7パシリ 破局と戯言
授業が終わり、卓巳と愛華は屋上にきた。当初は卓巳一人で静かな場所に行こうとしていた。そうなれば無駄に広い学校で迷子になる可能性があるため、愛華も一緒についてきたのだ。
私立白怜女子高等学校は県最大規模の学校なのだ。全校生徒数は一般の学校より劣るが、金にものをいわせ、見るもの全て豪華仕様にしてある。そのため入学して相当たった愛華も行ったことのない場所は多数存在する。
卓巳は屋上のフェンスによしかかり、手馴れた手つきで携帯電話のボタンを押した。電話をかける相手はもちろん卓巳の彼女である狩野明海だ。携帯電話を耳に当て、何度か呼び出し音がなった。そろそろ留守番電話に変わろうとしていた時、ようやく電話が繋がった。
『もしもし?』
明海の声は電話越しからでも分かるほど不審に感じている声だった。
「もしもし、俺だ」
『学校にもこないで何やっているの、卓巳!』
明海は電話の相手が卓巳とわかった途端に、さっきまでの不審に感じていた気持ちが何処にいったのか、卓巳に怒鳴りつける。
明海と愛華は似ていた。顔や体格などの外見ではない、考え方や卓巳にどう接しているのか、そういった中身が似ていたのだ。そうはいっても明美はお嬢さまではないので、愛華のように卓巳を「庶民」とは言わない。ただ、卓巳をどう思っているのか、そこが似ていた。
卓巳は耳から携帯電話を離し、苦虫でも口に入れたかのように携帯電話を見つめる。それから直ぐに再び耳に当て、
「頼むから怒鳴らないでくれ」
『何言っているの! ただでさえ卓巳は皆から「落ちこぼれ」って言われているのよ! 悔しくないの!?』
「言いたい奴には言わせとけばいい。それにもうそんな事を言われないから気にすることはない」
『どういう意味よ?』
明美は怒鳴らなくはなったものの、それ以上に不機嫌な声だった。明美が不機嫌になると顔には出ないものの、声が平常の時と比べ物にならないぐらい低くなる。
「昨日で学校を辞めた」
『……』
「あの学校は俺には合わなかった。それに俺ってそれほど頭良くないし、あの学校に入れたもの奇跡みたいなものだったからな」
卓巳は苦く笑った。
世の中には奇跡なんて本当は無いのかもしれない。あるのは必然と偶然。そのため偶然を奇跡と例え、偶然を浸っているのだろう。卓巳もそういった部類に入り、努力を奇跡と例え、落ちこぼれと言われても否定どころか肯定してきた。人一倍努力をしても全て空回りする卓巳は、そこから努力を奇跡と思い込むようになった。
『……それが学校を辞めた理由だっていうの?』
「いや、もっと違った理由がある」
卓巳は空を見上げた。蒼くどこまでも続く空を、ただただ見つめた。
愛華は卓巳の横顔を見て心が痛んでいた。卓巳本人は別れることに特別何かを思ってはいなかった。それでも愛華から見る卓巳の横顔が悲しそうだったからだ。
(不器用な人なんだから……)
そっと愛華はため息をついた。
『どんな理由よ? もしくだらない理由だったら殴るから』
ドスの利いた声に卓巳は焦った。「くだらない理由」それは人の価値観で変わることだ。もう会うこともない、そう思っていても卓巳は焦った。
「……そ、それは――」
その後の言葉は授業開始のチャイムではばかれた。卓巳にとっては救いのチャイムとも思えるチャイムだった。
「残念だけど時間切れだわ。また今夜にでも電話をかけなおせばいいから、一言二言いって早く電話を切りなさい」
『ちょ、ちょっと!? 今の声は誰よ!?』
地獄耳である明海にはしっかりと愛華の声が届いていた。それが話を混乱させ、切るに切れない状態になってしまった。
「こ、声ですか? はて何のことやら、幻聴でも聞いたんじゃないか?」
戸惑いと焦りから卓巳は明海を電波人間のように言い、その場を誤魔化そうとした。
『はぐらかさないで! それに声の前に学校のチャイムみたいな音もしたわ。いったい何処にいるのよ。怒らないから正直に言ってよ、卓巳……』
さっきまでの威勢とドスの聞いた声は何処にいったのだろうか。今の明海の声はどこか悲しそうで、どこか辛そうで、今にも声が聞こえなくなりそうだった。
「ごめん、それは言えない。俺は明海を……いや、狩野とはもう会えない。だから俺の事は今日限りで忘れてくれ。そして……さようなら」
卓巳は一方的に電話を切った。明海の返事を聞かないまま、明海の本音を聞かないまま、明海の
声を最後に聞けないまま、明海の誤解を残したまま、明海との時間を、明海との生活を、明海と交わした言葉を、全て忘れてほしいと願うように、一方的に電話を切った。
卓巳がした行為は正しいとは到底言えない。それでも不器用すぎる卓巳にとっては精一杯の別れ話だった。
「気は済みましたか?」
「……いや、むねやけした気分だ」
