悩める紳士と約束
「素敵!」
思わずそんな言葉が漏れた。
「気に入ってくれたかね」
「あ、ごめんなさい」
ちょっとみっともなかったかと、キャルは小さくなった。
部屋はこぢんまりとして、小さい暖炉と、景色の良い出窓の下には作りつけのベンチ、簡素な机と猫足の椅子に、何よりテラスのある大きな張り出し窓からは、木々の木漏れ日がチラチラと輝いて芝生を彩る様が良く見えた。
家具や窓の桟。すべてが古い歴史を感じさせたが、それが外の景色などと融合して、自然に溶け込むような部屋だった。
暮らすのなら、こんな部屋が良い。
キャルはそんなことを思う。
ただ、もうちょっとフリルや小物を置いて、かわいらしくしたいところだが。
「何、小さくなることはない。ここは私の孫娘も気に入っている部屋でね。お嬢さんなら気に入ってくれるかと思ったのさ」
老人はベンチに座るようにキャルを促し、自分もその隣に座った。
「あの、私、とっても不法侵入してしまったんですけど・・・?」
怒られて当然なのに、どうしてこんなに親切にしてくれるのか。
上目で聞いてくるキャルに、現オズワルド卿はふわりと微笑んだ。
白い髪が、差し込む光に反射して、とても綺麗だ。
「私に何か用があるのだろう?」
「どうして分かるの?」
「使用人の家族なら、門の開け方を知っているからね。それ以外の侵入者といったら、電話で私への面会を申し込んだ誰かや、泥棒くらいなものだから。でも、お嬢さんはそのどれでもなさそうだ」
ゆっくりとした口調に、優しさがにじみ出る。
コンコン
ドアがノックされた。
「何だね?」
主の呼びかけに、ドアの向こうから返事が返る。
「アルフォードです。お茶をお持ち致しました」
先程の燕尾服の紳士が、いつの間にかいないことに、キャルはようやく気がついた。
あたりを見回す少女に、オズワルド卿は目を細めて笑う。
「我が家の執事はしっかり者で良く気がつくのでね。お菓子も用意しているだろう」
そう言うと、手を二回鳴らす。
「失礼致します」
静かに、アルフォードがドアを開ける。
その手に支えられた銀の盆の上には、卿が言ったとおり、お茶とお菓子が、綺麗な磁器の入れ物に入れられて並んでいた。
カチャカチャと、コーヒーテーブルの上にそれらを並べ、やっぱり綺麗に一礼すると、アルフォードは部屋を出て行ってしまった。
「さ、うちのお茶は、代々伝わるおいしい淹れ方をしているからね。飲みながら話を聞こう」
カップをキャルに渡し、テーブルの上の焼き菓子の入ったお皿を真ん中に挟み、卿は嬉しそうだ。
不法侵入して、こんなにもてなされるとは思っていなかったキャルだ。拍子抜けというのか、なんとも不思議なこの屋敷の雰囲気に、言葉が出てこない。
とにかく勧められたお茶を一口飲んだ。
やわらかく、混じりけのないお茶の葉の、いい香りが口の中に広がる。
おいしいお茶は、心を落ち着かせてくれるものだ。
「あの」
「何だね?」
「折り入って、お願いがあるんです」
キャルはまっすぐに老紳士の翡翠の瞳を見つめた。
「あの聖堂にいる、管理人のことなんですが」
小さな手で聖堂を指差す少女の真剣な眼差しに、卿は手にしていたカップをソーサーに戻した。
「夜も管理させておくのはどうかと思うんです。扉をつけるとか、何とかしたら、管理人を夜に置いておく必要がなくなるはずだわ」
「・・・夜の管理人かね?」
オズワルド卿は、少し驚いたような顔をして、話の続きを促した。
「そうです。だって、危ないんだもの」
「ダイラオはどうなんだね?」
「あの人はお年だし、昼間の管理でしょ?人の目があるもの。危険なのは夜の方よ」
「なるほど。何かあったんだね?」
金の髪をふわふわ揺らして懸命に訴える少女に、オズワルド卿も身を乗り出した。
「昨日なんだけど、山賊に襲われたわ」
使い慣れない敬語は、とうに止めてしまっていることに気付きもしないで、少女は何があったのか、詳しく話してくれた。
