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六 逡巡

 酒井は少しの間を空け、上司へ向かって答えた。

「苦しいことをなるべくやらずに済むことを考えることですかね」

「そうだと思うんだよ。ひとつめの点を乗り越えるためには、あいつらに我々の仕事を邪魔されずに、しかもなおかつ、どうすれば”なるべく”あいつらを傷つけずに済むのかを、考えないといけないんだよね。」

「難しいことですな」

「うん。一度試して見事に失敗したこともあるくらいだからね。」

 二人はしばらく沈黙した。

「つまりほとんど不可能なんじゃないですか」

「まあそう言わないで。まだ色々途中だって言ったのはそういうことなんだから。」

「はい」

「でも大事なことはね、こういうことを怖がらずに正面から考えることなんだと、思うんだ。」

「それはそうですね」

「どこまで行っても、”なるべく”なんだもの。苦しくてもあいつらを倒すしかないんだもの。究極的には。」

「はい」

「で、ふたつめの点なんだよね。”苦しいことそのものがおかしいんじゃないかという不安”。これを乗り越えるには、苦しいことはおかしいことじゃない、って、心と体で理解することが必要だと思うんだ。つまり、きちんと直視しなければならないってこと。我々がある意味あいつらを尊敬したり、愛したり、してるんだっていう苛立たしい面倒な事実を。そこから目を逸らさずに、はっきりと認めることが、必要なんだ。」

「はい。あいつらを倒すときに心が苦しくなることは、おかしいことでもなんでもない、ってことですね。」

「そう。倒すべきは憎い相手だけじゃないんだってことを、本気で理解するってことだよ。」

「・・・・・」

 阪元は緑色の両目を細めて、微かに笑った。

「社内ルールの見直しを恭子さんに約束したから鋭意検討中なんだけど。今の我々の、外の敵に対するルール・・・たとえばルールAとかBとかね、それらは、あいつらみたいな敵は想定してないんだよね。」

「はい」

「脅しが効く、そして命が惜しいような、そういう人間達むけのルールだから」

「そうですね」

「だから、そういうことが通用しないあいつら向けには、特別ルールが必要なんだろうなと、思ってる。」

「なるほど」

「あいつらの妨害を排除するには、必要なときはどんなことをしても倒すことと、そうじゃないときは逆に潔く手を引くことの、両極端の対応をする切り替えが、我々に必要なのかもしれない」

「なんか頭おかしくなりそうですがな。」

 阪元は今度はもっとはっきりと、笑った。

「…傾向と対策だよ。受験対策よりもっと単純なこと・・・のはずではあるんだけどね・・・。」



 長時間扉が閉まったままになっている社長室のほうをちらりと見て、庄田直紀は苦笑しながら向かいの席の部下に声をかけた。

「酒井さん、もう一時間になりますね。」

「はい。」

 浅香仁志は穏やかな容貌に当惑と同情の色を混在させながら自分も社長室の扉に目をやった。

「今日は我々以外に事務所に誰もいないから、社長も思う存分ドアを閉めきっておられる」

「ははは」

「悩み相談、我々も少し分担してあげられたらいいのですが、その点で酒井さんにかなう人材がまだいないのが課題です。」

「そうですね・・・」

 長身の浅香に比べ、男性にしてはそれほど身長のない庄田は、しかしその凶暴さに近い隙のなさと、涼しげな切れ長の両目の静かな凄味が、実際よりずっと背を高く見せている。ぬけるように白い頬は、体の健康状態を如実に表しているが、以前に比較しその表情は生気を帯びて見えた。

「大森パトロール社の警護員は、社長も悩みすぎて体を壊したくらい、面倒な人々ですからね。」

「はい」

「浅香さん、あなただけじゃないから、改めて安心してください。」

「・・・すみません」

 庄田は端末の画面から目を離し、右手で頬杖をついて少し宙を見つめた。

「私は、大森パトロール社に昔からの知り合いがいます。現役の警護員に。」

「えっ・・・・・・」

 庄田は部下と目線を合せず笑った。

「幼馴染みです。私より少し年下ですけれど。・・・でも、決定的に嫌われる出来事がありました。」

「うちの会社に庄田さんが来られたから・・・?」

「それより少し前です。彼は私くらいの身長ですがもっと華奢で・・・いつまでも少年みたいな感じに見えました。あるとき、不埒な男色趣味の男に、凌辱目的で監禁されたんですよ。睡眠薬を使われて。」

