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ふとめ令嬢は王子様の夢を見るか

ふとめ令嬢は王子様の夢を見るか

作者: 三同もこ

初投稿になります。誤字脱字等、見苦しい所は多いかと思いますが、お楽しみ頂ければ幸いです。

「―――義務は果たした。後は帰るまで、隅で大人しくしていろ」

「はい、分かりました」


 会場へ入った途端にそう言い放ち、さっさと去っていくのはカルロ・ブルーバード。ブルーバード侯爵家の令息だ。

 置き去りにされたのはマルティナ・ホワイトハート。ホワイトハート男爵家の令嬢である。

 銀色の髪を靡かせ、振り向きもせずに会場の中へと進んでいく主に慌てながら、カルロの従者であるエドはマルティナに頭を下げた。


「申し訳ありません、マルティナ様。主が失礼な真似を…」

「いえいえ、どうぞお気になさらずに。ここまでエスコートして下さっただけでもありがたいですわ」


 恐縮するエドに、マルティナは栗色の髪を揺らしながら振り返り、ニコニコと朗らかな笑顔でそう言う。

 マルティナは本当に気にしていないようで、物珍し気に会場を見渡していた。

 視線の先で、キラキラと輝くシャンデリアが照らす会場を色とりどりのドレスが舞っている。


 本日の夜会は王族主催のもので、王宮の大広間で開かれていた。

 格式高い夜会には選ばれたものしか来られない。その殆どは上位貴族であり、本来ならば貴族としては末端である男爵令嬢が来られるような場所ではなかった。

 ―――そう、本来ならば。


「しかし、折角の舞踏会なのに、婚約者である貴女と一曲も踊らず、あのような…」


 エドは視線を会場内へと向けて、思わず眉を顰める。

 入り口で婚約者であるマルティナを置き去りにしたカルロは、既に別の令嬢の手を取って楽しそうにダンスを踊っていた。

 婚約者であるカルロに連れられてこなければ、会場に入る事すらできないマルティナは、彼が傍にいなければさぞ居心地も悪いだろう。

 実際の所、彼がいればいたで、余計な注目を浴びるのだが、それでも折角、舞踏会の為に着飾って来られたのだから、一曲ぐらいは踊って差し上げればいいのにとエドは思う。

 彼の主であるカルロは大変な美男子だ。今は亡き彼の母親ソックリの美貌は王国一とも言われている。そんな彼はホールに立つだけで自然と目を惹き、当然のように数多の人々の視線と、数多の令嬢の心を奪っていた。


「仕方がありませんわよ」


 エドの気遣うような視線を受けても、マルティナは楽しそうに温かみあの紅茶色の目を細めて笑う。

 婚約者ではあるが、カルロとマルティナは侯爵子息と男爵令嬢で、隔絶された身分の差があった。

 だが、二人は様々な縁により、婚約者となっている。

 そもそもの始まりは、二人の母親が親友であったことだ。


 カルロの母は元々子爵令嬢で、男爵令嬢だったマルティナの母とは幼馴染で大変仲が良かった。

 大人になり、カルロの母はブルーバード侯爵家へと嫁入りし、マルティナの母は裕福な商家の息子であったマルティナの父を婿に取ったのだが、二人の交流は結婚後も続き、その子である二人も母に連れられ互いの家を行き来していたのだ。

 人見知りだったカルロが、朗らかで気の優しいマルティナと仲良くなるのに時間はかからず、二人は小さな頃から仲が良かった。それこそ、幼いながらにずっと一緒にいようと約束し合うほどに。

 そんな二人が婚約するのは当たり前のように思える。だが、身分の差はそれほど簡単な問題ではない。自身の気持ちとは関係なく、二人は互いに身分のあった相手と結婚することになる…筈だった。


 愛する妻に先立たれたカルロの父親が自暴自棄になり、莫大な借金を作ってしまうまでは。


 今のカルロであれば、高位貴族の令嬢が彼の好意欲しさにこぞって手を差し伸べたかもしれない。だが、その時、カルロはまだ何の力もない十歳の子供だったのだ。家の為に何か出来る筈もない。