「あんな物騒な連中に、聖剣が盗まれるのも、管理人が傷付けられるのも、貴方には本意じゃないと思うの。だったら、ちょっとお金を出して、あの変な聖堂モドキに扉をつけて、夜は鍵をかけてしまったほうがいいわ」
「しかし、そんなことをしたら、彼は仕事を奪われてしまわないかい?」
少女はちらりと、オズワルド卿を見上げた。
「セイン一人なら、この屋敷だもの。仕事の一つや二つ、余っているから雇えるわよね?」
決定事項のように断言する少女に、オズワルドは片眉を上げた。
なるほど、夜の管理人という男と親しいらしい少女は、彼の身を危険から逸らすのと同時に、再就職先まで考えていたというわけだ。
幼いくせにしっかり者のこの少女に、ここまでさせてしまう彼は、セインという名前らしい。
ずうっと前から、聖堂ではなく、聖剣の管理をしていると、そう言っていたという。
オズワルド卿は、すうっと微笑むと、そっと立ち上がった。
「杖をつかねば歩くのも辛い年齢になってしまったが、長生きはするものだな。・・・あのお方の足元にも及ぶまいが」
そう呟いたオズワルドの声は、小さすぎてキャルには聞き取ることが出来なかった。
「わかった。では、町と相談して、あのおかしな聖堂モドキに、扉をつけるようにしようかね」
そう言って、少女のふわふわの金髪を、優しく撫でた。
「本当?」
「私は約束を破ったことがないのが自慢でね。約束しよう」
不安げに見つめ返す少女に、オズワルド卿はパチリとウィンクしてみせた。
「じゃあ、じゃあセインのことは?」
「そうさな。彼が良いといえば、是が非とも、我が家に招こう」
そう言ってやれば、少女は本当に嬉しそうに笑った。
「おお。そういえば、お嬢さんの名前をまだ聞いていなかったね?」
杖に体重を乗せて屈み、少女と目線を合わせると、彼女は、しまったとばかりに口元を、かわいらしい両手でふさいだ。
「一度名乗らせてもらったが、私はラオセナル・オズワルド。現オズワルド家当主だ」
「私は、キャロット・ガルム。みんなはキャルって呼ぶわ」
「そうか。では、私もキャルと呼んでもかまわないのかね?」
「かまわないわ。むしろ、そっちの方がしっくりするもの。それに、本当なら勝手にお屋敷に入ってしまった私の方から名乗るのが礼儀なのに。卿は思っていたよりずっと良い人ね」
くすりと笑って、名乗りもせず、無断で敷地に入り込んだ非礼を詫びた。
「何、気にすることではないよ。キャルのような可愛いお客様なら、いつでも大歓迎さ」
「ありがとう」
スカートを両手でつまんで、膝を軽く曲げ、ふわりと礼をすると、キャルはパッと笑った。
「これで、安心してセインに伝えられるわ。実は、役場の人にも昨日の晩、あの建物に防犯用の扉を付けてくれるようにお願いしたばかりなの。オズワルド卿と、役人とのダブルで提案が上がったら、町だってほっとかないと思うもの」
「そうさね。あの聖剣には、偽物だろうと言って国王が興味をもたれなかったから、王都だというのにこの有様で」
「あら?国があの聖堂を建てたって聞いたけれど?」
セインの話では、たしか聖剣が本物だと分かって、あの場所のレンタルを申し出たのは国であったはずだ。
「はは。国と国王はちょっと違うのだよ。国の象徴であり政は確かに国王が大きな影響を及ぼすがね。臣下だって政治をしているわけだ。この町には、ちゃんと他の自治体のように知事や町長がいるしね。」
「ややこしいのね」
「そうだね。だから、国王が信じなくても、他の政治家が、そろって只の鉄棒を聖剣だと言ってしまったら、国王には手が出せない場合もあるんだよ。まあ、聖堂を建てるのは、国というよりは中央役場の方が乗り気だったという事もあるし。・・・今回の騒動は、いい例かも知れないね?」
国王の住む王都で、此処はこの国の首都だというのに、町には物騒な連中が闊歩してしまっている。
ラオセナルはそれを憂いていた。
「セインロズドとて、望んではいないだろうに。私が彼の岩を貸し出してしまったばかりに、申し訳ないことをしてしまった」
