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一人テーブルに残って自分の淹れたお茶に手を伸ばせば、まだほんのり温かくてほっとする。なんだか随分時間が経ったように感じていたが、ずっと考え続けていたせいかなぁ、と一口お茶を飲み込んだ後、思わずため息が漏れた。
肩の力を抜いて、改めてもう一度新聞を手に、静かな部屋で選択肢について考えてみる。
教会、は私の中では行きたくない所。なんとなく気持ち悪いので選択肢から速攻外す。ただ、このままほっとく事は出来ないだろうなぁとは思う。今は向き合うのは無理だ。なんか気持ち悪いから。
お城は。・・・いつか行く事になる、そんな予感がする。保護を求めるのとはまた違う・・・うーん、さっきからなんだか、うまく言い表せない勘のようなものが働いている気がする。考え過ぎかなぁ。
とはいえ仮に、万が一そういった場所へ、ただ保護してもらう為に身を寄せる事になったらきっと。
綺麗な服を着て、おいしい食事を食べられて、どんな物でも望むまま買い与えられ、崇められながら笑うのがお仕事。待っているのは、そんな死ぬまで安全だけど、安全の為に一切の行動を制限された生活・・・?
考えて、思わず机に顔を伏せた。
いやー・・・無理。
普通に無理。そんなの一生なんて、想像力が貧しい私でも考えただけで嫌だぁ~!
だってきっと、華やかな場所のどこへ行こうと、私のいる所にはたくさんの人が、私を一目見ようと訪れる事になるんだろう。おそらくあの記事を見るからに、教会の目的は私を使って人を集める事だと思う。大勢の人はそのまま、大きな力になるのも同然だもの。天使の存在をこれだけ周知させて、その存在が教会にあれば・・・なんて、権力がある人が考えるのは自然な事だと思える。
でも。その教会の人達にとって一番大切なのは、わたし、じゃないんだ。この世界でいう、天使クラスの人外的に綺麗な外見だけが必要なんだと思う。どんな性格をしているか、なんて・・・たいした問題ではないんだろう。この世界で、自分の見た目がどれだけ綺麗で美しいと言われても、中身なんて本当に平凡で、取り柄だって何もなくて、私に出来ることは他の人にだって出来る事ばかりだ。それどころか、なにも覚えてない状態で始まった生活は教えてもらう事の方が多くて、正直一般常識もまだ怪しいと思ってる。むしろ普通の人よりマイナスなんじゃないかと思う。それに、せっかく一から始めたばかりの生活なのに、楽がしたい、とか誰かに守ってもらいたい、なんて甘えた気持ちは正直まったくない。今のままの私で満足なんてしていない。きっと、もっと出来る事もあるだろうし、覚えたい事もたくさんあって、もっともっと、この世界を知りたいと思い始めたばかりなのに。自分にとってこの外見は、おそらく持って生まれたもので愛着のある顔だけど、この世界で平穏に生きていくには、邪魔に感じてさえいるのが今の正直な気持ちだった。それでも、私がこの顔で生きて行くのは変わらないなら、私の選ぶ選択肢の中に自由がない生活なんて、我慢しながら生きていたくなんて、ない。
少しでも自由で、他の人から鑑賞も干渉もされない場所で、自分を大切にしてくれる人や大切にしたい人の傍で生きていきたい。そんな普通の生活が。
考えながら頭に浮かぶのは、今の生活そのものだった。お隣のおばさんを先生に料理を習い、お店で薬を売る手伝いをして、買い物したり採取に行ったり、ウルジさんと生活する日々。
ウルジさんが、この新聞を読んで率直な感想を教えてくれと言ったが、悩むまでもなく答えは決まっていた。でもそれが出来ないのも頭では分かっている。
今のままじゃ、どこへ逃げてもきっとまた、同じように顔を隠して生活しなくてはいけないだろう。それに、ウルジさんにこのままずっと甘えている訳にもいかない。選択肢の中には、当たり前のようにこれからも一緒にいてくれるものもあった。そう考えてくれた事が本当は嬉しかったけれど、ウルジさんやご近所の皆さんの生活を変える理由になっちゃだめだ。私の存在は、いつか必ず迷惑をかける。
