後編
平成元年1月29日(日)
何という重いペンだろう。だが勇気を奮って書くことにした。こんなかたちで再びこの日記帳を開くことになるなんて、まったく想像もしなかった。
何かの間違いじゃないのか。
初めはどこまでもこのことばにしがみついていたかった。願わくば、これが夢であってほしい。そう思った。まもなく目が覚めて、悪い夢だったと、ほっと息をつきたかった。
こんな非情なことがあって良いのか。それ以外の考えは無理にでも押しのけようとした。
中静さんが、
あとに続く、わずか数文字のことばが恐ろしかった。あまりに恐ろしくて、その先を考えることさえ怖かった。いったん頭に浮かべたら、それが動かせない事実と決まってしまいそうで。
だが僕の抵抗もついに屈した。あまりにも虚しくあっけなく屈した。いまだ往生際の悪い拒絶の気味を残しながらも、とうとう事実を受け入れたのだ。と言うより拒絶の隙を縫って事実に陥落させられたと言うべきか。つきつけられた事実に力なく判を押させられたのだ。このうえは潔くここに記すことにする。中静さんは、いなくなってしまったのだと。
書いてしまってやはり苦しい。中静さんを突き離してしまったようで。輝くように優しく、かわいく僕を見つめてくれた中静さんを。
あれから僕は中静さんとの約束通り、脇目も振らず受験勉強に邁進していた。こうなったらトップで合格してやるという欲がいつの間にか固まって、それが自ずと気持ちの緩みを削ぎ落としていた。一次試験の自己採点も予想以上に良く、ますます弾みがついていた。そんな矢先、宮崎さんから突然の電話を受けた。3日前のことだった。
いったい何だと言うのだろう。勉強の進み具合でも尋ねようと言うのか。陣中見舞いのつもりかも知れない。
中静さんとワンセットで御無沙汰していた宮崎さんの声を久し振りに聞けると、気持ちを弾ませて電話口に着いた。受話器を取るなり誰かの物真似で挨拶してやろうかという悪戯心さえ起こった。いま思うと気持ちを覆される直前の無邪気さが自分ながら哀れでもある。あの瞬間ですべてが止まってくれたら良かったのだ。
いや、そんなことに意味はないではないか。あの時点で中静さんは既にいなくなっていたのだから。僕の耳に届く直前の事実はもう一週間も前に固まっていたのだ。時間の問題で知ることになる事実は潜在的には既知のことだ。
「もしもし」
明るい声で言ったと思う。が、陽気に弾ね返ってくるはずの宮崎さんの声が、そのタイミングを僅かに外しただけで、僕はまったく正体を掴めないながらも確かにある不安を意識した。その先を冗談で続けようとした僕は、この不安に口を塞がれた。
「……、もしもし」
そう繰り返すと、宮崎さんの弱々しい声が受話器から耳に流れた。
「小林くん、ごめんね。友子ちゃんが、友子ちゃんがね、…」
その先は涙声で聞き取れなかった。だが震える声で発せられた中静さんの名には、そのあとに続くべき本文が余すところなく含まれていた。直感的とは言え、何が起こったかを知るにはそれで十分だった。だしぬけに中静さんの名前が出るなど予想もしなかったのに、このたったひとことですべてを察したのだから奇妙なものだ。
だが察したと言っても、それは信じたと言うことではない。突然に放り込まれたひとことは、僕の知るこの数ヶ月のどこに当てても文脈が合わない。裏も表もない簡単なひとことだが受け入れるには難解すぎた。あの笑顔がもうこの世にないなんて、もう見ることができないなんて、いったいどうして信じられよう。
そのあとの宮崎さんの声など聞いているようで、まったく耳に入らなかった。友子ちゃんが…。この残響が大きすぎたのだ。しっかりと聞いていたなら、あるいは気持ちの持ち方も違っていたかも知れない。あのときから今日まで僕は拒んでも逃げても無慈悲に打ち寄せる現実との格闘を繰り返した。勉強などとても手につかない。空虚な胸の内をときどき苦痛に嬲られる。
だが僕の心境にも数日の経過のうちに、やや変化が見えてきた。時間に懐柔されたわけではない。どうしても信じられないという思いは厳とあった。でも認めざるを得ない現実を前に、それを認めたくないという抵抗には、やはり限りがあったのだろう。食い下がる気持ちを支え切れなくなっていた。
一方で本当のことを確かめたいという思いが強まってきた。中静さんの真実を拒むことだけはしたくない。中静さんがその身に受けたことなら、僕も正面から受け止めなくてはいけない。たとえ現実の重さに耐えかねて後悔したとしても、中静さんから顔を背けてはいけないと思った。
学校は今月半ばから受験体制で休みに入っている。今日は宮崎さんに会いに行こうと決めたのは午前10時頃のことだった。
すぐに電話をかけ、午後2時頃なら手が空くというので少し早めに病棟に赴いた。503号室には目を向けられなかった。
ステーションに行こうとすると馴染みの顔が近寄ってきた。僕と同室だった右鎖骨骨折の吉川さんだった。自動車修理工で仕事中の労災事故だったと聞いた。親しげに話しかけてきた吉川さんだったが僕には少々鬱陶しく感じられた。
「よう、小林くんじゃないの。どう、元気?」
「……うん、どうでしょうね。吉川さんこそ大変ですね。あれから、ずっといたんですか」
「まさか。俺もあのあとすぐ退院したんだけどさ、仕事中にまたおかしくしちゃって再入院よ」
「そうですか、それは大変でしたね。あんまり無理しない方がいいですよ。そう言う僕も山登りなんかしちゃいましたけどね」
山登りとは誇張だったな、と思いながら僕は自分が3日ぶりに笑っているのに気がついた。どんなに辛いときでも笑えるのが人間だ。そう何かに書いてあったのを思い出した。僕がかつて味わったことのない苦痛の渦中にあることなど、吉川さんを含め周りの一体誰に分かっただろう。
吉川さんとはそれで別れた。時間はちょうど約束の2時になっていた。僕はステーションで宮崎さんを呼んでもらった。僕の声を聞いて、こころなしか看護婦さんたちが注目した気がした。僕は敢えて彼女たちと目を合わさないようにして宮崎さんを待った。奥の処置室から出てきた宮崎さんは、いつもの半分の笑顔で歩み寄って来た。こんにちは、と口が動いたが声は聞き取れなかった。挨拶もそこそこ、
「ちょっと待っててね」
と言って、いったん踵を返し、すぐまた戻って来た。
「お待たせ。今、婦長さんに断って来たから」
「すみません、忙しいのに時間を取らせて。婦長さんにも謝っておいて下さい」
「うん、いいのよ。当然よ、このぐらい」
宮崎さんに似合わない吐き捨てるような言い方だった。ちょっと驚いた僕を忘れたかのように彼女はすたすたと歩いていった。
「今、そこで吉川さんと会いましたよ。また入院してるんですってね。相変わらず元気そうでしたけど」
「ああ、そうね。まだ休んでなさいって先生に言われたのに仕事に出て同じ所ぶつけちゃったのよ。馬鹿な男!そんなドジな話なんか聞きたくもない」
しんみりとした話になるだろうと思って来た僕は、宮崎さんの思いもかけない険のある言い方に当惑した。それに気づいてか気づかずか、
「いけないわね、こんな同情のない言い方をしちゃ」
そう彼女は付け足した。
僕たちはステーションの隣の面談室に入った。患者さんや家族の人が先生と治療の方針を話し合ったり、ケースワーカーと支払いや社会復帰の相談をしたりするための三畳余りの部屋だ。大きめのテーブルと4脚の椅子が唯一の備品だ。僕たちはそこに腰を下ろし、しばらくは相手の肘に目を落としたままだった。何か言わないと、と思っているうちに宮崎さんが口を開いた。
「何から言えばいいのかな。私も実を言うと何が何だか分からなくなっちゃって。長いこと看護婦やってるのに駄目なものね」
3日前の弱々しい話しぶりを思い出した。
「最初はね、小林くんには黙っていようかとも思ったのよ。だって受験中だものね。怒られてもいいから入試が終わるまでは言わないでおこうかって。でも随分と迷ったんだけど、やっぱりそれじゃいけないって思い直したの。小林くん、男だものね。きっと耐えてくれるだろうと思って」
僕はどう返事をすれば良いのか分からなかった。男と言われるほど強さに自信があるわけではない。ここ数日の無気力ぶりは宮崎さんに見せられたものではない。僕が黙っていたので宮崎さんは不安になったのか、
「ごめんね。私、間違ってた?やっぱり言わない方が良かった?」
覗き込むようにしてそう言った。
「いえ、そうじゃないんです。言っていただいて良かったと思います。知らないままじゃ却って中静さんがかわいそうですから。宮崎さんに買いかぶられるほど強くはないけど、ここで負けたら誰でもない中静さんに恥ずかしいですよね」
「ありがとう。よかった、安心した、そう言ってくれて。小林くん、やっぱり立派よ。私なんかより、ずっと立派」
そう言うと彼女は急にぽろぽろと涙をこぼした。
「ごめん、泣いたりして。今までずっと我慢してたものだから急に安心しちゃった。ほんと、友子ちゃんに恥ずかしいよね」
そんなにも僕のことを心配してくれていたのか、と身に沁みて思った。何年も中静さんのそばにいた宮崎さんの方が悲しみは数倍大きいはずだ。それなのに僕のことまで気にかけてくれた優しさ、気持ちの大きさに僕は自分が限りなく小さな人間に思えた。本当に立派なのはどちらか、火を見るより明らかだった。僕もつい瞼が熱くなった。そうなりながらも、しっかりしなくてはと思い、弱さを振り切って尋ねた。
「いつなんですか?……亡くなったのは」
「21日、今月の。このまえ言わなかったっけ。真夜中でね。前の日の夕方から危なくなって、ずっとそばについてたんだけど、明け方近くにとうとう…」
胸を締めつけられる思いだった。だが、逃げようとする自分がもう一人の自分にそそのかされでもしたように、僕は中静さんの最期の様子を聞かずにはいられなかった。
「残酷なようだけど、もっと教えてくれませんか。そのときのこと」
「ええ。私も小林くんには知っておいてもらいたい。友子ちゃん、どんなに立派だったか」
いったん声を詰まられて彼女は話し始めた。
「あの子はね、もう言ってもいいわね、骨肉腫だったの、左のふとももの。それが胸に転移して外科で手術したこともあるのよ。そんなふうに見えなかったでしょ。人工の膝関節を入れて、抗癌剤の副作用で腎臓や肝臓も悪くして。本当に体中病気だらけだったのよ、あんなにかわいい子が。信じられる?こんなひどいことってあるのかしら」
一語一語が胸を抉った。とても信じられなかった。中静さんがほんの少し顎を傾けた笑顔が目に浮かんだ。
「去年また見つかった肺への転移が今度は手術の適応にもならなくて、暮れごろから心臓を圧迫しだしたの。呼吸が満足にできない上に熱が続いて咳が止まらなくなって、私それでもう駄目だと思ったの。とうとう来るときが来たって。その時点で小林くんにも連絡しようか迷ったんだけど、奇跡的にいったんは良くなったのね。私、叫び出したいぐらい嬉しかった。やっぱり神様はいるんだって思った。無信仰のくせに、こういうときだけ神様ってものに頼っちゃうのね、人間って」
考えを纏めるようにして彼女は話を続けた。
「つい10日ほど前、だなんて信じられないよね、いったん持ち直したあと友子ちゃんの枕元で話をしたの。持ち直したって言っても、そのときはもう起き上がることもできなくってね。ただでさえ細い子が、すっかり痩せちゃって。私、こうやってあの子の手を握って『頑張ろうね。きっと神様が治してくれるからね。ここで頑張らないと神様に怒られちゃうよ』って言ったの。あの子、うん、うん、ってうなずいた。だけど、そのあと途切れ途切れにこう言ったのよ。いったい何て言ったと思う?」
「……」
