四 回想
三村英一は、本業である日本舞踊三村流宗家の人間としての仕事を、他の用件のために師範代たちに任せることを最近は極力避けるようにしているが、この日はそうすることにしたことを心から正しかったと思った。
しかし同時に、病院の待合室という場所が、これほど入るのが嫌な場所であると感じたのもまた初めてだった。
大森パトロール社の人間に、三村家の肉親はいない。過去何度も警護の業務を依頼してきたが、あくまで客と警備会社という関係である。
そして、自分が少なくともそれ以外の関係、それが友情というべきものかほかの名前がふさわしいかはともかく、そうしたものを持つと思っている人間たちが、勤めている会社であること、そのことが自分の一方的な思い込みでないことを、初めて意識して願いながら重い足を進めた。
「失礼します。」
低い声で言葉を出すと、待合室の堅い椅子にこちらに背を向けて座っていた二人の青年のうち、ひとりが振り返った。
「三村さん、わざわざありがとうございます。」
山添崇は、立ち上がり、英一のほうを向いて一礼した。日焼けした愛らしい童顔に、疲労の色が濃い。
「高原さんは・・・・」
「大丈夫です、数時間以内には意識が戻る見込みだそうです。側頭部と額を強めにぶつけて、やや出血がありましたが、ほかに大きな外傷もありません。」
「はい」
「人工呼吸器もなしに呼吸もできていますし、痛みへの反応も敏感だそうです。目が覚めたとき、見当識を確認して、もう一度CTとMRI検査をしてもらえるそうですが、最初の検査で、頭蓋骨骨折もないし、脳の損傷もないこともほぼ間違いないと。意識が戻ればすぐに一般病棟へ移れるでしょう。」
英一は大きく安堵の息をついたが、最大の問題は高原の容体そのものではないことも、二人の様子から明らかだった。
「・・・・今、高原さんには・・・・」
「はい、怜が・・・葛城が、付き添っています。契約病院なので、集中治療室でも少し長時間付き添いを許してもらえていますので。」
「お二人は、ここでずっと?」
山添は苦笑し、隣で座ったままでいる茂を見下ろした。
茂は、頭の中だけが別の世界へ行ってしまったように、宙を見つめていて動かない。
「河合さんは、まだ晶生に会っていないんです。ここに座ったままで・・・。」
「・・・・・」
山添はもう一度英一の顔を見て、微笑して言った。
「事務所へもう一度連絡を入れてきます。・・・すみませんが、河合警護員をその間お願いしてもいいでしょうか。」
「はい、大丈夫です。」
山添警護員が立ち去り、英一は茂の隣の席に座った。
茂の反応はない。
隣にじっと座り正面を見つめたまま、英一は長い間黙っていた。
そしてようやく英一が最初の言葉を言う準備を整えたとき、先に茂が小さな声で言った。
「あいつは・・・・高原さんを殺さなかったんだ」
「・・・・・」
「阪元探偵社のエージェントの酒井。山添さんがはっきり見ている。深山が車の進路を阻んで、酒井が襲撃した。そして高原さんは酒井をご自分もろとも殺そうとされた。エージェントを殺そうとした人間は、どんなことをしても殺す。それがあいつらの決め事だ。」
「ああ。」
「でも、酒井は転落した車の中でその時間が十分にあったのに、高原さんをそのままにして逃走した。高原さんのものと思われるもの以外の血痕がなかったことや、車中の様子や逃走のスピードを考えれば、酒井はほとんど負傷していなかったと思われるのに。」
「そうか。」
茂は少しだけ顔を上げたが、まだ英一のほうを見ようとはしなかった。
「高原さんの命が、人殺し集団のあいつらの胸一つ、だったってことだ。そしてそいつらでさえ、高原さんを助けた。」
「助けた、という表現が正確かどうかは分からないけど・・・そもそも襲ったのがあいつらなんだから・・・」
「俺は、なにをした?」
「・・・・・・」
「もう同じ会社で何件仕事して、どのくらい高原さんにお世話になってきたか。何度高原さんのアドバイスで救われたか。そして・・・・どれだけ、高原さんの苦しそうな気持ちを感じてきたか・・・・」
「・・・・・・」
