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「この森は今は危険だ、早く帰りなさい」
周囲を警戒しつつ、こちらに歩み寄った騎士様が声の届く距離で足を止め、静かでよく通る声でそう告げた。
昨日は言葉を交わす事はなかったが、改めて聞くと感情を乗せない、有無を言わさぬよう意識された声という印象を受ける。騎士様の方へと顔だけではなく身体ごとを振り向いて正面に立つと、距離は離れているが頭から被った外套の下、かろうじて銀髪が緩く波打っているのも、前髪で目が隠れているのを見ても、泉の傍で会った昨日の騎士様で間違いないだろう。
とりあえず、騎士様の忠告に対し「危険?」と首をわずかに倒し意味を問い返せば、3メートル程の蜘蛛の魔物『アラクネ』が、この森から左程離れていない場所で討伐されたとの情報がある、との事だった。他にも魔物が残っていないか付近を捜索中だと聞かされ、討伐されたのはきっとあの子の母親だと思った所で、頭の中で結びついた事を口にしていた。
「じゃあ、昨日の怪我はその魔物と遭遇した時の・・・? そうだ、騎士様はもう動いたりして大丈夫なんですか?」
「・・・なぜそれを」
怪我の具合を聞けば、先程よりもぐっと小さく、短くつぶやかれた言葉。私に対して警戒し、不審な様子を隠さない騎士様の表情を見て、え?と口が開いて固まる。もしかして・・・昨日手当したのが私だと、気が付いてない?
頭に被っていた外套をずらし、眼鏡に手をかけた所で逡巡する。すでに昨日も顔を見られてる事だし、と
頭の中で言い訳をしながら、慌ててかけていた眼鏡を外す。騎士様へよく見えるように顔を上げると息をのみ、ひどく驚いた様子でそのまま動きを止めてしまった。なんて美しい、とか結婚してくださいと言われたらどうしようかと思ったが、微かに「きのうの、」と口が動いたのが見え、自分に気が付いてもらえたようでホッとしながら外套を直す。そっか、やっぱり分からなかったのか。眼鏡ってすごいな。いやこの眼鏡がもしかしてすごいのかも。今後は人前で絶対に取らないようにしよう。そう心の中で1人決意を新たにしつつ眼鏡をかけ直していると、騎士様は少し申し訳なさそうにしながらも、こちらへゆっくりと近付いてくれた。先程より距離を縮めてくれた事から、警戒は解いていただけたと思っていいのかな。
近くで見ると、お隣の料理の先生より背が大きいかもしれない。男の人だから、きっともっと高くなるんだろうな。・・・いいなぁ。もう少し伸びないかな私も。
「・・・手当してもらっておいて、礼も言わずにすまない」
そう謝罪の言葉を口にして、相手に対して素直に自分の非を認める姿に少し意外な印象を受け取りつつ、気にしていませんと首をふり笑みを浮かべる。騎士様は私の顔を見てすぐさま目を、というか顔をわずかに逸らしたのが分かり、思わずあれ?と首を傾げる。先ほどの謝罪もこの反応も意外だった。街で見かけた他の騎士様達はガタイが良く、各々野性味と自信に溢れた方たちばかりだという印象を受けていた。中には少しばかり偉そうというか、いい意味でプライドが高く見える人もいたが、この騎士様は腰が低い。別の言い方をすれば、あまりご自分に自信がない印象を受ける。・・・騎士様なのに。街の子供が夢見る一番人気の職に就いているのに。
なぜだろうと思いつつ、目線の先にある逸らされた顔には昨日の傷が頬にまだ赤く残っており、よく見る為に自分から数歩騎士様に近寄ると、なんだかビクッとされた気がする。・・・驚く距離でもないと思うのだけど。
「もう傷が塞がったんですね」
「あ、ああ。肩は流石にまだ万全ではないが、怪我の割に回復が早いのはあなたのおかげだ。おそらく討伐された魔物にだと思われるが、昨日は背後から不意を突かれた際にこの傷を負ったんだ。あと、もう出歩くのは問題ない。出血量が少なく済んだのは処置が早かったせいだろうと、帰ってから傷を見せた医師に言われている」
ひとつひとつ答えてくれるのを聞きながら、さすがウルジさんの薬だと思わず誇らしくなり、うんうんと頷く。それにきちんとお医者様にも見て頂けたようで安心した。綺麗な顔に跡にならずに済みそうだし、思わず良かった、と小さく呟くと、なぜか変わった生き物でも見るかのような顔をされていた。と言っても、また私と目が合いそうになるとすぐに視線を逸らす。不自然にならない程度に、だけど。 それを見て、人見知りなのかとも思ったが・・・それとはまた少し違うかもしれない。
