セインロズドの名
「こ、子供だからって馬鹿にしないでよ!」
「ああ、そうね。子供でも恋はするものね?でも、ブラッディ・ローズ。やっぱり貴女はお子ちゃまよ」
せせら笑うような声が、耳障りだ。
「どういう意味!?」
キャルが叫んだときだった。
ほんの一瞬、視線の先に、銀色の光が伸びた。
「!」
セインの身体が、ぐらりと揺れた。
「・・・ぐ」
「セイン!」
キャルを押さえるために伸ばされた左の二の腕から、鮮血が滴り落ちる。
かすめただけだったが、シェリエッタは先程の言葉どおり、キャルだけではなく、セインまでをも、標的と定めたのだ。
今度は、甲高い笑い声が響いた。
「何せ、自分の気持ちにも気が付いていないんですもの!子供も子供よ!お子ちゃまもいいところだわ!」
「あ、あんたねぇ・・・!」
ギラリと、キャルの蒼い瞳が、ガス灯の明りに照らされて異彩を放った。
「キャル、駄目だ」
「!・・・何言ってんの?あんた怪我までさせられて!」
怒鳴るキャルの頭を、セインが撫でる。
「彼女は、自分を見失っているだけだから。君まで、堕ちる事はない」
ふわり、と微笑んで、セインはシェリエッタのいる柱の影を睨み据えた。
「ねえ?シェリー、といったかな?」
ゆっくりと、語りかける。 普通に、ただゆっくりと話しているだけであるのに、その声に威圧されるのは何故なのか。
「・・・シェリエッタよ」
知らず、声が震えた。
「そう。シェリエッタ」
セインの瞳が輝く。
それは、獲物を捕らえて離さない、猛禽類の眼だ。
シェリエッタは口元をひきつらせたまま、無理に笑みを顔面に貼り付けた。
「君がこれ以上、僕らに手を出すというのなら、容赦しないよ」
声音も口調も、いつもと変わらず、おっとりと、どこか抜けたようであるのに、彼の全身から、青白い炎が立ち昇るような錯覚に捕らわれる。
「何を馬鹿な!一介の管理人風情が、ハンターに勝てるとでも?!」
シェリエッタは、自分でも気が付かずに、必死になって叫んでいた。
「そうだ。僕は管理人だ。だけど、キャルから聞かなかった?」
にっこりと、笑う。
それはキャルへ向けられるものとは違う、獰猛な笑み。
「セイン?」
己の変貌に、驚きと戸惑いで、わけが分からず動けなくなったキャルを無理やり下がらせると、セインは一歩、踏み出した。
「僕はね、この聖堂の管理人じゃないんだよ」
「ひっ」
シェリエッタは、小さく息を飲んだ。
「だから何?あの人を、そのガキが破滅に追いやったことに変わりはない!」
必死に叫ぶ。
ギラついた閃光が、セインを通り越してキャルを襲った。
「針じゃないのか!」
柱の影から飛び出しざま、シェリエッタが放ったものは、弧を描いてキャルの足を切り裂いた。
「きゃあ!」
予想していなかった動きに、キャルは完全に対応することが出来なかった。かろうじて身をかわしたものの、それはスカートを切り裂いて皮膚まで達した。
「キャル!」
「大丈夫、かすり傷よ」
裂き目から細くスカートを切り裂いて、すばやく止血する。
包帯代わりのその布からは、じわりと血がにじんだ。
「言ったはずだ。これ以上僕らに手を出したら、容赦はしないと!」
信じられないような、低くしわがれた声が、セインの口から発せられた。
「僕は、この聖堂の管理人ではないと、言ったはずだ!」
彼の色素の薄い長い髪が、まるで逆立つようだった。
ゆらりと、影が動く。
揺らめく炎の灯りに照らされて、それはまるで、呪われた様な。
「分からないのなら、教えてあげるよ」
一歩、前に出る。
先程のように叫ぶことも、本能的に防衛のために攻撃することも出来ず、蛇に睨まれたカエルのように、シェリエッタは指先も動かせず、声も出ない事に、ようやく気付く。
「セインというのは、僕の愛称でね」
また、一歩。
「僕の名はセイルーク・ロズド」
チャリ・・・
小石が、彼の足元から落ちた。
「遥かな昔、みんなは僕を、奇跡の大賢者と、そう呼んだよ」
カツ
セインの指が、岩に突き刺さった、朽ち果てかけた鉄の塊に触れた。
「ま・・・、さか・・・・・!」
シェリエッタの、驚きに満ちた掠れ声が響いた。
「その、まさかさ」
リイィィィ・・・ィ・・ン
鈴の鳴るような、澄んだ音が震え、あたりは光に包まれる。
「あの時の・・・」
キャルは、自分がセインロズドを引き抜いた瞬間を思い出した。
「あの時の光?」
シュリン!
綺麗な金属音が響き、光の中、セインがあの美しい聖剣を、岩から引き抜くのが見えた。
色素の薄い髪。
すらりとした長身の、長い手足。
その背中。
手に握るは伝説の聖なる剣。
大賢者セインロズド。
人の名が。
彼の名が、聖剣の名。
キャルは涙があふれた。
「な、何よ!?なんであたし、泣いてるの?」
何故、彼が聖剣と共に在るのかなんて分からない。何故、彼の名が聖剣の名になったのかさえ、分からないのに。
ただ、この光が優しくて、優しい怒りに溢れていて、寂しい怒りに満ち満ちていて。
キャルには凝りもせずに、再び溢れ出した涙を止めるすべが見つからず、大きな青い瞳を両手で覆った。
「僕はね」
その静かな声に、顔を上げれば、震える右手に聖剣を握る、セインの背中があった。
柄の先端の、あの大きなアメジストが、セインの表情を、わずかに映し出していた。
透明な、澄んだ石に浮かぶセインは、自分の知っているどれでもなくて、キャルの心臓は意思に反してまともに動いてくれない。
苦しさに、胸が詰まる。
光り輝く聖剣に、シェリエッタが照らし出された。
「僕は、こいつの管理人なんだよ」
搾り出されるような、苦しそうな。
そして歓喜に満ちた声だった。
「聖剣の管理人ですって?」
そんなことは有り得ない。
シェリエッタは、岩からいつの間にか降り立った、背の高い青年を睨んだ。
「その剣の管理人だというのなら、遥かな昔、あなたが大賢者と呼ばれていたというのなら!」
自分の目の前にいるのは何者か。
遥か彼方の古から、聖剣と共に在ったなどと、信じられるはずがない。
しかしこの圧倒的なプレッシャーは何なのか。
青年から発せられる威圧感は、眼に見えない力でシェリエッタを縛り付ける。
「やっと見つけた、僕のマスターだ」
すらり、と、青年が剣を構えた。
彼女を傷つけるなど、許されないのだと、無言で知らしめる青年の瞳は、人のものとは思えない光を放っている。
それを、場違いなことに、シェリエッタは美しいと思った。
自分を殺すべく向けられた伝説の剣。
それを構えた人ではない男。
それらは、何故こんなにも美しいのか。