三.天上人②
軽やかに階段を降りてくる音にサギリとラナンは顔を上げた。
スラウは焦げ茶色のズボンを履き、薄い黄色のワイシャツの上にベージュのベストを羽織っている。
彼女は最後の2段をひらりと飛び降りた。
スラウは部屋を見回した。
小さくはあるが、暖炉があり、その前に肱掛椅子が2つ並んでいた。
窓側には背丈の小さな戸棚が並び、中央には小さな机を囲むように椅子が並べられていた。
開け放された窓からは外の清々しい風が入ってきていた。
「ほら、これ」
サギリがスラウに小さな木箱を差し出してきた。
中にはペンダントが入っていた。
石は外の光を受けて金色の光を跳ね返していた。
スラウは目を細めてそれを見つめると首に掛けた。
「改めて自己紹介をしよう。俺はサギリ。サギリ・ナンシアだ。で、こいつは」
サギリは隣に座る琥珀色の瞳の青年を指差した。
「ラナンだ。あの小さな動物と同一だ……って言っても、簡単には信じてくれないよな。ラナン、見せてやれよ」
「へいへい」
ラナンはぼやきながら席を立つと、机から少し距離を取って飛び上がった。
スラウは思わず口をあんぐりと開けた。
ラナンの身体が次第に小さくなり全身に黄金色の毛が生えてきたのだ。
そして、ずっと一緒に生活してきた、あの動物に姿を変えて床に降りた。
一瞬のことに、スラウはただポカンと小さな動物を見つめていた。
「本当に……ラナンなの?」
尋ねると小さな動物は床からピョンピョンと飛び上がった。
「これ見てもまだ信じられねぇのかよ?!」
「だ、だって! 普通、信じられないでしょ?! 獣用の罠にはしょっちゅう引っかかるし、生肉とか食べたりしてたから……」
それを聞いた途端、サギリが机を叩いて笑い出した。
「おい、ラナン! 俺はそんなこと聞いてねぇぞ?!」
笑い転げるサギリの頭にラナンが短い足で一蹴り入れた。
「じゃあ、ラナンってサギリさんと知り合いなの?」
尋ねると、ラナンは再び人の姿に戻り頷いた。
「俺が地上界に行く前まで一緒に住ませてもらってたんだ」
「へぇ……え? え? え?! ちょっと待って!」
スラウは慌ててラナンの話を遮った。
「今、「地上界」って言った? どういうこと? ここは、その、どこなの?」
「お、良いところに気がついたな」
サギリが言った。
「これは俺たちが何者か、ということにも関わるんだが……ここは「地上」と対比させるなら「天上」だ。まあ、神とか天使とかが居る世界とも違うが……彼らの住む世界はここよりもっと上にある。俺たちは天上界に住む人間、「天上人」だ」
ーー「天上人」
人間の住む地上の世界と天使や神のいる世界の狭間に存在する種族を指す。
天使と人間の両方の血を持つ天上人は、言うなれば『天使に彼らと同等の能力を与えられた人間』なのである。
「それが天上人……」
サギリの説明を噛みしめるようにスラウは呟いた。
「スラウ、奇跡や偶然ってのがどうやって起こるのか知ってるか?」
「ふぇ?」
奇跡とは、『人間の望むことの中でも到底起こりえないことが実際に起きること』である。
個人の力のみで叶わない夢、想いが叶った時、人はそれを奇跡と呼ぶ。
だが、実はそのほとんどの奇跡には天上人が関わっているのだ。
まず、人間の願いは声として天上界に集められる。
天上人は声を文字化して契約書を作る。
そして、その契約書を手に声の発信元、即ち契約主の元へ向かうのだ。
そして、契約主の願いが叶うまでの間の契約期間中、天上人はその人間に仕え、その願いを叶える手助けをする。
願いが叶った時、奇跡が起こったと人々は認識するのだ。
これが天上人の使命であり、存在意義である。
また、かつて天上人の背中には天使と同じ翼が生えていた。
だが、ある時彼らが犯した罪により、彼らの誇りと威厳の象徴であった翼はもぎ取られ、更に天使は人間の記憶から天上人という存在をも消してしまったのである。
そして、地上界に住む者で天上人の存在を知る者はいなくなった。
それが故に人々は偶然や運が自分を救ってくれたと錯覚するのだ。
天上人が翼を失ってから、かなりの年月が経った今も、彼らの背中にはかつて背中に翼が生えていたことを示す痕が残っている。
「まぁ、口だけで説明するのもアレだしな……見せてやるよ」
サギリはそう言うが早いか、シャツを脱いでこちらに背を向けた。