「あの子ね、こう言ったの。『もし神様がいるのなら、私を病気にしたのも神様だよね』って。それ聞いて、しまった、かえって辛い思いさせたかって思ったわ。そうしたらね、そうじゃないのよ、全然。何て言ったと思う?『もし神様が私を病気にしたのなら、きっとそうした方が何かのために良かったからだよね。きっと、その方が誰かのために良いから、そうしたんだよね』って。私もう我慢できなくなっちゃって、あの子の前なのに、わんわん泣いて、…泣いて、…」
宮崎さんは次第に高まっていた声をここで嗚咽に変えた。僕は泣くより胸の苦痛に耐えていた。耐えようとして、そうしたのではない。泣いた方がどれだけ楽だろうと思いながらも泣けなかったのだ。男と女の悲しみ方の違いなのだろうか。
「あの子が本気でそう思ってたのかどうか分からないわよ。そう思うことで自分を慰めていたのかも知れない。でもそう言ったときのあの子の顔ね、あの力ない顔を見て、私、天使じゃないかと思った。この世の人じゃないみたいで、本当にそうとしか思えなかった」
廊下をばたばたと走る音が聞こえた。宮崎さんは前髪を片手でよけながら話を継いだ。
「それが結局、あの子と話した最後だった。前よりひどい咳をし出して、抜いても抜いても胸に血が溜まって。そのまま意識も戻らなかった。私、人工呼吸器をつけたあの子のそばにずっとついてた。お母さんも仕事を休んで付きっ切りになってたから、少し休ませてあげたかったの。
だけど今度こそ本当に助からなかった。20日の夕方になって心臓が止まって。それでも一度は心臓マッサージで蘇生したの。先生たちも必死だったわ。杉村先生なんて泣きそうな顔して。ナースもみんな泣いてた。でも日付が変わって2度目の心停止で、とうとう……」
彼女は涙声を交えて話し終えた。話し終えてしばらくの間、泣くに任せていた。僕はそれでも泣くことができず、ただ体が冷えて固まっていくような感覚に身を預けていた。
宮崎さんは、このあと思い出したようにひとことこぼした。そのひとことはあるいは中静さんがいなくなったこと、そのものより僕にとって強く重い衝撃だった。
「婦長さんもさすがに応えてたみたい。口もきけなくなって。よっぽど自分が責められたのね」
揺れる声が先にいくにつれて尖っていくのが、ありありと分かった。僕は思わず聞き返した。
「婦長さんが?」
「ええ」
「婦長さんがどうしたんです。どうして、あの人が自分を責めるんですか」
「…え?」
宮崎さんはここで初めて思い違いに気づき、はっと顔色を変えた。困惑と後悔の色が、はっきりと読み取れた。
「そうだったの。友子ちゃん、そのことは言わなかったんだ。それなのに口を滑らせて。馬鹿ね、私。
婦長さんね、小林くんが友子ちゃんの所に毎日のように来てることをあの子に注意したのよ。患者さんの間でも噂になってたから、何か間違いがあったらいけないと思ったのね。だけど、あんな言い方しなくても。『もしあなたが言いにくいなら、私から小林さんのご両親に言いますから』って、そう言ったのよ。友子ちゃん、泣いてた。あんな悲しそうな顔、見たことなかった。ぽろぽろ涙ながして」
宮崎さんは一層嗚咽を高めた。中静さんを哀れと思ったのか、口を滑らせたことが悔やまれたのか、それは分からない。だが、そんなことは問題の外だった。僕は谷底にでも突き落とされたような気がした。
ああ、僕はいったい中静さんの何を見ていたのだろう。あの小さな体が死に瀕していたことにも気づかず、しかも婦長のことばをたった一人で受け止め、苦しんでいたというのに。やはり僕は急ごしらえの思いやりしか持てない人間なのだ。中静さんの前に立つ資格のない人間だったのだ。そもそも僕がのこのこと現れなければ彼女の命を縮めることもなかったかも知れない。そう考えると胸をザクザクと刺し貫かれる思いだ。いや、そうしてくれた方がまだましだ。
その思いが通じた訳ではなかろうが、宮崎さんはこう付け足した。
「でも本当にいけなかったのは私よ。いつかは、こういう日が来ることを分かってて、あなたたちのこと、そのままにしておいたんだから。小林くんが傷つくことだって分からないはずなかったのに。ごめんね、許してね。友子ちゃんにも謝りようがない。でも私、言えなかったの。友子ちゃんの嬉しそうな顔見てると、とても言えなかった。小林くんが来てくれるようになって、あの子、本当に嬉しそうだった。
あの子ね、ごめんね、言わせて。あなたのこと好きだったのよ。私がからかって、『どう、小林くんのこと好きなの』って聞いたら、恥ずかしそうな顔して小さく、うんって。辛いでしょうけど小林くんにも知っておいてもらいたいの。あの子の純粋な想いまで知られないまま体と一緒になくなってしまったんじゃ、あんまりあの子がかわいそうで」
このときの僕の気持ちをどう言えばいいのだろう。好きと言われることが、こんなにも救いのないことがあるのだろうか。
会話はそこで途切れた。宮崎さんは言うだけ言って安心したのか、惚けたように壁の一点を見つめていた。僕はふと我が身に鞭を入れるような思いつきに取り惹かれた。
「宮崎さん。中静さんのいた部屋、見せてもらってもいいですか」
「え?それは、…いいけど」
彼女は一瞬ためらった様子だった。刺激が強すぎることを懸念したのだろう。だがそれは十分承知の上での頼みだった。
僕は宮崎さんに伴われて、未だあるじを失ったままの503号室の前に立った。同極の磁石に近づくような圧迫を胸に感じた。この扉をくぐれば嫌が上にも事実を受け入れざるを得なくなる。漠然とした虚無感が、重い鉄の玉のように凝縮されて現実の形を成すだろうことも分かっていた。それでも、いや、むしろそれを求めていたと言った方がいいだろう。こんな気持ちになるなんて、つい昨日には思いもしなかった。
ところが、いざ中に入ってみると、僕は却って現実から離れるような不思議な感覚に包まれた。ひとつ歩を進めるごとに重苦しい自我を宿した自分から抜け出るように、身軽になった自分が前に踏み出す。それに合わせて目に映る室内の光景もだんだんと色を失っていく。部屋の真ん中で立ち止まったときの僕の目に映ったものは、白の濃淡だけで織り上げたレースの刺繍のような光景だった。いつか中静さんの髪を飾っていた白いリボンを思い出した。この空間の法則を解いて、あの子をどこかへ連れて行ってしまったのか。
僕は右足をもう一歩踏み出した。すると真っ白な室内がにわかにチカチカするオレンジ色に覆われていった。
気がつくと僕はベッドの上に横たわっていた。胸のボタンとベルトが緩められていた。貧血を起こして倒れたのだと、そのとき分かった。室内は色を取り戻していた。どこからどこまでが幻だったのか区別がつかなくなっていた。いっそのことすべてが幻であったなら、たとえ僕の存在そのものも架空であってもいいと思った。
しかし実際には僕は生き、中静さんはいなくなったということをずっしりと感じとっていた。傍らで宮崎さんが心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。
「大丈夫?心配したわよ。小林くん、お願いだから、あんまり自分をいじめないでね」
僕はこのときになって初めて泣いた。まるで、このときのためにじっくりと嵩を増していた涙の袋が破けたかのように、とめどもなく涙がこぼれた。
ああ、いなくなったのだ。中静さんはいなくなってしまったのだ。
中静さんが時計を止めたベッドの上で、シーツに涙をしみ込ませて、僕は泣き止むことができなかった。
あれから僅か8時間余り。いま僕は比較的落ち着いた心地でいる。
だが僕は明日が訪れるのが怖い。明日になれば、どんな苦しみが、恐怖が、衝動が襲いかかるか分からないから。そして宮崎さんの望みに反して、それらに耐えると言える自信がないから。
平成元年1月30日(月)
昨日の感覚は夢の中にでも置き忘れて来たのだろうか。宮崎さんから聞いた話も、この目で見た誰もいない病室のたたずまいも、午前3時過ぎにようやく訪れた浅い眠りにすっかり流されてしまい、目が覚めたときには既に、中静さんがもういない、という認識は手元を離れ、それが現実なのか夢なのか判別がつかなくなっていた。
いや現実であることは実は十分に承知しているのだ。たっぷりと水を吸った脱脂綿のような重い心には分かっていたのだ。ただ往生際の悪い諦観が逃げ場を求めてのたうっている。事実を打ち消す余地をいまだ見苦しく探しまわっている。それでいて一方では、わざわざ事実を手繰り寄せて、苦痛の手触りを確かめずにはいられない欲求がある。前者と後者が入れかわりで僕一人を攻めてくる。人の死の認識とは、こんなにも着こなしに苦しむものなのか。
だって信じられないではないか。あの中静さんが、どこをどう探しても今はもういないなんて。わずか一ヶ月間とはいえ僕に笑顔を投げかけ続けたあの子が何から何までなくなってしまったなんて。三月になればまた会えると心待ちにしていたのに。今後どれだけ生きても、いつまで待っても、あの子に会える日が決して来ないなんて、とても信じられない。
どこか自虐的な欲求が、横たわって動かなくなった彼女の姿を想像させた。しかしその姿が、それを追いかけて来るように甦るさまざまな表情や仕草の結末とは、とても思えない。
小さく浮かべた笑顔、素直な性格、優しい思いやり、信じがたいほどのかわいらしさ。この世であの子だけに与えられたもの。磨いて得られるものではない。僕がこれまで出会い、これから出会うであろう多くの人たちに中にも、決して二度と見出すことはできないだろう。
いや、仮りにもっと素晴らしい人を知ったとしても、そんなことには何の意味もない。僕にとって、あの数々の美点は中静さんに宿って初めて意味をなすのだ。中静さんでなければ何にもならないのだ。
現実が宙に浮いたまま影を落としてこない。本当に中静さんはいなくなったのだろうか。
抱く余地のない疑問にいつまでしがみついているのだろう。この方が諦めの悪い心には居心地がいいのかも知れない。現実という鬼に見つからないよう興じられる、苦痛に満ちた戯れのようだ。
平成元年1月31日(火)
今のこの状態は燦々と陽の照ったところから、いきなり暗い部屋に飛び込んだときの感じと似ている。明暗の激変に目がついていけない、あの感じと似ている。やがて暗闇に目が慣れて前をはっきり見渡せるようになったとき、僕は一体どのような感情の波に飲まれることだろう。しっかりと前に進むことができるだろうか。苦しみの中から前進への公約数を見出すことができるだろうか。
勉強の手も止まったままだ。あんなにも躍起になっていたのに。二次試験まであと一ヶ月余り。だが受験など、すっかり意味を感じなくなった。確かにあった堅い決意が、こうも情けなく萎れてしまうとは。そればかりか無気力そのものではないか。
こんなとき、ほかの人ならどうするだろう。ひたすら耐えて苦痛の風化を待つのだろうか。苦しみに負けず、克服に努める人だって多いはずだ。過ぎたことにこうまで未練を残し、現実にいっさい抵抗できず、あまつさえ逃れようとしているのは僕だけではなかろうか。このような日々の営みは生きていると言える代物ではない。
こんな姿はとても中静さんに見せられない。僕は二つ年下の中静さんの前にとても立つ資格のない人間だ。
あの子の耐えていたものの大きさが今になってようやく分かった。あの小さい体で病気と戦い、家族とも学校の友達とも引き離され、歳相応、時代相応の幸福からも見放され、どんなに辛かったか測り知れない。
それでもあの子は曲がらなかった。あの子のどこに負けた跡があっただろう。そんなことにも思いが到らず、甘さむきだしであの子の前に立っていたなんて。それどころか自分が訪ねていくことで、あの子を力づけているつもりでさえいたのだ。僕なんかがいったい何の力になれたと言うのだ。ちゃんちゃらおかしいではないか。
しかし、そう嘲られても今の僕には響かないだろう。返す怒りを持つ気力もないのだから。
生への意志に強く生きた中静さんがいなくなり、弱さの申し子のような僕が生き残っている。ここでこの苦境を乗り越えられずにいては、ほかの誰でもない中静さんに恥ずかしいではないか。それが分かっていてなお、涙に流されるままになっている。
