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一 想像

高原警護員がメイン警護員を務めます。

 若くて小さな警備会社、大森パトロール社の、いわゆるボディガードによる身辺警護を担当する警護部門の事務所は、ターミナル駅から歩いてすぐの雑居ビル二階に入っている。

 それほど大きくない事務室内には、所属する警護員たちの個人机や打ち合わせコーナーが所狭しと並び、しかし基本的に警護業務は出張であるため半分以上の机が埋まっていることはほとんどない。また、フルタイムだけでなくパートタイムの警護員もいるためなおのことである。

 奥の打ち合わせコーナーで、会社ができたときからいる最古参の四人の警護員のうちの、ふたりが向き合って座り、やや深刻な顔で会話していた。

「晶生、お前さ、この間の志方まや氏の案件で、襲撃犯の中村早智子氏がマンションでクライアントに灯油をかけるまで放っておいたよな。」

 山添崇は、その日焼けした童顔に似合う黒目勝ちの愛らしい両目で、厳しく相手を見つめる。

 高原晶生が、すらりとした長身を折り曲げて机に肘をつき、顔の半分をその手で支えながら憂鬱そうにうなだれる。

 そして高原は眼鏡の似合う知的な両目に、いつもの愛嬌はあまりないまま、相手を見ずに低く応答する。

「ああ。」

「本当に中村氏が火を放ったらどうするつもりだった?」

「クライアントを逃がす自信はあったよ」

「そのことじゃない。自分だよ。」

「・・・・・・」

「クライアントを安全にバルコニーから逃がすために、絶対にやらなきゃいけないことがあったはずだ。」

「そうだね。」

「襲撃犯から力ずくでライターを奪う。足でライターを蹴り飛ばすという方法もあるけど、ダメなら飛びかかることになる。灯油を自分も浴びてライターを持っている犯人に。」

「それしかないね。」

「床も灯油まみれだ。お前が犯人と一緒に火に包まれる可能性が限りなく高かったな。」

「・・・・・」

 高原は、不思議そうに山添を見た。何を今頃、分かり切ったことを話しているのか、という様子だった。

「もちろん、クライアントを守るために最後は命を懸けるのが警護員だけど。でも犯人の特定という意味では、クライアントと犯人が部屋に入った時点でも十分だったんじゃないか?」

「・・・・・・」

「ポットに灯油、床にも灯油タンク、そしてテーブルの上にはライター。これだけでも警護員が確信するには十分だし、それ以上のことは求められていないよな。俺たちには。」

「・・・・まあね。」

 山添は同僚の眼鏡の奥の知的な両目をさらに厳しい視線で直視した。

「墓地で三村さんに怒られて、その後俺や怜と一緒に波多野さんにお仕置きされて・・・。それでも、どうしても体で全然理解してない。この案件で波多野さんはそのことを一番問題視してただろう?」

「まあ、そうだね・・・」

「俺も人のことは言えない前科はあるけど、お前とは次元が違う。怜も、人の命を助けるためなら愚かなまでに無謀だけど、やっぱりお前とは次元が違う。だから、ちょっとはっきり言っておくよ。」

「・・・・・・」

「晶生、お前、いまだに、そうなのか?」

「・・・・・・」

「警護に命をかけてるんじゃなく、順番が、逆なのか?」

 高原は驚くほど弱気な表情になり、苦しそうに微笑した。

「わからないんだ」

「・・・・・・」

「自分のしていることが、皆に迷惑をかけていることは自覚している。警護のとき、何かわけのわからないものが自分を動かしていて、それが何なのか説明できない。自分が仕事をしている中で、なにをしたいのか、正直、自分でもよくわからない。」

