27パシリ 気づく思い
「卓巳さん」
居心地の悪い商店街を抜けようと、卓巳と明海が歩いていると、卓巳の名前を呼ぶ声が響く。誰が呼んだのかは言うまでもなく、カナメだった。卓巳が振り返ると、その後ろに控えている黒服たちは一例する。
元から注目を浴びていた二人だが、カナメと黒服の登場で更に辺りがざわめく。
「ねぇ、卓巳。この人達だれ?」
明海は不安そうに卓巳の後ろに隠れ、消えそうな声で問いかける。
「さっき話したカナメさんと、お嬢のボディーガード。……それで、次は何の用ですか?」
そう簡潔に目の前にいるメイドと黒服の説明をすると、卓巳は本題を切りだす。
「先ほどと同じです」
「俺は……、戻りませんよ」
卓巳はカナメの顔を見て言えなかった。視線を地面に移し、今にも消えて無くなりそうな声で言った。そんな卓巳を明海は怪訝そうな顔で見つめる。
それもそのはずである。先ほどは実に楽しそうに、目の前にいるカナメや愛華の事を話していたからである。それなのに、どうして「戻りません」と言うのか理解できなかった。
数秒だけ卓巳とカナメを交互に見て、明海はハッとする。卓巳が意地になっているのだと、理解したのだった。卓巳の事をよく知っている明海にとって、とても容易い問題だった。
「……卓巳」
「……」
「……卓巳!」
名前を呼んでも聞いていない卓巳に、明海は大声を出す。
突然の出来事に辺りが静まり返る。
「えっ? どうした?」
「どうしたじゃない! この頑固者。さっさとお嬢様の所に行きなさい」
「いや、俺は……」
「本当はお嬢様と仲直りしたいのに、いつまで意地はっているつもり? お嬢様が謝るまで会うつもりがないの?」
「……」
「さっきは楽しそうにお嬢様達の話をしていたのは何だったの? このままだったら、前の私と卓巳みたいになっちゃうよ。それでもいいの?」
以前の卓巳と明海。その言葉に卓巳は心が締め付けられる思いをした。関係を修復しようにも、どうしようもできない状態。それが二人の関係だった。
「俺は……」
「今行かなかったら、もうカナメさん来てくれないかもしれないよ? 私だったら絶対に後悔すると思う……。私は卓巳との関係に後悔している。もっと話せばよかった。もっと卓巳の気持ちを知ればよかった。……私はもう後悔したところでどうにもならないの。卓巳はお嬢様とそうなってもいいの!?」
「……」
何も言わない卓巳の背中を明海は押す。
「ほら、行ってきなさい。きっとお嬢様も卓巳と仲直りしたと思っているよ」
「それで――」
「はっきりしなさい! ……自分の気持ちに素直になろうよ。何なら私が卓巳の気持ちを今いってあげましょうか?」
「俺の気持ち?」
「そう。卓巳の気持ち。……本当はお嬢様の事が、大好きでたまらない気持ち。本当は前と同じ関係に戻りたいけど、傷つくのが嫌で逃げている気持ち。本当はお嬢様に迎えに来てほしい気持ち。できる事なら自分の気持ちを伝えたいけど、拒絶されるのを怖がっている気持ち。何より今すぐお嬢様に会いたい気持ち。どう、何か違う?」
「ちが! ……違わない」
卓巳は一瞬だけ「違う!」と言いそうになる。それでも数秒だけ間を置き、本音を言った。それは明海の瞳が真剣で、はぐらかそうとする自分が情けなく思えたからだ。
「そう、ならお嬢様のところに行きなさい」
そしてもう一度卓巳の背中を押す。
卓巳は今にも消えて無くなりそうな声で、「ありがとう」と呟いた。返事の代わりに、明海は笑顔で返した。
もし明海が傍観者となっていたのなら、愛華に会っても卓巳は意地でも自分の気持ちを伝える事はなかったのかもしれない。そうなれば、また違った未来――卓巳と明海のよりが戻った未来もあったのだろう。それでも明海は背中を押した。それは同じあやまちをさせないために。