「与えられた機会にできる限りのことをするって、すごく大事だと思うんです」
「一生懸命になる機会を余裕で通り過ぎないで欲しいんです」
あの子は確かにそう言っていた。
「本当に頑張って下さいね。小林さん、私なんかよりずっと大変だと思います。外のいろんなものにぶつかって行かなきゃならないんですから」
最後に、こうまで言ってくれたではないか。
今となっては遺言のこのひとこと。だが今の僕にはそれさえ果たす気力がない。このまま受験を終えてしまったら、あの子は何と言うだろう。こんな僕を許してくれるだろうか。
いや、あの子はきっとこう言うだろう。自分のせいで僕を苦しめてしまって済まない、と。中静さんはそういう子だ。
僕は何という素晴らしい子に出会ったことだろう。そして何と大きなものを失ったことだろう。
平成元年2月1日(水)
来る日も来る日も四六時中、胸のうちに苦痛の重みを感ずる。こんな思いは今まで経験がない。レントゲンを撮ったら何かの影が映っていないはずはない、と思えるほど胸の内にその実体を覚える。
意識の池には樹影のように中静さんが映し出されている。他の関心事を投じても、見る間に水面に呑まれ、底に沈んで見えなくなる。そして波紋の中から再び姿を浮かび上がらせた中静さんと、いつの間にかまた対峙し続けている。
無理に勉強などしようとしても、体の中でゆらゆらと瘴気が立ちのぼるようで集中はおろか落ち着くことさえできない。かと言って、ぼんやりと何もしないでいても、そわそわして居ても立ってもいられない症状に襲われる。何かをすることも何もしないでいることも、いずれもままならない空虚な時間が長く長く続く毎日だ。
大人の人なら、これも良い経験だよ、と励ましてくれるところなのかも知れない。苦痛そのものには、そのような慰めが可能だ。
でも僕は苦痛の処し方などを探っているのではない。中静さんのあんな小さな一生を思うと、それが本当に哀れで、切なくて、たまらなくさせるのだ。今となってはもう中静さんに何をしてあげることもできない。あのときに遡って中静さんを喜ばせることも、励ますこともできない。どんなに強く望んでも、絶対に永久にかなわない。
こんなこと今までだって知らなかったはずはないのだが、いざ自分の身に降りかかってみると、死というものの決してやり直しを許さない徹底した冷酷さをずっしりと感じる。全身の血管に風が通うようだ。
なるほど確かに良い経験だ。中静さんから教えてもらった、中静さんに還元することのできない経験。大事なようで、到底価値を認める気にならない経験。
生きている間の充実ばかりを願うのは浅ましいことだろうか。それでも僕は中静さんに、もっと長い命を楽しませてあげたかった。せめて普通の暮らしをさせてあげたかった。そう思わずにはいられない。中静さんのために、もっと何かをしてあげたかった。せっかく、ああして出会えたのに、僕はあの子のために何もしてあげることができなかった。
あの世での安らぎを祈るしかないとは、いかにも陳腐で無芸なことだ。実感として捉えられない架空の世界を想定し、そこに思いを託する。こんな場合の常套手段だ。
でも実感を得られなくても、どこかに抵抗を感じても、僕もあの世というものを自然と意識にのぼらせる。昇天とか成仏とか、知らず知らずに耳に馴染んだ、そういうことばの影響なのか。それとも前世からでも受け継いだ、僕自身の経験以前の感覚なのか。
そういえば宮崎さんも似たようなことを言っていた。中静さんが亡くなる直前、神様に祈る思いだったとか。これは人間の知恵なのか。神様の懐に委ねることで安心を得たいのか。
神様とは人類の最も偉大な創造物だと何かで読んだ。つねに悩み、つねに苦しみ、つねに誰かに縋りたい人間という生き物にとって、どんなときにも見捨てず守っていてくれる万能の絶対者はどうしても必要な存在だったのだろう。歴史に晒され、果てしもない時間の経過に耐え、ついに決して風化することがなかったほどだから。教理で肉付けをし、都合に合わせて暖簾を分けて、必死にそれは守られてきた。
「もし神様がいるのなら、私を病気にしたのも神様だよね。きっとそうした方が何かのために良かったからだよね。きっとその方が誰かのために良かったから、そうしたんだよね」
この問いかけに答えてやってほしい。もし神様がいるのなら、僕はそう祈りたい。抱えきれない恨みを込めて。
そして僕にも教えてほしい。出会いを与えておきながら、たったひと月で引きちぎった意味を。
最後に会ったあの日、勇気を出して訪ねたことが、今となると唯一の救いだ。あのまま、わだかまりを残して逝かせてしまったら、それではあんまり哀れに過ぎる。あのようなきれいな別れを与えられたことが、せめてもの幸運だった。結局あれが中静さんのために僕ができた、ただひとつの慰めだった。それがそのままはなむけとなってしまった。
平成元年2月2日(木)
耐えがたく静かだ。誰の声もどんな音も耳に届く前に濾過されて、あとに残った静寂に耳を塞がれる。押し潰されそうな静寂だ。まるで指揮者のタクトが静止した瞬間の緊張の中に放り込まれたように。音は発していなくてもオーケストラは全力で休符を演奏している。その静寂がうるさいほど鳴り響いて、僕に落ち着きを与えてくれない。
中静さんの赴いた世界、そこだけは真に静かなところなのだろう。
平成元年2月3日(金)
外は今朝から雨が降り続いている。静かな部屋の中で力なく机に向かっていると雨の音が遮るものなく耳に届く。単調なその音が次第に不快になっていき、ステレオのスイッチを入れ、FMの音楽をいっぱいに流してみた。強いビートの外国のロックが、とたんに耳に打ちつけてきた。何だかさっぱり分からない知らない曲。でもそれで十分だった。いっぱいのボリュームが雨の音を強引に隠してくれるから。聴いているうちに気持ちも音楽の方に傾いて、やがて雨のことも意識の中から消えていった。
でも音は聞こえなくなっても雨は止んだわけではない。ほんのひととき忘れたつもりでも、ふと音楽が途絶えたときに、悲しみが降り続いていることを思い出してしまうのだ。
平成元年2月4日(土)
順風満帆ということばがある。追い風を受けて快適に帆走するさまは、しばしば順調に事の運ぶ人生の形容となる。
しかしこのときマストにかかる帆の重みには、なかなか気づかないものなのだろう。嵐に出会い、強風を孕んだ帆を支える苦しさを知るまでは。
そして僕たちがふだん何の気なしに持ち歩いている命という帆。そんなに軽いものであるはずはないのだが、うまく舵を取れている間は、その重さにまで目を向けないようだ。
が、ひとたび波風にあおられたら、決して下ろすことの許されないこの帆は、ただ耐えることを命ずるばかりだ。
雑踏を行く人々を見て、今の僕はこう思ってしまう。この人たちは本当にこんな重荷を重荷とも気づかず、担いで歩いているのだろうか、と。
平成元年2月5日(日)
母が僕の部屋にアザレアの鉢植えを飾ってくれた。白い花をいっぱいにつけた、本当に綺麗で見事なものだ。ウェディングドレスのように華麗で、今が一生の頂点なのだろう。花に心があるとは思えないが、これだけの華美を纏えば、さぞ満足も大きいのではないか。
ところが、なぜこの花を綺麗と感じたのか、という疑問がわいた。見目形だけのことなら造花でも用が足りるはずだ。むしろ意識的に美しさを加えることもできる。ところが造花の人工の美がどれだけ見る者に訴えるかと言えば、それは生花の比ではない。技巧の高さに感じ入ったとしても観点の違うことだ。造花に鼻を近づけてみたくなるだろうか、くちびるを寄せてみたくなるだろうか。
考えてみると大きな頭を細い茎がよく支えていると思う。が、もしこれ以上に立派な花をつけようと欲張ったとしたら、茎や葉に渡るべき滋養を削ることになり、こんどこそ自分を支え切れなくなる。
このアザレアは幸いにも人に愛でられる華やかさを持っている。だが商品にもならない地味で質素な花も、自分に与えられたそれ以上の華飾を纏おうとはしない。より大きな美しい花を横目に眺めても。
それでも決して怠けたりはしない。自分の力の及ぶ限りの花を咲かせることは決して怠らないのだ。地にしっかりと足を下ろして。
しかし精一杯の花を咲かせても、雨や風に曝されて折れてしまうこともある。ちぎられ、踏みつけられてしまうこともある。ほんの小さな一生さえも全うできない可憐さ、無力さ。それが見る者の胸を打つ。
「わぁ、きれい。ありがとうございます。これ、なんて花ですか?」
「トルコ桔梗。僕も知らなかったんだけど、花屋で見てきれいだったから」
「本当にきれいですね、初めて見た。お花なんて久し振りです」
「そういえば、花を飾ってないんだね、この部屋は」
「えへへ、女の子らしくありません?お花、ほんとは好きなんですけどね。何かかわいそうじゃありません?あ、すみません、せっかく持ってきていただいたのに」
僕が一度だけ買って行ったトルコ桔梗の花を見て、中静さんはそう言った。紫色に縁が染まった、あれも白い品の良い花だった。
中静さんは花の哀れさを自然に感じていたのかも知れない。そして自分の運命に何の抵抗もできずに、とうとう散ってしまった。
僕の出会った中静さん。いま思えば、あれは萼を離れる寸前だったのだ。僕の息がそれを早めてしまったのかも知れない。
平成元年2月6日(月)
少しでも中静さんを思い出させる人を見ると、はっと注意を向けてしまう。髪の感じや背の高さ、うしろから僅かに覗く頬の線、そして声。
中静さんでないことは百も千も承知なのに確かめずにはいられない。そして中静さんとは似ても似つかない顔を正面から見て、大事なものを傷つけられたような泣きたい気持ちになるのだ。
平成元年2月7日(火)
胸を噛み、吠え猛るこの苦しさに僕はどうやって耐えればいいのだろう。いっときも忘れることのできない悲しさをどう静めればいいのだろう。何もする気が起きない。何も考えることができない。かと言って一人でじっとしていると、突然苦痛が膨れ上がって叫び出したくなるときがある。どこへ逃げても、この苦痛を振り切ることはできない。
誰かに打ち明けて、慰めてもらいたいという思いもある。少しでも楽になれるならば本当はそうしたい。
でもそう考えてもすぐ水を浴びせられたように冷めた気持ちになる。他人に何を求めても無駄だ。他人には、指先にパックリと開いた傷口を見て、思わず自分の指をおさえる程度の痛みは想像できても、神経の疼きまでは伝わらない。流した涙の熱さを頬に感ずることはできない。僕の気持ちを分かってくれるはずがないし、分かってもらおうとするのも煩わしい。
でも、この辛さ、苦しさの中には中静さんがいる。辛い思いに締めつけられている間は中静さんを胸の内に感じることができる。辛ければ、辛いほど。だから、この苦痛が大きいほど、それが大切に思われてならない。
結局、僕の相談相手はこの日記だけだ。決して答えを示してはくれないが、僕のどんなことばをも黙って受けとめてくれる。余計な意見も慰めも言わず、もちろん笑って聞き流したりもせず、その白い胸に刻んでおいてくれる。薄情にも僕の気持ちを忘れてしまったりはせず、いつまでも記憶にとどめておいてくれるのだ。
平成元年2月8日(水)
そう言えば入院中に書き始めたこの日記も、いつの間にか『過去』が厚みを増し、いまでは『未来』の方が薄くなってきた。残っているページ数が気にかかる。ここに僕はどんな未来を記すことになるのだろう。
しかし僕はこれとは別に、ページ数の決まったもう一冊の日記を与えられているような気がする。その日記を書き終えるだけの時間を寿命と言う。日々の言動や思索という形で記されるこの日記は、もしかすると定められた通りを忠実になぞるだけの写本に過ぎないのかも知れない。僕たちの人生はあと何ページが残されているかを知らされずに黙々と行を埋めていく作業なのだ。