 幼いカルロを抱え、借金取りに追われたブルーバード侯爵は、家財や屋敷、果ては爵位まで奪われそうになった。

 誰もが見て見ぬふりをする中、手を差し出してくれたのがホワイトハート男爵家だ。

 一般的な男爵家に侯爵家を救うほど大きな財産はない。だが、男爵家へ婿入りしたマルティナの父は天賦の商才を持っており、あっという間に男爵家を財で満たしていた。

 ホワイトハート男爵家はブルーバード侯爵家の多額の借金を肩代わりしてくれた。しかも、無期限無利息でだ。とんでもないお人好しだが、妻にベタ惚れで、彼女ソックリな娘に甘いホワイトハート男爵は、親交深いブルーバード侯爵家を助けてほしいという妻と娘の願いに迷わず頷いたのだ。

 そのことにブルーバード侯爵はとても感謝し、自らの行いを悔いて、徐々に立ち直っていった。

 そして、借金こそなくなったがまだ余裕がないブルーバード侯爵は、せめてもの感謝の気持ちを込めて、身分故に結ばれる筈のなかった子息であるカルロと男爵令嬢であるマルティナの婚約を決めたのだった。


 こうして、不思議な縁と出来事によって結ばれることになった二人だが、簡単にめでたしめでたしとはいかない。

 何故なら、人間という生き物は他人の幸福よりも醜聞を好む性質を合わせ持つからだ。

 更に言えば、貴族にはその性質を持つものが多く、彼らの話は格好の餌食だった。

 人の心や想いを挟まず、状況と結果だけ聞けば、誰もがブルーバード侯爵が借金の代わりに息子を差し出したように見えるからだ。

 下賤生まれのホワイトハート男爵が爵位を得るために借金を肩代わりして、ブルーバード侯爵は恥知らずにも息子を犠牲にしたのだと周りは面白おかしく囃し立てた。

 最初は一部の貴族だけだったが、カルロが成長する度に、周りの中傷はひどくなるばかりだった。

 ブルーバード侯爵家は高位貴族から貴族の恥だと囁かれ、ホワイトハート男爵家は高位貴族に取り入る薄汚い下級貴族と蔑まれる。


 通常なら次の話題に変わるまで、長くても数年程度で収まる筈の醜聞は、カルロの成長と共に美貌が輝きを増せば逆に加速し、二人が十八歳になった今現在、マルティナは謂れのない嫉妬の矢面に立たされるようになった。

 金の力で無理やりカルロの婚約者になった下賤の女。あんな何の取り柄もない醜女はカルロに相応しくない。

 彼の美貌に魅せられた令嬢たちはこぞってマルティナを非難した。

 カルロが可哀想だと、さもカルロの事を思っているかのように。

 そんな話を聞く度に、カルロは変わっていった。

 あんなに仲の良かったマルティナに冷たい態度を取り、避けるようになってしまったのだ。

 それだけでなく、マルティナに酷い事を言うようになった。

 マルティナの容姿を馬鹿にし、婚約関係にある事が不快だと言わんばかりな態度を取る。

 そんなカルロにマルティナは何も言わない。ただ微笑んでいるだけだ。

 何故なら―――


「確かに私のような女では、お美しいカルロ様には相応しくないかもしれませんわ。だって私、見ての通り『ちんくしゃ』の『まんまる』ですもの。おほほほ」

「………」


 コロコロと楽しそうに笑うマルティナ。



 マルティナは小柄で、少々―――いや、かなり『ふくよか』な方だった。



「おほほほ、この前もカルロ様に言われたのよ。『お前はまるで風船のようだな』ですって。『何でも豚の様にバクバク食べるから、そうやってブクブク太るんだ。少しは我慢を覚えろ、マルブタ』と言われましたのよ」

「っ! それは、あまりにも…!」

「おほほほ、上手い事言われますわよねぇ。おほほほほ」

「………」


 強い。メンタル金剛石製か。普通の令嬢ならショックで泣き臥せっていても仕方がない事であるのに、マルティナは全く堪えていない。寧ろ、爆笑している。


 昔からそうなのだが、マルティナは大らかで細かい事を気にしない。

 何でもポジティブに考え、どんな時でも楽しそうに笑っている。

 マルティナの外見はとても優れているとは言えない。容姿は平凡だし、小柄でポッチャリしている。

 けれど、マルティナはその明るく豊かな表情から透けて見えるほどの心根の美しい令嬢だった。

 嫌味を言われても、嫌がらせされても、カルロの毒舌にだってニコニコ笑って、逆に相手が毒気を抜かれる事も多い。

 今も自分をほったらかしにしている婚約者を眺めながら、カルロ様はダンスがお上手ねぇ、などと言い、のほほんとしている。


「マルティナ様、本当によろしいんですか?」

「ええ、勿論よ。気遣ってくださってありがとう。私は隅の方でお食事を頂いてくるわね。どれから食べるか迷ってしまうわ。だって、どれもとっても美味しそうなんですもの!」