パタリと携帯電話を折りたたみながら卓巳は呟いた。
* *
「卓巳の……バカ」
携帯電話から聞こえる「ツーツー」という音を聞きながら明海はそう呟いた。
昨日まで卓巳の姿が見られた廊下に背を預け、明海は今にも泣き出しそうだった。大きな瞳は充血し、体を支えている足にも力が入っていなかった。
フラフラと教室に入り、授業が開始しているにも係わらず未だ先生がこないため少々騒がしかったが、今の明海には気にするどころか、全て耳に入らなかった。耳元に残る卓巳の声だけが明細に明海の脳を繰り返し流れていた。
明海は自分の席に座り、さっき卓巳が言ったことが頭によぎる。「狩野とはもう会えない」「今日限りで忘れてくれ」「……さようなら」全てが何度も頭にループして流れた。
「あっちゃん、どったの?」
明海の席の後ろに座っている本庄梨乃がポンと明海の肩を叩きながら言う。梨乃は明海の気持ちとは正反対に陽気だった。
「あ、あのね、あのね。た、卓巳がね」
辛い時、悲しい時、そういった時を誰かに打ち明けるのは、その時の事を再び思い出してしまうものだ。そのため明海は堪えていた気持ちが溢れ出し、その結果頬に涙がつたった。
「ちょっとどうしたのよ!?」
梨乃の陽気な性格は筋金入りで、ちょっとやそっとの事では動揺を見せない。が、今の梨乃はオロオロとうろたえ共同不審になっていた。それは明海の性格上仕方がなかった。明海は卓巳を含めて誰にも弱音や弱い部分を見せないようにしていた。プライドが高い訳ではなく、ただたんに心配をかけたくなかった。それだけだ。
明海の様子と梨乃の態度で、明海の友達が机の周りに集まった。心配する子もいれば、表情では心配を装い内心は興味津々の子もいる。梨乃の場合は前者にあたった。
人とは残酷な生き物だ。自分の事を不幸と思い、自分より不幸な人を見つけた場合は哀れみの眼差しで見つめるか同情する。全ての人がそうではないが、そういった人も中にはいる。
「卓巳がねっ――」
「無理に話さなくてもいい。だから涙を拭いて」
明海の言葉を遮り、梨乃は優しい声をかけながら明海をそっと抱き軽く背中をさする。
梨乃は視線で野次馬となっているクラスメイトを散らせ、明海が落ち着け野次馬の目が届かない談話室に向かって歩き出した。
* *
授業は始まっているのだが、愛華の「お腹が空いたわ」という一言から卓巳と愛華は食堂の机に向かい合って座っている。普通の学校なら到底ありえない事だが、お嬢さま学校である私立白怜女子高等学校では日常茶飯事のため、誰も気に留めることはなかった。それは学生を含め先生も、だ。
「邸に帰りましたらもう一度電話をします?」
食べ終わった皿を脇に除けて、愛華は口元を拭きながら言う。
「いや、別にもういい」
「そうですか。さっき卓巳さんは「むねやけした気分だ」って言っていましたね? それはどういう意味だったんですか?」
卓巳は怪訝そうに愛華を見つめた。
「どうしてそんな事を聞く?」
「気になった。とでも言っておきましょう」
それは愛華の本心だった。愛華は卓巳が言った「むねやけした気分だ」を別れた事を後悔しているのだと感じたからだ。
卓巳は「そうか」と素っ気なく呟いた。
ため息をつき、
「俺は愛華さまに「感情に流された恋人の結末はどうなると思う?」そう聞いて、愛華さまは「バッドエンドの道しかない」と言った。俺と明海が付き合ったのは俺が愛華さまに聞いた通りだ。だから最初は二人で楽しくやっていたけど、それも最初だけ。今に至っては連絡もあまりとらないし、学校でも話さない。形だけの恋人みたいだった。だから最後ぐらいは彼氏らしいところを見せたかったんだ。どんなに些細な事でもいい。何でもいいから見せたかった……」
卓巳はそっと視線を窓の外に移す。綺麗にカットされている木、日本と忘れさせるような噴水、日光を浴びて輝いている机と椅子。どこかを見ているのではなく、ただ見ていた。
愛華は小さく鼻で笑った。その姿は卓巳の言ったことを「くだらない」とでも言っているかのようだった。
「何がおかしい?」
「全てです。どうして形だけの彼女に彼氏らしいところを見せたいのですか? 意味が分かりません。私からしてみれば、それは戯言です。卓巳さんはそう言って自分の気持ちを誤魔化しているのではありませんか? 私は卓巳さんに「夢を叶えた責任をとりなさい」そう言いましたよね? その責任をとりなさい。明海さんが納得するまで責任をとりなさい」
「……」
卓巳は何も言えなかった。愛華の言っている事を否定できなかったからである。
「邸に帰ったら電話しなさい。これは頼みじゃなく強制です」
「……ああ」
久しぶりの更新です。
次回は今回の続きみたいな感じです。ちょっとシリアスになると思いますが、楽しみにしていただけると嬉しいです。




