銀の月夜で見つめ合う
獣人は、魔法が使えません。
反対に、魔法に長けた種族は、魔族と呼ばれます。この単語に敵性や差別的な意味合いは一切ありません。吸血鬼やエルフも魔族に含まれます。
人を化かす妖狐とかは微妙です。多分ジャンル的には妖。何にせよ、お狐様はこの物語に出る予定は今の所ありません。
さて、前置きが長くなりましたがお楽しみください。
そして、ミーシャは次の日の深夜に訪れた。
昨日より少し欠けた月の、銀色の光の下で窓枠に腰掛けて本を読んでいると、「やーっほーい!」と耳にクるキンキンした高音とバタタタという最高に騒がしい足音が聞こえてきた。
なんだ? と思って階段の方を見ると、昨日の桃色のとんがり帽子がぴょこぴょこと揺れて近づいてきていた。俺は疑問混じりのため息をつき、本を閉じて脇に置いた。
「……ミーシャ? なんでまた、こんな夜遅くに……」
「だってー、学校終わったら友だちとあそぶしー、そしたらお家でご飯食べてー、しゅくだいと練習しないとダメだからにゃ!」
「昨日、夜遅くに来たらいけないって言わなかった?」
やさしく諭すように言ったが、相手は「そおだっけ?」とケロリとした顔だ。
俺はうんざりした雰囲気を滲ませながら言葉を返した。
「で、何しに来たの? 図書館ならもう閉まってるけど?」
「お話ししに来た!」
そう屈託無く言うと、ミーシャはぴょこりと俺の右手側の窓枠に飛び乗ってきた。
この子といると、ペースに巻き込まれてしまうようだ。それに、年下の面倒を見るのは弟たちで慣れている自信がある。俺は拒むことをせず問い掛けた。
「ふーん。学校の話? お姉さんの話?」
「なんかの話!」
「なんかって……じゃあ、学校は楽しい?」
「んー、ふつー!」
「勉強は、どんな事するの?」
「ふつーのこと!」
「俺はそのふつーを知らないんだけどな……例えば、魔法の練習とかをするの?」
「そーだじょ! 呪文おぼえたり、むかしの魔道士の勉強するの! つまんない!」
「つ、つまんないのか。じゃあどんなことが好き?」
「ともだち!」
「パーヴェルとかアイリーンだっけ?」
「そう!」
どんどん話を聞いていって分かったことなのだが、彼女には友達が少ない。この屈託無く人懐こい性格で、友達が三人しかいない。 「氷の魔法がすごい」パーヴェルと、「魔法はができない」アイリーンと、昨日のレックスと姉のフランしか話題の中に登場しない。
それどころか、他の人は自分をいじめたりしてくる(これは話を聞いた限りでの俺の解釈だが)らしく、そいつらを撃退する話を武勇伝のように自慢げに話している。
いや、友達というものはだいたいこの程度の数なのかもしれない。学校というものは、このようにいじめたりいじめられたりするものなのかもしれない。もしかしたら、快活で無鉄砲というのは疎まれるような性質なのかもしれない。
俺には分からない。俺は何も知らない。小説にもこどもの友達関係の話だなんてないし、そもそも俺には友達というものがいない。交友関係というものが無い。
俺がそうやって考え込んでいると、
「でる……でぃるく? 怒ってるのか?」
「……へ?」
「怒った顔だったじょ!」
「…………そう、かな」
よく気付く子だ。確かに、人と話しているときに自分の事について考え込むのも失礼な話だ。俺は、やれやれとため息をついてニッコリと笑った。
「怒ってなんかないよ? 学校って、どんなものなのかなぁって考えてたんだ」
「そっか! すっげー楽しいんだじょ? でぃるくも来るか?」
そう言って、ミーシャはにっかりと歯を見せて笑った。……多分、笑っているのだろう。目元が見えないから、少し判断が難しいところがある。
「ねえ、その前髪……」
「ん?」
「目が、見えないね」
「んー、目はねー、見せるなって、ママが」
「なんで?」
「それ、は、えっと」
魔眼、という魔導が発現しているならば、専用の眼帯や眼鏡を掛けているはず。盲目である可能性も低いと思っている。あのアクティブな動きを補うための魔力の作用は感じなかったからだ。
というよりも、ただ単純に、
「隠されたら、気になる。見たい」
「にゃあ……」
「……見せたくない?」
ミーシャは戸惑って、少し俯いてもじもじとして、
「……目がね、こわいって、みんにゃが言うんだ」
「目が、こわい?」
ミーシャは力無く頷いた。興味に突き動かされる俺は、幼子に嫌がることを強要する罪悪感を抱くこともなく意気込んで体を乗り出した。
「うう…………見る?」
「見たい!」
小さな葉っぱのような手が、躊躇いがちに持ち上がり、額の前で一瞬止まってから、前髪をそうっとかき上げた。
俺から見て右側が金、左側が桃色のくりっとした双眸が、遠慮がちに俺を見つめていた。
顔の右の方から月光が淡白い光を投げかけて、その二つの瞳はたくさんの星をたたえていた。
「なんて……綺麗、なんだ」
「きれ、い?」
「もっと、見ていい?」
ミーシャは口を尖らせて、あごのところにくしゃっと皺を作って、「今日は、かえる」と言って、前髪をぐしゃぐしゃっと元に戻し、じゃあねっと叫びながらばたばた駆け出していった。
「あっ……」
俺は慌てて手を伸ばしたが、ひどい罪悪感が俺を襲った。嫌がることをさせておいて、なにが待って、だ。俺は本を投げ出し、司書室に戻った。
その次の日、またミーシャが来た。
「来たじょ!」
「え! ああ……良かっ、た」
今度は、前髪をおでこの所で分けて。
俺たちはその晩、図書館の一番高いところの窓から町を見た。
「あっ! あれ! 屋根の上にねこがある家! あれがあたしのお家なんだじょ!」
「んっ……? ああ、あれがそうなんだ。大きいお家だね」
こっちを見てえへへっと自慢げに笑うミーシャの顔に、今は満面の笑顔が咲いていた。
「あっ、時計台。もう2時になりそうだ。そろそろ帰った方がいいんじゃない?」
「んえ? んー、分かった!」
ミーシャは不満げに唇を尖らせ、しかしぴょこりと窓枠から飛び降りた。
「あんねっ、屋根の上のねこのお家! また来るけど忘れないでねっ!」
「分かった。あっちの方を見た時は、きっと思い出すね。それじゃ、また。今度こそ昼間に来てね?」
「分かった! ばいばーい!」
ミーシャはにっかりと笑って手を大きく振って、バタバタバタッと階段を駆け下りていった。
結局、彼女と会うのはこれっきりになってしまった。ミーシャはその後、図書館に来館もしなかった。
「……ああ、そう、だったのか」
左右の目が違うのは魔力が特に強い証であると言われ、時に畏怖の対象になること。
先天的に獣の特徴を持ち魔法が使える者は存在しないこと。
そして、『魔力を持つ動物――――通称使い魔を取り込み、魔力の糧にする』ことを成し遂げた唯一の魔族の名前はフランベルジュ・ラグランジェ、二つ名を"偉大なる紅蓮の猫魔女"という人物はミーシャやフランと同じ名字であることを、俺は後に文献から見つけた。
次は十年後から時計の針が動き出します。