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「......ああ、明日は彼が来る日だったな」
こちらへ身を寄せて2週間、ここぞとばかりに仕事を押し付けられ、一人政務室で黙々と仕事をこなす日々。きりの良い所で手を止めると、日付けを確認していてそうつぶやく。次の休みは2週間後だと聞いて別れ、後日改めて予定を確認する手紙をくれるあたり、あの頃から性格は変わっていないようだと受け取った時にも思ったものだ。今は騎士として身を立てているのは知らなかったが、憧れていた職についていると分かり大変な努力をしたのだろうな、と当時の彼の事を思い返していた。妻が倒れた事で領地で療養の為に引っ込み、亡くなるとそのまま隠居してすべて放り出してしまった。
しばらくの間もの思いにふけっていると、頃合いを見計らったかのように執事がノックをして入ってきた事で静かに思考を切り替える。
手ずから茶器を運び、淹れてくれるその香りは慣れ親しんだものだ。こうしていると私が現役の頃に戻ったかのように感じるが、息子の代になっても執事は「大旦那様がいらっしゃると溜まっていた書類仕事が進んで助かります」と喜び、年寄りをこき使い部屋から出さなくなるから困る。寡黙でどちらかというと体力仕事を好む息子は、天候が悪い日でもない限り邸での仕事をしたがらない。もうすぐ初孫も産まれる年齢だというのに、と小さくため息を吐く。
「お疲れ様でございます大旦那様。街にいる者から手紙が来ております」
労いの言葉と共に、机にはお茶の入ったカップと一通の手紙が差し出され、中に素早く目を通した後執事に渡す。同じように中を確認する横でカップに口をつけて一息入れていると「足取りが上手く途絶えたご様子。ようございましたね」と穏やかな表情を浮かべていた。
「うん、みんな優秀だからねぇ」
「しかし、皆になんと言われたのですか?ご指示の通りに、と手紙にありますが」
「指示なんぞしとらんさ。発つ前に、商売をしとるもんには店の商品を空っぽにしたリリアナのやり方は話して聞かせたから、あの辺じゃ皆で真似てる事だろう。近隣の街にも効果はあるんじゃないか? あとはそうだな、仮にあの紙のドラゴンからわしの店を特定されたとしても、そこから領主まで繋がらぬように教会側へ偽情報を流すよう頼んだだけさ。......とはいえこれでもう安心、とはならんが」
「そうでございますね。新聞の件でこちらへも天使捜索の協力を何度か教会信者から請われております。こちらとしては何度領主に直談判させろと来られても困るのですが、教会側からは事前の連絡ひとつとしてございません。2週間前の豪雨に橋とその周辺が流され、今なお領主自ら現場に赴いて修繕しているのを理由に、割ける人員の目途が立たないと返答してはおりますが諦めませんね。近々また来る頃合いですが、いつも通り門前にて対応しますので邸には近付けたりは致しません」
「ふむ、新聞を連絡変わりにし、領主が協力的ではないから見つからぬとでも言っていそうだな。何を勘違いしとるんだか......それで面会の約束を取り付けたとでも思っているなら、次はこう言ってやるといい。手伝えというのであれば、まずは領内の仕事を手伝って貰えぬかと。橋が生活にとって大事なこと位誰でも知っているし人員確保も出来る。天使を探して歩いとるんなら目にする問題も多かろう?どんどん報告させて皆で当たれば体が空くこともない。丁度いいじゃないか」
「ふ、ではそのように」
面倒な事に変わりはないが、教会の信者とはいえ自領に住む者である。彼らには崇高な使命より、もっと己の生活に目を向けてもらわなければ家族も大変だろう。言わずとも察した執事が笑うのを見て、カップを皿に戻し「しかしなぁ」と目を向けた。
「領主不在は都合はいいが、本音を言えば早くあいつに帰ってきて貰わんと。隠居した年寄りをいつまでもこき使うのはどうなんだ?」
「ああ、そういえばこちらを忘れておりました」
その返答をもらう事無く、少々大げさに新たな封筒が差し出される。今度はなんだとそちらに視線を向け、押された封蝋を見てすぐに受け取り封を開ける。ようやく届いたその封書の内容に、恨みがましく思った事も忘れてふんふんと機嫌良く頷きながら読み終わると、横で控える執事もまた口元に笑みを浮かべ「そちらも無事手続きが済んだようですね」と確認される。