この営みは最後のページの最後の行の最後の一マスだけを空けて終了する。残った一マスに誰かが『。』を書き入れ、その日記は閉じられる。そして二度と開かれることはない。
平成元年2月9日(木)
いま外には雪が静かに降り続いている。僕はついさっきまで、雪を吐く空の底をベランダからじっと眺めていた。これだけ降ったのは、この冬初めてだろう。音もたてず夜の町に敷き積もる、白より白い雪。『しんしんと』とは良く表現したものだ。語感の適切さに感心する。
ふと目を下ろすと隣の平屋越しに、公園の木々が白銀の葉をつけて電灯に浮かび上がっている。夜の空間の別世界。僕はこの光景を飽きずに眺めているうち、久しく忘れていた落ち着きに辿り着いた気がした。そして、すべての雑事も煩いも凍てついた空気の中で結晶となり、音という音を封じ込めた雪の下にいつしか僕自身も消えていくような錯覚に包まれていった。
平成元年2月10日(金)
昨夜の雪は明け方までに止み、目が覚めた頃には雪溶け水が樋を流れる音が聞こえていた。昼近くになって、僕は雪のあとの町を歩いてみたくなり、雪靴を履いて外へ出た。道には、すでに何本もの轍、無数の足跡が黒く滲んでいた。そこに新たに僕の足跡が加えられた。ずぼりと埋まった足を上げると靴底の凹凸がくっきりと浮かび、溝の部分から泥水が滲んだ。
町の景色は、いたるところ泥水に濁されていた。車道ではスピードを落とした車が、びしゃっと音をたてて汚れたシャーベット状の雪を弾いている。そこには昨晩の白は跡形もなかった。商店街の店先や住宅地の玄関前は朝早くから雪を掻いたらしく、アスファルトが濡れた肌を見せ、その両脇に土や小石や落ち葉をつけた雪が堆く積まれている。
近くの中学のグラウンドは運動部の朝練で、とうにドロドロに荒らされていた。早朝に見たならば、敷き詰めた絨毯のようだったはずのカンバスは、今や大罪を描いた絵画の呈だった。
いま思うと僕は昨晩得た気持ちの静けさが本物であるかどうかを確かめたかったのだ。そのために外出し、泥まみれに踏みにじられて帰ってきた。
しかし僕は帰宅の途中、まだひとつの足跡もない真っ白な雪を残した一角に目を止めた。そこは人の生活のないところ、墓地だった。ここだけは昨夜ベランダから臨んだ景色と同じ、いやそれ以上に白く静かなたたずまいを残していた。かぶった雪を払おうともしない真っ黒な墓標。そこには生前の姓が刻まれている。以前は雪道を濁して歩き続けた人たちも、ここで足の汚れを落とし、静かに心を休めている。彼らにはもう雪道を前に戸惑う気遣いは不要なのだ。
再び、いま歩いてきた道に目を戻すと、雪は人の歩いた跡をありのままに暴いている。
僕は雪の訴えを聞いた気がした。お前たちが生きるということは、こういうことなのだ、と。いかなる聖者も、この雪の上を跡も残さず歩くことはできない。白を白のまま残すことは、生きる者には無理なことなのだ。
雪がこのことを僕たちに教えるのは善意からか、悪意からか。
きのう一晩を白く飾った雪は、いま冬の景色を汚く見せている。
平成元年2月12日(日)
過ぎ去った時間は一体どこに行ってしまうのだろう。今でもどこかにあるものならば、掘り返してでも手にとりたい。
「小林さん、ふだんオートバイに乗りながら、どんなことを考えてるんですか?」
「え、ええと、そうだな、次はどこの交差点で曲がるんだったかな、とか、車に近づき過ぎないように、とか……」
中静さんは右手の甲を口に添えて、おかしそうに言った。
「すみません。私の聞き方が悪かったみたいですね」
唐突な問いに間の抜けた返事をしたことは自分でも分かった。中静さんは結局、問いかけの趣に自分で答える形になってしまった。
「オートバイで風を切って走ったら、気持ちいいんだろうなって。少しぐらいの嫌なことなんか吹き飛ばせちゃうんじゃないですか?私…」
「うん、それはあるね」
笑われてしまった恥を雪ごうと幾分はやって答えたせいか、彼女が継ごうとしたことばに僕の返事が重なった。互いに一瞬会話から手を離したが、先を促す仕草を受けて、僕は滔々とバイク談義を続けてしまった。僕の趣味に思わぬ関心を示してくれたことと、充分に展開しうる話題を得たことに膝を打つ思いになってしまったのだが、本当に間が抜けていたのは、どうやらこちらの返事の方だったろう。
彼女は「私…」と言いかけた。何を言おうとしたのだろう。吹き飛ばしたいことがあったのではないだろうか。わずかにこぼれた真情の露を僕は掬ってあげることができなかった。話に得意になるあまり、僕の答えに求めていたものを見抜いてあげることができなかった。そうではないだろうか。
あのときの彼女の正確な意図に近づこうとしても、今になっては組み立て直す材料に乏しい。できたとしても復元図に何を問えよう。あのときの『私』は、あの瞬間にしか存在しない中静さんだ。消えた流れ星を追うことはできない。いまさら願いをかけることはできない。
つねに屈託なく僕を迎えてくれた中静さんは、ついに心底を覗かせなかった人でもある。意外なことだがそうなのだ。
見せるにあたわぬ人間と思われたか。このときのことを思い返すと、疑念が悔いをのせ過去に疾走する。そんなふうに相手を見下す人であるはずはない。隠すつもりなどなくても、コップの水を返すわけでなし、そう簡単に胸の奥にあるものが流れ出るはずもない。僕に気詰まりな思いをさせないための配慮もあったろう。気詰まりな人間と思われたくもなかったのかも知れない。
僕は中静さんと会っていたとき、彼女を傷つけるようなことを口にしたり、それを表情に出すことにさえ細心の注意を払っているつもりだった。でも、いま振り返ると、ことばを選ぶことに腐心するあまり、真意を通わせることを忘れていた気がする。
あのときこう言ってあげればよかった、せっかくああ言ってくれたのに、あのときの答えはいかにも無粋だった、と詮ない悔いがことば面を這いまわる。交わした会話ひとつひとつを赤線で校正し、過去への差し戻しが利いたなら、と思わずにはいられなくなる。
人と人との生きた会話は台詞のやりとりとは似て非なるものだ。僕たちのさまざまな考えや気分や感情は、声にのり吐息に染まった瞬間、新たな命を吹き込まれたことばに身をおきかえる。そこには、おのおのの性格や経験までもゆとりを持って包み込まれる。情景の手を借りて、情景に響き返る。そのようなことばの交歓は、互いの目を見て息づかいをはかり、合わせながらも訴えかける重唱と同じだ。いつか、あのホールで聞いた、いや包まれたのと似た時空の文脈から切り離して、一小節だけを出来のよい録音に差し替えたところで何になろう。
あれはあれで生きた会話を成していたのだ。架空の物語に編み直しても始まらないことは分かっている。
それでも振り返ることでしか中静さんを見出せなくなってしまった今、思いは過去を巡るばかりだ。せめて僕たちに与えられた短い時間だけは、瞬間瞬間を緻密に充たした完成品にしておきたかった。音譜ひとつひとつが宝石のように輝く歌曲の小品集のように。
平成元年2月13日(月)
母が午前中から出かけたので昼食を外へ出て済ませた、そのときのことだ。
先日の雪はもう、日陰に積まれたものだけが溶けきらずに残っている程度だった。僕はすっかり乾いた道路を何キロか目的もなく走り、たまたま目についた洒落た感じの喫茶店の前で歩道にバイクをとめた。
「いらっしゃいませ」という女の人の明るい声に招かれて、僕は奥のテーブルに進み、籘の椅子に腰かけた。受け取ったメニューからミックスサンドと紅茶を注文すると店の女性は「かしこまりました」と感じよく答えてカウンターの内側へ戻った。30ちょっと前ぐらいのわりと綺麗な人で、タートルネックのセーターとスリムのジーンズの上に首からエプロンを下げたカジュアルなスタイルが店の雰囲気に親しみを与えていた。
店内は外の往来に比べると静かで落ち着いており、テーブルや装飾品などを含め、木を多用した造りは、まだ明らかにできて間もないこともあり、品の良い光沢を放っていた。喫茶店にしては珍しい大きなテーブルの端にヘルメットをのせて、シールドの表面に封じ込められた二次元半の湾曲した世界を見つめながら、僕はぼんやりと注文の品が運ばれるのを待っていた。まもなくそこにお盆を持った、さっきの女の人の姿が不自然な拡大の仕方で近づいて来るのが映った。
にこやかに差し出された品を軽く会釈をして受け取ったあと、僕はテーブルの隅に置かれた塩を取ろうと手を伸ばした。その横に置いたヘルメットのシールドに店の女性のうしろ姿が映っていた。実際より遙かに奥まで下がって行ったように見える彼女を、僕は伸ばした手をとめたまま目で追ったが、視界に映るそんな動きが煩わしく感じ、テレビを切る感覚でシールドを上にずらした。すると、それまで映っていた景色がすべてヘルメットの中の黒い空洞に飲み込まれたように見えて、軽い驚きを感じた。が、この暗い淵から運ばれて来た声に、僕は突如感情を激しく揺り動かされ、胸をきつく締めつけられた。
「中静さんには大き過ぎるね。頭がちっちゃいから」
「どうせ脳みそが足りませんから」
「脳みそは足りない、髪の毛は薄い、って?」
「あ、ひどい。そこまで言うことないじゃないですか。いまのことばは、ずっと忘れませんからね」
他愛もない会話が、呼吸を乱し胃を押しつぶすほど僕を攻めたてた。この丸い空間にあの子の小振りな頭はすっぽりと埋まっていた。内張りの布が、あの子の髪に触れ、頬をさすり、においを吸った。あのとき、開いたシールドの陰から僕を見上げた、きょろりとした目も、とがらせた口も、透き通った声も今はない。一切ない。僕のこの手に、かけらさえ残さずに。
胸の痛みに耐えかねて衝動的にシールドを閉じた刹那、ヘルメットの内側にあの子の穏やかな笑顔が浮かび、同時に黒いシールドの下に消えた。慌てて開けたが、そこにはもうあの子の顔はなかった。
幻影だったことは百も承知だ。だが咄嗟のこととは言え、自分に迫る苦しみを遮るために、あの子を突き放し、過去に封じ込めてしまったような気がした。あんなに僕を慕ってくれた中静さんを闇の底に落としてしまったように思えた。
哀れさと悲しさと、苦痛と怒りと後悔とがゴチャ混ぜになった感情が一気に込み上げて涙腺を切った。僕は焼けるような涙を店のおしぼりで覆い隠した。おしぼりがどろどろに赤黒くなるのではないかと思った。
そうしながら痛切に感じた。どんなことがあっても中静さんを過去に置き去りにはしたくない。中静さんの記憶を、彼女が僕に手向けてくれた気持ちを、そして僕が彼女に抱いた思いを、たとえどんなに苦しくても決して手放したくはない、と。
平成元年2月15日(水)
思いのめぐる中、ときおり中静さんという人は本当にいたのだろうか、本当に僕と会っていたのだろうか、あのときの僕は本当に今の僕なのだろうか、と自分の記憶に躓いてしまうことがある。
肝心なものを失ってしまった空虚さだけは、はっきりとあるのに、その虚ろな空間に記憶を当てはめても、どこか取ってつけたようなよそよそしさがある。生命感のある印象になかなか辿り着けない。どこで撮ったか忘れてしまった写真のように、そこに実感を宿すことができない。
と言って、中静さんを思い出の人にしてしまったわけではない。躍動する立体感は呼び起こしづらくとも、思い入れの注ぎ込まれている間、記憶はアルバムに収まるのを拒むものなのだろう。が、それも積み重なる時間に押しつぶされて、やがては平面的な思い出となろう。せいぜいが飛び出す絵本ほどの立体感で。そうはしたくない。
中静さんと出会ってからの一ヶ月間、僕はほとんどいつも上機嫌な楽しさの中にいた。少々の不快や悩みなど衣服の小虫を指で弾くぐらい容易にいなすゆとりがあった。目や耳を通して彼女の姿や声が吹き込まれると、胸の内で歓喜のプロペラが旋回するようだった。僕にしっぽがあったなら、さぞ勢いよく左右に返っていただろう。