 そう言って、マルティナは目を輝かせた。

 カルロの従者に過ぎないエドにも屈託なく笑ってお礼を言うマルティナを眩しそうに見つめながら、エドは思う。

 見た目ばかり気にしている曇った目の貴族には、この方の得難さは分からない、と。

 いそいそと楽しそうに食事の乗っているテーブルに近づくマルティナを見ながら、出来る事ならば、ずっと曇っていて欲しいものだとエドは思った。



 ★★★★★



「でなければ、とっくに誰かに搔っ攫われていますよ。カルロ様」

「いきなりなんだ、エド」


 適当に何人かの令嬢とダンスしてから輪を外れたカルロに近づき、エドが顔を顰めながらそう言えば、カルロは嫌そうな顔をした。


「健気ですよねぇ。あんなにそっけない態度を取られ、他の令嬢とイチャイチャしているのを見せつけられ、それでも怒らないなんてマルティナ様は女神さまか何かじゃないですか?」

「あ、アイツあんなに皿に盛ってる! 馬車の中で食べ過ぎるなって釘を刺したのに!」


 エドが苦言を呈している間も、カルロは一瞬も視線を逸らさず、テーブルから次々に料理を取るマルティナを見ている。


「…遠くからずっと見てるくらいなら、離れず横にいればいいじゃないですか。折角の舞踏会なんですから、せめて一度くらいダンスを踊って差し上げればいいのに、何で誘って差し上げないのですか?」

「おい、アイツの横で話しかけてる男は誰だ! 今、肩に触ったぞ! ふざけるな!」

「カルロ様、落ち着いてください。肩にぶつかっただけです。これだけ人がいれば小さなマルティナ様にぶつかる人もいます」

「話しかけてる! オレのマルティナに触った上に話しかけてる! 何なんだアイツ、何て厚かましい…!」

「話を聞いてください。ぶつかったことを謝っているだけです。ただの紳士です。何度も言っておりますが、そんなに気になるなら近くにいればいいでしょうに」


 呆れながらそう言えば、カルロは苦い顔をした。


「まだ駄目だ。まだホワイトハート男爵家に借金を返せていない」

「………」


 エドは更に呆れた顔をする。


 カルロはマルティナに冷たい。それは事実だ。

 だがそれはマルティナが平凡な事も、ふくよかな事も、男爵令嬢であることも全く関係はない。ましてや、嫌いだなんてありえない事だ。


「このままマルティナと結婚したら、オレは一生マルティナに負い目を持つことになる。オレがどれほど、あ、愛を、その、さ、囁いても…きっとマルティナは信じてくれないだろう。借金の形に結婚したなら当然だ」

「まぁ、そうでしょうけども…」

「だから、オレは借金を返し終わるまで、オレはマルティナには最低限しか近づかない。全部返済したその時は、その時は…」


 自分で言いながら顔を真っ赤にさせているカルロは、とても社交界一の貴公子なんて呼ばれているとは思えないだろう。

 誰もが映りたがるその美しい青い目はいつだってマルティナしか見ていない。

 目は口ほどにものを言うというが、見るものが見れば一目瞭然なほど、カルロはマルティナを熱愛し、彼女に夢中だった。

 これは昔から全く変わらない。マルティナがカルロの手を引き、一緒に遊ぼうと笑いかけた時から、その熱は上がるばかりで、下がる事など一度もなかった。

 それを横で嫌というほど見てきたエドは、たまには下がればいいのに、と思っている。拗れに拗れた主の恋心は非常に鬱陶しく、ぶっちゃけてしまえば面倒くさかったのだ。

 好きなのに好きと言えない。言ってはいけない。

 借金騒動とその後の噂のせいでそう思い込んだカルロは極端に走った。

 無理やり距離を置こうとマルティナに冷たく当たるようになったのだ。

 傍から見れば、カルロはマルティナを嫌っているのだと誰もが思うような行動を取るようになった。

 けれど、招待されたパーティーには必ずマルティナをパートナーとして連れて行くし、彼女のエスコートは誰にも譲らない。自分は他の令嬢と踊ってもマルティナが誰かと踊ろうとすれば邪魔をするし、パーティーの間中、マルティナが一人でいても放って置くのに、帰りは絶対に送っていく謎の距離感。

