青い絵本
貰った焼き菓子は、一人で食べるにはもったいないくらい美味しそうだったし、道の途中で、あんまり色が綺麗だったものだから、つい買ってしまったオレンジ色のフルーツは、つやつやと、やっぱり美味しそうだ。
と、いうことで、結局キャルは聖堂へと向かう。
空は良く晴れて、まだコバルトブルーに輝いていた。
「しまったなあ、こんなに天気がいいなら、もっと早く起きておきたかったわ」
この時間では、一時間もしないで空の色が変わってしまうだろう。
「まあ、それなら夕日が綺麗なことを期待しましょ」
それを眺めながら食べるおやつは、格別においしいに違いない。
少しうきうきしながら、昨日と同じベンチに座って、聖堂の前の人だかりが減るのを待つことにする。
今頃、ラオセナル卿は城に着いただろうか。
ふと見ると、聖堂の入り口の階段を、箒で掃いている老人が小さく見えた。きっと、あの老人が「ダイラオ爺さん」なのだろう。
人の少なくなった聖堂の回りを掃き終ると、老人は中に入って行く。
すぐに、聖堂の中に明かりが灯り始め、ダイラオ爺さんが、聖堂内のガス灯に火をつけているのが予想できた。
徐々に点いて行く聖堂の明かりと、赤と群青が交じり合う空とを、ぼーっと眺める。
「何やってるの?」
「・・・昨日も聞いたような気がするわね、その台詞」
ダイラオ爺さんが全部の明かりを点けて、聖堂から出てきてすぐに、セインがキャルの後ろから、やっぱり昨日のように声をかけてきた。
「ほんとに神出鬼没ね」
「そう?」
きょとんとしたような顔で、けろりと返される。
どうしてこんなのを気に入ってしまったのか、自分が不思議でならないが、セインの知識は豊富で、話が面白い。
この前聞いた、空を飛ぶ乗り物の話は奇想天外だったし、セインロズドの二人目の持ち主の戦話は、壮大で壮絶で、ドキドキしながら聞き入った。
オズワルド邸でもらった焼き菓子は、思った以上に美味しくて、おしゃべりを数倍楽しませてくれた。フルーツも、果汁が多くて甘酸っぱくて、お菓子にとても合う。
それでも、日が傾き始めれば暗くなるのは早いもので。
「そろそろ手元が見えなくなってきたわね。中に入っちゃおうか?」
キャルの提案に、セインも立ち上がる。
「今日はどうしたの?なんだか嬉しそうだね」
言われて、口元が緩んでいた事に気付きながら、食べ物を袋にしまう。
「どうもしないわ。ただ、昨日の絵本、やっぱりきちんとしたのを渡したくって。来る前に、ちょっと本屋さんに立ち寄ってみたの」
そうしたら、あの絵本は昨日買ったものが最後で、取り寄せるのに時間がかかるという。
「それで、どうしようかと思って・・・」
聖堂の岩の、いつもの場所に腰を下ろしながら、キャルは夕方、オズワルド卿に会ったことを、いつ話したものか考えていた。
セインの新しい仕事も決まっているとはいえ、このとぼけた管理人は、聖剣のことをとても気に入っているようだし。でなければ、毎晩こんな所で一人、誰が来るでもなく、何をするでもなく、ぼうっと過ごせるわけがない。
今は、時々とはいえキャルが訪ねて来るから、暇つぶしくらいは出来ているのだろうけれども。
「やだな。この本でいいって言ったのに」
笑いながら、備え付けてある棚の中から、あの穴の開いてしまった絵本を、セインが取り出す。
「君が僕にくれたんだもの。何だっていいんだ」
「・・・それ、あんまり慰めになってないわ」
「そう?まあ、慰めで言ってるわけでもないしね」
絵本を、また大事そうに元に戻すと、セインは岩を登ってキャルの隣の定位置に座った。
「いいじゃない?普通の本より、ずっと記念になるよ」
「強盗進入記念?」
「はは。それもあるけど、君が銃を持ってることも分かったし、年の割にめちゃくちゃ肝っ玉がでかくておっかないくせに、意外にロマンチストだっていうことも分かったし」
ぽかん!
「アイタ!」
「どういう意味よ!」
キャルに頬を殴られて、セインは歯が折れるかと思ったが、幸い歯茎がちょっと痛むだけですんだらしい。
「と、とにかく、僕、あの本を気に入っているんだ。だから、新しいのはいらないよ」
注文した本が届けば、キレイなまま読めるのに、セインはキャルが読んでくれたあの本がいいと言ってくれる。
ちょっと照れくさかったが、それを言えば、たしかにあの本には一晩とはいえ色々想い入れが詰まってしまっているのは、キャルも同じかもしれなかった。
「分かったわ。あの本はあのままね」
「うん。ありがとう」
にへらっと笑うセインは、時々本当に年齢を聞いてみたくなってしまうくらい、幼い時がある。
「どう見たって、二十歳とっくに超えて、どっちかってったら、三十路近いかなー、くらいな勢いなのに・・・」
「何が?」
「別に?」
キャルは覗き込んでくるセインの顔を逆に見上げてじっと見つめてみる。
「きゃ、きゃろっとさん??」
あんまり見つめていたら、セインの方がいたたまれなくなったらしい。
「やっぱりセインって・・・」
「な、なに?」
「・・・」
いったん、何か口にしかけたキャルだったが、むっと、口を閉じてしまった。
「やっぱり何でもない」
「え?え?え?」
何でもないと言いつつ、腕組みして考え込んでしまったキャルに、セインはどうしたらいいかわからない。
おろおろしていたら、笑われてしまった。
「ひどいなあ、もう」
「あはは、ごめんごめん。だって、おかしいんだもん」
溜め息をつけば、キャルが身を乗り出した。
「あのね、セイン」
「な、何?」
驚いて眼鏡がずれ落ちそうになるのを、セインは慌てて指で押さえた。
「今日ね、オズワルドさんに会って来たの」
「へ?」
まさかそんな話が出てくるとは思っていなかったので、セインは間の抜けた声を出してしまった。
「ちょっと勝手かなって思ったんだけれど、昨日の事もあるし、善は急げって言うじゃない?」
「ちょ、ちょっと待って。いったい何のこと?」
両手を前に突き出してキャルを止め、セインは戸惑った。
オズワルド卿の名前が何故ここで出てくるのか。
その時。
コトン・・・
小さな木片が倒れたような、わずかな物音が響いた。