でもその楽しさゆえに、楽しさに舞わされて、先を急いで過ごしてしまったように思える。時間の経つのが速く感じた。それがその証拠だろう。もっとあの時間を大事にすれば良かった。もっとしっかり踏みしめて過ごせばよかった。
そういえば入院中、大切なものを見落としたままで生きるようなことはしたくないと思ったことがある。あの一ヶ月間が今になってこんなにも大切なものになるなんて、あのとき思いもよらなかった。未来の後悔を見通して生きるなんて無理なことかも知れないが、あの時もう少しでも『現在』に対して誠実であれたなら。またいつでも会えるという油断が確かにあった。いつでも。また。『現在』に対する不誠実の証しではないか。
動いている中静さん、話をしている中静さん、僕を見てくれている中静さんをもっと目に焼きつけておけばよかった。中静さんと同じ空間にいる自分をもっと正確に捉えておけばよかった。彼女と確かに一緒に過ごしたということを記憶に象嵌するぐらい、しっかりと確実に。
平成元年2月16日(木)
中静さんが亡くなったとき、僕は真っ黒な地面の亀裂に飲み込まれたようなものだ。その瞬間には理解できなかった状況も底まで落ちてみてようやく分かった。
中静さんが、いつの間にか僕の胸の内を大きく占めていたことに、僕は最近まで気づかずにいた。そしてその彼女を失ったことが、僕にとってどれほど大きなことだったのかも今頃になって分かってきた。虚しさや苦しさと戦ってばかりいた初めのころには、まだ彼女がいなくなったことの本当の重さが分かっていなかったのだ。
空は遙か上から、こちらを覗き込んでいる。この亀裂はやがて自然に塞がるだろう。あるいは土を投げ込んで埋められるかも知れない。一人の人間の死など、そうして日の当たる地上からは跡も残さず消えていってしまう。しかし地下の壁に挟まれたままの僕は、ますますきつく胸を締めつけられる。でも僕はそれでいい。中静さんへの思いをいつまでもそのままに抱いていられるのなら。
しかし僕は知っている。『いつまでも』。これほど生命と相いれない概念のないことを。
人間は苦しみさえも抱き続けることのできない便利な弱さを持った生き物なのだ。いま胸の中に渦巻いている真っ黒な砂の一粒一粒も、いつかは心の底に沈んで、次に苦境に出会った際に容易に揺るがないための重しとなるだろう。苦渋に満ちたこの思いも、思い出という美名のもと、回廊を飾る一枚の絵のように通り過ぎるのも足をとめて眺めるのも気分に任せるだけになるだろう。そのときとなっては、苦痛の絵の具で塗りつけられた肖像も甘苦い感情を掘り起こすに過ぎまいと思う。それでは中静さんは僕の人生に色彩を加える一筆で終わってしまう。そうはしたくない。中静さんは、やはりいつまでも生きたまま僕の胸の内に住まわせておきたい。
しかし時間という奴は特効薬にはならないくせに、黙っているとお節介な医者のように頼みもしない傷まで治してしまうだろう。それなら僕は時間との同居を拒否するまでだ。それが何を意味するのか分からずに言っているのではない。時間と訣別する手段が一つしかないことは十分に分かっている。
ものを書きつけていると、頭を巡らすだけでは辿りつけない思いに到ることがあるようだ。混沌とした今の心境がこのような結論を求めていたとは、ペンがここに及ぶまで想像さえもできなかった。
たったいま導き出されたこの考えを僕は結論として直視できるだろうか。
が、そんな尻込みとは裏腹に、それは胸の内で氷の棘が刺さったように冷たく存在を主張している。
平成元年2月18日(土)
中学3年のときの担任だった三浦先生が3月に結婚するという連絡が当時の同級生からあり、何かプレゼントを贈ろうという話が持ち上がった。とてもそんな気分ではなかったが、自分の感情をよそに持ち込んで、せっかくの慶事にけちをつけるような真似はしたくなかったので、表向きは快く賛意を示しておいた。そのために同級生の何人かに分担で連絡をしてほしいと言われて、当時の連絡網を探していたときのことだ。
棚をひっくり返すようにして中3時代の配付物のファイルを見つけるまでに、見当をつけて手に取ったいくつかのコピーや印刷物の束が高2、高1と順に遡り、自ずとそのころの記憶に思いが至った。中静さんを知らなかった頃の自分。つい一年前の自分がガラス越しの他人に見える。
やっと目的の物を探し当て、茶色に変色したコピーの束を繰っていると、中から数枚の原稿用紙がはみ出てきた。何かと思って引き抜いてみると、そのころ課題で書かされた読書感想文だった。
「若きウェルテルの悩み読後感」と仰々しく謳われた題名から本文に目を滑らせていくうちに、確かにこんなものを書いたことを思い出した。三年前の自分の筆跡に誘われて、つい先まで読み進んでいくうちに、原稿用紙の向こう側から気楽な顔をした自分が朗読して聞かせているような錯覚に陥った。その声を目を通して聞いているうちに僕は、はっとあることに気づき、胸を詰まらせた。
主人公の採った道が、今の僕が進もうとしている方向とあまりに符合している。そして一昨日の閃きが日常の保護色に染まらないうちに、このような『指針』を与えられたことに、運命の後押しを受けているような強烈な印象を受けた。偶然と払いのけてしまえばそれだけのことにまで意味を問わずにいられないのが、最近の僕の融通利かぬ習癖だ。
もちろん、この主人公と僕とでは置かれた状況がまるで違う。僕の中で固まりつつあるのは失恋を苦にした自死などでは断じてない。にもかかわらず彼の決断には他人事として、あるいはフィクションとして受け流せないものを感じてならない。偶然に出会ったにしてはあまりに時を得た、でき過ぎの『参考資料』ではないだろうか。
だがここまで考えたときに一つの見落としに気がついた。それは、ウェルテルは『悩み』を死で決着させたが、作者であるゲーテは「ウェルテル」を生むことでそれを癒した、ということだ。心の傷には昇華という治療法がある。僕に示されているのは、もしかしたらこちらの方なのかも知れない。
天は人の歩く道に、しばしば意味ありげな標識を立てるが、その解釈については何の知恵も貸してはくれない。僕が倣うべきはゲーテかウェルテルか。
そういえば三浦先生は大学を出たての若い人だったが、落ち着いて思慮に長けた尊敬できる人物だった。よく本を読む人らしく、僕たちにも本を紹介し、実在不在の多くの人物、いろいろなものの考え方を示してくれた。たしかこの感想文も先生の課した休み中の宿題だったと思う。
今このときに先生の消息に触れたこと、これも何か意味のあることだろうか。
「自分をしっかり見つめて、もっとよく考えてみなさい」
以前の教え子を見かねた三年ぶりの課題。そうとるのもやはり僕の習癖の成せる穿った考え方だろうか。
平成元年2月19日(日)
僕は昨日いったい何を迷っていたのだろう。僕は自分の苦痛から逃れようとか、克服しようとか、そんなことを考えていたわけではないではないか。自分の煩いの本質を見間違えるなんて、僕はバカか。
僕にとって至上で唯一の願いは、中静さんを、彼女と出会ったことを、彼女と気持ちを通わせたことを、そして今も抱き続ける彼女への思いを、いつまでも変わらず記憶に残しておきたいということだ。それらが温かみを失ったり、一部たりともこぼれ落ちたりするようなことは決してあってはならないのだ。
平成元年2月20日(月)
今日、駅前の通りで一匹の犬の死体を見た。もともとは白かったのだろうが、すでに灰色に汚れた、毛足の長い小型の犬だ。初めはモップか何かが落ちているのかと思ったが、横を走り過ぎたとき、コの字型に伸ばした手足を認めて、それが犬と分かった。
分かったときには、もう背中の遠くうしろになっていたので、顔がどうだったか、傷や血痕があったかどうかまでは確認しようがなかった。だが確実に言えるのは、間違いなく死んでいるということだ。
僕の前を走る何台か、何十台か、何百台か先の車が轢いて行ったのだろう。そして誰かがそれを道の脇によけておいたのだろう。
飼い犬だろうか。でないとすれば名前もない、存在自体、誰にも知られていない犬。死んだことなど、いったい誰が気づこうか。
慌ただしい往来の中で、たった一人、自分だけが死んでいる。その寂しさに気づくことがないのはむしろ幸いか。
でも人間の死にしても、この犬とどれだけの開きがあるだろう。
ちょうど、この犬を轢いた車が走り去り、あとに続く車が途切れることなく流れるように、広い世の中では一人の人間の消滅など、運命の静かな奔流のすぐにも乾く一しぶきに過ぎないのだ。
平成元年2月21日(火)
入院中、時間とはいったい何なのだろうと考えていたことがある。退屈なままに過ぎていく時間が受験勉強に集中していたころの充実した時間と流れを一つにするものなのか、果たして同質のものなのか、同じ流れの中にすべての他人が同居しているのか。もし捉えどころのあるものなら、その正体は何なのか、いつから始まったものなのか。
特に答えを必要としたわけでもない問いは、考えているうちに観点がぶれてきて、いつの間にか別のことに関心を移している。その繰り返しだった。答えを得ないのは今も同じだが、忘れられない印象がひとつある。
中静さんが亡くなったとき、僕にはそれが一つの時間の消滅に思えた。秒針に等分された時間とは全く別の何かが目の前から消えていったように感じられたのだ。
時間なんて観念に過ぎないのではないか。この頃はそう考えてしまう。あるのは天体の動きと個々の生命だけだ。すると時間とは生命そのものと言っていいような気がしてくる。生きる力の大きさが、その個体の持つ時間の総体なのだ。心臓の鼓動だけが時を刻む針となる。
無数の星がまたたくように、この世には数えきれない小さな時間が生きている。放つ輝きに差はあっても、いつかはそっと消え入るように闇の中に帰っていく。そしてそれらを包む宇宙だけは、どこまでも広く、いつまでも絶えることがない。宇宙は無だから。生は有限だが、無は永遠だ。無だけが永遠たりうる。生命も無に帰すことで却って永遠の命を得る。そんな気がする。
平成元年2月22日(水)
中静さんと僕とは別々の道を歩きながら、あるとき、ばったりと出会い、互いに視線を重ね合いながらも、そのまま離れていってしまった。このとき拾った彼女の落とし物は、どうやら僕には重たすぎたようだ。でもどんなに重たくても僕はこれを携えていきたいと思っている。僕たちが出会えたことを、交わしたことばを、笑顔を、気持ちをいつまでも忘れずにいたい。彼女の生前と少しも変わることなく抱き続けていたい。
僕に対して、短い一生の最後に好意を寄せてくれた中静さん。その好意を抱いてくれたまま彼女は逝った。その中静さんをどうして過去に打ち去ってしまうことができるだろう。生きていたなら彼女の気持ちにも、あるいは変化が生じたかも知れない。でも今やその可能性は永遠に閉ざされた。彼女の気持ちそれ自体は生前の息吹を封じ込め、いつまでも変わることはない。僕はそれを彼女への思いで包むようにして守っていきたい。
中静さんへの思い。それは僕自身に内緒で速やかに育っていった特別な思いだ。彼女に手向けた気持ちそのものであり、記憶に対する愛着であり、それらを支える意志でもあり、また願いでもある。僕はこれに安っぽい型通りの命名をしたくない。だから敢えて『思い』とだけ記しておく。
この思いを保ち続けること。それがいかに困難なことであるか、僕にも良く分かっている。生きる、という、現在を休みなく過去に流していく営みの中で、何の礎もない一つの感情ほど脆いものはない。どんなに『今』にしがみついていても、いずれは時間という風にさらわれていってしまうだろう。
ここで僕は一つの問いに突きあたった。
生き続ければ僕の思いがいつかは確実に失われると分かっていて、それでもなお未来に歩を進めるということは、それを失うことを暗黙に許しているということにならないだろうか。