 離れたいのか離れたくないのか、マルティナ本人は気にしていないが、周りは困惑しかない。


「いっそ一度婚約を解消したらいかがですか?」


 物理的に距離を置いて、落ち着いてから改めて申し込めばいいのではないかと提案すれば、カルロは眉を吊り上げる。


「馬鹿か、お前は! マルティナはあんなに可愛いんだぞ? 一度でも手放したら、すぐに他の男が寄ってくるに決まっている!」

「多分、大丈夫だと思いますけど」


 残念ながらマルティナは引く手数多な令嬢ではない。特別美しい訳ではないし、寧ろ外見だけで言えば下の方だ。一部の特殊な趣味の人間以外にはそれほど興味を持たれないだろう。

 もっとも内面を知れば話は別だが、謂れのない悪評とカルロのせいで人々から遠巻きにされているため、その可能性は低い。ホワイトハート男爵家は裕福だが、それだけで曰くつきの令嬢に言い寄る人間は少ない筈だ。


「それなら、せめて夜会へ連れて来る回数を減らすとかしたら如何ですか? これ以上、嫌な事を言って、嫌われたら元も子もないじゃないですか」


 婚約解消が嫌なら、せめて会う回数を減らせ。これ以上嫌われることをする前に。

 そう思って提案すれば、カルロは眉の間に皴を刻みながら呻く。


「…マルティナ以外を夜会のパートナーにするのは嫌だ」

「カルロ様、我儘すぎます。パートナーを伴わず、一人で参加すればいいだけじゃないですか」

「分かっている! だが、オレが誘わなかったせいで、マルティナが他の奴に誘われたらどうするんだ!」

「………」


 駄目だ、コイツ。

 エドは白けた目でカルロを眺めた。


「借金さえ…借金さえ返せれば…! クソ、後少しなのに…!」


 カルロがマルティナ見つめながら呻く。

 熱い視線を一身に受けたマルティナは、周りの人間がギョッとするほど皿に料理を盛っている。芸術的な高さで思わず拍手されていた。


 ブルーバード家が負った負債は多額だったが、侯爵が持ち直したことで彼が手掛けていた事業の業績は少しづつ上がり始めており、ホワイトハート男爵家への借金は着々と返済されつつあった。

 男爵の好意で無期限無利息だったので、稼いだ分だけ返していくことが出来るのだ。

 数年前からはカルロも新事業を立ち上げ、少しづつ返済額を増やしている。

 カルロの始めた事業は装飾品関連のもので、購買意欲を上げるためにカルロは自らを宣伝塔として利用していた。

 自分の取り扱っている品を身に着け夜会へ参加するのもその一環で、なるべく目立つ必要があった為、派手な令嬢と踊る事も多い。

 ダンスのパートナーにマルティナを選ばないのは、彼自身がまだ彼女の隣に立てるような立場じゃないと思っている事もあるが、何よりも彼女を自分の仕事に利用したくない思いが強いからだ。

