6
邂逅は儚くも一瞬。しかし、あの日の記憶はいつでも鮮やかに蘇る。彼女の無垢な瞳に、愚かにも自分の姿を映された時の衝撃は忘れられない。我々よりも小柄な、そのふくよかな体躯はまだ成人前だと思われる。だが、幼い容姿ながらそれでもなお『美しい』と表現するに相応しい、完璧なまでの美がそこにあった。ほのかに色付く薄い唇、白く透き通った柔らかそうな肌、その身にまとう神聖な雰囲気。この地方では珍しい、まっすぐに伸びた黒髪は艶やかに輝き、肩程で切り揃えられていた。その姿はまさに、このフォルストーム建国の王の妃として知られるリリア・ラスカ・フォルストーム、そう、精霊姫を彷彿とさせる。フォルストーム王と精霊姫は五百年前、荒れ果てたこの地を人と精霊が住まう楽園に変えたと伝えられる。その神にも等しいとされる二人の御子がもしも存在したならば、それこそ彼女のような存在に他ならない。しかし建国から五百年、精霊樹の守護が失われつつあるという噂は聞いた事があるだろう。ここ最近の活発になりつつある魔物達の動きがそれを物語っている。守護を失えば、この楽園は魔の物によって容易く蹂躙され、弱く力のない我々のみならず精霊達とてひとたまりもないだろう。そんな我らを守り、導く為に下界へと降りたもうた奇跡。天からの使い。彼女こそ天使、そう呼ぶに相応しい、他に類を見ない美しさだった。突如として現れ、忽然と姿を消したのが天使の力を使用した証拠だと考える。天使が舞い降りた地では、毎日祈りを捧げに訪れる人々がこの二週間の間途切れる事はない。出来る事ならば私ももう一度そのお姿をこの目に、と時間の許す限り訪れる一人である。しかし残念な事に、その後誰一人としてお姿を見たものはいない。私はあの日から一人心を痛めている。なぜすぐに保護しなかったのだろうと。今頃どこかで傷ついていないか、心無い者に捕らわれ、衰弱してはいないか、そう考えると夜も眠れぬ日々を過ごしている。現在は教会の全面協力のもと捜索の手は拡がりを見せている。が、個々の力にはやはり限界がある。私はこの記事をもってして他の地区並びに領主にも情報を伝え、天使捜索の協力を求める考えである。どうか皆様にお願いしたい。記事に上げている特徴を持つ人物を見かけた、または新たに街に移住してきた者などの情報があればお近くの教会へとお知らせ願いたい。この国の国民すべてが、その尊い存在の無事を知りたいと願っていると言っても過言ではないだろう。
ああ、天使はどこへ。
新聞を読んでしばらくの間、私の頭は停止していた。
要約すればこう書いてあった。
・成人前の幼女の姿をした天使が目撃された事。
・特徴はこの辺では珍しい、まっすぐな黒髪に白い肌で、とんでもなく美しい事。
・500年前に実在した、精霊姫とされる人物を彷彿とさせる事。
・今、その天使の行方が分からない事。
・保護したいから捜索範囲を広げる事と、なにか情報があれば教会まで絶対教えるように。
という内容だろうか・・・
精霊姫の名前と存在はきっと、美しさの代名詞のように一般的に広く知られているのだろう。イメージしやすいようにか、新聞にはさらに私の似顔絵のようなものまで載っており、目の色、その時の服装、大まかな身長まで書いてあった。その場にいた者からの聞き込みを行い、更新ごとに可能な限りの情報が追記されているようで。正直、私が悪い事をしたかのようにも受け取れかねない程の晒されっぷり。どちらにせよ、記事からは天使への執着を感じるには十分なものだった。
この地区だけじゃなく、他の地区まで・・・さらに領主に捜索の協力を求めるって、かなり大事じゃないですか?