彼女を忘れることを自分に許すなど、もちろん考えられないことだ。だが言下に否定したくとも、僕にはその資格がないのを痛いほど感じる。現に生きているのだから。彼女の記憶から遠ざかる可能性を確実に孕んだ生命を、いまなお享受しているのだから。
極論であることは承知している。でも僕はこの思いにだけは完全に真実でありたいと思っている。僅かでも妥協や融通をさしはさむ余地があれば、それは完全とは言えない。そこを糺す問いであればこそ、決してうやむやに通り過ぎたくはない。
よく「あの人は私の心の中に生きている」ということばを耳にする。
ニュースのインタビューで聞く被災者のことばであったり、ドラマの登場人物のなかばお決まりのセリフであったりもする、ひどく陳腐なひとことだが、だからといって取るに足らないと決めつけてしまうほどには僕はまだ判断を失ってはいないようだ。
心の中に生きている。
現実にせよ虚構にせよ、苦しみの中から搾りとるようにして掴んだことばだと思うと、真に迫るものを感じないわけではない。悲嘆がこのことばに身を移す過程とはどのようなものなのだろうか。
このことばを受け入れるのは、おそらく彼らにしてみても容易なことではなかったはずだ。移植臓器に対するような猛烈な拒絶反応を経て、ようやく免疫を得た一種の悟りではないだろうか。それだけに人生の強い足掛かりとなり、精神の確かな拠りどころとなるのだろう。死んだ人が記憶の中で、そういつまでも体温を宿してはいないことを彼らだって知っているはずだ。いずれは記憶の1ページとなり、いつの間にか、ずっと先までページを進めている自分に気づく日が来ることも承知の上だろう。そこに新たな幸福の章が待っていることに、あるいは期待を寄せて。
人間は弱いようで意外と強いものなのかも知れない。環境の変化に耐え、新しい境遇に順応する能力を誰もが持っているのだから。その中で必要なものは残し、変化に相容れないものは淘汰していく。苦しみも喜びも逆らわずに受け入れていれば、葛藤の中からも道は開けてくる。それが生きていく上で最も自然で賢明なあり方なのだろう。
それは僕も十分に認める。だが認めたことで却って僕にとっての問題は鮮明になった。だから僕は敢えて言う。それはあくまで『生き方』なのだ、と。自分と関わるすべての事物を、生きる、という大前提に沿わせたあり方なのだ、と。
気がつくと僕は、このあり方から大きく反れた位置に来てしまった。大前提の支配の手が及ばないこの場所で、僕は自分の胸の内をつぶさに観察することができた。何が一番大切なのか、それを守るにはどうすれば良いのか、と。ここでは命も選択肢のひとつに過ぎない。
何が一番大切なのか。僕はこの問いに、いったんは答えを出している。事実上これが答えであると信じていながら、もう一度それを糺してみた。
僕はやはり中静さんを思う気持ちを失いたくない。僕が願うのは、そのことを置いて他にはない。
ストップモーションのフィルムのように、人間は現在の自分を無段階的に過去に残して時を歩んでいく。あるときの自分が過去の自分にうしろから非難の目を向けられるようにはなりたくない。僕の命がここで絶えれば、僕の思いも断ち切られた断面のように、今後いっさい変わることはない。無に帰すことで永遠を得ることができる。
命の大切さ、それを軽んじるつもりはない。ただ、ともに大切な二つの荷物を両方一緒に抱えきれないとき、どちらか一方はその場に置いて行かなければならないものだ。
これが僕の結論だ。あとは、それに従う力が欲しい。この決断が臆病風に冷まされないうちに前に踏み出す勇気が欲しい。新たな気持ちに手を取られてしまわないように。
平成元年2月23日(木)
僕が今のような心境に到ったのは、結局は初めから決まっていたことのように思う。
もし渡良瀬川で転倒事故に会わなかったら、僕は中静さんに出会うことはなかっただろう。だが一つの事故を引き起こす一瞬の不運や不注意は、その瞬間に突如として生まれるものなのだろうか。時そこに到り、満を持して現れるよう、あらゆる状況が肩を組んで当事者を追い込んだときに生じるのではないだろうか。当事者がその刹那に注意を払うことが不可能なよう、すべての要素が網の目を伝うように緻密に正確に歩み寄って来た結果ではなかろうか。そんな気がする。不慮の事故は当人にとっては不慮でも、主体なき一人称の何かにとっては、締切の厳しいマンネリの連載を続けるための仕組まれた山場のひとつかも知れない。
ただ僕には、あの事故が事の始まりだとは思えない。あのとき、あの場所に僕を向かわせたすべての事情は、遡ればきりがないほど前から揃っていたのだろう。そして、このような考え方をする性格も、これまでに多くの人たちや数限りない出来事に出会った中で統覚されたものだ。いや、目に見え、記憶に残った出来事ばかりでなく、袖さえ触れ合わなかった無数の事柄が有形無形の影響の糸を引いていると思う。たった一つの出来事でも、縦に横に裾野を広げた無限の背景の上に成り立っているのだ。そしてそれは同時に他の出来事の背景の一部を担っている。ある数字の倍数が、同時に他の数字の約数でもあるように。そう考えると森羅万象、縁の通わないものはない。
これらは偶然の組み合わせなのか。ほんの僅かなタイミングのずれがあったら決して出会わなかった物事に、現にそうあったタイミングで出会ったこと。これでも必然と呼ぶには足らないだろうか。
渡良瀬川の流れが目に浮かぶ。まもなく春の日差しが木々の固いつぼみを割る頃だ。梅の花は一足先に綻んでいるかも知れない。
この前の雪は、あの辺りにも降り積もっただろうか。谷間の川原には一面に雪化粧が施されていただろう。そして誰にも踏み入られることなく流れに溶け入って、澄んだ水嵩となっていったことだろう。
僕は雪の降りしきる日に、あの場所へ出かけようと思う。僕が最後に残す足跡をきれいに消してもらえるように。そして再び汚されるのを見るまえに、僕自身の体も白く包んでもらえるように。
僕のような小さな時間が針を止めても、あの川はいつまでも流れているだろう。永遠の時を湛えた空の色を映しながら。
風に散ったタンポポの冠毛が身を宿した地面に花を咲かせるように、舞い落ちる雪たちも僕の体を氷の花で飾ってくれればいい。
平成元年2月27日(月)
駅近くの喫茶店で遅い昼食をとり、そろそろ帰ろうかと思ったときだった。ぽつ、ぽつ、という序奏に続き、大音響の雨が突然、窓の景色を遮った。カップを持つ手がピタリと止まったほどだった。うっすらと埃をかぶった窓ガラスは、滝のように流れる雨水に見る見る洗われていった。
「あら~、さっきまで陽が出てたのにね。お客さん、中にいて良かったね」
店主がカウンターの客に話しかけていた。
実際、外に出ても前に進みようのないほどの大雨だった。僕はバチバチと雨の打ちつける窓際の席で、外を行き交う人たちの急に速くなった足取りをぼんやりと眺めていた。雨から逃れてくる人があるたびに、扉のベルがカラカラと鳴った。
「しばらくここに足止めだな」
「時間との訣別とやらは、随分と健康を気遣うもののようだな」
「それは観点の違いだろう。違う物事を判断するのに違う目が働くのは当然のことだ」
「だが観点が違えば価値観も変わる。そんなことでは同じものでも違う目で見ないとは限らない。臨機応変が裏目に出ないと、どうして言える」
詮ない考えが考えを追っていると、窓の外を赤い色がサッと横切り、ドアのベルを勢いよく鳴らした。フードの付いたジャケットから真っ赤なセーターをのぞかせた、びしょ濡れの女の子が怒った顔で入ってきた。どこかで見覚えが、と思って見ていると、目が合ったとたん向こうが先に声をかけてきた。
「あれ、もしかして小林くん?」
そう言うなり僕の向かいの席を指差して「いい?」と尋ねた。「いいよ」と気さくに返事をしたが、実は誰だか分からない。僕の名前を呼んだことで、知り合いであることは、はっきりした。気取られないうちに思い出さなくては、と思いもよらぬ焦りを感じた。
「まったく、あたま来ちゃう。いきなり、どしゃーだもん。バケツの水でもかけられたのかと思った」
『どしゃー』とは、どしゃ降りの『どしゃ』だろうか。この感情まかせの表現で、ようやく記憶を探りあてた。中3のとき同じクラスだった山崎明美だった。久しぶりな上、髪型がまったく変わっていたため当時の彼女の容貌と重ならなかったのだ。変わってないのは変えようのない顔だけだったが、見るとうっすら化粧をしていて、この雨の中でも顔だけは守ってきたらしく、崩れた様子がないのには感心した。
「ああ、もう!ビショビショじゃない。でも良かった、小林くんがいてくれて。入口から見まわしたら、だぁ~って全部埋まってたから、どうしようかと思っちゃった」
「よく、すぐに僕だって分かったね。こっちは分からなかったよ。山崎さん、前とずいぶん変わってたから」
「分かるよ。小林くん、ぜんぜん変わってないもん」
「ふぅん、変わってないか」
いくぶん感慨を込めたひとことに気づく様子もなく、彼女は濡れた髪をハンカチで挟んで拭き続けた。その拍子に耳たぶに金色のピアスが揺れた。僕はそれを指差して言った。
「そんなのしてるんだ。いつあけたの?」
「去年。6月頃かな。ちょっと自分を変えてみようと思って。景気づけに一発ドカンと」
「それで、変わったの?」
「ぜ~んぜん。ちっとも変わんなかった。まったくもとのまま」
「あたりまえだよ。耳たぶに穴あけたぐらいで自分を変えられるなら苦労はないね。それともなに?耳に穴を増やしたら、神様の声でも聞こえてくると思ったの?」
「ま~た、あいかわらず理屈っぽいんだから。このまえ田中くんから聞いたんだけど、三浦先生の結婚式を阿佐ヶ谷の教会でやるって電話したとき、『信者でもない人の式まで引き受けるなんて商業教会だな』って言ったんだって?私、それ聞いて、ああ、小林くんらしいなって思っちゃった」
「そう?そんなに理屈っぽいかい?」
「っぽいよぉ、理屈っぽい!私から見ると、よくそんなことまで考えつくなって思っちゃうもん。そうだ、覚えてる?中学のとき私のこと、脳から舌が生えてる女って言ったこと」
「そんなこと言ったっけ。それはどうも」
忘れているふりをしたが、三年前、確かにそう言ったことを本当は即座に思い出していた。理屈を練った口をきく癖は当時からあったようだ。だから考えるが早いか条件反射のように口の動く彼女を、それこそ理屈を得ない表現で、そう皮肉ったのだろう。理屈っぽいという彼女の指摘は単純なものだったけれども、誰でもない僕自身が見落としがちなことだった。どんなに視野を広げても自分の顔は他人からしか見えない。彼女のひとことは鏡のように改めて僕に僕自身を認識させた。
僕がそんなことを考えている間も彼女の口は待ってはいなかった。
「そうそう、このあいだ先生のところに、お祝い上げに行ったんだよ。先生、すぅっごい舞い上がっちゃって、一人でしゃべりっ通しなの。あげくに『山崎さん、今日はおとなしいね』だって。笑っちゃった、もう」
「へえ、あの先生でも、そんなふうになるんだ。意外だな」
「よっぽど好きだったみたいよ。相手の人、私たちが卒業したあと新しく入ってきた先生らしいんだけど、その人と仲良くなるために毎朝早く来て邪魔の入らないうちに話しかけたり、放課後は遅くまで残って誘う機会を窺ったり、けっこう苦労したみたい」
「ふぅん。何か別人の話を聞くみたいだな」
「じかに見たら、もっとそう思うよ。あの堅実な人が披露宴とか新婚旅行とかマンションの頭金とか指輪代とかで貯金もほとんど使っちゃったんだって」
「 ……、指輪?」
「うん、婚約指輪。『こんな小さいのに50万以上するんだぜ』って言ってた」
「そんなにするの。結婚なんて、お互いの気持ちの問題じゃないのかなぁ」