「高原さんは、俺のオートバイの燃料メーターが細工されていたことに、あの時すぐに気づかれたんだと思う。その後すぐに、通信がつながらなくなった。」
「そうか・・・」
「現地に潜んで、指示を待っていてくれるよう、事前に頼んでおられたんだ・・・・山添さんに。人目の少ない山道は襲撃の絶好のポイントだから。それも、日が暮れる時間帯が一番危ないって。」
「クライアントを、山添さんに託したんだな。」
「そう。」
二人はしばらくの間、それぞれ前を向いたままで沈黙した。
遠くから救急車のサイレン音が聞こえ、次第に近づいてくる。
時刻は夜明けに近くなっていた。
「山添さんが電話で少しおっしゃっていた、クライアントの事情は、高原さんは・・・・」
「もちろんまったくご存じなかったよ。俺も同じだよ。」
「自首されたんだな」
「ああ。警察へあのまま行かれた。全部話しますと言っておられたから、そうされると思うよ。・・・最後にクライアントと会話できたのは短い時間だったから詳しくは分からないけど、小学校のとき息子さんを自殺に追いやった当時の同級生、五人が、大学生になるのを待って殺したんだって。」
「・・・・・・」
「殺人を依頼するのにふさわしい人間を探して、愛人みたいな関係を作って、それなりの報酬も払って三人を殺させた。自分の家に近い大学に通う二人は、最後にした。三人殺させたところで殺人を頼んだ男が自分自身が尾行されているって言って、もう仕事しないって言ってきたから危険回避のために殺した。」
「・・・・・・」
「どうして、大学生になるまで待ったのか。それについては、話は聞けなかった。」
「・・・・どうしてだろうな」
「・・・・・・」
「子供を殺したら自分もそいつらと同じになる、って、思ったのかもな。」
「・・・成人するまで待った、ってことなのか・・・・」
「わからないけどな。・・・いずれにせよ、高原さんは、たぶんあいつらからクライアントの犯罪のことは全部聞かされたんだろう。襲撃の時に。」
「そうだと、思う。」
朝日が薄い光を届け始めるまで、二人はそのまま硬い椅子にじっと座っていた。
和泉麻衣は自宅で起床しカーテンを開けたところで、携帯電話の呼び出し音に気がついた。
発信者が上司の吉田恭子だったことと、その時刻が日の出とほぼ同じだったことから、慌てて一度携帯電話を取り落とし、ようやく応答した。
「はい、和泉です。おはようございます」
「早朝からごめんなさい。補助要員から二度目の連絡があった。高原警護員の意識が回復したそうよ。」
「そうなんですね」
「夕べの第一報と同様に、すぐに社長に報告が行く。」
「はい」
少し控えめに吉田が笑っていることが、電話を通じてでも和泉に分かった。
「・・・・・和泉、あなた夕べもだけど、全然驚いてないわね」
「それは、吉田さんが驚いておられなかったからです」
「なるほど」
和泉も少し笑った。
「・・・・深山さんには、気の毒なことをしましたね・・・・」
「高原警護員死亡っていう情報を、まともに聞くはめになったわけだからね。」
「深山さんは現地で目の前で車の転落を見たわけですから、ショックは我々と比較にならなかったはずです。夕べ、酒井さんから本当のことを知らされたとき、そのまま気を失って倒れてしまったくらいですから・・・。板見くんが行ってくれててよかった。」
「そうね。・・・でも私も酒井からもう一度連絡があるまで確信が持てなかったからね。」
「はい」
「・・・で、今の問題だけど」
「はい」
「酒井は社長に打ち明けるって言ってたから」
「・・・処分されるんでしょうか・・・・」
「私からは、自白はするなって言っておいた。」
「・・・・」
「無鉄砲で馬鹿なことをするなら、最後までそれは徹底するべきよって、一応言っておいた。あの警備会社のあの警護員がからんだ時点で、深山を殺人担当から外した。そのとき、自分が代わりにやると志願したんだものね、酒井は。」
「はい」
「高原と正面から対峙したかったんでしょう。そしてどういうことになるか、薄々見当はついていたでしょうに。」
「そうですね」
「今回の最大の問題はね、たぶんだけど」
「・・・・・」