「それは困ったな」

「根本的にわからないことがある以上、表に現れる行動をいくら場当たり的に反省しても、体で理解するなんて程遠いんだろうとおもう。」

「そうだよな。でもお前は、人間を大事にしているし愛している。命を誰より大事にしてるよな。」

「そのつもりだし、そうありたいよ」

「命を粗末にするなんていうのは、お前の理想から一番遠いところにあることだよな・・・・自分自身の命も含めて。」

「そうだよ。」

「なのにどうしてお前はいつも、警護のとき、死にたくてたまらないように見えるんだ・・・・・。」

「・・・・・・・・・」

 二人はそのまま沈黙した。



「なるほど」

 三村英一は周囲からの視線を避けるように声を低めて、小さく頷いた。

「・・・・すみません」

「わかりますよ。ところでまずは葛城さん」

「はい」

「場所を変えましょう。車で来てますので、よろしければ」

「はい」

 英一と葛城とが立ちあがると、駅近くの広々としたコーヒー店のテーブルに座る客たちのほとんどが、あからさまにあるいは密かに、二人の動きを見守った。

 店員たちも給仕の手を止めて注視しており、カウンターの向こうのレジからは、アジア系の外国人らしい三人連れが大きな声を出してこちらへ駆けてくる。

「キレイ、デスネ、ニッポンジン・・・!ピクチャー、オーケー?]

 背の高い、世紀の美青年と、それより一回り小柄な絶世の美青年が並んで立っている姿を、日本観光の記念にカメラに収めて嬉しそうに去っていく。

 静かに店を去り近くの駐車場から英一の車に乗り込んだ二人は、しばらくそのままでいた。

「次の高原さんの警護案件・・・また河合がサブ警護員なんですね」

 英一の問いというより確認に対して、葛城はその絶世の美女と見紛うような美しい横顔に憂いを滲ませ、頷いた。

「晶生はうちの大森パトロール社の随一の警護員ですから、将来ある茂さんのような警護員はどんどんペアにつかせて修行させるのは当然のことです。それに私も、まがりなりにも最古参の警護員のひとりですから、茂さんだけじゃなくもっと幅広に色々な後輩たちを指導すべきで・・・・いつまでも茂さんとのペアといえば私、というわけにもいかないのも分かります。」

「はい」

 運転席の英一が、正午まえの太陽の光を浴びて輝く漆黒の髪と、同じ色の端正な両目で、助手席の警護員を見る。

「今回の案件は、特に襲撃の実績もない、本人からの念のためという依頼で、難易度も低いと思われます。後輩の指導育成にはこうした案件も活用していくことは重要でしょう。」

「そうですね」

「でも、今の晶生は、私以上に、茂さんにとってあまり良い先輩ではない。」

「・・・・・」

 葛城が英一の顔を見て、力なく微笑んだ。

「以前、英一さんに指摘されたことがありました。」

「はい」

「晶生は、常に、死に場所を探してるって。しかも、月ヶ瀬みたいな人間とはまったく逆の理由で。しかも・・・これが一番悪いことだと思いますが・・・・・本人にその自覚がないままに。」

「はい」

「それは誰にもどうしてあげることもできないから、せめて、もしも晶生のためになにかできることをするとするなら・・・・・」

「ええ。高原さんにとって最も大切な同僚である、葛城さん、あなたが、少しでも彼のために長生きすることだと申し上げました。」

「・・・晶生は自分のそういうことを、本当に体で自覚しているのかどうか、未だによくわからないんです。そして少なくとも行動はまったく改善していません。まえの警護のときもそれは・・・・・。」

「なにかおかしい、ということは、頭ではわかっておられると思いますけどね。」

 ふたりはそれぞれ正面に視線を戻した。

「・・・英一さん、今日はまだお時間は大丈夫なのですか?日曜日の舞のお稽古、最近ますますお弟子さんが増えたと伺いましたが。」

「師範代たちが助けてくれるので大丈夫ですよ。河合と同じで、副業と本業とうまく両立していかなければなりませんしね。河合は、今日は・・・」

「はい、今日の午後から事務所へ来て、その後晶生と一緒に今度のクライアントの自宅へ最終打ち合わせに行く予定です。」

「警護は明日からですか?」

「はい。月曜から土曜までのクライアントの勤務先から自宅への送り届けと、日曜の外出先への送り迎えです。期間は当面一か月間だそうです。」

「それはなにか具体的な理由があっての期限なんですか?」

「いえ・・・。クライアントからは、特に理由はないけれどとりあえず・・・とのことだったとか。」

 少しの間が空いた後、英一が再び葛城の美しい顔のほうへ視線を向け、微笑した。

「高原さんと、一度お話してみます。会社の同僚と話すより、むしろ第三者に対してのほうが、お話になれることもあるかもしれません。私ももとクライアントとして高原さんとそこそこ長いつきあいになりますしね。」

