6パシリ 彼氏彼女の関係
私立白怜女子高等学校の授業内容については一般的の学校と同じレベルで、執事として入学なのか付き添いなのか定かではない卓巳でも理解出来る授業だった。それに付け加え、一応卓巳が通っていた学校は進学学校だ。そのため全て習い終えている範囲だった。
以前習った授業と同じ範囲をもう一度聞くのは退屈なものだと、卓巳は睡魔と闘いながら思った。それでも習ってない授業なら眠くは無いのかと聞かれれば、きっと卓巳は「眠い」と答えるだろう。卓巳は進学学校に行っていたけど、学校の中ではおちこぼれと言われていた。担任からもクラスメイトからも、さらには現在進行形で付き合っている彼女からも言われていた。それでも卓巳は勉強が嫌いな訳ではない。ただ人より少し不器用なだけだった。それは勉強だけではなく、恋愛も日頃の行動も、全てにおいて不器用なのだ。
いっそうのこと寝てしまおうと卓巳は思ったが、チラリと隣の愛華を見れば真剣に授業を聞いていた。だから卓巳は寝るのを少しだけ迷ってしまった。ここで寝てしまえば愛華にも迷惑がかかるし、なにより小堂家に迷惑がかかると感じたからだ。主人が授業を聞いているのに、それを差し置いて寝る執事。それは執事とはいえない行為だ。本当の執事ならどんなに眠くても、どんなにイライラしていても、どんなに腹が立っても表情に出さず、主人に仕えるものだ。だからこそ卓巳は寝ることを戸惑ってしまったのだ。
「他のやつらはほとんど寝ているのに、愛華様は寝ないのか?」
先生には聞こえないほど小さな声で愛華に言う。
卓巳の言ったとおり、現在授業を聞いている生徒の数は酷いものだ。寝ている生徒が八割で、真面目に授業を聞いているのが一割、そして残りの一割の生徒は漫画を読んだり携帯電話をいじったりしている。世の中にはボイコットという言葉がある。まさに今、そのボイコットが授業と言う名の学問を学ぶ時間に反発するかの如く成り立っている。
「何を言っているのか私には理解できないわ。授業とは学問や技芸を学ぶ場ですよ? それなのに寝てどうするのです。皆は皆、私は私です」
「真面目なんだな。どうせ予習とかして授業なんて聞かなくても分かるんだろ?」
昨日の夜に愛華は卓巳に「親の顔を立てるために成績は常にトップを維持しなければいけない」そう言った。その言葉をしっかりと覚えていた卓巳は小さなため息をつきながら言う。
卓巳がため息をついたのには理由があった。一つ目は腹黒で猫かぶりの愛華が学校では一変して優等生を演じていること。二つ目は冗談も通じないキャリアウーマンのような事を言っているからだ。卓巳にとってそういった部類の人は苦手だった。できるなら冗談が通じ、そして固いことを言わない人が卓巳の理想なのだ。そうなれば今の彼女はどうなのか、そう聞かれれば苦虫でも口に入ったかのような表情をするだろう。卓巳の彼女もまた、愛華のような性格をしている。それでも卓巳は彼女の一途な思いと、何事にも一生懸命な姿が好きだった。それ以外にも彼女を慕うところは沢山ある。それでも卓巳にとってそれが一番の理由だった。
「当たり前じゃない。今のところは半年前に予習したわ。けどね、予習だけじゃダメなの。授業を通して復習するのよ」
「そうか……」
卓巳はそう言いながら愛華から窓の景色に視線を移した。
今日の天気は実に良い天気だ。開いた窓から心地よい風が流れ、どこまでも続く青く澄み渡った広い空、そして他から隔離されているかのような静かな教室。
(俺が学校を辞めようが学校は何も変わってないだろうな)
卓巳は目を細め、そんな事を思っていた。だがそれも事実。卓巳が学校を辞めたのは昨日のことで、卓巳が通っていた学校のクラスメイトは卓巳が学校を辞めた事なんて知らないだろう。仮に知っていても「辞めるのは時間の問題だったけどな」と、納得するクラスメイトもいただろう。
「憂鬱そうな顔をしているけど、どうかしたの?」
「ちょっと前の学校の事を考えていた……なぁ、この学校に公衆電話とかあるか?」
「そんな時代遅れで、無駄な電話なんて無いわ。そんなの当の昔に撤去されたと思っていたけど、街中にはまだあるの?」
愛華は首を傾げ、怪訝な顔で卓巳を見た。「時代遅れ」や「無駄な電話」と言っているが、愛華は今までに公衆電話を実際に見たことはない。見たとしてもテレビ番組ぐらいだった。それどころか生まれも育ちもお嬢さまの愛華は電話を使う機会は無二等しかった。大抵のことはメイドから聞かされ、携帯電話を持っているものの電話帳には家の番号とカナメの番号しか登録していない。別に友達がいないわけではなく、クラスメイトを含め学校の生徒は愛華を憧れの存在として見ている。そのためメールアドレスや番号を聞かないのは暗黙のルールとされている。そのため誰も愛華のアドレスや番号を知らないのだ。
「酷い言いようだな。公衆電話を愛する人が聞いたら殴られても文句は言えないぞ?」
「あら? そんな人がいるなら見てみたいものだわ。それより私の携帯を貸しましょうか?」
「助かる。悪いが授業が終わったら貸してくれ」