 彼女と結ばれるために彼女を利用するなど本末転倒であるとカルロは思っていた。

 それに、何よりも―――


「あんなに可愛いマルティナが目立つ場所にいたら、余計なものに目を付けられてしまうに違いない! そんなの絶対に嫌だ!」

「………」


 既に本末転倒な状況だと思う。

 恋は盲目というけれど、本当に手の施しようがない。

 エドは深い溜息と共に、少しでも早く借金が終わる事を祈るしかなかった。



 ★★★★



 一方その頃、カルロとエドがそんな話をしているとは露知らず、マルティナは山のように盛られた皿を片手に座る場所を探していた。


「あらあら。ここも一杯ねぇ」


 夜会では参加者が自由に休憩出来るように各所に椅子が用意されている。

 いつもならどこかしら空いているものだが、今日はどこも一杯だった。

 マルティナの持つ山盛りの皿はカルロとは別の意味で注目の的だ。見た瞬間ギョッと振り返るものもいるし、そこかしこで令嬢たちがクスクスと馬鹿にするように笑っている。

 けれど、マルティナはマイペースに、皆さま楽しそうねぇ、とニコニコするばかりだった。


「そうだわ。確かカルロ様が中庭にも休憩できる場所があると言っていたわよね。そちらへ行ってみましょう」


 いい事を思いだしたと、マルティナは給仕の係に中庭の場所を尋ね、少し離れた場所にあるそこへと足を向ける。

 辿り着いたそこは綺麗に整えられ、荘厳な雰囲気すら漂っていた。

 中庭は夜会の中盤になると恋人たちの憩いの場に変わるが、夜会が始まったばかりの今はまだ人気がない。

 噴水近くの白いベンチに腰掛け、マルティナは皿を置いた。

 キョロキョロと辺りを見渡しても静まり返っており、離れた会場の窓から賑やかな音楽が零れるばかりだ。


「ここなら思い切り食べてもよさそうね」


 マルティナは思わずニッコリと笑い、いそいそと皿へと手を伸ばした。

 皿の端に乗せてあった焦げたバターの香りがするバゲットを手に取り、フォークで器用に肉や野菜を盛りつけていく。最後に上にバゲットを重ねて、持ってきたナプキンで包めば、マルティナ特製バゲットサンドの出来上がりだ。


「美味しそう! いただきまーす!」


 大きな口を開けて、サンドをバクリ。

 幸せそうな顔をしながら、まるでリスの様に両頬を膨らませて咀嚼する。

 ごくりと飲み込んだ後は、思わずニッコリ笑顔が零れた。


「おいしーい! 何て美味しいの!」


 行儀が悪いと自覚しながら、小さくジタバタと足を動かす。

 幸せを噛みしめながら、もう一口。又、足が勝手にはしゃぎだしてしまう。


「流石は王宮よね! パンもお肉もお野菜もとっても美味しいわ! 外側はカリカリ、中はふんわりモチモチなパン! とろけてしまう程、柔らかでジューシーなお肉! そのお肉の味を更に引き立てる甘辛いソース! お野菜にかかってるドレッシングは少し酸っぱくて、それに食欲が刺激されて…もういくらでも食べられそうですわ!」


 美味しい美味しいと、満面の笑顔で彼女が再び口一杯に頬張った時、ガサリと物音が聞こえた。


「んぐ?」

「あ」


 音の方へと視線を向ければ、金色の髪をした細身の男が一人立っている。

 マルティナが咀嚼しながら首を傾げれば、男はひどく慌てたように言い募った。


「あ、あの、申し訳ありません! 食事の邪魔をするつもりはなかったのです! ただ、あの、とても幸せそうに食べていらっしゃったので、つい気になって…!」


 ぐー。


 男がしどろもどろに答えた瞬間、男の腹から控えめな音が鳴る。

 マルティナが目を瞬かせる中、男は見る見る真っ赤に顔を染めた。


「えっと、これは…」

「お腹が空いていらっしゃるの?」

「いえ、特に空腹を感じていた訳ではないんですが…貴女があまりにも美味しそうに食べていらっしゃったので…」


 居た堪れなさに俯いた男を見て、マルティナはニコリと笑う。


「よろしければ、一緒に召し上がりませんか?」

「え」

「一人でもお食事は美味しくて楽しいけれど、二人ならもっと美味しくて楽しいですわ」


 ニコニコと笑うマルティナに誘われて、男はオズオズとマルティナの隣へ腰かけた。

 マルティナは少し行儀が悪いけれど、と言いながらも、手際よく先ほどと同じバゲットサンドを作る。

 男はそれを不思議そうな顔で眺めていた。


「出来ましたわ。さぁ、どうぞ召し上がれ」

「…ありがとうございます」


 差し出されたそれを受け取り、男はマジマジと眺める。


「このような食べ方は初めてです。こんな食べ方もあるのですね」

「零れないように、大きく口を開けてバクリと食べるのがコツですわ。父が仕事の合間に食べられるように、我が家ではよくこうするのですよ。あ、これは内緒ですわ。行儀が悪いと叱られてしまいますから」