 葛城は頭を下げた。

「ありがとうございます、英一さん。」



 街の中心にある古い高層ビルは、昼過ぎの陽光の中、その重厚な外壁の趣を増している。

 高層階の事務所の、奥のカンファレンス・ルームで、チームのミーティングがやや重い空気の中行われていた。

「まさに、我々阪元探偵社のためにあるような案件ですが」

 耳の下、顎ちかくまで一番長い部分が達している黒髪に、無精ひげ、そして口の端に煙草を咥えた長身のエージェントが頬杖をついたまま言った。

「・・・目的はもちろん復讐ですが、再犯防止にもなりますかな」

「そうね」

 部下の顔を一瞥し、チーム・リーダーの女性が小さく頷く。

 吉田恭子はチームのメンバー四人の顔を順に見ながら、表情をさらに少し硬くした。

「・・・全国を縦断しながら、大学生ばかりを狙った連続殺人。目的がはっきりしない以上、これからも繰り返されることを考えるべきだ。」

「はい」

「せっかく逮捕されたけれど、証拠が足りなかった。」

「警察は頑張ったんですけどね・・・。合法な捜査というものの限界が、悪いかたちで出たんですな」

「そうね・・・・」

 舟形テーブルを囲んで座っているあと三人のエージェントたちは、それぞれに自分の発言の機会を求めるように吉田の顔を見ている。

「和泉」

「はい」

「ターゲットは暴力団関係者で、危険な調査だったけれど、詳細な事柄まで詰めてくれて感謝している。」

「ありがとうございます。板見くんがついていてくれましたから。」

 和泉麻衣は、ショートカットが似合う小麦色の顔をほころばせ、隣の後輩を見た。板見徹也の大きな両目が先輩を一瞥した後、すぐに上司のほうに向く。

「といっても、組織からは脱落した、住所不定・無職の男です・・・。偽の身分証で安アパートを借りては家賃を踏み倒して別の町に移り住んで。でも人殺しの腕はなかなかのものです。プロの殺し屋かとも思われましたが、そうした背景も事実もありませんし・・・」

 板見の発言は、和泉の向こう側に座っている黒髪の長身のエージェントに遮られた。

「動機がわからん、ということやな。」

「はい、酒井さん。」

 酒井凌介が口の端の煙草を指で挟み、苦笑した。

「連続殺人鬼の動機って、あんまりないことが多いよ、凌介。」

 板見の隣、テーブルの端に座り椅子の背にもたれていた深山祐耶は、その長い金茶色の髪を手でひっぱりながら少し苛立った様子で言った。

「旅しながら殺戮しまくったっていう例も歴史上事欠かないしね。」

「まあな」

「なんにせよ・・・」

 深山が椅子の背から背中を離し、やや前のめりになって、組んでいた足を元に戻した。

「・・・なんにせよ、僕が一撃で仕留める。お子さんを殺された三人の親御さんたちと、将来を断ち切られた被害者たちの、恨みを晴らすよ。」

「そうやな。」

 深山と酒井の顔を順に見て、吉田が頷こうとしたとき、その携帯電話が鳴った。

 電話に出たチーム・リーダーの顔色がたちまち変わったことに、すぐにチームのメンバー全員が気がついた。

「・・・わかりました。ありがとう」

 電話を切った吉田は、ふっと息をはきだしてから、顔を上げ、言った。

「ターゲットが、殺害された。」

「えっ・・・・・」

「今朝方、死体が発見されていたそうだけど・・・その身元が確認されたそうよ。警察情報のチームからの連絡だ。」

 その場にいた全員が数秒間言葉を失った。



 河合茂は、尊敬する先輩警護員とともにクライアントの前に座って、ふたりの会話を一言も漏らさず聞こうと集中していた。

 警護員としてすでに新人とはいえないが、まだまだ経験の浅い茂にとって、大森パトロール社随一の警護員のもとでサブ警護員を務めるのは、一回一回がなにより貴重な機会である。