そして卓巳は黒服達と一緒に商店街の入り口に向かって歩き出す。
カナメだけはその場に残っている。明海に話があるためだ。
「ありがとうございました。私一人では卓巳さんを、無理やり邸に連れて行くしかありませんでした。卓巳さんは私達について何か言っていましたか?」
「いえ、特には何も。ただ、すごく楽しそうに話していましたよ」
「そうですか。いい事を聞きました。ありがとうございます」
そう言って一例をする。
「最後に一つだけいいでしょうか?」
「何ですか?」
「卓巳さんとお嬢様がお付き合いをする事になった場合、狩野様はどうなさりますか? 応援するのか、しないのかって意味です」
「両方です。卓巳には幸せになってほしいと思いますけど、やっぱり私の気持ちもあります。私は今でも卓巳の事を好きです。正直に言えば、私の元に帰ってきてほしいですよ。ですが、こればかりは私がどうこうできる問題ではないので、応援をしたいですし、逆に応援もできません。こんな答え方はずるいですか?」
「卓巳さんの思いを受け止められて、狩野様は優しいですね」
「逆に聞きますが、カナメさんはどう思っているのですか?」
「と、いいますと?」
「卓巳の事です。何とも思っていないのですか?」
「私と卓巳さんは職場の同僚です。確かに卓巳さんは優しい方です。きっと卓巳さんもそう思っていると思います」
「違います。私はカナメさんの事を聞いているの。卓巳の思いは関係ありません」
カナメにとって、どうして明海がそんな事を聞くのかが理解できなかった。カメにとって卓巳は人として好きな部類に入っている。それはカナメ自身も認めている。それでも恋愛感情に発展するのかは分からない。恋愛感情というよりか、世話のかかる弟のような気持だった。
現段階での思い。今のところはそうだった。だが、明海の次に発した言葉で心が揺れた。
「ならどうして卓巳を必要以上に求めているのですか? お嬢様のためですか? 心のどこかでは、お嬢様を口実にしていたのではないのですか? もっと卓巳と一緒にいたかった。もう少し卓巳にお菓子と紅茶を出して、何気ない一時を味わいたいと思った。できるなら、いつまでも三人でいたかった。……生意気な事を言ってすいません」
明海は頭を下げ、最後に「私はこれで」そう簡単に告げ、カナメの返事を聞かず逃げるようにその場を後にした。
残されたカナメは何も言う事ができず、数秒だけ明海の背中を追ったが、それも数秒。すぐに来た道を歩き出す。カナメが無表情なのはいつも通りだが、心だけは酷く揺れていた。
邸に戻る車内は実に重たい空気だった。
無表情なのだが、色々な思いがあるカナメ。まるで人形のようにピクリとも動かない黒服。そしてその黒服に挟まれながら座っている卓巳。この状態で居心地がいい人は、数えるほどしかいないだろう。
それなら大人しくと、卓巳はこれからの事を考える。手っ取り早く、「お嬢様と一緒にいたい」それだけを告げれば、問題は解決するだろう。だが、それを言えれば、今まで苦労はしなかったはずだ。だからこそ考えた。どうやって話を切り出そうか、最初に何を言えばいいのか、邸につく短時間はその事を考えていた。
カナメはカナメで、先ほど言われた事を引きずっていた。卓巳との関係についてだ。明海に言われた事はあながち間違ってはいないのかもしれない。そう思うと、自分の中にある荒んだ心がどうにも嫌になり、カナメは卓巳の表情をまともに見る事ができなかった。そして何より、自分の事なのに、今の気持ちが分からなかった。はっきりしなかった。それがもどかしく、切ない気持になる。今までに一度も恋愛をした事のないカナメにとって、今の気持ちが何からくるものか分からないのは当たり前である。
取り敢えずは、卓巳さんとお嬢様の仲を以前に戻そうとカナメは結論を出したのだった。