迷惑なのは、ちゃんと分かってる、のに
「リリアナ?」
呼ばれて顔を上げれば、ウルジさんとマイアさんが心配そうにこちらを見ていた。いつ帰ってきたのか、自分の考えに集中しすぎていてまったく気が付かなかった。
「・・・ウルジさん」
口からこぼれた声は小さく、不安な気持ちが込められていると自分で聞いても思う程だった。それを自覚してしまったらもう、止められなかった。
「いやです、私・・・ウルジさんが許してくれるなら、ずっとここで、リリアナとして生活していたいです。たくさんの人に囲まれる生活なんて無理です。天使なんて嫌です。きれいな服もいらないです。ウルジさんの、おじいさんのただの孫でいたい、です。ご近所の皆さんと、このままずっと、ここで、っ・・・」
言いながら、どんどん小さくなる言葉と共に、ウルジさんの顔が見られなくなった。・・・あぁもう、なんてワガママなんだろう。許してくれるなら、なんて言いながらここでの生活がもう無理だって、自分の存在のせいだって、自分が一番分かっているのに。一時的に住む場所や名前を貸してもらって、今日まで必要な事を教えてもらっていただけでも、もう十分に良くしてもらってる。本当はこのまま『お世話になりました』と言って、これ以上ご迷惑にならないうちに出て行くべきだ。もう、十分守ってもらったのは分かったんだから。
分かっていても、これから一人になるのかと思ったら、ダメだった。もし、とその先を考える事すら出来ず、心細さと不安でいっぱいになって、そのまま言葉にしてしまった。
思わず出てしまった言葉は戻らなくても、私はせめて泣かないようにしようと、きつく目を閉じた。泣くのは卑怯でズルい事だと、自分の涙腺に力一杯圧力を可能な限りかけて踏ん張っていた。
その顔をみたウルジさんがどう思ったかは分からないが、スッと眼鏡を取り上げてのぞきこんだようだった。 ふはっ、と力の抜けた笑い声がして思わず目を開けると、ウルジさんもマイアさんも笑っているのか、下を向いて肩を震わせていた。え、そんなにひどい顔ですか。
少し経って、マイアさんより先に震えから回復したウルジさんは、悪い事をしたなぁと言いながら、私の頭にポンと手を置いた。
「一人にしたせいで随分考えさせてしまったか・・・大丈夫、大丈夫だ。そんなに心配することはなーんもない。もしわしがリリアナでも、そんな生活はごめんだ。元領主の立場で言うならば、この国のすべての民には選択の自由がある。学びたければ師に教えを乞い、騎士になりたければ城の門をたたけ、と。自分の道を選んでいいんだ。大丈夫、リリアナが望まぬ道に進む必要はない。わしはリリアナの自由を尊重するよ」
そう言って出会ったあの日と同じように、頭をそっと撫でてくれるウルジさん。もう涙腺は限界だった。
「うるじ、さ・・・・っうぅ、うえぇぇ・・・・っ!!」
ウルジさんは味方だとそう言ってもらえた安心感から、それまで知らずに込めていた力が抜けると、踏ん張っていた涙もこぼれ始めたら止まらなかった。これから先への不安な気持ちはまだあるけれど、きっと大丈夫だと、なんとかなると思えた私は基本的にいつまでもくよくよするのに向いていないんだろう。だってもう、何も怖くない。私の中に届いたウルジさんの言葉が、こんなに簡単に心を掴んでしまうのは元領主様だったからだろうか。私はただ泣きながら『ごめんなさい』と『ありがとう』を嗚咽交じりに伝えるしか出来ず、二人が何を話していても、ひとかけらも耳には届かなかった。
「マイア・・・年甲斐もなく胸がどきどきするよ・・・なんだろうねぇ、この可愛い生き物は。目元を腫らして真っ赤にして。鼻水が出ていても、いくらでも眺めていられそうだ。」