「ええ、それで誰に電話をかけるつもり? お父さまかしら? けど、卓巳さんのお父さまは大丈夫よ。私は約束を守る主義ですから今頃休憩を削って仕事に励んでいると思うわ」
「いや、父さんには電話はかけない。彼女と少しだけ話したいだけだ」
卓巳がそう言った途端、愛華の眉間にシワがよった。
愛華は卓巳が異性の子と付き合っているのは知っていた。卓巳を世話係として迎えようとした時に、カナメに頼んで色々と調べさせていたのだ。カナメは卓巳の誕生日や血液型は当たり前、趣味や一日の行動まで調べていた。そうなれば卓巳に彼女がいるのも直に分かっていた。
「……そう、なの。悪いことは言わないわ。今日限りで彼女とは別れなさい」
愛華は眉をしかめ、あからさまにそっぽを向く。もちろん卓巳は愛華にそんな事を言われる筋合いがないため、怪訝そうな顔で愛華を見つめた。
「ちょっと待て、愛華さまには関係ないだろ?」
それでも卓巳は薄々気づいていた。そろそろ潮時なのだと。
卓巳達は付き合い始めた頃は楽しくやっていて、毎日のように連絡を取り合っていた。だが、それは月日が経つごとに変わり、しまいには相手の関心も次第に薄れていった。本当にこんな結末でいいのか、そう何度も卓巳は思った。それでも行動に出すことは一度もなかった。それは心のどこかで「もう、どうでもいい」と思う気持ちが芽生えていたのかもしれない。
「卓巳さんの小さな脳で考えてください。仮にここで別れなかった時の事を想定で話します。卓巳さんは私の世話係であり執事でもあります。そこから常に私の身近にいることになります。そうなれば必然的に卓巳さんは彼女と会うことができません。一番辛いのは誰ですか? 卓巳さんではなく彼女でしょう? それなら辛い思いをさせる前に別れるのが一番です」
卓巳の気持ちを知らない愛華はそうとしか言えなかった。愛華は卓巳たちの関係が良好だと思い、そう言ったが、実際は良好とは遠いところにあった。だが、それもまた卓巳が思っている事であり、卓巳の彼女はどう思っているのかは分からない。実はツンデレに憧れて卓巳にツンツンしているのかもしれない、もしかしたら忙しいあまり卓巳と係わる時間が以前より無くなったのかもしれない。だからこそ全ては卓巳の脳内で繰り広げられた想像なのだ。
愛華の言ったことはあながちあたっている。だけど一つだけ否定する点がある。それは卓巳たちの関係が良好なら、別れを切り出すことが一番辛いことなのだ。相手を本当に好んでいるのにも係わらず、その行為が見事に裏切られてしまった。それこそが一番の辛さである。
「……」
卓巳は何も言えなかった。
もう会えないのならいっそうのこと別れようかと思ったからだ。が、実際は卓巳が思っているほど愛華は酷い人間ではない。愛華の側にいるのは変わらない。それでも休みが無いわけではないのだ。
「私の携帯を貸してあげます。彼女と別れるか別れないのかは、卓巳さん次第です。それでも一つだけ言っておきます。もし卓巳さんの彼女が私なら、少しでも早く別れたいと思います」
机の上を滑らせ、愛華は携帯電話を卓巳の前に置く。その時の愛華の表情は何かを成し遂げた誇らしい顔をしていた。
卓巳は携帯電話を手に取り、
「一つだけ聞いていいか?」
「答えられる範囲なら何でも聞いてください」
「感情に流された恋人の結末はどうなると思う?」
「そんなの決まっているわ。バットエンドの道しかないわよ」
「……そうか」
「だけどね、誰かを愛することは素晴らしいことだわ。それがハッピーエンドだろうとバットエンドだろうと一緒。ようは誰かを愛し、愛されることが一番大切なのよ。そしてほどほどに愛する。それが恋愛を長続きさせるのに必要なことよ。一生懸命に愛せば、それだけの代償がどこかで見えてくるものなのよ。相手を慕う気持ちがあるなら、相手にとって一番の幸せを考えなさい。それが男ってものでしょ?」
愛華はそう言ったが、どこか苦い顔をしていた。それは卓巳の幸せを考えてないからである。
「そんなものなのか?」
「そんなものよ。それじゃあ、私からも一つだけ質問させてもらうわ。卓巳さんだけだとズルイでしょ?」
「勝手にしろ」
「ええ、勝手にします。卓巳さんの夢はなんですか? 別に子供の頃に抱いた夢でも、今現在の夢でもいいです」
「夢ねぇ〜、強いて言うなら誰かを本気で愛したかった。それが彼女のできる前に抱いた夢だ」
卓巳は懐かしそうに目を細めた。かなりキザな夢であったが、それでも本当に卓巳があってほしいと願う夢だった。
「その夢は実現できましたか?」
「ああ」
「それなら夢を叶えた責任をもちなさい」
「自分自身に、か?」
「夢を叶える前の自分に、です」
愛華はそれ以降口を開こうとはしなかった。卓巳もまた愛華と同様に何も言わずに、ただ彼女に何を言うか考えていた。
卓巳は愛華の携帯電話を見つめて、深いため息をついた。それは今後の結末が卓巳自身にも分からなかったからだ。
書置きがあったのを忘れていました(汗
ただいま実習真っ最中なので、更新が遅れたことを最初に謝罪します。
次の更新は何時になるか分かりませんが、楽しみにしていただけたら嬉しいです。