「本日はご領主様もお戻りの予定です。リリアナ様、リコルト様、マリエラ様の体調、食欲共に今朝は問題ないご様子。今夜は祝いの席と致しましょうか?」
「うん、頼むよ。これでようやくあの子たちの成人も祝える」
「かしこまりました。では私共は準備にかからせて頂きます。ですので大旦那様、お昼までにこちらの書類に目を通して頂きますように」
ですので、と脈絡なくさらに追加される仕事量。ドサリと置かれた量は本三冊分はあるだろうか。
「......多すぎやしないかい」
「ご領主様が戻られましたらあちらの仕事をお願いするつもりでしたが、変わられますか?」
そういって視線を向ければ、台車に乗せられた大きな木箱が二つ。すでに朝には部屋に置いてあったが、机に置かれた量の数十倍はあるだろうか。何かの資料か?とは思っていたが......まさか未だ手付かずのものがここまで溜まっているとは思わず閉口する。「大旦那様のおかげでこれでも減ったのですよ」という声は何の慰めにもなっていない。自分が来て二週間の間そこそこ仕事をしている自覚はあったが、ようやくこの木箱に収まる量に減った事で政務室の中に運ばれたのだろう。実は仕事が溜まっていますと一言も洩らさなかったこの執事が、一応は隠居した自分に配慮してくれていたのは分かったがそれ以上に微妙な気分になる。今日息子が帰ってから残りをやらせるなら、この木箱を見せないでいて欲しかった。おそらくだが、何度息子に言った所で改善しない事を腹に据えかねた結果なのかもしれんが。まさかいい年をした息子へ、わしから言わせる為にわざわざここへ運ばせたのではないと思いたい。
「......分かった、夜まで出来る限り目を通すから、悪いが昼はここへ運ぶよう言っといてくれんか」
「承知致しました」
そう言って執事が退室してから、今日一番のため息を盛大に吐き出す。もう孫が産まれる年だというのにと思ったのは何度目だろうか。仕事にかかり手を動かしながら、いつまでも娘婿を連れまわすのを止めさせ明日から仕事を教え込むとしよう、と静かに決意するのだった。
*
部屋に入ると早速、おめでとうございます!と、その場にいる全員から笑顔で祝福される。
私はここへ来てからの2週間でとてもお世話になった、ウルジさんのご家族やその周りを囲む使用人の皆さんへと満面の笑みを浮かべる。だってご家族の皆様すべて一般的な貴族の外見を持たない、私から見ての美男美女で勢揃いだったものだから、多方面から向けられるその美しい笑顔と言葉に嬉しさも倍増するというものです。
ちなみに一般的貴族の外見とは、裕福さの表れとして私よりもずっとふくよかな体型な上、その脂肪からなのか眠たそうにもとれる細目、唇はぽってりと厚めなのがセクシーなんだと。そして男女ともにそういったお化粧をするのが常識と聞いて驚いた。ツヤツヤでストレートな髪を自慢としているのに細目を良しとするぽっちゃりの濃い化粧。私から見て、明らかに不美人へ舵を切る方向性なのが残念で、この世界の美意識ってなんだかこう、本当にもったいないと思う。
だけどそこまで身だしなみに気を使っているのは王城周辺に住む貴族達だけらしく、ここ辺境伯の領内にある邸宅では「こんな田舎で着飾っても」と、皆さん素のままで過ごされている。むしろ始祖の森以外にも多くの自然が残る広大な土地を領土として管理する為には、一般的な貴族の体形なんて維持する事すら難しい。今日5日ぶりに帰って来られたご領主様は、髭も髪もモジャモジャでくたびれた格好をしていたのでとても領主には見えなかった。一見すると山賊のような風貌だったが美醜関係なくあれは流石に汚いらしく、すぐさま湯浴みへと執事さん侍女さん達に連行されていた。今は髭も剃られて髪を後ろへと流しすっきりとした姿になっているが、上質な服を着ていても筋肉のついた太い腕や首回りなど頼りがいのある身体つきは隠せていない。そんな脂肪とは無縁のご領主様を筆頭に、男性陣は領地での害獣退治に治水対策などで案外体力仕事が多く、馬に乗っての移動が多い為とても鍛え上げられている。