その時、その騎士様の鼻が周囲の血の匂いを嗅ぎ取り、こちらを向いて少しばかり固い声を出した。
「ほのかに、だが血の匂いが・・・どこか怪我を?」
「・・・えっ?」
目を逸らす理由は何か、人見知りから人間嫌い、もしくは対人恐怖症まで可能性をのばしていた意識を戻し、思わず騎士様の顔を見上げて固まった。
さっきまで全然合わせてくれなかったのに、前髪の隙間からのぞく金の目が私を心配そうに見つめている。唐突に、昨日至近距離で見つめ合ったのを思い出して鼓動がはねた。
う、・・・うぅぅ~~~、や、やっぱりこの人の顔、本当に綺麗。信じられない位ドキドキしてしまう。声だって少し低く落ち着いてて、言葉少なめにしてるけど時折かすれてるのがまた良くて、耳に心地良い声ってこんな声だろうなぁ・・・なんて場違いな方向に考えが飛び、自分が動揺している事に気が付いて我に返る。今はこんな事考えてる場合じゃない、心配されてるんですよね。すぐに怪我なんてしてない、と答えようとしてハッとした。
さっき蜘蛛の少女の怪我を治療した時の、血を拭った布をまだ手元に持っているんだった。助けた事は言えない、よね。むしろ言っちゃダメだ。でも血の匂いはどうしよう!と考えて、ふと頭に浮かんだごまかし方に自分の顔にじわじわと熱が集まり、真っ赤になるのが分かる。だけど、これしかない。これしか思いつかないけど、これは流石に・・・ は は、恥ずかしすぎる・・・・・・・・・・!!!
「・・・怪我、では、ありませ、ん」
「・・・怪我では、ない・・・では、どこかで猟を・・・?」
たっぷり時間を置いてなんとか言葉を紡げば、さらに疑問を投げかけられてしまった。あなたが?と続けて聞こえてきそうですが、猟もしてません。料理は教わってても、まだ捌き方なんて習ってないから血抜きなんて出来ません。この街では肉も魚もお店で買うのが一般的なので、そういった捕ったり絞めたり捌いたりといった専門的な事はそれを仕事にしている人がいるからと、お隣の料理の先生からは教わっている。ちなみに先生は元々厨房にいたから一通り出来るそう。やってみたいなら教えてあげるとは言われたけど、こんな事なら教えてもらっておくべきだったでしょうか!?
そっちにごまかす事を諦め、首を振ってそれも違うと否定するが、男の人に自分の体の事を、今朝きたそれを言うのは本当に勇気がいります・・・!
もうこれ以上目を見ていられなくて、うつむいて真っ赤な顔を手のひらで覆い隠してからなんとか言葉にする。声が小さくても震えていても許してほしい。
どうかどうか、騎士様が女の子の体の事情をご存じでありますように・・・!
「あ、ああの・・・・・、っお、大人の、しるし、なんです・・・」
「・・・? 大人の・・・っ!」
騎士様がそれ以上言葉を続けず黙ってしまった事で、きっと察してくれたのだと思いホッとする。大人のしるし、という意味を分かってもらえずに説明する羽目にならずに済んで本当に良かった。きっと幼女な見た目だから、ウルジさんやマイアさんと同じように成人していることに驚いたんだろう。でも今朝きたばかりで周囲の人に気が付かれる程の出血量ではないから、この理由でごまかされてくれるかは少々不安ではある。
そのまま何も反応がないので顔を覆っていた手を静かに離し、騎士様の様子を下からそっと伺えば、やっぱり思った通り、まさか成人しているとは・・・と言わなくても騎士様の表情が語っている。そうして段々赤くなっていき、私と同じように俯いて、片手で顔を覆って動かなくなってしまった。そりゃあ聞かされた方も恥ずかしいよね、ごめんなさい騎士様・・・と思うのだが。思ったよりダメージが大きかったのか、なかなか顔を上げない。
思わぬ騎士様の反応に、ものすごい美人の照れ顔って可愛いなぁ・・・と、次第に自分の口元が緩むのが分かる。その照れた様子をまったり堪能しながら待たせて頂きました。
「・・・その・・・察しが悪くて、すまない。不躾な事を聞いた」
ようやく気持ちが落ち着いたのか、言葉では平常心を取り戻した様子の騎士様。よく見ればまだ耳が赤く、また目を合わせてくれなくなった事がいちいち可愛いくて内心少しばかりもだえる。そんな余裕の無くなった様子の騎士様とは対照的に、待ってる間に私の方は気持ちを切り替える事が出来ていた。