「・・・うちのエージェントが襲撃現場で高原警護員に敗れたことでもないし、過剰防衛でエージェントを生命の危険に陥れた警護員を、その張本人のエージェントがみすみす殺さずに放置したことでもない。」
「はい」
「ターゲットに、少しどころか本気で、同情してしまったことだと、思う。殺人担当のエージェントがね。」
「・・・・はい」
「そしてもしかしたら、我々も。」
街の中心にある古い高層ビルの、高層階にある事務所は、朝早い時刻のため、最近部屋の主が部屋にいることの多い社長室が、まだ唯一人影のある場所だった。
阪元航平は、端正な紳士にふさわしい優美な仕草で、部下に円卓に向かう椅子に座るよう勧めた。
酒井が背筋を伸ばして椅子に座ると同時に、阪元は用意していたコーヒーセットを円卓まで運んだ。
「高原は蘇生したんだね。というよりもともと・・・・」
「はい」
阪元は酒井の顔を見ずに、その異国的な顔立ちと金茶色の髪に似合う深い緑色の両目を、少し伏し目にしながら微笑した。
ポットからふたつの磁器のコーヒーカップに熱いコーヒーが注がれ、良い香りが部屋の空気を満たしていく。
「報告書は読んだけど、警護員はお前をターゲットから引き離すためにああした行動に出た、そういうことだね。」
「そうです。」
「主観的にはともかく、客観的には、エージェントを明らかかつ重大な生命の危険にさらした。」
「はい」
「ルールCではないけど、基本は」
「殺害です」
「そうだ。」
酒井の表情が変わらないのを一瞥し、阪元がもう少しはっきりと笑った。
「心肺停止だと誤認。お前にしては珍しい判断ミスだったね。」
「脱出を急ぐことを考えて少し慌てていました。申し訳ありません。」
「そうだね。」
「・・・・・・」
「・・・とにかく、酒井、お前に大きな怪我がなくて本当によかった。車から一刻も早く脱出するのは当然のことだ。ガソリンが漏れ出していたから万一のこともあるからね。」
「はい」
「お前が自分の命を大事にしてくれたことを、私は感謝しているよ。だから小さなことをあれこれは言わない。」
「・・・・・・」
「お疲れ様。コーヒー、うまく淹れられたと思うんだ。飲んでみて。」
「はい。」
ふたりはそれぞれ自分のコーヒーカップを持ち上げ、しばらく沈黙が支配した。
阪元の緑色の両目が再び部下を見たとき、部下も自分からそうしたように、静かに上司の顔をその精悍な漆黒の両目で捉えようとしていた。
「ねえ、酒井」
「はい」
「子供って、悪魔になることがあるね。」
「それは少し不正確な表現ですな」
「そう?」
「・・・子供は、ほぼ、悪魔ですよ。」
「あははは」
笑って阪元は頷いた。
酒井は表情を変えない。
「・・・・・」
「ならば、ほぼ全員が悪魔なんだから、子供のすることは罪には問えないね。」
「そんなことはありません」
「そうかな?」
「人を死に追いやれば、それなりの罰を受けるべきなのは、全ての人間にいえることですから。」
「うん」
「気狂いであろうと、悪魔であろうと。」
「・・・・そうか」
「同じ子供であっても、人を死に追いやらない子供がいる限り、・・・・そうでない子供は犯罪者です。」
「そうかもしれないね」
阪元は立ち上がり、ポットに新しいコーヒーを淹れて円卓へ戻る。
「・・すみません。出過ぎた発言だったかもしれません。俺は・・・」
「いや、いい。そんなことはないよ。」
「・・・・」
阪元がゆっくりまばたきをして、酒井を正面から見た。
「・・・・では、悪魔と気狂いが殺し合ったとき・・・」
「・・・・・・」
「我々阪元探偵社が受けるべきお客様は、いるのかね。いないのかね。」
「・・・・・・」
阪元はコーヒーカップの縁を唇に当てたまま、柔和な微笑を浮かべた。
酒井はやはり少しも笑ってはいなかった。
やがて、温かい声で、阪元は部下へ声をかけた。
「今日は、疲れてるところ報告に来てもらってすまなかったね。ありがとう。」
「・・・いえ・・・・」
「残りの業務は明日でいいから、今日はもう上がって、ゆっくり休んで。」
「はい」
一礼し、酒井は社長室を後にした。
