29パシリ 平日の放課後
お嬢様との問題が解決してから数日後。
卓巳の気持ちが天気に反映されたかのように、雲ひとつない青い空が広がっていた。
平日の放課後。明海は友だちの梨乃と一緒に下校していた。
二人とも部活には入部しておらず、他愛もない話をしながら歩いている。
「――それでね、今日は欲しい本の発売日なの。だから本屋によらない?」
少し前、といってもそれほど長い月日が経った訳ではない。梨乃がメールで明海を呼び出し、卓巳と二人きりにした翌日。卓巳との出来事を聞こうとしたが、明海が落ち込んでいるようだったので、何も聞けるはずがなかった。その日から話題に卓巳を出さないように、梨乃は心がけている。そして明海がどうして落ち込んでいたのかは、卓巳の背中を押した事によって、よりが戻らない可能性の方が高くなったためだ。
「別にいいけど、試験近いよ?」
「それもそうだけど、やっぱり続きが気になるじゃない? そのままだったら勉強にも集中できないって」
「……それもそうだね。あれ? 校門の方が騒がしいけど、何かあったのかな?」
明海の視線の先、校門では下校途中の生徒で人だかりができていた。
「ん? 本当だ。ちょっと見に行こう!」
野次馬精神にのっとり、梨乃は駆け足で校門に向かう。その後を「もう」と、呆れたように呟きながらも明海も後を追う。
あまり人だかりのない左右から、何事かと明海と梨乃は視線を送る。
そこには三人の男性がいた。一人は明海のよく知っている人で、その後ろに黒服の大男が二人立っている。さらに後ろには、いかにも高級と言わんばかりの外車が二台停まっている。
「――お迎えにあがりました。明海お嬢様」
明海の顔を見るや否や、綺麗な一例をし、明海のよく知っている人――卓巳が言う。
一瞬辺りがざわめく。それもそのはずである。少し前までは一緒のクラスで勉学に励んでいた人が、突然学校に現れたかと思ったら、黒服二人を引き連れてやってきたのだから。
「ちょ、ちょっと!」
明海は大声をあげて、突然の出来事に不満を言おうとする。
「西沢様。そろそろお時間の方が」
「ん。俺は病院に行くから、お嬢のところに案内してやってくれ」
「分かりました」
「ちょっと! 私の話を聞いてください!」
「ん? あっ……。それでは明海お嬢様。こちらに」
黒服の一人が車のドアを開ける。
「どうして私が車に乗らないといけないの!?」
「愛華お嬢様からお話があります。どうか話し相手になっていただけないでしょうか?」
「……わかった。梨乃ごめんね。また今度付き合うから」
数秒だけ考えると、そう結論を出した。愛華とは一度も面識はないものの、それでも明海には思う事がある。特に今後の卓巳と愛華の関係についてだ。この機会を逃すと今後こういった機会がないと考えが至ったのだ。
もう一度だけ梨乃に簡単な謝罪をしてから明海は車内に乗り込む。
「おっ、何どうした? コスプレ?」
そんな中、さっそうとはいかないが、軽いノリで卓巳の友だちである高松良助が現れた。そして卓巳を見ると盛大に笑いだす。
「お前な……」
卓巳は友人の軽さに呆れる。
「西沢様。お時間の方が」
「西沢様だって!? うわっ、超にあわね―。……もう無理、笑いすぎて腹が痛い」
その軽薄な態度が気に入らなかったのか、それとも上司を侮辱された事に対する怒りなのか、黒服は良助の前に立つ。
一瞬にして辺りが緊迫する。
「あー、別にそいつの事はほっといていいので」
「ですが」
「――上官の命令は絶対だったよな?」
「……分かりました。お嬢様がお待ちしておりますので、私達は一足先に行かせていただきます」
「ん。後は頼みました」
やれやれと言わんばかりに、卓巳は少し表情が蒼い良助に向き直る。
「あのなー。もう少し周りと相手を見ようよ」
「えっ、これってネタとかじゃなくて……」
「当たり前だろ。ネタで高級車ひっぱるかって」
「――西沢様! もうお時間がありませんので、早くお乗りください!!」
黒服だけではなく、運転手からも声がかかり、卓巳は少しバツが悪そうな表情をする。
「分かった。すぐ行く。……まっ、そういう訳だ。またな良助」
「ちょっと待ちなさい! 明海をどこに連れて行ったわけ!?」
