23パシリ すずらん
「もう一度お聞きします。愛華お嬢さまはどうなさりたいのですか?」
愛華が豪華な椅子に、その後ろに立っているカナメ。そして愛華の向かいには誰も座っていないタダの小汚い椅子。
カナメが言った通り二度目の質問だった。一つ違うとするならば、一回目は小汚い椅子に卓巳が座っていたため声のボリュームを落としていたのだが、今はハッキリと言うほどの違いぐらいだった。
「私は……」
先ほど同様に愛華は口ごもる。
卓巳が部屋から出て行く間もカナメにどう答えるべきか考えていた。それでも愛華には答えが出てこなかった。できるなら「辞めないで」と言いたい、そう思う以外は何も。
「……」
「……」
カナメは愛華の返事を待ち、愛華はどうするべきなのか考え、静寂が辺りを包む。
その静寂の時間を打ち破ったのはカナメだった。
「私は卓巳さんには辞めてほしくないと思っています」
愛華がどう思っているのかカナメは察している。だからこそ愛華の本音を聞くためにそう言ったのだ。もちろんカナメはポーカーフェイスで、その言葉に信憑性が欠けるのは致し方ない。
「……」
「愛華お嬢さまはどう卓巳さんを思っているのかは私には分かりません。私は卓巳さんの事はとても大切な方と思っています。私個人の意見を述べますと、これからも愛華お嬢さまと卓巳さん、そして私の三人で一緒に仕事をしたいと思っています。こう思う私は我が侭でしょうか?」
「……」
「愛華お嬢さまも気づいているのではありませんか?」
カナメは責め方を変えた。一向に喋ろうとしない愛華に痺れを切らしたからだ。
* *
一方その頃卓巳はといえば、中庭で楽しそうに仕事をしている空の背中を見つめながら呆然と立っていた。
カナメに言われた通り「仕事を切り上げて休むように、だって」と言うのは簡単だ。だが、そう言ってしまえばまた静寂に包まれた愛華の部屋に戻る事になる。だから卓巳は今の時間をできるだけ伸ばしたいと思っている。
が、その思いははかなく終わりを告げた。
「あれ? 卓巳くん何しているのですか?」
卓巳の存在に気づいたからだ。
空は軍手をはめた右手にスコップを持ちながら怪訝そうに卓巳を見る。今更なのだが、メイド服に軍手とスコップというのは実にシュールだ。
もう少しこの時間が続けばよかったのに、そう思いながら卓巳は肩を竦めながら空に近寄る。
花壇の側でしゃがむ空の隣に卓巳も一緒にしゃがむ。
「この花なんて名前?」
そう言って指した先には白く垂れた花がある。
これといって花に興味がある訳でもない卓巳だが、これほどまで鍛錬に整えられた花壇と花に少しだけ興味を抱いた。
空は嬉しそうに胸の前で手を打つ。
「すずらんです。花言葉は純潔と謙遜です。本当は五月に咲く花なのですが、ビニールハウスで育ててここに植えなおしました。それでもこの気温に合ってないので数日もすれば枯れてしまうかもしれません……」
実に残念そうに空は肩を落とした。
「それなら別に花壇に植えなおさなければいいじゃない」
「できるなら私もそうしたいと思っています。ですが、これも仕事ですから仕方がありません」
「そう……それはまた可哀想に」
卓巳はすずらんを指でピンとはじく。すずらんは揺らぎ、何事もなかったかのように元の位置で止まる。
「お花を苛めちゃダメですよ! とっても可哀想です!!」
「あっ、悪い……」
「はい、分かっていただけたのならそれで結構です」
と、ニッコリ空は微笑む。
「どうして休みの日に仕事をするわけ?」
先ほども卓巳は同じ質問を空にしている。その時の答えも卓巳は覚えている。それなのにどうして同じ質問をするのかといえば、違った答えが返ってくるのかもしれない。ではなく、根元からその理由を知りたかったからだ。
「さっきもその質問しましたよね? 答えも一緒です。お花さん達のお世話がありますので」
「別に他の誰かに任せてもいいじゃない。そこまで苦労する理由がどこにあるの?」
「それは違います」
空は真剣な眼差しで卓巳の瞳を見る。一瞬だがその真剣な眼差しを卓巳は逸らしたが、直ぐに空同様に瞳を見据える。
「私は今までお花さん達のお世話を苦労したと思った事はありません。私の意志でお休みの日もお花さん達のお世話をしているのですよ。それに私はこうしてお花さん達のお世話ができてとても嬉しいです。だから私は毎日がとても充実しています。卓巳くんだって短い間でしたが、愛華お嬢さまが好きだから仕事をしていたのではないのですか?」
「俺は別に俺はお嬢が好きだから仕事をしていた訳じゃない。する以外に選択肢が無かったからだ」
「それならどうして辞めるの?」
「お嬢に執事がほしかった。それ以外に何もない。そう言われたからから仕事事態が馬鹿らしくなったからかな」
「それはつまり卓巳くんは愛華お嬢さまを特別視していたから、そう言われて空しくなったのでしょ?」
「特別視とまではいかないけど、一時は大切な人と思っていた」
「私は愛華お嬢さまの事はよく知りません。こう言った事をいうのは叱られるかもしれませんが、私の知る愛華お嬢さまは素直ではないと思います。私だって思っている事を素直に誰かに言えるほど器用な人ではありません。きっと愛華お嬢さまは照れ隠しにそう言ったのだと私は思いますよ」
空はそう言って卓巳に微笑む。
卓巳もそれについては薄々感づいていた。それでも確信がなかった。あるのはそう合ってほしいという願いと愛華の表情だった。あくまで前者は卓巳の願いであるため無視してもいいのだが、後者は無視するには致し方野暮だ。
愛華が「執事がほしかった。それ以外に何もない」そう言った時、愛華の視線の先には見慣れたアンティークの家具が映っていた。
嘘の答えに卓巳の顔を直視できなかったせいだ。
それでもその時の卓巳にはどうして愛華がそういった行為をする意図が掴めず、その結果として辞めると告げた。もし仮に卓巳が行為の意図を掴むことができたのならば、違った結末が待っていただろう。
「……」
かといって今更どうこう空が言おうが、卓巳の思いは変わらない。ただ辞める前に手品の種明かしでもされた程度だ。
結局のところ素直じゃない二人が向き合っても何も良い結果にはならない。二人のうち一人が妥協するか、その場だけでも素直になれば良い結果になるだろう。だが卓巳と愛華は今更と思う気持ちが強く胸のうちにあった。
今更辞めたくない。
今更辞めないで。
と、お互い答えは出ているのだが、その気持ちを素直に受け止めていないのだ。
「……もう……いくよ」
受け止められないからこそ卓巳は逃げるようにその場から立ち上がる。いや、逃げるように、ではない。実際逃げている。自分の素直な思いからも、空からも。
空は「そうですか」と呟き、去りゆく卓巳の背中を見つめた。
卓巳が中庭から姿を消したのを確認してから、
「もっと素直になればパッピーエンドなのにね」
と、目の前のすずらんに言う。