女性陣もたおやかに見えて実は非常に忙しい。邸内の事すべてに指示を出し、不在の夫の代わりに他家との手紙のやり取りや税収計算などの仕事もこなす。場合によっては夫と共に領内を馬で駆けているそうな。馬車はよそ行きのドレスを着ている時だけかしら、なんて淑やかに微笑んでいらっしゃたがそのドレスの下に余分な贅肉はない。その上ファーレン家ではこの土地で採れた新鮮な野菜や森の恵みが食卓に並び、とても健康的だ。その為、忙しい主人を支えるの働き者な使用人の皆さんも当然、無駄な肉のないスレンダーな体型をしたものばかりとなる。見た目よりも実用性重視。貴族であっても貴族らしからぬその性格や人間性は私にとって好ましく、その眼差しと私への接し方は確かにウルジさんと同じもので、安心してここで過ごさせてもらう事ができた。
そうして今日は成人をお祝いして頂く為に、肌触りの良い上質な生地の服に身を包み、目の前にはいつもよりもご馳走の並べられたテーブルの一席に案内される。同じように席に着きテーブルを囲むのはファーレン家の皆様方。いわゆる誕生日席に私ともう一人が続いて座り、右側に領主様である辺境伯家当主とその夫人が並んでほほ笑んでいる。その向かいにお二人の子供で長女のマリエラ様とその旦那様が仲睦まじく並んでいる。この中で唯一私よりもふくよかで柔らかな身体つきなのがマリエラ様だ。といっても太っているのではなく妊娠しているからだ。4ヶ月後にはウルジさんの初ひ孫が生まれるそうで、幸せいっぱいに微笑むその顔はすでに母性がにじみ出ており、これがこちらの理想の姿と言われれば納得してしまう程綺麗だ。
「おめでとうリコルト。それからリリアナ。二人の成人を家族一同心から祝福するよ」
そうして正面の席からいつもの笑顔で声をかけてくれた人物こそ現当主の父、街で薬屋を営む店主ウルジさん改め、ウルジリアス・ファーレン元領主その人だった。小柄な身体つきに水色の瞳をいつもよりも細め、孫の成長を喜ぶ様は好々爺と化している。私は笑顔でその言葉を受け取った後、隣に座るリコルトと呼ばれた人物へと顔を向ける。
まっすぐな栗色の髪はいつもと同じようにハーフアップにして後ろへ流し、ウルジさんの晴れた空のような色の瞳とは逆に、深い水の底を思わせる紺色の瞳と目が合う。お揃いに仕立て上げられた淡いクリーム色のドレスに身を包むその姿は、黒い髪に茶色の目の自分と色合いこそ微妙な違いはあれど顔立ちは瓜二つ。一重で眠たげに見える目に顔の真ん中にちょこんとある低い鼻。唇は薄く口は小さめだ。決定的に違うとすれば、私が素顔のままでいるのに対して、貴族らしくお化粧をして家族の皆さんに顔立ちを寄せている所だろうか。それでも湧き上がる親近感に嬉しくなって、ついつい緩んでしまう頬を遠慮なくつまんできた相手は、いつもの無表情な顔で苛立ちを込めた可憐な声を出す。
「この締まりのない顔、今日位しまっていて下さらない?同じ顔してヘラヘラされると不愉快なのよ」
「だっふぇ、リコとお揃いなのうれひくっふぇへへへっ」
私の返答でイラっとしたのか、無言でさらに強く横に引っ張られる頬。周りで見守っていた使用人の皆さんがオロオロし始めるのを横目で見ながら「大丈夫ですよー、これは照れ隠しです」と手を振っておく。否定しないのがその証拠で、されるがままになりながらも私は握力まで女子並みなんだなぁと考えていた。
私より細い肩、華奢な腰付きは正直言って私の理想そのもの。これでもドレスの下に詰め物をして胴回りをふくよかに見せる努力をしているっていうのだから、脱いだらもっと驚くだろう。でももっと驚くのは、女の子にしか見えない容姿と言葉遣いのリコが、実は男の子だという事実である。大事な事なのでもう一度言うが、性別は男、である。私が絶世の美少女なら、リコこそ性別というくくりに囚われない天使そのもの。私以上に教会に見つかってはいけない、この国にとっても理想の姿そのものだろう。
リコルトと呼ばれたファーレン家の長男こそ、事情があって表に出ていないウルジさんの孫娘『リリアナ』だった。
はじめて感想を頂きました(^▽^*)
読んでくださってありがとうございます。頑張ります!