「・・・・」

「私は彼を助けたんですが、犯人をほとんど社会復帰できない状態にしてしまいました。彼はすごく怒りましたよ。」

「そうなんですね」

「正当防衛の域を超えてる、ってね。」

「でも庄田さんはその人を助けようとして・・・しかもそれは庄田さんがその人のことを本当に・・・・・」

「犯人に私刑に近いことをしたのは事実ですし。感情に任せて。まあ本当は殺してやりたかったですけど。・・・・いずれにせよ今も、仕事をしていてときどき、彼の、怒りの表情を思い出します。」

「・・・・・・・」

 黙り込んだ浅香に、庄田は申し訳なさそうな表情を向けた。

「すみません、浅香さん。なんだか気の沈む話をしてしまいましたね。」

「いえ、そんなことは・・・・」

 そして庄田は笑った。

「彼は私を許していないし、さらにその後、正真正銘の犯罪者となった私を心底憎んでいるでしょう。でもね、」

「・・・・・・」

「でも、私は彼をずっと愛している。友人として。一方的な感情ですし、明らかに敵同士ですけどね。例の高層ビルで、彼の目の前で三人殺しました。一生どころか来世でも許してもらえないでしょう。でも私は、愛している。」

「・・・・・」

「そういうことです。」

 浅香は唇を噛み、長い間ためらった後、少し震えるような声で尋ねた。

「庄田さん、それは、・・・亡くなった奥様を、今も愛しておられるということと、似たことですか・・・?」

 庄田は苦笑に近い微笑をよぎらせた。

「そうですね。一方的なものだけど絶対なくならないものという意味ではね。」

 浅香はそれ以上の質問をすることを、上司に失礼だという理由と、そしてもうひとつの理由とで、断念した。

 察したように庄田は、部下に慈愛のこもった視線を向け、そして静かに席を立った。



 三村英一が最近一人暮らしを始めたマンションは、独りには十分な広さだが、彼の実家が常軌を逸した豪邸であるため訪ねる者は一様に「狭い」という印象を受ける。

 高原はここへ来るのは初めてではなかったが、やはり実家との落差を感じながら、英一が独立して暮らしていることを改めて認識もした。

 稽古が終わったばかりという英一は、急いで戻ったらしくまだ和服姿だった。

「わざわざすみません、高原さん。・・・・お体のほうはもう大丈夫なのですか?」

 恐縮して英一が高原を室内へ導き入れ、ソファーに座るよう促す。

「こちらこそ、お稽古のお忙しい週末にすみません。・・・・おかげさまで、あと一週間で仕事に復帰する予定です。メイン警護員業務ができるのはさらに一か月先の案件からになりますが。」

