プロローグA H31 3月31日
プロローグA あるいは、カウントダウン前の前
3月31日。神崎詩音、自室。スマホを弄りながらテレビのチャンネル欄を観ていた。明日で、次の元号が発表されるらしい。平成が終わるということで、1つの時代に区切りがつくということで、テレビの番組には平成の出来事のまとめなんかで溢れている。まあ、私にとってはちょっとお堅い/そういった番組よりも、Twitter上の次の元号の発表をお題にした大喜利じみたツイートの色々を見る方が馴染み深いのだが。私、神崎詩音は所詮その程度の人間だ。頭良さげな如何にもな番組よりも、やはり面白く手軽なものの方がいい。そして、今は、そんなことよりも心配というか考えることがあるのだ。Twitterなんかを見ていると余計に思い出すのは、ここ2年、あの子との繋がりはこれかLineといったSNSが主だったからなんだと思う。春休みの一時期から連絡のつかなかった彼女は行方不明になったらしい。中高が一緒だった腐れ縁とも言えるこの身からすれば、連絡のつかないなんて事はまあ、ままある。あいつは基本そういうやつだ。メールの返信は全然返してこないし、自分の用があるときかタイミングが偶然あったときじゃないとまず会話も繋がらない。最近では確認したら空メールかスタンプでも送るように躾けても、打率は3割といったところだ。まったく困ったやつだと、神崎詩音は自室の慣れ親しんだベットの上で転がる。
そして思う。それでもだ。ここ一週間、Twitterでいいねもつけず、あんなにはまっていたソーシャルゲームにもログインした形跡がないというのは矢張りおかしい。先日、あの子の親から来た娘の居場所を知らないかという電話を思い出す。反骨心がしたたかに存在する彼女は、しかしバイトもしてない親のすねかじりな一面が確かにあって、そんな彼女が、どこに行くにも一応の報告性があるなんて言っていたあの子が誰にも知らせず消えてしまうなんて、たしかになにかあるのだ。何かの予兆があるんじゃないかって、ぼうっとTwitterを確認していく。起きてしまった事は戻らず、そこに実はなんの意味もなかったとしても。
また、次の元号発表のツイートが目についた。
ーーー平成の次の元号はありません。次はあっても訪れません。
よくある三流小説のようだと思いながらスクロールした。
毎日更新したいね!うん!なるべく現実の時間と合わせていきたいです。