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25パシリ 意地っ張りな男の子

 執事を辞めてから一週間ほど過ぎた頃、卓巳は廃人と化していた。

 突然すぎるが、これが事実なのだから仕方がない。では卓巳の一日の流れを大まかに説明しよう。起床すると何かをするわけでもなくボーっと天井を眺める。朝食を食べていると時々意識がなくなり、ハッとする。なお昼食も夕食も同様。お風呂に入ると、口を大きく開けてボーっとしている。自由時間は読書や暇つぶしに勉強などをしているが、ふと気がつくと以前の忙しい日々の妄想。これを廃人という以外に何といおうか。卓巳の両親さえ息子を見るのが辛いときている。

 特に何をするわけもなく、卓巳は近くの公園のベンチに座り、ボーっと空を眺めていた。近くでは近所に住んでいる子どもが楽しそうにキャッキャと騒いでいるが、今の卓巳には全く耳に届いていない。

 時々ビクッと体を震わせ、近くで遊んでいる子どもに興味を植え付けるが、それ以外は変人としかいいようがない様である。仮に卓巳の隣にカップルが座っているとする。きっとヘビーなデートになるだろう。幸いな事に卓巳の隣には誰もいなかった。

 そんな廃人と化している卓巳の隣に、学校の制服を着込んだ一人の女性が座る。手には不可解なキャラクターがプリントされている缶を手にしている。

「久しぶりに西沢くんに会ったけど、相変わらず間抜けな顔をしているのね」

 女性はそんなサド的な発言をする。

 かといって今の卓巳を罵ろうが、当の本人である卓巳の意識は遠い彼方にあるわけで、全く効果はない。こうなってしまったら罵った張本人がバカらしくなるだけである。

「……」

 案の定卓巳は無言のままボーっと空を見るだけだった。

「ちょっと! 無視しないでよね!」

 卓巳の反応にイラッとした女性は卓巳の体を揺らしながら大声を上げる。

「……」

 それでも卓巳の意識は戻らない。

「ちょっと!!」

 さらに大きく揺さぶり、さらに大きな声で怒鳴る。

 そこでようやく卓巳がハッとし、意識が覚醒する。それと同時に今の状況を飲み込もうとあたりをキョロキョロする。

「……明海の友だちの少女Aか……」

 さもどうでもいいように呟き、関わらないでくれと言わんばかりに嫌な顔をする。

 明海の友だちの少女A……梨乃はプルプルと体を振るわせる。当たり前だが、そこまで言われて怒らない人はいないだろう。

「誰が少女Aよ!!」

 さっき以上に怒鳴り散らし、公園中の視線を集める。母親の交流の広場である公園で、そのような光景を見ればかっこうの話のネタになり、案の定「どっちが浮気したのかしら?」と、キャピキャピした話題で盛り上がっている。