私の様子を伺っていたのか、一旦落ち着くのを待って、ようやくウルジさんが口を開く。
「・・・リリアナ。これからの事を、そろそろ決めんといかんようだ。その新聞を読んでどう思ったか、自分の気持ちを率直に教えてもらえるかな?」
そう言われて、混乱している頭で必死に考える。そんなの、一番に頭に浮かぶのは『どうしよう!?』だけど。もしも、そう仮に、この新聞の記事を書いた人の目の前に、天使がいたら。
・・・?ううん、違う。なんだか違和感がある。この記事を書いた人よりも上の、さらに偉い人がいる気がする。普段街にいる人に、領主にまで協力を求められる人が、それこそウルジさんみたいな人は中々いないと思う。その偉い人は教会の中でも、かなり発言権があるのかもしれない・・・そんな人が、もし天使を見つけたら。
・・・きっと他の人に教えないで、自分だけの天使にしてしまう。特別な、天使に似合う檻に入れて、逃げないように閉じ込めて、どこにも行かないようにするだろう。この国に住むすべての人が天使の訪れを待っていると言いながら、本心は自分の物になった、逃げられる心配のなくなった天使なら、みんなに見せてあげると言うのだろう。
手足を鎖に繋がれた、捕まった自分を想像してぞっとする。そんな状態で自由はあるだらうか。本当に、幸せだろうか。記事を見た衝撃から、一度は落ち着いた筈の新聞を持つ手が、またかすかに震えている。今日まで普通に過ごしていた事が当たり前じゃなかった、なんて。
私には、天使を探している教会は、保護という名の檻を用意しているようにしか感じられない。
「・・・ウルジさんにとって、教会って、どんな所、ですか」
新聞を見つめたまま、ウルジさんに一つだけ確認する。問いながらも、自分の考えた事に疑問が浮かぶ。教会がどんな活動をしているかも私は知らないのに、私はなぜ、こんな偏った見方をしたのだろう。単純に、天使を目撃した人の噂話と受け取る事が出来ない理由を考える。まるで、これが本質であるかのように感じている自分。・・・どうしてこんな風に思ったんだろう?と、自分に戸惑いながら、ウルジさんの答えを待つ。
「ふむ、教会・・・そうだねぇ。一般的に、と聞かない所を見ると、知りたいのはわしの教会へのイメージかな?」
そう、本来はそれを聞くのが普通だと思う。でも、今聞きたいのは信頼出来る人の、ウルジさんの言葉。静かに頷いて肯定すると、ウルジさんは「今は・・・用もないのに行く必要のない所だ」と少し厳しい表情で教えてくれた。今は、という前置きと表情から想像するに、最近の評判はあまり良くないのかもしれない。それなら私にも必要ないと心は決まる。
「なら、私は教会には行きたくありません」
そうはっきり伝える。必要があればウルジさんは教えてくれる人だ。新聞には保護を目的にしているとも書いてあった。保護はウルジさんにしてもらっている。ここにいて私は十分幸せだ。
そこまで考えて、私は顔を上げて正面に座るウルジさんの顔を見つめる。ただ、静かに見守ってくれるこの人に出会えた事は、私にとって、とてつもない幸運だったと改めて思う。
ご近所の皆さんは当然この記事は知っているだろう。背格好や紹介された時期を考えれば、怪しんで当然のはずなのに。ウルジさん、という信頼の厚い元領主様の孫娘でなければ、私はこの3週間同じように過ごせたとは考えられなかった。ウルジさんを慕うご近所の皆さんだから、孫娘と紹介された私を、ウルジさんと一緒に今日まで守ってくれていたんだ。そう気が付いて、やっぱりここの人たちが好きだなぁと温かい気持ちでいっぱいになりながら思う。
だけど、ウルジさんは言った。『これからの事を決めなくてはいけない』と。
もしかして、
「私が今まで通りここにいる事は、・・・もう、難しいですか?」
「・・・本当に、聡い子だねリリアナは。ほら、そんな泣きそうな顔をするんじゃない。マイアも、あまり自分を責める必要はないよ?」
「・・・ごめんなさいリリアナちゃん。あなたの生活を見守っていたはずの自分が、きっかけを作ってしまうなんて・・・思わなかったわ」
なぜマイアさんが?と顔を向ければ、ぐっと涙をこらえているかのような表情でそう言って、また視線を下げて口を閉ざしてしまう。帰って来る時からだったマイアさんの悲しい表情は、レスター君の求婚騒ぎの事だけが原因ではないのだろうか?ウルジさんは困った顔のまま説明してくれた。
「リリアナが新聞を読んでいる間に、マイアからさらに詳しく聞いたんだが・・・おそらくリリアナが求婚されたのは、至近距離から素顔を見られたからだと思っていいだろうね。眼鏡の上からのぞき込まれたり、フードを外した横顔なんて案外無防備なものだよ」
ああ、やっぱり顔を見られてたのか。
ポカンとしていたレスター君の様子を思い出して、その後の行動にも納得が行く。あの日、広場で沢山の人から素顔を見られて称賛され、注目された中には求婚の言葉もあったのと同じように。レスター君もまた、初対面の私に結婚を申し込んだ。
普通は、初対面で求婚なんてしない、よね・・・?いろいろ気にはなるけれど、今はそれよりも今後の事を決めるのが先だと思い、ウルジさんの言葉に集中する。
「だからといって、その事をマイアが気に病む必要はないんだ。そろそろ限界だった事には変わらんよ・・・街の誰かに素顔を見られたと分かった時点で、ここでの生活は終わりだ。初めてこの新聞の記事を読んだ時に、そうわしが決めて、マイアを含め信頼出来る周りの者にだけはそれを話してたんだよ。その日が来たら、リリアナにこの新聞を読ませよう、と。いくつかの選択肢の中から、今後どうするか、リリアナがどうしたいのかを決めるために」
「・・・選択肢、ですか?」
「あぁ。いくつか挙げるなら、情報が行き渡っていない別の街へ越すか、このままこの街で行動を制限しながら生きるか、城へ保護を求めるか。他にどんな選択をしようと自由だよ。教会にもし行きたいと言うなら、その選択ももちろんあった。まぁ、あまりリリアナの自由があるとは思えんが。国の中央である王都に行けば、貴族や大きな商家なんかにもいくつか伝はある。様々な選択肢がさらに増えるだろう。おそらく、今後の生活に不自由する事はないと思うよ」
人目を気にしながら暮らすか、華やかな場所で保護されるか、といったところだろうか。自由がないだろうと考えたのは私だけではなかったようで、少し安心した。
私が選択する前に、少し考える時間も必要だろう、とウルジさんとマイアさんは席を立ち、すぐに戻ると言って裏口から外へと行ってしまった。