大図書館の夕日
これで終わりだ世界観説明、最後のディルクのターン!
ちょっとの間、彼の視点から物語が進みます。
最近、よく夢を見る。『今まではへとへとに疲れ切って、ぐっすり寝ていたから、夢なんて見なかったな』とまどろみの中で思考した。
意識はずるずると下の方に引きずり下ろされていく。俺は抵抗せずに、ただ落ちていくのに身を任せた。
このところ、俺は同じ夢ばかり見る。
ぼんやりとした視界、満足に動かせない体。
ぐにゃっと首が横に倒れると、真横には赤ん坊がいる。
ろくに生えてもいない黒い髪と、深い緋色の瞳で、ほにゃほにゃと泣いている。
気付けば俺も大きな泣き声をあげていて、何となく手足を動かしている。
そうして、上の上の方から声が聞こえるのだ。
『――――……、ディルク……、わたしのかわいいぼうや…………』
母さん、と声を上げようとしたら、また俺の意識はこっちに戻ってきてしまった。……いつも通りに。
……ギッ、ギッ、と壁や床がきしんでいるような音が聞こえる。いや、実際にきしんでいるのかもしれない。
俺は、西の都から魔都への船のベッドで寝ているのだ。やっと思い出してきた。
「こんな時は、天井のシミがお化けみたいに見えて嫌だな」
と寝ぼけて呟く。寝起きと揺れでぐらぐらする頭で起き上がり、ふらつく足でベッドから降りる。
潮風に当たりにでも行こう。
船室を出ると、レヴァンさんが「待っていましたよ」とでも言うように俺を出迎えた。そして顎でさすように進行方向の方を見るよう俺に促した。
俺は船べりに体を預け、それを見て「わぁ……!」と感嘆の声を上げた。
「ほら、あれが魔都ですよ。魔族たちの住む、魔法の髄の詰まった都……私たちはもう少し東に行きますがね」
歪んだ構造の、とても大きな建物。なにやらいろいろなものがその上や間を飛び交い、何より大きな時計塔が目を引いた。よく目を凝らしてみると、大きな町の周りのぐるりにはそこかしこに薄紫色に透明な紋様が浮かんでいる。
じいっと目を細めて見ていると、レヴァンさんは「あれは結界です。外敵の侵入を防ぐ魔法なのですが、町一つ守れるほどのものは此処にしか有りませんね」と解説してくれた。
「俺は……いつかあそこに行けるのかな?」
「ええ、入都は可能です。ただし10年後以降ですが」
「…………ちぇっ」
あんまりにもにべもない返事だった。
そうしている間にも帆船はどんどん魔法の国に向かって進んでいった。
三日後。俺は学都の大図書館にいた。
レヴァンさんに手を引かれて(困っちゃうよな、俺もう十歳になるのにこの人には子ども扱いされるんだ)足を踏み入れたときは、思わず息を呑んだ。
そりゃもう"大"図書館っていうくらいだから、向こう側の壁が見えないほどに広くて、天井もずっと上の方にあった。光の入る窓は少なかったが、ステンドグラスから入る光でホコリが照らされてキラキラと舞っていた。
そして、視界の端から端まで本が整然と並んでいて、まるで意志を持っているのを隠すかのように重い静寂に包まれていた。
……本当にこのうちの一冊が意志を持っていた話は、また今度にしよう。
「あ、お帰りなさい、叔父さん!」
本の貸し出しカウンターの方向から声がした。
パタパタと軽い小走りの足音が聞こえると、奥の扉から黒い髪の女性が現れ、「あら、その子が……」とにっこりして呟いた。
「さて、これから"ここ"で10年過ごすことになります。世話は私の姪がしてくれるでしょう」
「えーと……待ってよ、この場所で、って意味? ご飯は? ベッドは? というか外には出られるんだよね?」
レヴァンさんが女性の方に俺の体を押し出しながらそう言った。"ここ"を強調するものだから、俺は少し焦りを感じて聞いた。
「ご飯も寝床も司書室にありますよ。外出もお好きにどうぞ? 監禁してる訳じゃあるまいし」
レヴァンさんは呆れたようにため息をつきながら答える。当然のように図書館で暮らすという事を告げられて目の前に少し暗いものがよぎって頭を抱えた。
「ええと、そう、図 書 館 で、暮らすんだ……うん……ありがとう……」
「お気に召したようで何より。まあそのうち出る気も起こらなくなりますでしょうがね」
そう俺が嫌々そうに言ったのを鼻で笑いながら皮肉り、特に表情も変えずに付け加える。
確かに、俺は本が大好きだ。
母さんもよく本を読んでいた。家の本棚の本じゃ俺の『知りたい』って願いは収まらなくって、よく「町に行ったらたくさん本が欲しいな」と母さんにねだっていたものだ。困ったように笑っていたのを、よく覚えている。
とても、幸せだった。
心臓がギュッと苦しくなって、胸を押さえる。
こんなにたくさんの本だって、母さんや弟たちと引き換えに望んでなんていなかったのに。
「さて、私はまた出かけねばなりませんので。くれぐれも魔導など暴発させないように」
「え、ちょっと、」
引きとめようとしたのも甲斐なく、レヴァンさんは手も振らずにさっさと図書館から出て行ってしまった。
大きい扉がバタンと重い音を立てて閉まると、図書館は何事もなかったかのような静寂に包まれた。
「ええと……あなたがディルク君ね?」
「ひいっ!?」
思いもかけず背後の方から聞こえた声に驚いて振り返ると、困ったような若い女性の顔が見えた。茶と黄色の半透明なフレーム(後にこの素材はべっ甲だと知った)の眼鏡の奥の濃い緋色の瞳がぱちくりと瞬いた。
「ご、ごめんなさいね? 驚かせるつもりはなかったのだけど……」
「う……ううん、俺は平気、だよ。ええと……よろしくお願いします、お姉さん」
お姉さんは口元に手を当ててフフフッと小さく笑い声を立てて、
「私のことはフリーダでいいわ。よろしくね、ディルク君?」
と少し俺の視線に合わせてしゃがんだ。
「……十年間、お世話になります。よろしくお願いします、フリーダさん。」
そう返事をすると、フリーダさんは「あら、礼儀正しいのね」とまたウフフと笑った。
フリーダさんは図書館を案内すると言って歩き始め、俺もその後ろについていった。
なんだかワクワクするよな、なあバルド、フェリクス、と後ろを振り返っても、誰もいなかった。暗い色の大扉に、赤い斜陽がさしているだけだった。
……俺はなんだか耐えきれなくなって、そのまま振り返って足早にフリーダさんについて行った。