「そうなんですね」

 英一がコーヒーカップを持ってソファーまで来ると、高原は立ち上がって頭を下げた。

「ご心配おかけして・・・すみませんでした。」

「高原さん」

 高原に座るよう頼み、英一は自分も向かいのソファーに腰を降ろす。

 疲労と罪悪感が入り混じったような表情で、高原はテーブルの上に視線を落とした。

「・・・三村さんは、いつも我々のことを誰より心配してくださっている。」

「・・・・・」

「それなのに、そのお気持ちを踏みにじるようなことばかりです。」

「・・・・・・」

「特に、河合警護員が仕事を続けてこられたのも、三村さんにお世話になってきたからです。・・・今回の事件のあと、私はまだ河合と話さえできていません。」

「・・・・・」

 英一は高原のうつむいた顔を見ながら、自分が恐らく高原の知らないことで大森パトロール社の波多野営業部長から聞いたことを、切り出すタイミングを見つけられずにいた。

 しかし幸か不幸か高原は英一の様子の微妙な変化に、ほどなく気がついた。

「すみません、私ばかり一方的に話してしまって」

「あ、いえ・・・」

「・・・・・」

 二人はかなり長い間、黙ってコーヒーを飲んだ。

 英一が溜息をつく。

「どうすれば・・・・高原さんに、お伝えできるのだろうと、いつも考えますよ。」

「・・・・・」

「あなたが、どれだけ皆にとって大切な人であるか。」

「・・・・・・」

「あなたは絶対に、わかっていない。」

 目を伏せ、高原は英一以上に哀しそうな顔をして、笑った。

「ありがとうございます、三村さん。」

「・・・・・・」

「私は、これからもやっぱり、変わらないかも知れません。でもあなたが同じときを生きてくれていることを、神にいつも感謝しています。」

「・・・・・・」

「死がどんなものか分からないですが、常に共にあります。」

「高原さん・・・」

「それから」

 高原は少し表情を変え、改めて英一の端正な漆黒の両目をその知的なメガネの奥の両目で見た。

「はい」

「命といえば・・・それを助けることに最も執着しているのは、うちの葛城警護員ですね。」

「・・・ええ。」

「怜は・・・葛城は、山添とか私とかのような、幸福な家庭に育っていません。幼いころ両親を亡くし、叔母に育てられました。」

「そうなんですか」

「そして葛城が学生のとき、その叔母が自殺をしたそうです。」

「・・・・・・・」

「前日まで、明るく元気に、一日も休まずに働いて。そして週末、ひっそりと亡くなった。彼は警察官志望でしたが、そのことをきっかけに、より直接的に人を守る仕事・・・ボディガードを志すことにした。」

「・・・・・」

「自分は叔母を助けてあげられなかったと、今もときどき思うそうです。そしてあいつは、今もそしてこれからも・・・・それが誰であろうと一人でも多くの命を守るためだけに、仕事をするんでしょう。」

「今、葛城さんが一人で住んでおられるあの家は、そうすると・・・」

「はい。彼が叔母と住んでいた家です。」

「・・・・・」

「すみません、こんな話をしてしまって・・・・。自分でも、なぜだか、よく・・・」

 高原は自分に自分で当惑した様子を隠さず、コーヒーカップを持った手を見つめた。

 カーテン越しに、バルコニーから静かに午後の陽光が差し込んでいる。

「ありがとうございます、高原さん」

「・・・・・・」

「部外者の私なんかに、大事な話をしてくださり、感謝します。葛城さんのことが、今までよく分からなかった部分がありましたが、少しだけ納得できる点が増えた気がします。」