均等に筋肉のついた肩甲骨の下から腰にかけて斜めに細長いこぶができていた。
窓から射し込む光が背中にくっきりとその影を浮かび上がらせている。
「成長するにつれてこれが浮き上がってくるんだ。まるで今も翼を持っているかのようにね」
サギリはそう言いながらシャツを羽織ると席についた。
「成長期は背中が張るようにいてぇんだよな……」
ラナンが肩を叩いて遠い目をした。
「へぇ……ん? ちょっと待って?!」
スラウは思わず腰を浮かせた。
「そもそも私は何でここにいるの? 私も……その、天上人なの?」
サギリは一瞬複雑な表情をした。
「少しややこしい話になるが……天上人には2種類あるんだ。1つは生まれも育ちも天上界の者。そして、もう1つ。ごく稀だが……人間として地上界で育った者の中で天上人としての能力を見出された者だ。人間が天上人になる明確な理由は未だに分からないが、その者の祖先が天上人であることを辞めた後にその力が何代にも渡って引き継がれ、露見したとする説が有力かな」
「「天上人であること辞める」って……どういうこと?」
「あぁ。それはな、天上人の寿命は人間のものと比べものにならないくらい長いとされる。永く生きるということはそれだけいろいろな経験ができるが……苦しいことも経験するんだ」
ラナンの説明にサギリが付け加えた。
「確かにラナンの言う通り、苦痛に耐え切れなくなって辞める者もいるが、任務を遂行する中で純粋に人間の生き方に憧れを抱き、地上界へ下りる者だっているさ」
スラウは顎に手を当てて考え込んだ。
物心ついた時から両親の記憶が無い。
育ててくれたのはロナルドという男とその家族だった。
彼の家族はスラウに大変良くしてくれたし、自分にとっての家族は彼らだ。
しかし、自分を産んだ両親は……
ロナルドの話によると、雪の降るある日、彼は家の裏の森の中で、木の根の隙間に小さな身体を押し込むようにして眠る少女を見つけたのだという。
つい数年前、自分と妻の間に生まれた娘を持つ父親として、彼女を放っておけなかったそうだ。
その小さな手は何かを握りしめており、好奇心に駆られた彼が指を開くと1枚の紙と銀のレリーフに囲われた石のペンダントがあったのだという。
そして紙には1行の文が書かれていたのだ。
――『時が満ちし時、イリオンの港に入り、フィルメイ山の頂へ向かえ』
少女を家に連れ帰った時、彼は彼女の首に1枚の紙がぶら下がっているのに気づいた。
ーー『スラウ』
そう書いてあったそうだ。
少女の名前が決まった瞬間だった。
その話を聞いてから、幾度も森に入り、両親がもしかしたら自分を探しに来ているのではないかと歩き回った。
しかし、結局そのようなことはなかった。
その頃は各地で紛争が起こり、多くの人が平穏な土地を求めてあちこちを放浪していた。
だからスラウはその時に逸れてしまったのかもしれない。
ロナルドはいつもそう言っていた。
「スラウ?」
ラナンの声に我に返る。
「どうした?」
「ん……私の両親、どんな人だったんだろうって思ってさ」
「そうだよな。お前、両親のこと知らねぇもんな」
「それはお前も同じだろ、ラナン?」
そう言うサギリにスラウは思わず聞き返した。
「え?」
「こいつも地上界の生まれだが、物心つく前に天上界に連れてこられたんで、両親のことはおろか、その時のことを何ひとつ覚えていないんだ」
「そうだったんだ……」
「そんなしみったれた顔すんなよ。ここじゃ別に寂しい思いはしねえから」
ケラケラと笑うラナンに首を傾げると、サギリが口を開いた。
「天上人は独りでは任務を遂行することが出来ない。その為に全員が必ず隊に所属することになる。隊員は同じ宿舎に住み、共に生活するんだ」
「じゃあ、サギリさんもラナンも隊に入っているの?」
サギリは軽く伸びをした。
「いや……今は辞めたよ。任務隊に加入するの義務期間も終わったしな。ラナンの方は所属する隊が決まる前に地上界に行ったから、スラウと一緒に入隊することになっている」
「え? もう任務をやるの?!」
「いや、まだだ。まずはこの世界を治める長たちに力を見極めてもらい、しばらく訓練して正しい力の使い方を学ぶんだ」
「長?」
「おい、サギリ。まだ能力の話が済んでねぇぞ」