「それはそうだけど。やっぱり高いもの上げた方がもらった方だって嬉しいじゃない。婚約指輪だもん。相手の人だって、『ああ、この人は本当に私のことを大事に思ってくれてるんだな』って感じたと思うよ」
「札束の厚みが僕の気持ちです、ってこと?なるほどね。それとも、あの先生、文学者肌だから、…そうだな、
『この石をあなたの指に仕えさせて下さい。あなたの輝きのまえに恥じ入り、うつむいているこの石を。そして、この石があなたを映して輝きを増すように、どうぞ私の心を照らして下さい』
なぁんて手紙でも添えたんじゃないの」
「まさか、なに言ってんの。よくそんなこと急に思いつくね」
「理屈っぽいからね」
このひとことを僕は素直な気持ちで口にした。焼けた肌でもむくような、そんな気持ちで。
雨宿りのつもりが、いつの間にか話のうちに時間の経過を忘れていた。気がつくと周りの客も随分と減って、現金な空は窓越しに夕焼けの色を注いでいた。目の前の山崎明美の赤く染まった頬の横で、金色のピアスがうっすらと朱を宿していた。
「そろそろ出ようか」。そう言おうとしたとき、一足早く彼女が言った。
「ね、今度みんなで、どこか旅行でも行こうよ。みんなでワイワイやったら中学時代に戻ったみたいで、きっと楽しいよ」
そう言いながら彼女は自然に手を伸ばし、僕の左腕をつかんで促すように揺さぶった。
彼女の熱い手のひらと、5つの指の圧する感触。それがひとつの情景を鮮やかに甦らせた。ベッドから滑り落ちそうになった体を僕の腕に縋って支えた中静さんの姿を。
僕が受けとめた中静さんの体の重みも、においも、体温も、柔らかさも、すべてがあの瞬間に戻ったような、そんな感覚に包まれた。目には喫茶店の店内ではなく、あのときの病室の光景が映っていた。腕を掴んだ指の先から中静さんが体中に流れ込んで来たようだった。それは昨日までの僕が保とうとして保てず、思い出そうとして思い出せなかった、生きた彼女そのものだった。
僕の全身の神経は瞬時に左腕一本に集中し、そこに掘られた5つのくぼみに耳をすました。耳をすませば、このときなら中静さんの本当の声を聞けるような気がしたのだ。
これは都合の良い解釈の操作だろうか。僕の腕を掴んだ中静さんの手は、決して誘っているのではなかった。彼女の手は僕をじっと押さえつけているようだった。じっと。僕がこのままうかつに歩き出さないように。振りほどこうとすれば振りほどけるが、そうしたら今度こそ本当に彼女を遠くに失ってしまう、そんな思いに僕は迷った。
「こら、なにをボッとしてんの」
山崎明美は、掴んでいた手を平手に変えて、僕の腕をぴしゃりと叩いた。僕はそれで、はっと我に返った。
「聞いてた?人の話。そう、なら、いいんだけど。もう、そろそろ出ようか。おかげさまで、すっかり乾いたことだし。さ、行こ行こ」
僕が返事をするより先に彼女は席を立ちかけていた。僕は彼女に叩かれて半分は散ってしまった指の感覚をまだ追っていた。残った感覚に、まだ問いかけていたい気持ちだった。
山崎明美はすでにレジのところで手招きしながら僕を待っていた。先に済ませていないところを見ると、店の人の前で割り勘の不名誉を演じないよう手慣れた配慮を示してくれたようだ。僕は左腕に残った指の跡を大事に守るようにして、そっと席を立った。
が、この指の感覚をついに完全に消し去ってしまう出来事が、この直後に起こった。
僕が支払いを済ませている間に、先に外に出ていた山崎明美が「うわぁ!」と驚嘆の声を上げた。中にいる他の客まで振り向かせた大袈裟な叫び声に、つい眉をしかめて彼女のもとに寄り、喫茶店の扉から出た瞬間、僕の目に夕焼けを照り返す雪山の姿が飛び込んで来た。
それは実際にはこの町から見えるはずのない光景だった。暮れようとする太陽が一帯の雲をダイナミックに染め上げたものであることはすぐに理解できたが、それでも僕は自分の居場所を錯覚する心地だった。どこか別の世界から運ばれてきた蜃気楼のように目の前にそびえる姿は、さながら炎上する大山脈のパノラマだった。
「小林くん、どこ見てんの。もっと上だよ、上」
山崎明美にそう言われて、え?と視線を上げ、僕は思わず息をのんだ。家並を見下ろす遙か高い大空に、夕焼けを堰き止めるように縁取る二重の虹がかかっていた。
僕の視線は首を大きく回して、視界に収まり切らない七色の橋を端から端へと渡った。それは、この世のものならぬ巨大な落陽のようだった。
「すっごい綺麗!」
傍らで山崎明美が叫ぶように言った。飾り気のないひとことが彼女の興奮をストレートに伝えた。
僕は、と言うと、その光景に完全に意識を占領されていた。畏怖さえ感じた。体が小刻みに震えるほど感激した。
そして、このとき気づいた。中静さんが僕の腕から手を離していたことに。まるで足場の振動に驚いて羽ばたった小鳥のように。
そして飛び去った。この虹の遥か向こうへ。僕の手のとても届かない、時の彼方へ。
言い知れぬ悲しみがこれまでの僕の悲しみを押し流していくようだった。どこまでも透明で涼やかな、渓流の響きのような悲しみが。
僕はふと、同じ光景の中にたたずむ、隣の一人の女性に尋ねてみたくなった。
「ねえ、山崎さん。さっき自分を変えたかったって言ってたよね。人間って変わらなければいけないときがあるものなのかな」
「やだ、どうしたの、突然」
「うん、いや。ふとそう思っただけ」
彼女の返事は、あっけないほど短く、すげなかった。話はそれで途切れたが、僕はそれでも満足だった。同じものを見つめる人がいることを、この光景が真実であることを確かめたかっただけなのかも知れない。
彼女とは旅行の約束を確認して別れた。僕は店の駐車場に停めてあったバイクに跨がり家路に着いた。信号が赤になるたびにシールドを上げて、空に刻まれた自然の大芸術品を仰ぎ見た。が、信号が変わり交通が息を吹き返すと、刺すように眩しいテールランプの赤い列に目を戻さなくてはならなかった。空からはこの列の流れが、どう見えただろう。
そうだ。これはまさに今の僕だ。目前の道路から目を離せず、車の流れに着いていくことを余儀なくされている、このところの僕そのものだ。主観でいっぱいになっている僕に、大きな何かが僕の凝り固まった視点と視線を自分の方に向けさせたのだろうか。ほんの束の間、中静さんを遣わして。
空に残された今日という日の遺作は、明快な答えを示してくれないまま、やがて鮮やかな色を夕闇に沈めていった。だが僕の胸は今もまだ忘れえぬ感激に潤んでいる。今日見た奇跡の光景は、本当に価値ある何かの種を確実に落として行ってくれた気がする。今の気持ちを苗床にすれば、きっとその種は芽を出し、育ってくれると思えてならない。
このあと僕は、まる一ヶ月ぶりに受験勉強のペンをとった。それが中静さんの願いであったことを思い出したのだ。それさえも果たすことなく、どうして彼女の記憶と顔を合わせることができるだろう。
彼女のことを忘れたくないという気持ちには、いささかも変わりはない。でもそれは昨日までの僕が憑かれたように考えていたこととは、どこかが違っていた。
どこが違っていたのだろう。それはまだ分からない。わずかに色合いを変えた今の感情を読み解くことは、すぐには難しいかも知れない。だがそれがこの一ヶ月間の難解な設問に対する本当の答えになるような気もする。そしてそれこそが中静さんに対して真に誠実たり得るものなのではないだろうか。
※ ※ ※ ※ ※
平成元年3月25日(土)
あれから空は、どれだけ色を塗り変えたことだろう。池袋から私鉄に乗り換え、終点の飯能の駅に降り立ったとき、空は極上の青をふんだんに使った仕上がりを見せていた。午前中の風はほとんど止んで、風に乗り遅れた一塊の雲が、坂道で足を挫いたマラソンランナーのように、無理をせず諦めもせず、残った道のりをゆっくりと走り続けていた。沿道の歓声はすでに去っても、ホームに一人立つ僕は、彼をこのまま静かに見守っていたい気持ちだった。
駅前からタクシーに乗り、目抜き通りの商店街を通過駅の広告看板のように、あっという間に通り過ぎると、そのまま左右前方の開けた風景の一部となって、山腹へ這いのぼる一筋の道に差しかかった。
次第に山の上層をとらえ始めたフロント・ウィンドー越しの眺めが、車のガタガタと揺れるたびに天地を傾ける。カーブにかかると稜線から青い空が再度顔をのぞかせる。景観を意識した造園風の山肌は、黄緑色の新緑と五分咲きの桜の並木で、やわらかい色合いに映えていた。桜の木が地面に落ちた数枚の花びらを、枕元に寄り添う家族のように、しっとりとした影で覆っていた。気持ちの良い春の景色が次々と斜面を駆けおりていった。
やがて車は切り開かれた広い公園の門をくぐり、正面にあるテラス風の平屋の建物に寄せて僕を降ろした。僕は、いったん走り過ぎた園内の進路を戻り、横に長い石でできた立派な構えの門を出た。乗ってきたタクシーが帰りの客を乗せて、途中で僕を追い抜いていった。車は往きに通った淡く輝く色彩を縫って、眼下の町へと踵を返した。ここからは山を美しく飾る景色も、裾野の町並みも、線路を走る模型のような黄色い電車も一望に見渡せる。
僕は向きを返し、門石に刻まれた文字を読んだ。そこには『飯能メモリアルパークヒルズ』と、あかぬけた書体で彫り込まれてあった。最近は墓地などとは言わないようだ。この自然に囲まれた明るい空間の一角に中静さんは眠っている。僕は三ヶ月ぶりに彼女に会いに来た。約束通り、合格の報せを持って。
二月も末のあの日、残照を滲ませた夕空の光景は忽然と現れ、間もなく消えたが、その束の間の降臨は、それまで僕を包んでいた暗幕に針先でつついたほどの小さな穴を開けたように思えた。
あれから僕は久しぶりに「指輪の歌」をかけてみた。スピーカーから聞こえてくるメロディーが記憶の底から浮かび上がる歌声と柔らかい重唱を奏でるようだった。暗幕の小さな穴から差し込んだ一条の光が、中静さんの一つのことばを運んで来た。
「失くしたものを失くしたままにしないで、嘘でもいいから、これが正しいんだって考えてみると、それを失くす前にはなかった本当に良いものを手に入れてたんだって気がつくときがあるんです」
どうして、このことばを忘れていたのだろう。僕は暗幕を纏って彼女の記憶を封じ込めたつもりが、彼女の一番大切な思いを取り込み忘れていたのだろうか。彼女の記憶を守ろうと躍起になるあまり、それが彼女を支えた要となる思いに適ったものであるかどうか、そこに考えが到らなかった。
自分が本当に選ぶべき答えは何なのか。僕はそれを得ないまま、とにかく受験勉強を再開した。彼女と最後に会ったあの日の決意に立ち返れば、それが見えてくると信じて。
勉強にも毎日が築き上げる勘というものがある。特に受験という特殊な作業には知識の蓄積それ自体より、この勘が大きくものを言うことがある。受験に関して言えば、本番前の一ヶ月間を無為に過ごしてしまったわけで、結果は絶望的かとも思ったが、良いように鈍った勘を酷使してでも、なんとか合格ラインに引っかかることができたのは、それまでの貯金が思ったよりも残っていただけのことだろう。
でも試験までの数日で、もう一つの大きな課題には答えを出すことができたように思う。
中静さんから与えられた一生懸命になる機会。僕はこれに一生懸命向き合うことができた、と今では思っている。
試験を終えた翌日から、僕はビルの窓拭きのアルバイトを始めた。この仕事を選んだのは、日当が高いという、それだけの理由からだ。一週間前の合格発表も仕事の帰り、人もまばらな薄暗いキャンパスで一人で見た。
この仕事はつい2日前まで続けていた。そして昨日、僕は久し振りに古巣を訪れ、合格の挨拶がてら宮崎さんと会った。この二ヶ月というもの、彼女にとっても苦しみとの闘いであったに違いない。そして僕より一段も二段も高い境地で、それを克服したのだと思う。「受かりましたよ」とひとこと伝えたときの、前と変わらぬ満面の宮崎スマイルがそれを語っていた。