「はぁ・・・大丈夫ですわ、旦那様。同性の私ですら鼻を押さえていないと出てしまいそうな位危険なんですから、むしろそれは正常な反応です。本当に、何をしていても美しさが損なわれる事がないなんて・・・なんて尊い・・・」
「もう領主ではないんだ、旦那様はやめておくれ・・・しかし教会がここまで必死になるのも分からんでもない。だが、教会が今どういう状態かなんて、本人の望まない事を教える気はまったくないね。マイアも、リリアナの耳に教会の話が入らないよう気を付けてやっておくれ。それから、息子のレスターの方も」
「なるべく万全を尽くしますわ。息子の事は親として責任もって対応いたしますのでお任せ下さい。・・・それにしても、眼鏡がないだけでこの破壊力・・・成人後どんな美しさになってしまうのかしら」
「うん・・・今から楽しみなような、恐ろしいような気分だよ。せめて、それまでは守ってやりたいのだがね」
ぐずぐず鼻を鳴らす私の横で、隣に腰かけて頭を撫で続けるウルジさんと、それを羨まし気にうっとりと眺めるマイアさん。二人がのんびり会話していると、店の裏にある出入り口の戸の向こうから、女性の声が中に響いた。
「マイアー、いるんならここ開けてもらえるかい? 手が塞がってるんだよ」
開いた扉の向こうから、料理を教わっているお隣のおばさんが、両手に抱える程の大きな鍋を持って入って来るのが見える。よいしょおっ、と目の前の机に置いた鍋の中からは、温かな湯気と共に煮込まれた肉や野菜の美味しそうな香りがしている。ウルジさんとマイアさんが先程外に出た時に、お隣まで夕食を頼んで来たのだろう。
「マイア、そこの器に取り分けて、早いとこ子供に持って帰ってやんな。腹を空かせてるんじゃないかい?・・・どうしたのさリリアナ!そんなに泣いて。あぁほら、もう大丈夫ならこれ食って元気出しなさいな。腹が減ってると悪い事ばっかり考えるもんよ」
さあ!と笑顔で差し出され、慌てて涙を拭いて器を受け取ると、手の平を通してしっかりとした熱が伝わってくる。ああ、あったかい。いい匂い。・・・うん、もう大丈夫。
すっかり落ち着きを取り戻し、笑顔を見せる私に、お隣のおばさんは「子供はしっかり食べて大きくなんなさいよ、遠慮なんかしないで」と言っておおらかに笑い返してくれるが、また子供扱いされている。そういえば、と私は気になっていた事を思い出してみんなに聞いてみる事にした。
「あの、このあたりでは、女性の成人は何歳位なんですか?」
「そりゃあ月のもんが始まってからだから、大体14か15位じゃなかったかい?」
「ええ、個人差はあるけれど。正確には大人のしるしを家族にお祝いされてから、周りに成人したと示す事になるかしら」
男の子はもう少し遅くて、15を迎えた翌年から成人なのよ。とマイアさんは親切に教えてくれる。成人すれば大人の仲間入りではあるが、18歳位までは知り合いの店に働きに出たりして、2~3年親元を離れる事も多いのだそう。そうして自分の進みたい道を決めて、生きていく知恵や術を身に付ける為に積極的に勉強するという。その話を聞いて、自分だけじゃないのだと少し恥ずかしくなった。まだ親元にいたいと泣いて我儘を言うなんて、同年代の子たちからしたら笑われてしまうかも。
ふと目線を上げれば、それがどうかしたの?という顔を3人から向けられていることに気が付く。なんだか無性に恥ずかしくなってきて、ますます顔が赤くなっているのを自覚してどもってしまう。
「あの、あ、えっと・・・マイアさん!今度でいいのでその、月の物が来た時のやり方を、教えてもらえ、ますか?」
今日はレスター君も待っているし、と続けようとして「リリアナちゃん、それが何か分かるの?」とマイアさんとお隣のおばさんが不思議そうな顔をしている。 え、あれ?あれだよね?女の子なら毎月必ず来る、体が不調な数日間。子供を産む為には必要な事。そう理解していたけど、違うのかな。私も準備しておかないと。
・・・と思った事をそのまま伝えると、3人同時に見事に声が重なった。
「「「 ・・・え? 」」」
・・・・・・え?