前編
リクエストをいただき、『心を奪われた男、胃袋をつかまれた女』の続編を書いてみました。
どんどんおかしくなっていく堅一を受け入れてもらえるか心配ですが、皆様に楽しんでいただけたらと思います。
※他の小説とそろえるため、改行の仕方を変えました。内容には変更はありません。
2018年7月30日
『件名:ごめんなさい
本文:しばらく、一緒にご飯できないです。
ごめんなさい。 夏南』
10月のとある水曜日。
昼休憩に来たメールの文面を、君島堅一は3度読んだ。
最近、夏南の様子がおかしかった。
数日前には夕食をドタキャンされた。
そして今日はこのメールだ。
「分かった」とだけ返信し、携帯をしまった。
目をつぶって考える。
自分は何をしてしまっただろうかと。
何をしたかと言えば、最初からしまくりだった。
会社の部下である遠藤夏南に好意を抱き、忘れ物をしたふりをして1人残業中の彼女に近づき、ご飯を餌に2人きりになるよう仕組んだ。
酒に弱いことを知っていて飲ませるよう画策し、酔ったのをいいことに自宅に連れ込んだ。
さすがに本人の同意なしにこれ以上はまずいと思い、手は出していない。一応。
裸にして体を拭くことになったのは、酔った彼女が自ら水をかぶったせいであり、そこまでは計画していなかった。
むしろ手出ししないと決めたのにその状況だったので、堅一にとってはどんな試練よりもつらいものとなったわけだが。
そして同意を得ようとしたが、迫っておいて堅一が寝落ちるという失態。
そんな犯罪すれすれ(いや、もうアウトかもしれない)の堅一の行動だったが、夏南は怒らなかった。
夏南を抱き枕代わりに3時間ほど寝てしまった堅一を、優しく揺り起こした後、中華料理が食べたいと彼女は言った。
クリーニング店で夏南のスーツを取ってきてから、堅一は腕によりをかけて麻婆豆腐と涼拌三絲と中華風玉子スープを作った。
もちろん、白米も多めに炊いた。
それらを嬉しそうにたいらげたあと後、夏南は言った。
「主任のお料理、私好きです」
『好き』の言葉に過剰反応しそうになる自分を抑え、堅一は「そうか」とだけ返した。
「主任のことも、好きです。・・・たぶん」
俯きがちな上に小声だったが、堅一の耳にははっきり届いた。
最後の単語も。
「・・・遠藤。たぶん、とは・・・?」
そこだけ引っ掛かって、喜んでいいのか堅一には分からない。
「あの、えと、すみません、恋愛と縁がなかったもので、ちょっと自信がなくて・・・」
「ああ、うん」
「曖昧でごめんなさい・・・その、こんな、私でもよければ・・・」
「遠藤」
夏南の言葉を遮り、堅一はふわりとその体を抱く。
「俺と、付き合ってください」
「・・・よろしくお願いします」
腕の中から聞こえた声は、照れと嬉しさをにじませていて、堅一は早速理性を手放そうかと思った。
が。
「でででもですね主任!」
「・・・なんだ?」
やろうとしていたことがばれたのかと、堅一は舌打ちしそうになるのをこらえて聞き返す。
「先程も申しました通り、私、恋愛経験がゼロなんです。だから・・・」
夏南の言おうとしていることに見当がついた。
つまり。
「だだだだだ抱くとかそういうことは、もっとお互いを知ってからにしてもらえませんかっ?」
羞恥のためか、少し目を潤ませながら堅一を見上げて言う夏南を、その場で押し倒してめちゃくちゃにした・・・のは脳内でだけで。
「分かった」と一言言って、目を逸らして自分をごまかすことにしたのだった。
『君のために、毎日おいしい食事を作ろう』と言ったが、それは夏南にやんわり断られた。
仕事に支障が出てしまっては申し訳ないと考えたらしい。
そんなことは気にしなくていいと言ったが、夏南としても譲れない点らしい。
話し合って、平日は2人揃って早く帰れそうな日に一緒に食べることにした。休日はその都度決める。
一人ではほとんど出掛けない堅一だが、夏南と一緒なら楽しいだろう。
そうして始まったお付き合いは、夏南の希望もあり、最初のアプローチに比べて大変健全だった。
堅一の作ったご飯を一緒に食べる。
たまには外に食べに行く。
夏南が好きな雑貨店巡りをする。
好きな食べ物や趣味の話をする。
そんなことを通して、少しはお互いを知り、距離も縮まってきたと思ったのだが。
「おい君島、たまには飲みに行かないか」
終業後すぐに誘ってきたのは堅一の同期で、同じく主任の韮崎一だった。
「韮崎か。・・・ああ、行こう」
今日は本当は、夏南と夕飯デートの予定だった。
このまま1人で帰っても、余計に寂しくなるだけだ。韮崎には悪いが、気晴らしさせてもらうことにした。
夏南はと言うと、終業と同時に慌てて帰っていった。最近は仕事中もどこか上の空で、こちらを決して見ようとはしない。
社内恋愛が禁止な訳ではないが、やりづらいことも増えるので周りにはしばらく黙っていることにした。
それがよかったのか悪かったのか。
目の前にいても、その件に全く触れられないのは、堅一には拷問だった。
着いたのは、居酒屋のチェーン店だった。
仕事の愚痴やら私生活ののろけ話やらを韮崎からさんざん聞かされる。
堅一はこういうとき、大抵聞き役だ。自分のことを話すのはどうも苦手だった。
反面、韮崎はよく喋るたちだ。数ヵ月前に結婚したばかりの彼は、話したくて仕方がないのだろう。
ちなみに、今日は奥さんは、友人と食事に行っているらしい。
「そういえばお前の部下のさ」
「うん?」
「何だっけ?よく食べる女の子」