悲しそうに、ラオセナルは窓から見える聖堂の三角屋根を見つめた。
「まるで、聖剣に感情があるような言い方ね?この場合、悲しむのはあの剣の最後の持ち主だったっていう、貴方のご先祖様じゃないの?」
「ああ、そうだね、ローランド様も嘆いていらっしゃることだろうね」
どうやら、聖剣の持ち主だったというオズワルド家初代当主はローランドというらしい。
卿が、、天幕の掛かった壁に歩み寄る。
天上から下がる飾り紐を引けば、天幕は開き、壁に掲げられた一枚の絵が現れた。
そこには、甲冑をまとい、豊かな白銀の髪と髭をもった老人が、一本の剣を両手で支え、ゆったりと椅子に腰掛けている。
その剣に、キャルは見覚えがあった。自分が引き抜いた、あの大きな紫電の宝玉を抱いた伝説の剣。
大賢者・セインロズドだ。
描かれた人物の姿は威厳に満ちているのに、表情はどこまでも優しく微笑んでいた。
「この人・・・?」
「ジェスティン・ローランド・オズワルド卿。我が家の初代当主だよ」
そんなに大きくない肖像画である。
それでも、キャルはローランドの深い微笑みに、釘付けになった。
「この人の話、セインから聞いたわ」
「ほう?なんと?」
キャルの呟きに、ラオセナルは彼女を見返った。
「とても、素晴らしい人だったって。武功を何度も挙げて、でも、犠牲は最小限にとどめるような。そんな人だったって」
「それは、我がご先祖様の事ながら、嬉しいね」
ラオセナルは静かに微笑んだ。
「ねえ?」
「?・・・何かね」
「この人・・・」
キャルが、すっと指をさす。
それは、ローランドの後ろに、控えるように立つ髪の長い青年だった。
ローランドと違って、はっきりとは描かれていない。
というより、描き上がったものをわざと削り取ってしまったかのような、そんな傷跡さえ見える。
「顔が見えないわ」
「そうだね。この人物は、とてもローランド様と近しい間柄だったと聞いているよ」
「ふうん?」
そんな人物の話は、セインから聞いていない。それに、親しい間柄だったのなら、なぜ彼の部分だけ、こんな風に削り取ったかのように、ぼやけてしまっているのか。
「ローランド様がお亡くなりになった後、色々あったようでね。その時に彼は削られてしまったんだろう。同じ肖像画に描かせるくらいなのだから、よほど親しい人物であったのだろうに」
「ふうん・・・」
それはローランドもうかばれなかっただろうに、と、キャルはお金持ち特有の、いわゆる財産権争いを勝手に想像した。
「さて、では、私はこれから城に向かうが、キャルはどうするね?」
ラオセナルを見上げて、キャルはちょっと考え込んだ。
お城というものに憧れないわけではない。これでもいっぱしの女の子だ。
お願いしたら、お城に連れて行ってもらえるかもしれないという期待が、かなり頭の中を埋め尽くしたが、何とか振り払った。
多少のおしゃれはしているつもりだが、こんな旅の格好で、お城に上がったら浮きまくることこの上ない。
「じゃあ、そろそろおいとまするわ。なんだかんだで、長いことごめんなさい」
「それは残念。約束どおり役場にも顔を出そう。もう、その役人とやらから、話は行っていると思うからね。うまくすれば、すんなり話は通るだろう」
「ありがとう」
ラオセナルとアルフォードに見送られながら、キャルはオズワルド邸をあとにした。
しかもお土産に、オズワルド家のシェフが作ったという焼き菓子を貰ってしまった。
メイドが、女の子がお客様なら、といって、可愛い紙袋に入れてくれたらしいそれらは、ぷん、と甘い良い香りを漂わせる。
「顔も見てないのにこんなに良くしてくれるなんて、主人の人格がいいと、使用人も良い人になるのかしらね?」
実は世の中結構そんなものである。
労働者を見れば使役人の人格がわかるものだ。
もし、今度オズワルド邸を尋ねる事があれば、きちんとお礼を言おう、そう思いながら、キャルは足を速めた。