一人になり阪元はうつむいてもう一度苦笑した。
月曜昼前の大森パトロール社の事務室へ、従業員用入口から入ってきた葛城は山添の席まで来て、同僚に挨拶をした。
「おはよう、崇」
「ああ、おはよう」
山添は立ち上がり、温かい微笑を同僚へと向け、肩に手を置いた。
「晶生の様子は?」
「うん、落ち着いてる。今朝から一般病棟へ移ったから、見舞いも自由にできる。午後また行ってくるよ。」
「元気か?・・・いや、体はともかく、だけどさ」
「・・・・夕べは意識が戻った後も検査とかがあってあまり話せなかった。今朝は少し会話できたよ。・・・・波多野さんが戻られた後、俺に、茂さんのことを尋ねてた。」
「そうだろうな」
「・・・茂さん、今日は平日昼間のほうの会社だよね。」
「ああ。」
「容体はメールで全部伝えてあるけど・・・・やっぱり、会いにいける精神状態じゃないんだろうな・・・・」
「・・・・そうだな。俺は、お前がこんなに今回冷静であることに逆に驚いてるけど、怜。」
「俺も自分でも驚いてる。」
「ははは」
「茂さんの受けてるショックを目の当たりにして、俺がしっかりしなきゃって思ったのかもな。」
「なるほど。人間、そういうものかもな。」
葛城は山添との会話を終えると、自席で作業を始めたが、それは数分間しか許されなかった。
受付カウンターで電話を取った事務の池田さんが、事務室内を振り返り、呼びかけた。
「外線からですが・・・・山添さんか、葛城さん、出られますか?」
「あ、はい」
山添が手を上げ、電話が近くの内線電話へ転送された。
通話はすぐに終わり、山添が立ち上がって葛城の席までやってきた。
顔が蒼白になっていた。
「怜、これから出られるか?」
「どうしたの?崇」
声のトーンを一段低くして、囁くように山添が葛城に伝えた。
「波多野部長の奥さんからだ。波多野さんが、倒れた。」
その一時間後、二人が波多野営業部長の自宅に到着すると、玄関の前に茂と槙野が立って待っていた。
「葛城さん、山添さん・・・知らせてくださり、ありがとうございました」
「とりあえず思いついて二人に電話してしまいましたが、槙野さんは非番でしたけど河合さんは仕事だったんですよね、すみません」
「いえ、係長も三村も仕事はいいからすぐ行けって・・。」
「僕も、山添さんから連絡を頂いたときは感謝しました。ありがとうございました」
槙野は華奢な体に休日らしい、警護業務のときよりさらにカジュアルな服装をしており、スーツ姿の茂と対照的だ。槙野は山添の育てた後輩らしく最近は筋力もつき体型に少したくましさも増してきている。
四人が、迎え入れた細君に導かれて居間に入ると、ソファーに座った波多野が困ったような笑顔を見せた。
寝巻の上にガウンを羽織っているが、坊主頭に近い短髪にまったく似合わないメタルフレームのメガネはいつもと同じだった。
「お前たち大げさだな。風邪で休むからその間の仕事について連絡させただけなのに。」
「今まで波多野さんが体調を崩して休まれたことは、記憶にある限り一回もありませんから。」
「そうだっけ」
座るよう細君に勧められ、波多野の座る一人掛けソファーを取り囲むように長椅子や一人掛けソファーに座った四人は、真剣な目で上司を見た。
「ただのお風邪なんですか?大丈夫なんですか?」
「ちゃんと病院も行ったから大丈夫だよ。」
「でもやっぱり、今回の晶生のことが・・・・」
「絶対、そうですよね、部長・・・・・」
「それに今までだって皆さんざん部長にご心配かけて・・・・・」
「部長のご心労を思うと、俺たち・・・・・」
尋問を受けているような波多野の姿を笑って見ながら、細君がお茶をテーブルへ置き、再び去っていく。
波多野に勧められ、警護員たちは熱い煎茶を啜る。
「・・・じゃあ本当に、数日で復帰できるんですね?」
「だからただの風邪だって。でも心配してくれて嬉しいよ。」
葛城がその美しい顔を曇らせ、うつむいた。
「知らせを聞いたときは、心臓が止まるかと思いました。私たちが、いつもご心配ばかりかけているから・・・とうとう波多野さんの、お体に限界が、と思いました。今までの色々なこと、全部思い出しました。」