「はい」

「あの人は、どうして心の底の底までいつも宝石のように純粋なのか、いつも不思議でした。」

「・・・・・そうですね」

「私も、高原さん、あなたにお伝えしたいことがあります。」

 高原は顔を上げて英一を見た。

「?」

「波多野部長が、私に話してくれたことです。でも、誰にも言うな、とはおっしゃいませんでしたから。」

「それは・・・・・」

「河合のことです。」

 英一が少し遠慮がちな微笑を浮かべ、高原の怪訝そうな顔を見返す。



 大森パトロール社の事務所は週末午後にしては人が多く、山添は後輩警護員を外のコーヒー店に誘った。

「なんだか槙野さんが元気がないから。河合さんとは会ってるんですか?」

 槙野俊幸は、先輩の優しい微笑に恐縮しながら、少しうつむいた。

「・・・あれから、うちにはまだ来られてないです。警護業務の間も空いているようで、事務所にもみえてないですし・・・」

「槙野さんの家に、猫のミケを見にも来ないとは・・・かなり重症ですね。」

「はい。」

 水を持ってきた店員に、山添がコーヒーをふたつ注文した。

「こんなことを槙野さんに頼むのも何なんですが、明日あたりちょっと河合さんに連絡を入れてみてもらえませんか?」

「はい、大丈夫です。でも僕より、三村さんのほうが良いということはないでしょうか?」

「三村さんは昼間の会社が同じだから、逆に毎日近くに居すぎて言いたいことが言いにくいこともあるんじゃないかと、思うんですよ。」

「なるほど」

 よく日焼けした顔に似合う黒目勝ちの目を、少し天井に向け、しばらくしてまた山添は小柄な後輩の上品な顔に視線を戻した。

「あの探偵社がからむと、皆、なにかちょっとおかしくなりますね。」

「・・・・・・」

「どうすれば乗り越えられるのか。ときどき、不毛なくらい考え込んだりしますよ。」

「山添さんも・・・そうなんですか。」

「あいつらがもっと人としてどこから見ても最低最悪の奴らだったらよかった。」

「・・・・」

「そう、思いますよ。」

「・・・・・山添さん・・・・。僕は、庄田と、幼馴染でした」

「はい」

「僕より年上で、そして何をやってもかなわない、尊敬する兄みたいな人でした。でも、あの人は、僕と絶対に相容れない。」

「はい」

「人を殺す。平気で。どうしてそんなことができるのか、どうしても分かりません。どうしてなのか・・・・」

「・・・・・」

「それなのに・・・・」

 山添は微笑をさらに優しいものにしながら、右手を伸ばして後輩の頭にそっと置き、しばらくそのままにし、そして再び離した。

「・・・それなのに、慕っているんですね?」

「・・・・はい・・・・・」

「今も。庄田を。」

「そうです・・・・・・」

 槙野はうつむいたまま、動かない。

「槙野さん」

「はい・・・・」

「もしも庄田が、ミッションを遂行するためにはあなたを殺さなければならない立場になったら、どうすると思いますか?」

「・・・・・・」

「あなたを殺すと思いますか?それとも、そのミッションを避けるなどして、あなたを殺すことを回避するでしょうか?」

 顔を上げて、槙野が、その真っ赤になったままの両目で山添を見た。

「庄田は、迷わず僕を殺すと思います。」

「どうして、そう思いますか?あなたと幼馴染みだったことが、庄田にとってもうどうでもいいことだからですか?」

「いえ・・・・」

「・・・・・」

 槙野は唇を噛み、そしてゆっくりと再び口を開いた。

「いえ、そうではないと・・・。」

「ではなぜ」

「・・・庄田は、自分の仕事を遂行するためには、全部のことを犠牲にすると思うから・・・です。彼の命も含めて。だから・・・」

「そうでしょうね。」

「・・・・」

 山添は声をさらに静かにして、言った。

「・・・ならば槙野さん、あなたも全部の力を使って庄田を排除してください。どんなに慕っていようと問題ではありません。」

「・・・・・」

「愛していても、問題ないんですよ。クライアントを襲う人間は、親でも排除するのが警護員です。」

「はい。」

 槙野は返答し、頷いた。

 そして山添の表情を見て、少し驚いた顔になったが、さらにもう一度槙野は言った。

「・・はい。・・・山添さん。」



 英一はコーヒーを淹れ直しに台所へ行こうかと思ったが、思いとどまり、そのまま高原の顔を見て、口を開いた。

「河合が、どうしてパートタイムで警護員をしているのか。平日昼間は別の会社で仕事をして、大森パトロール社では土日夜間限定で働いているのは、どうしてか。」

「・・・・・・」

「たぶん・・・高原さんを含め、大森パトロール社の先輩警護員さんたちも、ご存じないでしょう。」

「はい。」

「新人警護員の給料では生活できない、というのが表向きの理由ですが、槙野さんのように共同生活をするとか、生活費をなんとかする方法などいくらでもあります。」

「そうですね」

「河合は、学生のとき・・・高校時代に出会って、大学に入ってからもずっと交際していた、恋人を、ストーカーに惨殺されたそうです。」

「・・・・・・」

「ボディガードになると決めて、大森パトロール社に入ろうとしたとき、波多野営業部長はこのことを河合から聞いて、採用にあたり一つ条件を出したそうです。」

「・・・それが・・・フルタイムではなくパートタイムの警護員になること、だったのですか。」

「はい。ほかのことをしているくらいが、精神的にバランスが取れてちょうどよいと、判断されたそうです。」

「・・・波多野部長は、三村さんにこのことをなぜ話そうと思われたんでしょうね。」

「想像はつきます。高原さんは・・・?」

 高原は眼鏡の縁を少し持ち上げ、そして笑った。

「・・・つきますよ。」

「はい」

「理由はふたつでしょうね。まずは・・・河合が、そろそろ、自分の個人的感情を超えて仕事ができる段階まで、成長したと感じているんでしょう。フルタイム警護員になってもおかしくない・・・ガーディアンに、なれる予感が、確信になっているんでしょう。」