もう一台の車に乗り込もうとした卓巳にストップの声がかかる。相手は言うまでもなく梨乃だった。
梨乃の表情は焦っていた。それもそのはずである。大切な友人が黒服に連れて行かれ、しかも車が車である。きっとそっちの道の人に連れて行かれたと思っているのかもしれない。
「あー、心配しなくても大丈夫だと思う」
「ふざけないでよ! それに西沢くんは大男に命令をしたり、高級車で学校にきたり、いったい今何をやっているの!? 」
「何って……。ねぇ、運転手さん? 俺の立場って何?」
「大変説明しがたいですね。一般の会社の役職だと……、副社長といったところではないのですか?」
「らしいです。今は副社長をやっています」
言うまでもないが、ボスは愛華である。そしてその下、愛華の元で働いている方々をランキング順にすると、卓巳が一番上になる事になる。そうなれば、ボスの次である卓巳がその役職につく事になる。愛華が会長なら、卓巳は社長となる。まぁ、そこら辺はあくまで例である。
「訳の分からない事を言わないで! 証拠を見せなさい、証拠を!」
「なら一緒に来るか? それが一番手っ取り早いし。それに早く病院に行かないと、面会時間が終わってしまう。今説明する時間もない」
「……分かった。私も一緒に行く」
ざわめく生徒達を気にせず、二人は車に乗り込んだ。
ゆっくりと車は発進し、目的地である病院に向かって走り出す。車内の中では特に会話がなく、二人して流れる景色を見ていた。
目的の病院についた頃には、すっかり辺りが暗くなっていた。
そろそろ面会時間が終わる時間が迫り、卓巳は急いで亜里沙の病室に向かう。その後ろを梨乃は追いかけていた。別に車の中で待っていてもよかったのだが、運転手と二人きりは気まずいと、卓巳について行く事を選んだのだった。
素早くエレベーターに乗り込み、走るわけではないがそれでも早歩きで亜里沙の病室に行く。今日は平日であり、いつもお見舞いに行く日曜日ではないため、卓巳の脳裏には驚く亜里沙の顔が浮かんでいた。そのせいか、ついつい頬が緩んでいた。
病室の前にある殺菌用のジェルを手になじませ、軽くノックをしてからドアをスライドさせる。亜里沙の場所はカーテンがかかって中は見られなかったものの、何か面白い物でも見ているのか、クスクスと笑い声が漏れていた。
そっとカーテンを開き、卓巳は何食わぬ顔で近くの椅子に腰を下ろす。
「どうも、こんばんは」
ちなみに梨乃は気を利かせたのか、それとも気まずいのが嫌なのか、病室の前にある壁によしかかって卓巳を待っていた。
そして亜里沙はといえば、漫画本を片手に驚きを隠せないようだった。今にも「わー! わー!」と叫びそうである。それを我慢し、深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。そんな亜里沙の姿をニヤニヤと、卓巳は面白そうに見ていた。
「……もう。ビックリしたじゃない。それで、今日はどうしたの?」
「用がないと見舞いにきちゃまずいか?」
「それは嬉しいけど……。何か裏があるようで」
「もしかして俺って信用なかったりする?」
「うん! ……うそうそ! 冗談だって冗談」
「あのなー、……まぁいいや。それより調子どうだ?」
「調子いいってお医者さんが言っていたよ。それでね、今度外出してもいいって言っていたから、ちょっと遊びに行こうと思うの」
「そうか。それなら俺からデートのお誘いをしてもよろしいでしょうか? 東郷お嬢様」
「えっ? ちょっと待って……。心の準備が」
「――冗談だ」
「冗談? ……もう、バカバカ!」
「ははっ。ごめん、ごめん。さてと、俺はそろそろ帰るよ。もうご飯の時間だろ?」
「あっ、本当だ。またいつでも遊びにきてね」
「ああ、またな」
来客者用のパイプ椅子を元の場所に戻し、最後に「また来るな」と軽く告げて、卓巳はその場を後にする。
病室の前で壁によしかかっている梨乃は、ボーっと向かいにある変わった要素のない壁を見つめていた。
「かなり早かったわね」
「面会終了の時間。それより一緒にくればよかったのに」
「だって恥ずかしいじゃない。こう見えても私って人見知り激しいの」
「そう。それは失礼しました」
そう他愛もない話をしながら、二人並んで車の方に歩き出した。