「大げさな奴だな」
葛城がそれ以上話せなくなり、山添が後を引き継いだ。
「・・・後輩たちの前であまり言うべきことではないとは思いますが・・・・俺たちは、いつも部長に、警護の時自分の命を懸けるのは当然だけどそれは最後の最後の選択肢にするよう、言われてきました。頭では分かっているつもりです。でも、まだまだ、体で実践できていない。」
「そうだな」
「後輩に良い手本となるどころの話じゃありません。・・・特に、晶生は、・・・あれほど有能な警護員のあいつは・・・特に段違いに酷い。・・・・たぶんあいつは、自分というものの価値を、まったく認めることができずにいる。」
「・・・そうだな」
「そんなあいつを、波多野さんも、そして・・・大森社長も、恐らく想像を絶する苦しさと愛情を持って、見守ってこられたんだと思います。」
「・・・・・・・」
「でも、晶生は、無意識に自分を葬ろうとすることを、やめられずにいます。俺はあいつに、あいつが生きる価値があるんだってことを、教えてやりたい。」
「ああ。」
「でも、どうやってそれを伝えればいいのか、わかりません。」
葛城も、槙野も、茂も、うつむいて黙っている。
「・・・・・・」
「・・晶生、おまえには生きる価値がある。なぜなら、・・・・なぜなら・・・・」
「・・・・・・」
「優れた警護員だし、他人にできないことができるし、人間を愛することができるし、賢いし、それに・・・・」
「・・・・・」
「それに・・・・・」
山添は、うつむいて、そのまま黙った。
しばらく誰も話さなかった。
波多野が珍しくあまり大きくない、しかししっかり芯の残る声で言った。
「どん詰まりだな。でもだからといって・・・・どんな人間にも生きる価値はあるんだよ、とか、生きたくても生きられない人間もいるんだよ、とかいう陳腐な言葉に、どんな力があるか哀しいくらい想像がつく。」
「・・・・・」
窓の外の雲が切れ、陽光が部屋の隅々まで差し込んでくる。
その明るさと、その場にいる人間たちの表情は、ほぼ正反対だった。
槙野が恐る恐る口を開く。
「人を殺さないこと。これだけでも、その人には生きる資格があるということではないでしょうか。」
「でもな、俊幸。俺たちは人殺しだって、違法に命を狙われている人間は守るからな。」
「・・・・はい。」
山添がうつむいた後輩の肩に軽く手を置き、そして再び上司の顔を見た。
「晶生は死にたいんじゃない。むしろ逆です。人間を、命を、この上なく愛しています。そしてあいつは自分の生きる意味を渇望してます。だからあいつは常に死に場所を求めている。」
「・・・・・」
「人の役に立って死ぬ、そしてもう迷惑をかけない。全ての人間に。・・・これが、生きる価値が不動になる瞬間なのではないでしょうか。」
全員が何の反論の余地もなく数秒間沈黙した。
茂が少し声を震わせながら、発言した。
「いつも・・・・、仕事で他人の役に立ってなおかつ一日も早く死のうとしている人間って、その・・・・心療内科とかカウンセリングとか行ったほうがいいということは、ないのでしょうか・・・・・・」
葛城が苦しそうな笑顔で、後輩の顔を見た。
「だめなんです、茂さん。そういう所で助けてもらえるのは、仕事に行けなくなったり眠れなくなったりして、実際に目に見えるかたちで日常生活に支障をきたしている人間だけなんですから。晶生みたいに、毎日少なくとも食べて眠って、顔で笑って仕事もそれなりにやれている人間は、心の中がどうなっていようとどれだけ長い間苦しみのたうちまわっていようと、そして今日死のうとしていても、心の病気だとは認定されません。」
「・・・・・」
数分後、ようやく、見舞いにしては長居しすぎたことに気がついた警護員たちは、上司と細君に礼を言って退去した。
玄関まで見送ってくれた細君は、別れの挨拶のあといったんドアを閉めたが、すぐにそっと再びドアを開けると、門の外まで夫の部下達を追いかけてきた。
「あの、皆さん」
「・・・はい」
四人の警護員は、振り返り、優しい笑顔で彼らになにかを伝えようとしている美しい細君の顔を見つめた。