「分かりました。内緒ですね」


 真剣な顔で口止めするマルティナにクスリと笑みを零し、男はサンドを頬張った。

 モグモグと咀嚼した後、驚いたように目を丸くする。


「美味しい…」

「ですわよね!」


 マルティナは嬉しそうに手を叩いた。


「行儀が悪いのであまりやらないのですが、私はこうやって食べるのが好きなのですわ」


 そう言って、マルティナは自分の分を大きな口を開けて頬張る。

 幸せそうな顔で、本当に美味しそうに食べるマルティナを見て、男は先ほどよりも大きな口を開けて再びサンドを頬張った。


「美味しいですわ」

「美味しいですね」


 二人で夢中で食べていると、大きかったバゲットサンドは直ぐになくなってしまう。

 男は全て平らげてしまった事に目を瞬かせた。


「食べてしまいました」

「美味しかったですわね」

「ええ、とっても」


 そう答えながら、男は自分の腹を擦る。


「もう一つ如何ですか? 今度は別の具を詰めてみましたわ」


 マルティナはそう言って、ニコニコと男へバゲットサンドを差し出した。

 男は戸惑いながらそれを受け取る。


 結局、二人は二つ目のバゲットサンドもペロリと平らげてしまった。

 山盛りだった皿は綺麗に空になり、マルティナはそれを手に立ち上がる。


「おかわりしてきますわ!」

「え」


 マルティナはそう言って、男を残して颯爽と会場へと戻っていった。

 後に残されたのは唖然とした顔の男が一人。


「え、えええ…」


 色々な意味で今日は目を見開きっぱなしだった。

 男の綺麗に整った顔は途方に暮れ、美しい紫色の目には困惑が浮かんでいる。


 何て不思議な女性だろうと思う。

 特別美人ではなかったけれど、いつまでも見て居たくなるような優しい笑顔をしていた。

 彼女が美味しそうに食べているのを見ると、それだけで楽しくて。

 生まれて初めて、食事をとても楽しく、とても美味しく感じた。


 このまま、ここで彼女を待っていようかと、そんな事をぼんやり考えていると、慌ただしい足音と共に彼の元へ一人の男が駆け寄ってくる。



「こんな所にいらっしゃったのですか! 探しましたよ、アルバート殿下!」

「ナイジェル」



 ナイジェルと呼ばれた男は眉を吊り上げて言った。


「今日こそは夜会へ出て下さいとお願いしたのに、こんな所で何をしているのですか?」


 責めるようにそう言うナイジェルに、彼は楽しそうに笑う。


「食事をしていた」

「は?」

「信じられるか? 私がこんな大きなパンを食べたのだ。4つも」

「え?」

「それに肉も野菜も食べた。魚も果物もだ」

「…それはまことですか?」


 ナイジェルは唖然として聞き返す。



「偏食が多く、一日二回の食事すら満足に食べられない殿下が?」

「そうだ」



 信じられないとばかりに目を見開くナイジェルに、ゴールドクラウン王国の第二王子、アルバート・ゴールドクラウンはクスクスと楽しそうに笑った。


 本当に、何て不思議な女性だったんだろうと思う。



「彼女にもう一度逢いたいな」



 囁かれた言葉は、今はまだ誰の耳にも届かなかった。



 ★★★★★



 マルティナが会場に戻ると、カルロが顔を顰めながらマルティナを待っていた。


「どこに行っていたんだ。もう帰る時間だぞ」

「中庭で食事をしておりましたわ」


 とっても美味しかったですわ、とニコニコ笑うマルティナに思わず微笑みそうになった顔を引き締め、カルロは苦い顔をする。


「勝手に外へ出るな。せめて一声かけてから行け。余計な手間が増える」

「はい、申し訳ありません」


 謝るマルティナをジロジロと確認した後、さも面倒くさそうにフンと鼻を鳴らすカルロ。

 少し目を離した隙にマルティナがいなくなり、半狂乱になっていた彼を見ていたエドは白けた目でその様子を眺める。マルティナが無事に戻ってきて安心しているくせに。素直じゃない態度に溜息しか出ない。


「さっさと来い。今日はもう帰る」

「はい、カルロ様」


 カルロはそう言って、マルティナの手を引いて歩き出した。

 エドはおお、と内心拍手を送る。

 自分から手を握っただけでも大前進だ。

 普段なら手なんか握らない。余程心配だったのだろう。


「このまま、上手くいけばいいんですけどね」

「エド、何をしている! さっさと来い!」

「はいはい」


 エドは肩を竦めながら、二人の後を追った。




 この数週間後、マルティナを巡って大騒動が起こるのだが、それは又、別のお話。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 話に引き込まれとても楽しく読ませてもらえました [気になる点] 続きを読みたいです
[良い点] この醜い人が表に出てこない平和的で幸せな世界観が好き
[一言] せめてそれとなく本心が伝わるようにしていればいいのだけれども。 借金を返し終わった後にいよいよ本心を打ち明けても、想いが壊れてしまっていたらどうにもならないのに。 意地に振り回されて、す…
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