 案件としては難易度はそれほどでもないという認識のため、事前打ち合わせは今回を入れて二回だけだが、二度とも同席させてもらっていた。

 クライアントの満田裕美は、もう間もなく五十歳という、美しい女性である。茂は、自分の母親に近い年齢の女性が、これほど女っぽく魅力的であるということに驚いている。

 結婚していたことがあるとのことだが、今は独り暮らしで、会社員をしている。

 身の危険を感じるとの話に、恋愛がらみのストーカーではないかと警護員が尋ねてみたが、確かに心当たりはいくつもあるとのことだった。

「ときどき、後をつけられているような感じがして・・・。警備会社を色々調べて、大森パトロールさんはとても評判がよさそうで、しかもうちから会社も近いので、是非にと思いました。お願いしてよかった。こんなに頼りになりそうなボディガードさんたちに来てもらえて。」

「ありがとうございます。明日から本番ですが、途中も何かご不明なことがありましたらなんなりとおっしゃってください。」

「はい。家の戸締りもきちんとしますが、もしも夜中に不安を感じたら、連絡してもいいですか?・・別料金になってしまってもかまわないですから」

「もちろんご連絡ください。代金のことは営業部長の波多野と事後のご相談になることもありますが、契約書のとおり、上限回数までの訪問は無料ですので。ただし、不安が現実のものになったとき、そしてそのとき傍に警護員がいないときは・・・まずは逃げて、そしてすぐに警察を呼んでください。」

「それはそうですわね。」

 高原は眼鏡の奥の、愛嬌と知性が同居した好感度の高い両目で、優しく微笑む。

 肩までのこげ茶色の柔らかそうな髪に手で触れ、満田も安心したように笑った。その感じは、なんとなく葛城に似ていると茂は感じた。艶っぽい。

「満田さん、あとをつけている人間に、具体的なお心当たりは・・・・名前が浮かぶような人間は、やはりいませんか?」

「そうですね・・・・。会社で、今までお恥ずかしいのですが、かなり何人かとセクハラ問題やトラブルがありましたから・・・・・私、なんか軽い女に見られるみたいで・・・そんなつもりはないのに・・・・。でもきちんと断ってますし、おつきあいしている男性も今はいないですし、・・・でも、知らないうちに恨みを買っているのかもしれないですね・・・・・」

「立ち入ったことですみませんが、過去に、おつきあいされていた男性などにも?」

「きちんと良い関係で別れたつもりですが・・・。でも、今、転勤とかしてなくて近くに住んでいる人間はふたりいます。」

 満田は名前と住所を注げた。警護員はメモに書きとる。

 高原はその後、警護計画全体のおさらいと細々とした確認をしてから、クライアント宅を後にした。

 事務所の車に乗り、晴れた日曜の街道へと走り出ながら、後輩警護員に向かって言う。

「ストーカーだと思う?河合」

「うーん・・・・・」

 茂は助手席で右手を顎の下にあてて考え込んだ。

「・・・難しいけどさ」

「はい」

「そしてこれは俺の単なる勘だけど」

「・・・はい」

「満田さんには、明確な心当たりがあると思うよ。自分を襲撃しようとしている人間の。」

「・・・・・・」

「現実的な、危険を理解している。そして、それを俺たちには、話していない。」

 茂が唇を前歯に挟み運転席の先輩を見る。

 高原は横顔で少しだけ笑い、そしてアクセルを踏み込んで大通りへと車を進めた。


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