「そうでしょうね」

「それからふたつめは」

 高原は少し柔和な笑顔になった。

 英一はその意味が分かり、一瞬目を逸らした。

「ふたつめは?」

「でも平日昼間の会社を本当にやめてしまったら、その会社の同期入社の仲間である三村さんがきっとアレなので、仁義を・・・」

「コーヒー淹れ直してきます」

 立ち上がろうとした英一を、高原が止めた。

「三村さん」

「・・・・はい」

「波多野さんも、俺も、・・もちろん葛城も、同じ気持ちです。」

「・・・・・・」

「河合は、あなたがいてこそ、毎日元気でいられます。」

「・・・・・」

「これからも、あいつをよろしくお願いします、三村さん。」

「・・・・・・・」

 英一は唇を前歯に挟み、黙った。その表情は、謙遜とも承諾とも読み取れる曖昧なものだった。

 ふと高原は別の話をした。

「和服を着ておられるのを見て、我儘なお願いをしたくなりました。」

「え?」

「あなたの舞を、所望してもいいですか?」

「・・・ええ、それはもちろん・・・・。何か、特定のものをご希望ですか?」

 高原が笑って英一の顔を見た。

「河合が初めてあなたが舞台で舞うのを見て、世界が変わったことがあるんですよ。ご存じでしたか?」

「いえ・・・・」

「確か、”いざや”という曲だったとか」

「ああ、それは・・・・」

「覚えておられます?」

「ええ、もちろん。葛城さんとあいつが俺の警護をしたとき、ですね。・・・地は録音ですが、ありますよ」

 英一は静かに立ち上がった。

「扇は使われないんですね」

「はい。あのときは、舞台映えを考えて扇を持つようなアレンジをしましたが、本来は何も手にもたない、手踊りです。」

 再生機器から、曲が流れ、英一がバルコニーへ向かう窓を背にし、ゆっくりと舞い始めた。


”いざや行きましょ住吉へ 芸者引き連れて 

新地両側華やかに 沖にちらちら帆掛け舟 

一艘も二艘も 三艘も四艘も五六艘も 

おや追風かいな ええ港入り 新造船

障子あくれば 差し込むまどの月明かり 

とぼそまいぞえ蝋燭の 闇になったらとぼそぞえ 

一丁も二丁も 三丁も四丁も五六丁も 

おやとぼそぞえ蝋燭を”


 わずか数分の上方唄は、舞い終わり正座して英一が深く一礼すると同時に終わった。

 顔を上げた英一の表情が、たちまち変わった。

 その視線の先に、玄関をゆっくりと開けて入ってきた葛城と茂の姿があった。

「お邪魔します。・・・というより、お邪魔してました。」

「葛城さん・・・・・」

「ドアの鍵が開いていたものですから、三村流宗家の舞を、ちょっと覗き見してました。」

「・・・・・」

 そして葛城に少し背中を押されるようにして、茂がリビングへと入ってきた。

 その透き通るような琥珀色の両目で、英一を見て、そして次に、高原を見る。

「河合・・・・」

「・・・高原さん、確か、車の中でクライアントにおっしゃっていましたよね」

「・・・・・」

「法律に頼った仕事をしているのは、これでいいかどうかについて、何も考えなくていいからだ、って。」

「・・・ああ。」

「それは絶対違います。何も考えなくていい仕事なんて、ないですよ。」

「・・・・・ああ、そうだな。」

 英一が立ち上がり、困ったように笑いながら親友の顔を見た。

「河合お前、よくここに高原さんがおられるってわかったな。」

「葛城さんも、俺も、高原さんの行動パターンなんてもう熟知してるからね。」

「うるさいよ、河合」

 高原は後輩に向かって少し怖い顔をしてみせた。しかしそれは意図した効果は生みそうになかった。

 バルコニーから差し込む太陽の光はさらに明るさを増していた。


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