1・おばさん、転生する
………ここは、どこだ…?
目が覚めると不思議な空間に居た。空も地面もカスタードクリームのような色をしている。水平線までずっとこの色だ。遠くに見える雲は、夜空の様…暗い色に星が瞬いている。地面はぷにぷにと柔らかく、地面に直接寝ていたらしい私の体はどこも痛くなかった。
体が痛くないだけではない。何の感覚も無いのだ。地面に体が触れている感覚も、呼吸も瞬きも、何もない…。指で地面をぷにぷにしているが指の感覚は無く、ぷにぷにと揺れる地面を不思議な気持ちで見ていた。このぷにぷにと動く様に色味に…まさしくカスタードクリームだ。
この指……指…?この指は自分の指か…?
こんなに小さくて、白くて、おまけに爪も無い。
指を動かしてみる。自分が思うよりもゆっくりではあるが、動く。立ち上がり、歩いてみる。歩けるのだが思う様に進まない。
夢を見ている時のようだ。悪夢を…何かから走って逃げているのに少しずつしか進まない、そんな夢と同じ様に気持ちばかりが感覚の無い真っ白な足を動かしていた。
これは夢なんだな。と思いながらのろのろと歩いていたら急に目の前に白い布が現れた。
「おやおや、こんな所にいたのか」
頭の上から優しい声が聞こえ上を見上げると、 随分と自分が小さい事に気付く。 影になっている訳では無いのに何故か顔が見えないその人の手に乗せられて、指で頭を撫でられる。
途端に先程まで感じていた小さな不安が無くなり、満たされた気持ちになった。
「さあ、そろそろ降りる時間だよ」
そうか。もうそんな時間なのか…。
「私からのギフトだ。いっぱい楽しんできなさい」
ありがとう。神様。
私の頭を撫でてくれていた指が離れていく。少し寂しい気持ちになりながらも、その人の手から降りて目の前の滑り台に向かう。
カスタードクリーム色の空間からカスタードクリーム色をした滑り台が下へ下へと伸びている。
この下の世界に私の新しいママがいる。一度死んでしまった私はまた新しく生まれるのだ。
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『私の可愛い子…早くアナタに会いたいわ』
私も…私も早く会いたいよ、ママ…
『でも、ちゃんと大きくなってから出てきてね』
くすりと笑いながら語りかけられる。周りの壁を優しく撫でられているのが分かる。温かい愛情を感じながら眠りにつく。
はやく、はやくあいたいな…ママ…
温かい愛情に包まれて温かい温もりに浸かっていた幸せな日々も、そろそろ終わる。周りの壁は近く、かなり狭くなってしまったのだ。時々手足を伸ばしたりしてしまうと「ヴッ」とママが呻くのが聞こえた。「元気なベイビーちゃんね」とも。時々ママとは違う人が撫でてくる時は気になって押してみたり眠くて動かなかったり色々だ。
そう思っていたら何かに頭が挟まった。産まれる時がやってきたのだ。
産まれるぞ。そう決心してから何時間…ママは大変だっただろう…。私も大変だった。苦しくて出口は狭くて。でもママがすごく頑張ってくれたから。私もママに会いたくて頑張ったから、やっと産まれてこれた。
苦しかったからギャンギャン泣いてしまったが「すごい元気ね」とタオルを巻いた私に腕を回してくれた人。すぐにママだって分かった。泣き止んで見つめて見たけど視界はぼやぼやしていて何の形も分からなかった。
「元気に産まれてきてくれて、ありがとうカロル…」
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私、カロル・ローランがこの世に産まれてから4年が経った。お腹の中で聞いて理解出来ていたと思っていた言語は産まれてからは、理解出来ず一から覚える事となった。何故お腹の中では理解出来たのかは謎だが、難しい言葉でなければ分かるし話せるようになったのだから、まぁいい。
カロルは思考能力は大人である。しかし体は4歳児。少し舌っ足らずな話し方も、単語が時々変な所も4歳児らしい。
見た目は子供で頭脳は大人とはこのことか。でも私はあんなに頭は良くないから名探偵カロルにはなれないな、と独り言ちる。
そう。カロルには前世の記憶がある。
すごい。転生物の小説みたいだ!と赤ちゃんの頃に思ったものだ。全然自分で動けずに、泣く事でしか要望を訴える事が出来なかった為にその興奮はすぐに冷めた。大体寝てたからというのも、あるが。
しかもカロルには前世の記憶だけでなく、生まれ変わる前の神様からギフトを貰う記憶から胎内記憶まであった。
ギフトが何だったのかは今もまだ分からないが、胎内記憶は母ミレーユから一度聞かれ、細かく答えたら若干引かれた。
「カロル またここに居たの」
扉を開けて男の子が入って来た。兄のジョエルだ。ジョエルはカロルの2つ上でローラン侯爵家の長男だ。白銀の髪は猫っ毛でフワフワしている。濃い青色の目はキラキラと輝いている。まっこと美少年である。
カロルは字が読める様になってから屋敷の図書室に籠るようになった。辞書を引きながら本を読むのだ。少し前までは物語を選んでいたが、最近は歴史書や地誌学書を読む。
「お兄さま!今ガルニエ王国の成り立ちについて読んでいたんです。」
「ははっ。カロルはお勉強が好きだね。朝からずっとじゃない?お昼ご飯、一緒に食べようよ。」
