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キミと繋がる物語  作者: 吟遊詩人ティム
序章 〜三本の縦糸は、分かたれた〜
9/11

夜雨の咆哮

今回はいつもに増して文章が読み辛い。

これが序章の最終話です。

 雪月(いちがつ)の冴え渡るような冬空の下、大図書館の庭で剣戟の音が鳴り響いていた。


「ほら、ほら、ほら、ほら! どうしたぁ? 鈍くなってきてるぞ!!」

「っ、ぐ、アン、タ、余裕かよっ……!」

「お前に喋る暇があんのか? そらっ!」


 壮年の男の繰り出す怒涛の突きを、長い黒髪で眼鏡をかけた青年が剣で逸らしていた。

 長い黒髪、と言っても相当に長く、毛先は太もも程の辺りで攻撃を受けるのに合わせて踊っている。


「もやしっ子、スタイルの基本忘れたか?」

「っ、くっ――――!」

「うおっ、と。よろしい合格だ!」


 左肩を狙って飛んでくる突きに刀身を添わす様に滑らせながら踏み込み、前進する勢いで胴に叩き込む。疲労と相手の鎧のせいで威力は皆無に等しいが。男は後ろに半歩踏み込み、青年の剣を弾き飛ばした。

 青年は、男の軽口に心の中で毒付いて顔を歪めた。


「そろそろ休むか、それ!」

「な、うわっ!」


 勢い付けて胸に向かって真っ直ぐに伸びる一撃を無理に手首を曲げて受けてしまい、青年は剣を取り落とした。

 刃先を潰した訓練用の剣が足元に突き刺さり、青年はブルブルっと手首を振って「疲れた〜!」と短い芝の上に大の字になって寝転がった。

 男も笑って、その隣にどっかと腰を下ろした。


「反応速度は上がってきた様だな、感心感心」

「そりゃ……どうも」

「問題は受け流して懐に入り込むのを実戦に組み込めるかだな」

「実戦……、実戦なー。そんな機会あんのかな」

「そっれにしても、お前は本ッ当に痩せっぽちのまんまだなぁ! 飯食って筋肉付けろ!」

「ちゃんと食ってるよ! 出来る限りで鍛えてもいるんだけど、俺もう限界なのかなぁ……多分もう成長期終わってるしさぁ」

「そりゃおめぇ筋トレが足りねぇんだろ! 19ならこれからまだまだ増えるし、おめぇ本の方が好きなんだろうが!」

「まぁそりゃね!」


 青年、ディルク・ヴェルナーは、空に向かって、さっき酷使した手を伸ばして、小さく笑った。


「坊主、おめぇ今日は随分ご機嫌だな。コレでも出来たか?」


 ヒュウ、とやけに上手い口笛を吹いて、男は小指を立てた。


「図書館暮らしじゃそんなんできねーよ! ……昔に別れた弟たちと、そろそろ会えるんだっ!」

「ほーう、そりゃあまた」


 希望に満ち溢れたような明るい口調のディルクに男は興味無さげに肩を竦めたが、その口元は緩んでいる。


「……あ、フリーダさんが呼んでるから俺もう行く! ウィングフィールドさん、今までありがとうな!」

「おうおう、体にゃ気を付けろよ!」


 ディルクは腹筋を使って起き上がり、ずれた眼鏡をかけ直して、背中に着いた芝を払ってから図書館に駆け出していった。

 この街に二月に1回ほど研究しに訪れる学者のボディーガードとして雇われているという男は、そんなディルクに鷹揚に手を振った。そして立ち上がり、肩をゴキゴキと鳴らして、練習用の剣を二振り持って主人の元へと行った。



 幽霊騒動の後に正式に司書職を得た(フリーダはその事に暫く難色を示していたが)ディルクは、生来の人懐こさと世話焼きなところもあって要領よく仕事をこなした。

 踏み台無しで立ったらカウンターから頭が出るか出ないかというような少年司書を人々は丁稚奉公だと解釈したのか、最初からさほど驚かれず日々は過ぎていった。



 夜10時の閉館後、いつものようにディルクは窓辺に本を持ってきた。

 余談ではあるが、この世界の現在いちばんの照明器具は未だにロウソクである。その明かりは夜の図書館には光量や炎の危険性から言って不都合なところが大きいのだが、この図書館は微量の魔力行使で事足りる魔力照明を用いているのでこの時間帯までの開館が可能となっている。