ラナンが口を挟むとサギリは頭を掻いた。
「あ、そうだった……天上人の能力は大きく分けて6つの属性に分けられる。「火」「水」「木」「風」「光」そして、これらのどれにも属さない「特殊能力」。この6つの力が均衡を保つことでこの世界は成り立っている。この世界は大きく7つに分かれていて、6つの力のそれぞれの根源を司る領域と、世界の全てを司る中心部がある。各領域は1つの国のようなものでもあり、王がそこを治めている」
ラナンが言葉を継いだ。
「そして世界の中心部には、長と呼ばれる人たちが治める城がある。長はそれぞれの力の最高権威者とされていて、1人1人の能力が6つの属性のうちどれに当たるのかを見極めてくれるんだ」
「因みに俺は木の天上人だ」
サギリはそう言うと手を振った。
机から芽が伸びて小さな黄色い花が咲いた。
「うわぁ!」
思わず手を叩いたスラウを見つめたサギリは目を細めた。
しばらく考えを巡らせていたスラウはふと口を開いた。
「じゃあ……山で突然風が吹いたり、川の水が凍ったりしたのって?」
「突風は風の天上人の能力。川を凍らせたのは水の天上人の能力だ」
ラナンが答えた。
「ラナンは何の天上人なの?」
「俺は特殊能力だ。「空間を操る能力」ってとこかな……」
スラウは頷くと更に質問を重ねた。
「訓練が終わったら任務をやるんだよね?」
「そうだ」
「どれくらいかかるの?」
「うーん、少なくとも基礎を学ぶのに数カ月はかかるだろうな。その後は、実際に任務をこなしながら更に実力をつけて……」
「サギリさんはどれくらいかかったの?」
「さぁ……どれくらいだったかなぁ……」
サギリは苦笑した。
「何せ、天上界の1年間は恐ろしく長いんだ。それに、天上人の成長は自分の能力が自由に使えるようになった時点で急激に遅くなる。自分の年齢すらあやふやだよ」
「サギリさんって私より2、3歳上に見えるけど、実際はもっと歳をとっているかもしれないってこと?!」
「ああ、案外90歳のおじいさんかもしれないぞ」
サギリは悪戯っぽく笑ってみせた。
「そもそも年齢という考え方が存在しないんだ」
「じゃぁ、ラナンもおじいちゃんかもしれないんだ」
「何だよ、その目は?」
ラナンがふてくされた時、玄関の扉を叩く音が聞こえた。
「お、誰だろう?」
部屋を出るサギリに続いてスラウも席を立った。
「ちょっと部屋を片付けてくる」
「おう」
カップを傾けたラナンは片手を挙げた。
サギリが戸を開けると2人の青年が立っていた。
「グロリオ! ハイド! 元気だったか?」
思わず声を上げるサギリに赤髪の青年は明るい茶色の瞳を細め、歯を見せて笑った。
「ああ。おかげさまで。それでさ、あの子のことだけど、目は覚めたのか?」
「スラウのことか。元気だよ……んで、わざわざここまで来たってことは、何かあったのか?」
「いや、ちょっとな。この間の任務で1つ気になるものが見つかったんだ。ハイドがそれにあまりにも拘るもんで……」
ハイドと呼ばれた黒髪の青年は赤髪の青年に冷たい目を向けた。
「当然だ、人として」
「何だよ?! 俺は人以下だとでも言いてぇのか?!」
「そう言ったつもりはない」
「な、何だよ、ハイド。変に疑っちまったじゃ……」
グロリオが安堵の息を吐いている途中でハイドは白い手を振った。
「お前は生物以下だ」
「なっ?!」
絶句しているグロリオを横目にハイドはサギリに向き直った。
「あの場にゾルダークがいた」
「何だと?! 嘘じゃねえよな、グロリオ?!」
「嘘を言うために、わざわざ城を離れて休暇中のサギリの邪魔なんてしねぇよ。現場を見せるから考えを聞かせて欲しい」
「あ、ああ……」
サギリの表情がどこかぎこちない。
「何かまずいのか?」
グロリオが尋ねるとサギリの目が一瞬、家の中に向けられた。
「いや……大丈夫だ。ちょっと待っていてくれ、剣を取ってくる」
「……サギリ、何か可笑しくねぇか?」
グロリオはポケットに手を突っ込み、正面を睨んだ。
対するハイドは何も返さなかったが、グロリオは構わず続けた。
「今の様子、明らかに何か知っている。恐らく、俺たちの連れてきた子が……」
「待たせたな」
サギリが現れたのでグロリオはコロリと表情を変えた。
サギリの肩を抱き、歯を見せて笑う。
「じゃあ、行こうぜ。フィルメイ山へ!」