ナースステーションの馴染みの顔が口々に祝ってくれた。婦長さんも来てくれて、
「よかった。どうも、ありがとう」
そう言ってから、
「ありがとう、なんて変ね」
と言い直して目許を震えさせた。それを黙って見つめる宮崎さんの優しい顔が印象的だった。
「ね、下に行って話しない?」
下とは二階の喫茶室のことだ。宮崎さんはカップを口に運ぶ真似をして、そう言った。
歩きながら僕たちは、最近の出来事、あるいは受験のこと、仕事のことばかりを互いに尋ね合っていた。それまで常に僕たちの間にいた中静さんのことを口にするのは、どちらにとっても勇気のいることだった。
が、久しぶりで僕も忘れていたが、喫茶室に行くには二階の渡り廊下を通ることになる。そこに差しかかったとき、僕は急に歩調が緩み、中程まで来て足を止めた。その意味は宮崎さんにも分かったらしい。
「ここでね、中静さんと初めて会ったんですよ」
「そうなんだってね」
張り詰めたガラスには、僕たちの姿と、行き交う人たちと、その向こうに、あの頃と彩りを変えた中庭の景色が映っていた。
「宮崎さん、元気そうで安心しましたよ」
「先に言われちゃったわね。私はほかの患者さんの世話に追われて、泣くのを後回しにしているうちに山を越えちゃっただけ。小林くんこそ大事な時期によく頑張ったと思う。さすが男ね」
「そうでもないんですよ。今ここにいるのが自分じゃないように思えるぐらいで」
僕は誰にも言わなかった、この一ヶ月間の精神の軌跡をかいつまんで話した。宮崎さんは不安げな表情でじっと聞き入ったあと、しばらくの間を置いて言った。
「そうだったんだ。でも、それならなおさら立派だと思うよ。私だったら、どうなってたか分からない。恥ずかしいよね。あんな小さな子が、あんなに強く生きてたって言うのに」
自分のことを言った、恥ずかしい、というひとことが、僕にも過分なく当てはまることに彼女は気づいていないようだった。中静さんに恥ずかしい。確かにそうだと僕も思った。
「でもね、私最近こう思ってるの。友子ちゃんは最後に好きな人を与えられて幸せだったって。女ってね、好きな人を心に抱きながら死ねるんだったら、それでいいって思うものよ。どう?かわいいものでしょ。ほら、そうですねって言いなさい」
自分のことばに照れたらしく、最後は彼女特有のふざけた調子になっていた。僕は要請通りに「そうですね」と答えて笑った。でも、こう言ってもらえると正直なところ救われた気持ちだった。自分をいたわるゆとりができたことが寂しくもあったけれど。
「小林くん、友子ちゃんのこと忘れないであげてね。負担にならないように、ときどき思い出してあげるぐらいでいいから」
「忘れませんよ。中静さんは僕にとって永久欠番ですからね。中静さんは永久に不滅です。なぁんて、古いか」
「何言ってんの。あんた本当はいくつなの」
宮崎さんは僕の額を小突く真似をして目を細めた。
結局、喫茶室には行くのをやめて、僕たちはそこで別れた。手を振って廊下の奥に去っていく宮崎さんを見送って、僕はその目を渡り廊下の床に落とした。陽光に濡れた床をうっすらとした木の葉の影が泳ぐように揺れていた。
僕は、ふと思い立ったことがあり、再度病棟に足を向けた。忘れ物を取りに帰るようなものだった。中静さんのいた病室、503号室は今どうなっているか。それをどうしても確かめたくなったのだ。
いったん別れの挨拶をした人たちと再び顔を合わせるバツの悪さを避けるために、僕はこっそりとその場に忍び寄った。503号の扉の横には知らない女性の名札が掲げられていた。変えがたい思い出を刻んだこの部屋は、今は別の患者の病室となっている。仕方のないこととは言え、寂しさが込み上げるのを止めようがなかった。
でも腰をかがめて半開きのドアから中を覗き込んだときだった。ベッドに身を起こした優しい顔つきのおばさんが、ちょうど目が合って面食らった僕に怪訝な顔もせず、中からニコリと微笑んでくれた。僕は宝物を任せられる人を見つけたような、ほっとした気持ちになった。感謝と言っていいような、本当に慰められる思いだった。この部屋に中静さんという人がいたことを、おそらくこの人は知らないだろう。まして、この場所に言い知れぬ思いを抱く僕のことなど知るよしもない。余計な紹介などは勿論せずに、僕は込み上げる感傷を上手にたたんで、ただ非礼を詫びて帰った。
中静さんのお墓の位置は、きのう宮崎さんに聞いていた。タクシーの着いた事務所兼休憩所の裏にまわり、きらきらと光る墓石群を横目に、遊歩道風に整備された砂利敷きの小道をしばらく歩く。四角く綺麗に刈り込まれたツツジの低い生け垣が、その両脇に続いている。あとひと月もすれば赤や白の花々が、枝葉の中でちりがみを押し詰めたように窮屈に咲いていることだろう。梅園の梅の木が気品のある小さな花をつけていた。景気よく咲く桜も良いけど、奥ゆかしいが凛と気高い梅の花の方が僕は好きだ。
お墓参りに来たかわいい孫、といった感じの男の子と女の子のモニュメントの前で右に折れ、そこから三つ目の左側。そこに中静さんのお墓がある。
病室から居を移して二ヶ月。ここに彼女がいるけれど、いない。いないけれど、いる。すぐには理解しづらい複雑な気持ちだった。でも、これが中静さんのお墓だと思って見ると、何か一方的でなく向こうからも見てくれているような、そんな気がしてきた。
ガラスのように磨かれた面を持つ灰色の墓石も、爽やかな木の匂いが残っていそうな率塔婆も、まだ真新しいものだった。先祖からの墓所ではなく、中静さんのために新しく設えたものだろう。黄色い菊が添えられた小さめの墓石に、何度も呼びかけた彼女の姓が刻まれていた。
「こんにちは。ひさしぶり」
と、くちびるだけで呼びかけてみた。元気?と聞くのも明らかに変で、あとのことばが途切れてしまった。考えてみると、彼女にそう問いかけたことはなかった。いずれにしても返事はない。ああ、中静さんは本当にいなくなってしまったのだ。新たな思いが胸に迫った。
でも僕はこの思いに押し流されはしなかった。僕は、ふと思った。彼女のお母さんは、どんな思いでこのお墓を建て、ここに参っているのだろう、と。
受験を終え、ビルの窓拭きを始めたころだった。汚れを拭った窓に、背後のより大きなビルの出で立ちが映ったとき、一度だけ後ろ姿を見た彼女の母親は今どうしているのだろうという思いが、くさぐさの迷いや悩みを押し分けて浮上してきた。
中静さんが亡くなったことで、いちばん悲しみ苦しんだのは誰だったか。他の誰よりも辛かったに違いないこの人のことを、それまで僕は考えもしなかった。僕は中静さんの死という水源の支流の一つに過ぎない。支流の流れに押されて押されて、本流の流れの強さを慮ることがなかったのだ。僕より辛い苦しみに耐えている人がいる。その事実より、そこに考えが到らなかった自分の浅薄な悲傷を思うと、中静さんを失った悲しみに車輪をとられそうになる自分の感情に制御が働いた。
それ以来、僕は中静さんに思いを馳せるとき、自然と彼女の母親の姿を重ね合わせるようになった。ちょうど渡り廊下で中静さんと擦れ違った、あのときのように。
三月も残すところ、あと数日。春の日差しをつぼみに透かし、五色の花々が目覚め始める。中静さんのお墓に植えられた沈丁花の木にも、初化粧の薄紅をさした小さな丸い花束が鈴なりに咲き誇っていた。墓前に供える花は持たずに来た。「何かかわいそうじゃありません?」また、そんなことを言われてしまいそうだったから。
その代わり、と言うわけではないが、大事に持ってきた小箱をバッグの中から取り出した。僕はそれを中静さんの墓前で開けた。昨日、宮崎さんと会ったあと買って帰った真珠の指輪が柔らかい光を放った。
これを買おうと思い立ったのは入試の帰り、ほっと肩の荷を下ろした、すぐそのあとだった。でも高価な物には手が届かない。値段の問題ではないと思ったが、山崎明美によれば気持ちも値段で伝わるそうだから、少しは立派な物を買おうと決めた。日当の良いアルバイトを選んだ理由はここにある。そのおかげで、まあ恥ずかしくはないという程度のものを買うことができた。
物の豊かな今の世でも、僕ぐらいの年齢の男が指輪を見に来て、決して安くはない品物を選んだとなると、これはやはり珍しいことらしい。ショーケースの内側のひまそうな女店員たちが好奇の目で眺めている様子が目尻の隅に映った。「サイズは?」と聞かれ、え?と一瞬返答に詰まったが、あてずっぽうで口にした5号の指輪が幸いにも、ちょうど良さそうだった。「もし合わなかったら、お直ししますので」と言ってくれたが、そんな必要がないことは初めから分かっている。
僕はこれをお墓の前で、ちょっと小指に通してみて、「どう?」と表情で問いかけた。控えめな笑みをふくんだ穏やかな顔が目に浮かんだ。僕は前に進み出て、沈丁花の木に近寄った。そして、その根元に穴を掘り、そこにこの指輪を埋めた。土がそこだけ色を違えたので、花をつけた枝を一本だけ手折り、色の違いを隠しておいた。寂しい満足が、しばし胸を満たした。
中静さんと出会ってからのことが、あらためて胸をよぎった。今日までのことは本当の出来事だったのだろうか。夢だったのではないかとさえ感じられる。本当に辛い思いをしたが、それでもやっぱり、あの子と会えて良かったと思う。
「友子ちゃん」
と生前言ったことのない呼び名で呼んでみた。何か照れくさい感じがした。誰に照れてるんだと思うと、それもまたおかしく思えた。
僕は今までずっと抱き続けた彼女への気持ちをひとこと、土のうえに指で書き、それをくちびるでなぞった。
もしも彼女が健康な子で、それでも僕と出会えたならば、僕たちは将来どうしていただろう。もしかしたら、ということもあったかも知れない。
指輪のケースのふたを下ろすと、パクンといい音をたてて勢いよく閉まった。その音は僕の胸に小気味よい響きを落とした。あるじのいなくなった入れ物は、いつまでも空けておいてはいけない。僕は、ぐっと伸びをするように立ち上がった。
中静さんとの思い出は、僕にとって宝石に等しい。決して失くしてしまいたくない。その気持ちは今も変わらない。一ヶ月前の差し迫った感情は、いまも手に取ることができるようだ。ここで考え直したことが、あとになって後悔の種になるかも、と思うと居ても立ってもいられないような不安や迷いに襲われる。
でも、出会いを真に大切に思うなら、中静さんの最後のことばをこそ、強く胸に刻み込まなくてはいけないと思う。失くした人が残してくれたものは自分の内に生かさなくてはならない。それが彼女の精神なのだから。そうしてこそ彼女は、いつまでもずっと生き続ける。心の中に生きている。そんな受け身の取り方ではなく、もっと能動的に生かすべきなのだ。
受験を勝ち抜くほどの勉強でも得られないものを、あの小さな子が教えてくれた。中静さんという小さな花が落として行った種を僕は自分の人格の内に咲かせ、そして増やすつもりだ。そうするかぎり僕の成長は彼女とともにある。そしてそれは今後、僕と出会い、語り合う人たちの中に中静さんが生を受けることでもある。中静さんという人が確かにいたことの証しとなる。
「中静さん、これからも一緒にいてね」
僕は低く呟いた。
暖かい風がすっと吹き抜け、沈丁花の葉をさわさわと鳴らした。細かく揺れる葉の影が、思い出の始まりを透かして見せた。ふと振り返り、そこにあの子がいてくれたら。そう思うと、また涙がこぼれそうになった。
でも僕は負けまいと思う。中静さんと僕との新しい出会いは、まだ始まったばかりなのだから。今度こそは本当に、このつき合いを大切にしたい。
僕は、ついこのあいだ誕生日を迎え、18になった。これで中静さんとの歳の差は3つになった。この差はこれから開く一方になる。
見上げると駅の方角に雲がひとつ、ゆっくりと動いていた。あれは、さっきの雲だろうか。時はやはり流れている。そう思った。
(了)