「"照灯"、っと」


 小さな明かりを先端に灯したワンドを窓辺に置き、ディルクは本を開いた。この明かりの魔法を覚えるまで長らく月の明かりで本を読んでいたせいで目が悪くなったのだ、と本人は思っている。彼は眼鏡をかけ直した。


 ちらり、とレンズが赤色の光を反射してきらめいた。


「?」


 ディルクは眼鏡を押し上げ、外からの光かと思い窓を覗き込んだ。


「……え?」


 音こそ聞こえなかったが、とんでもなく大きな火球がぼん、ぼん、ぼんと少し向こうの街並みに降り注ぐのが見えた。ディルクは咄嗟のことに理解が追いつかず息を呑んだ。

 たくさんの量の光を持った炎が市街を舐めるように広がり始めた。その火勢は衰えることなくいっそう天に届くように上へ上へ伸びていく。

 圧倒的な光の、略奪と破壊と暴力。

 この十年間、心の奥底の奥底に葬り去ったと思っていたあの恐怖が、一気に彼の全てを塗りつぶした。


「あ、っあ、え?」


 ディルクは口が渇いていることを自覚した。肺に空気が無いみたいだ。心臓が熱い。ギリギリと大きな手で鷲掴みにされているような息苦しさ。立っている感覚も怪しい。足がふらふらする。手を窓枠に突っ張って体を支え、それでも視線は窓の外から離せなかった。

 ディルクが頭の中を疑問と恐怖で埋め始める間に、また新たな炎が降り注いだ。今度は近くに落ちたらしく、体が跳ねるほどの揺れを感じた。足がよろけて、黒い杖が転げて床に落ちた。


「逃げ、なきゃ、フリーダさん……!」


 ディルクは乾いた唇を湿らせワンドを腰に差し、一瞬迷ってからあのセンセイの本を取り、転がるようにして二階の司書室へと駆け下りた。

 ディルクが降りた時にはフリーダは異常に気付いたのか司書室の前でキョロキョロと見回していた。


「ああっ、ディルクくん……無事だったのね、良かった! 今の、は?」

「分からない……でも何かが街を襲ってる! 早く逃げよう!」


 そう急いで言ってディルクは階段を駆け下りた。扉に手をかけ振り返り、突然の事にもたついて階段の中頃にいるフリーダに、


「早くっ!」


 と裏返った声で叫んだその瞬間、ドゴォォォォォン!! という音と共に衝撃が図書館を襲った。ものすごい大きさの炎が視界に現れ、ディルクは「うわああああああ!!」と恐怖の余り叫びながらその場に伏せた。


 大火球は図書館を貫いて通りの方に落ちたらしい。ディルクが体を起こすと、目の前には瓦礫の山と紅く揺らめく市街、炎を上げている本と本棚の山があった。


「フリーダさんっ!!!」


 その中でフリーダの姿はすぐに見つかった。ディルクの目の前、下半身が大きな本棚の下敷きになって呻いていたからだ。

 ディルクは力の入らない体を叱咤し立ち上がり、本棚を持ち上げようとし始めた。


「もう……無理よ、ディルクくん、私もう、下半身の感覚が、っは、無いの、よ」

「いいから! 火がつくかも知れないから早く……っぐ、這い出るなりして!」

「いいの……もう、いいのよ、危ない、から、」


 フリーダは、諦めるような表情で弱々しく首を振った。そうしている間にも、本棚の向こうの方に火が付いたのがディルクの目にも見えた。

 ディルクは、頭の中のどこかの血管がブツリと切れるのが聞こえた。

 生きるのを諦めてほしくは無いと、そう強く思った。


「づっ……オラァ! "具現"っ!!」


 腰を踏ん張ると本棚が持ち上がり、それを確認したディルクは腰のワンドを取り、つっかえ棒の要領で本棚と地面の間に魔法で柱のようなものを具現化させた。

 魔法が保つ間にと、フリーダを引きずり出す。百科事典のような重い本と地面に潰されてしまった体はローブに覆われて見えなかったが、炎の中でも一層不気味に深い緋色で、ディルクはうっと喉を詰まらせた。