ジョエルは笑いながら手を差し出した。差し出された手に自分の手を重ねながらカロルは言う。
「お兄さまって王子さまみたい」
「ええっ?」
ジョエルは更に大きく笑った。
「だってお兄さまって優しくてキラキラしてるもの!」
「カロルだってキラキラしていて可愛いからお姫さまだね。」
カロルは少し頬を赤らめて主張したが兄にサラりと流された。
事実、カロルも紛うことなき美少女だ。ジョエルと同じ白銀の髪に濃い青色の瞳。そのどちらもキラキラと輝いている。ジョエルと違い長く伸びた髪はストレートでポニーテールに結んである。長髪は何をするにも邪魔だが、髪を短く切る事は貴族の女性は絶対にしない。幼いながらも侯爵令嬢のカロルも髪を短く切る事は出来ないのだ。
「シャルルはお昼一緒に食べれるかしら?」
「朝調子良さそうだったから食べれると思うよ。一緒に迎えに行こう」
カロルはジョエルの手を離し本を片付けてから共に図書室を出た。
シャルルの部屋のドアをノックすると返事と共にドアが開く。ドアを開けてくれたのは侍女のメラニーだ。
シャルルは先程まで寝ていたようでベッドの上で起き上がっていた。
「シャルル、具合はどう?」
「おねえさま、シャルルだいじょうぶです」
「今からお昼なんだけど食べれそうかい?」
「おにいさま、ぼくおなかすきました。…いっしょにたべにいっても、いいですか?」
シャルルは首を傾げてメラニーを見る。薄い眉を寄せて青緑の瞳は潤んでおり、控えめに言って天使である。
「よろしゅうございますよ。食堂までは歩かれますか?」
「うん。あるく」
堅物侍女メラニーも、この白銀フワフワ天使には甘々だ。
病弱で健気な3歳児に辛く当たれる人なんていないだろう。とカロルは思う。実際鬼のような親というのが居るという事は知ってはいるが。
儚げに笑うシャルルと、弟を愛しく思いながら微笑むジョエルを見て、なんて可愛い兄弟なのだとカロルは思う。
うちの子供達も可愛かったけど…と。もう二度と会えない二人を思うと胸が締め付けられた。
カロルの前世は普通のおばさんだった。就職して家を出た二人の息子達と長年連れ添った夫。趣味が合って結婚した為なのかお互いの性格の為か、甘々な関係ではなく友達のような関係だった。
息子達が家を出てから二人でのんびりと暮らしていた。とはいえまだ定年では無かったので夫はバリバリ働いていたし、私もパートで働き家事をして毎日を過ごしていた。
私の毎日の楽しみはゲームをする事だった。RPGやアクションゲームが好きで、夜になると寝るまでゲームをして過ごした。オタクな所もあったので、異世界転生物の恋愛小説を読んだりもしていた。おばさんだってときめきたい。恋愛小説でキュンキュンさせて貰っていたのだ。
夫がいるって?二次元と現実は別である。
結婚前に乙女ゲームをしていて「まぁた浮気ゲームしてる!」と冗談で言われたが二次元と現実は別である!
夫の事は大切に思っていたのだ。だから、残して死んでしまった事を申し訳なく思っている。
甘えん坊な人だったから泣いたかな…泣いただろうな。絶対泣いた。確信を持って言える。そういう人だった。
子供達も、悲しませてしまっただろうか…私だってこんなに早く死ぬとは思っていなかった。孫だって抱きたかった。もっと、夫と、子供達と一緒に居たかった。
死因は覚えてない。苦しい記憶も痛い記憶もない。いつの間にかカスタードクリーム色の空間で寝ていたから。
そういえば、神様から貰ったギフトとは何なのだろう。この世界に産まれてくるとギフトを貰えるのだろうか。
この世界には魔法があるのだ。もしかしたらそれに関係しているのかも知れない。魔法の事は、丁度今読んだ本に書いてあり、大変興奮した。
弟のシャルルの病気も魔力に関係するものらしい。詳しくは教えられなかった。
きっとカロルにも魔力があるのだろう。これから魔法で何が出来るのか図書室で調べるつもりだ。
読み終わった本を抱えて立ち上がろうとすると、ふと鏡の自分と目が合った。
鏡の中の自分を見る。濃い青色の瞳の少女が不機嫌そうにこちらを見ている。カロルは吊り上がり気味の目があまり好きではなかった。
前世の記憶があるキツい顔立ちをした高位の貴族令嬢…悪役令嬢と呼ばれ、ヒロインを虐める役所だが断罪を逃れる為に努力する少女の物語を前世で読み漁っていた。悪行がバレて断罪され、最悪処刑されてしまう悪役令嬢…それだけは勘弁して欲しい。悪行を行わなければ良いとは思うがヒロインに嵌められる事もある。
キツい顔立ちの侯爵令嬢…これに高位貴族の婚約者なんか出来た日には婚約破棄に断罪コースまっしぐらだ。
…実際どうか分からないけど、そう思っておこう。備えあれば憂いなし、だ。
今世こそは孫を抱きたい。断罪されて若い内に死んでしまう事は避けねばならない。
その為には何が出来るのか…前世でただのオタクでゲーマーだったのが悔やまれる。楽しかったから良いけど。いや、良くないか。だってこの世界にゲームが無いのだ。辛い。ゲームしたい…。
話が逸れた。そう。何かしら知識や才能があれば生き残る為に役に立ったかも知れないのに…。
まぁ前世は前世。今世は今世と割り切ろう。割り切らないと前世での別れが辛すぎて病んでしまう。
そうして今日もカロルは図書室で本を読み漁る。
誤字報告ありがとうございました。