私の事を頼って欲しいけど、ウィリアム君でもジャン君でも良い。カロルの事を助けたいって思っている人は沢山いるから。」
「…そうですね。一人で耐えて、むしろ皆様に心配と迷惑をかけてしまいました。ウィリアムにも、怒られてしまいましたから。」
「そのお説教は、私がしたかったな。」
「…リュシアンには、もっとすごいお説教をされました…。」
カロルは思い出し、赤面した。
「あれはお説教じゃないよ。カロルから婚約解消なんて言葉聞きたくなかったんだ。今からでも、お説教しちゃおうかな?」
リュシアンは悪戯っぽく笑い、赤面するカロルを覗き込む。
カロルは真っ赤になった顔を隠すように両手で顔を覆った。
「さっきの、嫌だった?」
リュシアンはベッドに座ったままカロルを抱き締め耳元で囁くように聞いた。カロルの体がピクッと動く。耳元にキスを降らせると涙目のカロルが抵抗するようにリュシアンの体を押した。
「さっきのも、耳へのキスも、ダメです…。」
「どうして?」
カロルは恥ずかしそうに俯き黙る。話してくれないカロルの耳元にリュシアンは唇を寄せた。
「言ってくれないと、分からないじゃないか…。私は、このキスも、さっきのキスも、好きなのに。」
リュシアンは囁きながら耳元に口付ける。カロルは耐えきれず、小さな声が出る。
「リュシアン…あの、…恥ずかしいんです…気持ち良く…なってしまうので…っ。」
カロルの言葉にリュシアンは脱力した。ベッドに顔を埋める。
「…ずるいよカロル…。そんな可愛い事言うなんて…私はこれでも必死に我慢してるのに…。」
リュシアンの耳が赤い。カロルはそんなリュシアンの姿を可愛く思った。うつ伏せに倒れるリュシアンの隣に同じようにうつ伏せになり、リュシアンの方を見る。リュシアンは顔をカロルに向け、二人は見つめ合った。
「今日は久しぶりにリュシアンと長く一緒に居られますね。嬉しいです。」
リュシアンはカロルの言葉に微笑む。
「実は朝から楽しみにしてたんだ。カロルを呼んだのは婚約解消を断る為だったけど、話が終わればこうして二人で過ごせると思っていたからね。」
カロルはリュシアンの鼻先と自分の鼻先を付けて目を閉じた。二人だけで居られる時間が幸せでたまらない。カロルが帰る時間になるまで、こうして二人は穏やかに話をして過ごした。