「要救助者はここにいるか!?」


 担架に乗せた人々を魔法で輸送している人が見え、その団体の中から男性が話しかけてきた。


「この人! 頼みます!」


 フリーダには悪いが、ぐったりとした体を荷物のように横抱きに抱え上げて担架に乗せ、ディルクはその場から脱兎の如く駆け出した。


「おい、どこへ行くんだ! 避難民の乗合馬車はそっちじゃないぞ!!」


 何処へ? ……彼の唯一の友達の家へ、だ。



 ひたすらに直進、直進、たまに右折し右折し左折して直進。


 外にろくに出ないとはいえ、何年そちらの方を見てきたと思っているのだ。9年と3ヶ月だ。

 走りながら同じ目線で見る街は、ほんの半日前までなら楽しい道のりだっただろう。今は燃え盛る家々が街を変に明るくしていて、誰もすれ違うものなどいない。幸い瓦礫で通れない道も無く、塔の上からシミュレートしていた通りの道のりで走ることができた。


 ディルクは、何のために走っているのか、自分でも検討がつかなかった。

 彼女は無事だと安堵するためか、それとも、燃える家を見て絶望するためなのか、彼は分からなかった。ただ、無我夢中に走っていた。半ば未来が見えていながらも、ほとんど捨て鉢になりながらも、どこか希望を持って走っていた。彼女たちの家は、どうか無事であるように、と。どこをどう走っても炎でもはや判別もつかないような街並みの中、そう祈っていた。


「ここ、らへん、のはずだよな……」


 声を出して呟くと、酸素が肺からほとんどなくなっているのにやっと気がついた。掠れたような声が喉から絞り出され、自分の声だとは思えなかった。ひどい煙と全力疾走の疲れをやっと自覚してゴホゴホと咳き込む。


 家が大きく、そしてその間隔も広くなっている住宅街。どこを見ても、燃えに燃え盛っていた。


 ディルクはどこか正気でないような足取りで、道を進んだ。


 家を見分ける一番のヒントである屋根の色は分からない。風見鶏の代わりにあるという猫も、ちらちらと揺れる炎の中で判別が困難だ。この煙に誘われたのか、ぽた、ぽたと雨粒を感じた。


「どこ、だ、」


 不意に通り過ぎようとした家が、ボオッ! と爆発するように火勢を増した。そちらを向きざまにワンドを握りながら身構えると、屋根の上から何かが滑り落ち、地面でガシャンと大きな音を立て、へちゃげてディルクの足元へ滑り転がってきた。


 ディルクは何かに縋るように膝を付いて、落ちてきたそれを手に取ってみた。


 その金属の板はあの時塔の上から二人で見た『風見猫』そっくりで、見上げれば家が燃えていてすべての窓から炎が吹き出して壁も屋根もどこもかしこも燃えていないところは無くて、そのときピシャンと落ちた雷はその家を浮かび上がらせ手に持っていた風見猫にLagrangeの飾り文字が一瞬浮き出て見えて嗚呼これがあの家だった所なのだなと直感して家だった、所が、

 また、燃えていた。あの時の少年は無力で、今の青年も何も出来なかった。喉が割れそうなほど乾いて、杖なんか持っていても魔術を使えても何もできないと解って俺はまた自分が無力なせいで失って喪っていつのまにか雨が土砂降りででも炎がまだ熱く燃えていて、



「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」


 猛り狂った獣の咆哮の様なものが、覚えず喉からほとばしった。


 土砂降りの雨が街を包み、青年に打ち付けられていた。


 ディルクは涙も流さずに、黒く濁った空に向かって吠え続けた。

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