「・・・遠藤か?」
まさか、こんなところで夏南の名前が上がるとは思わなかった。
内心の同様を押し隠しつつ、何でもないことのように答える。
「ああそうそう。遠藤か。その子がさ、最近綺麗になったって噂」
「そうか?俺にはよく分からんな」
なぜなら夏南は以前から可愛かった。
と、脳内で付け足す。
「お前鈍いなぁ。綺麗になったって。あまりよく知らない俺ですらそう思ったんだから」
「待て。お前いつ遠藤を見たんだ?」
韮崎の仕事場は堅一たちの1つ下の階で、直接やり取りするような部署ではない。
わざわざ会いに行かない限りは、見ることはないはずだ。
「先週の金曜だったか、こっち来てたぞ。うちの森田に用だったみたいで」
森田と言うのは、夏南の同期である森田雄輔のことだろう。
夏南の同期は森田ともう1人いて、仲がいいのだと以前話していた。
森田は、人懐っこく、先輩社員から可愛がられるタイプだった。
「個人的な用事だったんじゃないか。夜がどうたら言ってたみたいだから。付き合ってるのかねぇ?」
知らずに血の気が引いていたらしい。
「君島?大丈夫か?」
韮崎に心配され、早々に席を辞することにした。
先週の金曜日。
それはまさに、夏南に夕飯をドタキャンされた日であった。
その日は、もともと夏南と約束をしていた。
その翌日の土日は、夏南に予定があり、デートができないからだ。
なんでも、大学時の友人の結婚式を、リゾート地で上げるとのことで、泊まりで行ったのだ。
「もう結婚する年になったんだなー」と夏南は呟いていた。
それは、うらやましいというよりは、思ってもみなかったと言うニュアンスに、堅一には聞こえた。
今まで異性と付き合ったこともない夏南からすれば、『結婚』はまだ身近ではなかったのだろう。
そんなわけで、週末一緒に過ごせない分、金曜日の夜に一緒にいようとしたのだが。
昼休憩の時だったか、今日と同じように夏南からメールが来た。
『今日の夕飯、急用でご一緒できなくなりました。ごめんなさい』
『分かった。珍しいな。どうした?』
『ちょっと、どうしても外せない用が入っちゃって。本当にごめんなさい!』
どんな用事か聞きたかったのだが、水を向けても夏南は話そうとしなかった。
言いたくないこともあるだろうと、その時は深くは気にしなかった。
土日が明けて月曜日は、仕事が立て込んでいて、夏南や堅一を含むほとんどのメンバーが残業した。
火曜日は、堅一が会議で、夏南は定時かその少し後くらいに帰ったと思われる。
そして今日。昼のメール。
韮崎の言葉。
金曜は森田と一緒だった?
堅一は自宅で頭を抱えた。
何でも無い用なら、堅一に言うだろう。森田と何をしていたというのだ。
堅一は、その後一度も夏南と2人で会っていない。
携帯を取り出し、夏南にかけようとして、もう一度閉じる。
落ち着こう。
こういう時、先走るとろくなことがない。
今日の件には触れないことにして、次の週末の予定を打診するメールを打つことにした。
『次の土日、予定はどうだ?会えそうかな?』
そっけなさ過ぎたかと思いつつ、じっと返信を待つ。
すぐに気づいたのだろう。大して待つこともなく、携帯が返信を知らせた。
『ごめんなさい。土日もちょっと予定が立て込んでて・・・なかなか時間を作れなくてすみません。もう少しだけ待ってください』
内容に落胆しながらも、夏南が残念がってくれている気配を感じ、少しだけ心が慰められた。
だが・・・。
やはり頭から、疑念が離れない。
金曜日、何があったのか。
どうして、夏南は自分と会ってくれないのか。
胸がじりじりとする中、明日も仕事であることを自分に言い聞かせ、眠りにつくのだった。
木、金とそれなりに仕事が立て込んでいた。
そうでなくても、探せば仕事は何かしらあるものだ。
堅一は仕事に打ち込むことで、夏南と森田のことを考えないことにした。
こういう時、目の前に当の本人がいるというのはつらいものだが、必要最低限以外話しかけず、視界にも入れないようにして乗り切った。
夏南からは、まだ何の連絡もない。
そして土曜日。
堅一にしては大変堕落した過ごし方をしていた。
いつもなら、どちらかの日は夏南と会ったり、堅一の家に呼んでご飯を作ったりするため、その準備や掃除に忙しくしているのだが。
今日はもう13時にもなろうというのに、寝巻のまま、伸びきったゴムのようにだらりと布団の上に寝そべっている。
(夏南は、今、何してるかな・・・)
考えまいとしていても、やはり頭は夏南のことですぐにいっぱいになる。
付き合うのだから、名前を呼んでほしいと言った堅一に、大変申し訳なさそうに、「主任、ごめんなさい・・・。下の名前、何でしたっけ?」と寂しくなるようなことを言った夏南。後から聞いたが、他の男性社員の下の名前も一切覚えていなかった。
いざ呼ぼうとしたら、真っ赤な顔で「け・・・けけけんけんけん・・・!」とキジか何かの鳴き声のようになってしまった夏南。結局今も、主任呼びのままになってしまった。
手を繋ごうとして差し出したら、握手を返してしまう夏南も。
指を少し絡めただけで、真っ赤になって俯いてしまう夏南も。
全部、愛しくて愛しくてたまらない。
(・・・そろそろ、限界だ・・・)
完全に夏南を絶たれて、堅一はおかしくなりそうだった。
明後日、会社に行ったら・・・行動を起こそう。
夏南相手では、自分の行動を律せる気がしない。
それならば、彼に聞こう。
いったい、何をしていたのかを。