「どうしてここに少女Aが?」

「もうっ! そこをスルーしないでよ!!」

「そもそも学校はどうした? 今の時間だとまだ授業中だと思うけど……」

「人の話を聞きなさいよね!! ……はぁ、もう少女Aでいいわ。今日は学校の都合で午前中だけなの」

 卓巳が話を聞かない事に梨乃は諦める。そこで「そういえば西沢くんに名前いってなかった」と気づく。今の梨乃にとって、どうでもいい話になる。

「そうか……」

「そういう西沢くんは何をしているわけ?」

「何って……今や流行の最先端のニートだけど、何か問題でもあるのか?」

「問題しかないでしょ。ってかさ、学校辞めてからずっと?」

「いや、一週間ほど前からだ。その前まで金持ちの道楽に付き合っていた」

 梨乃は意味不明な発言に「?」マークを頭にうかべる。

「あの……さ、話変わるけど、あれから明海に連絡した?」

 その途端に卓巳の表情がみるみるうちにブルーになる。今の卓巳にとって愛華と共に過ごした時間のときにあったささやかな出来事でもNGワードとなっている。

 卓巳は大きなため息をする。それから明後日を見て「そんな事もあったな…」とかいいそうな表情で現実逃避する。

 そんな卓巳の異変に気づかない梨乃は追い討ちをかけるかのように、

「明海寂しがっているよ? ほら、携帯かしてあげるから連絡してみれば?」

 そう言いながらキーホルダーが何個もついている鞄から携帯電話を取り出す。携帯電話を卓巳に差し出し、そこで梨乃はギョッとする。

「ちょっと落ち着こう。何で泣いているわけ?」

 そう、卓巳の頬には一粒の滴が流れている。

「連絡したところで何て言えばいい? 『俺って今ニートだけど、それでもいいかな?』とか言えばいいのか?」

「別にそんな事言わなくていいと思うよ。ってかさ、それは全世界のニートに対する挑戦になるから、あまりニートニートとか言わない方がいいと思うけど……」

「ならさ、『今の俺は色のないパレット……無色だけどいいかな?』とか言えばいいのか?」

「意味不明だし……」

 もう梨乃は卓巳の異常に驚きを通り越して呆れていた。

 だがこうなった卓巳は止まらない。例えるなら急な坂を一輪車で爆走するようなものだ。

「そうだよな……。今の俺はどう転んでも悪い結果にしかならないよな。ははっ、これじゃあ、お譲も明海も愛想尽かすか……」

 そしてしおれた花のようにションボリする。

 取り敢えず今の梨乃にできる事は一つ「今の西沢くんは少し優しくすれば簡単に落ちるよ」と明海にメールをするぐらいだった。

 そんな不可解な会話を繰り広げている卓巳と梨乃が座っているベンチの後ろ、道路の脇に真黒のリムジンが停車する。こんな平凡で、高級住宅街とはお世辞にも言えない地区にリムジンは場違い以外にない。

 ――西森カナメ。

 場違いなリムジンから出てきたのはカナメだった。

 カナメは何の迷いもなく卓巳に近づく。

 公園でいる子どもの保護者達は何事かとヒソヒソする。

 卓巳が執事を辞めてからの一週間、ずっと卓巳の事を考えていた。空にも相談し、その結果としてカナメが仲裁として卓巳を連れ戻す結果にまとまった。

「卓巳さんお久しぶりです」

 礼をして卓巳を見据える。

 その場に居合わせた梨乃は新手と卓巳の関係が気になるものの、その服装がどうにも本場の物としか思えず困惑する。

「カナメさん……俺に何の用ですか?」

 さっきまでとは打って変わって卓巳は落ち着いていた。卓巳はカナメが来る事を察していた。いうなれば一週間も妄想した結果から可能性がある結末としてピックアップしていたのだ。

「卓巳さんを連れ戻しにきました」

「それはカナメさんの意思ですか? それともお譲の意思ですか?」

「両方と言っておきましょうか。卓巳さんが執事を辞めてからお嬢様は落ち込んでいます。それをどうにかするのもメイド長の務めです。こういった言い方をすれば私が卓巳さんに、お嬢様の気持ちを元に戻すためだけに連れ戻しにきたとお思いでしょうが、私も卓巳さんと一緒に仕事をしたいと思っています。こう言うのはおかしいと私自身も思いますが、私は卓巳さんに期待しているのです」

「期待?」

「ええ、期待です。卓巳さんとは短い付き合いです。執事として目に余る行動もありました。それでも卓巳さんのおかげで今まで見たことのないお嬢様の表情を見ることができました。ですから私は卓巳さんに期待をしています」

「俺に期待するのは期待はずれですよ。きっと気のせいです」

「……卓巳さんは寂しくないのですか?」

 卓巳は表情には出さなかったものの、ドキッとする。今までの言動から卓巳が寂しいと思うのは明白であり、そして愛華に対する気持ちも日々高ぶっていた。

 そんな卓巳とカナメのやり取りを真横で見ている梨乃は、近いようで遠い話だと、ただただ盗み聞くだけだった。もちろん卓巳とカナメの関係を聞けるものなら聞きたいという気持ちはある。だが、それを今聞くわけにもいかず、あくまで傍観者の立場をキープしている。

 カナメは淡々と続ける。

「お嬢様や私、朝倉さんは卓巳さんが辞めることを寂しいと思っています。お嬢様は最近あまり学校の方へ行っておりません。どうしてかわかりますか? 私が思うに、お嬢様は卓巳さんがいつ戻ってきてもいいようにと、必要最低限は屋敷から出ないのだと思います」

「それこそ気のせいですよ。あのお嬢がそんな事をするはずがありません」

 そう断言するものの、淡い期待をしてしまうのが人というものであり、この一週間廃人として生活してきた卓巳である。

 カナメにそう言うが、内心では妄想で膨らませた脳内が活発に色々なシュチュエーションを生み出していた。このまま承諾して再び執事として働く道、プライドから断る道、車の中から愛華が出てくる道、色々なパターンが妄想として思い浮かんでくる。

「では邸に戻ってくるつもりはないのですか?」

「……」

 卓巳は答える事ができなかった。一言「戻ります」そう言えば問題は解決なのだが、その一言がどうしても言えなかった。それで全てがまるく収まるのにも関わらず。

 数秒間の沈黙後、カナメは「またきます」とだけ告げ、その場を後にした。

 残された卓巳は俯き、梨乃はあくまで傍観者なため黙り込んでいた。

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