普段男ばかりの職場で、自分は女性に縁がなくて、とかなんとか小声でもにょもにょ言ってるのも可愛い。なんだろう、さっきからこの騎士様が可愛くて仕方ない。こんな美人さんなのに、大人っぽいのに、まるで私と同じ年位の反応を返すその姿は、案外年齢が近いのかも知れないと感じる程だった。
そんな事を考えていたら反応を返すのが遅れて慌ててしまう。
「あ、いえ、そんな!・・・心配して、下さったんですよね、ありがとうございます」
そうだよ、どこか怪我を?と聞いてくれたのは、私を心配してくれたからなのに。自分から蜘蛛の少女の事をごまかす為に言った事で恥ずかしがってる場合じゃない。お礼を言いながら、自然と心配してくれた事への感謝と嬉しい気持ちを言葉に乗せ、笑顔で返していた。
「・・・いや、怪我がないと言われてすぐ、私が追及せず引けば良かったんだ・・・そうだ、これを」
そう力無く言いながら外套の中からこちらに伸ばされた手の上には、まっ白な布?がある。怪我をした肩を指しながら騎士様が言葉を続ける。
「もしもまた会える事があれば、渡そうと思っていたんだ。怪我の手当てで、布をここに使ってくれてダメにしてしまったろう?貴重な薬の代わりにもならないかも知れないが、その、良ければ、と」
思わず受取ってよく見てみれば、それは白いハンカチだった。角の部分には目立たないけれど小さく花の刺繍もされており、実用的かつ女性らしい普段持ち歩くのにはぴったりな物だった。思わず「・・・かわいい」とつぶやき顔を上げお礼を伝えると、少し照れつつも私が喜ぶ様子にほっとした表情の騎士様と目が合う。やだその顔も可愛い。
贈り物に慣れてないのだろうか。普段女性に縁が無いとも言っていた事から、騎士様にはお付き合いされているような、特定の誰かはいないのかも知れない。こんなに良い人なのにもったいない。
華やかな職業の騎士という立場ながら、腰が低くて人と目を合わせてなかなか話せない姿に、こんな騎士様もいるんだなと親近感を覚えていた。
その時だった。
ぽつぽつ、と外套を鳴らす小さな音に気が付き顔を上げると同時に、空から一気に滝のような雨が降ってきた。今まで経験したことのないその量は、ザァーでもダァーでも表現出来ない音で周囲に降り注ぎ、あまりの勢いに逃げる事も出来ず、その場で身動きすら取れなくなった。
持っていたカゴをお腹に抱えて俯き、なんとか踏ん張ってしばらくの間衝撃に耐えていると、ふっとその勢いが緩やかになったように感じ、目をうすく開ける。
いつの間にかすぐ傍に、本当に目の前に、至近距離に騎士様がいた。
「すまな・・・自分の周りに か発動出来な、だ・・・しばらく ・・・け我慢してほしい」
こちらに対して、こんな時まで紳士な態度を崩さない騎士様の声が耳の近くで聞こえて固まる。周囲の雨音に半分消えてしまっていて聞き取りにくいけど、怪我をしていない方の腕を私を守るようにして覆い、それでも触れないよう配慮されつつも騎士様の体にすっぽり包まれている状況を見れば、衝撃を和らげてくれているのだと理解出来る。だけど、しばらく?このままで?えっ、えっ・・・まってまって、近い近いぃ~~・・・っ!
少しでも動けば触れてしまう距離を意識してしまい、うまく呼吸出来ない私とは違い、騎士様は周囲を見回し方角を確認したりと何やら忙しい様子だった。一向に止む気配のない豪雨の中、ここにいるより雨宿りした方がいいと判断したのか、頭の上から短く声がかけられる。
「移動します。・・・失礼」
ぐっと力強く肩を抱かれ、思わず胸元にすがりつく形でぴったりとくっついたまま、歩き始める騎士様に押されるようにして足を踏み出す。既に周囲を水溜まりと呼んでいいか分からない深さにまでなった水の抵抗を受けながら、必死に足を動かして騎士様と移動する。
先ほどまでの自分にあった余裕が嘘のように飛んで行ってしまい、くらくらする頭で人の事を言えない自分に気が付く。先ほど聞いた騎士様の言い訳は、そのまま自分にも当てはまっていた事に。ご近所さんは年配の方ばかりで、普段若い男性と接する機会がまったくない上に、私こそ男性に対して免疫がない事に。
今までに、こんなに心臓を酷使した事があったでしょうか・・・
亀のようにのろい更新なのに、ブックマークや評価して下さる方がいる事に感謝しています・・・!読んで下さってありがとうございます。完結まで頑張ります。