18パシリ 面倒だ
毎週日曜日の午前中に亜里沙のお見舞いをするのがいつしか卓巳の日課となっていた。
何度かお見舞いに行き、その都度卓巳は心のどこかでムシャクシャする気持ちがあった。別に亜里沙が悪いわけではない。悪いのはそう思う卓巳の方だ。
それについて卓巳も罪悪感でいっぱいだったが、ムシャクシャする気持ちは抑えられなかった。
今日もまた午前中に卓巳は亜里沙のお見舞いをし、午後は休息がないに等しいほど愛華にしごかれていた。
身も心も疲れ果てた卓巳は唯一の安息地であるカナメの部屋に転がり込んでいた。
「どうぞ」
人の部屋だというのに卓巳はマナーという言葉を知らないのか、はたまた疲れ果てて一瞬だけマナーという言葉を忘れたのか、カナメのベッドに寝転がっている。
カナメはベッドの横に備え付けられている机に紅茶が入ったティーカップを二つとクッキーが入っているバスケットをおく。
「今日は紅茶とクッキーにしてみました。お口に合わなければ気にせずに残してください」
卓巳は体を起こしてベッドに座り、少し小さめのクッキーを口に放り込む。
口の中にしっとりとした食感と甘い味が口に広がる。簡単に言えば絶品だった。
あまり紅茶に詳しくない卓巳でも、ティーカップから香る紅茶の匂いから本格的に作ってくれたのだと思った。そして口に一口含めば、口中に紅茶の味が広がる。
「……すいません。蒸らし時間が足りなかったので、少し味が濃いですね」
紅茶というのはティーポットの中で葉がジャンピングするのは言うまでもなく大切なのだが、それと同時に紅茶の種類一つひとつに蒸らす時間が決まっている。その時間通りに蒸らさなければ味が濃かったり薄かったりする。それもまた紅茶を淹れる中で気を配らなければならないことなのだ。
卓巳はそこまで紅茶を飲んだことがないため、多少味が濃くても気にする事はなかった。
「あ〜、俺はこれぐらいが好きですよ」
社交辞令程度に庇う。
「そうですか。では次回はもっと美味しい紅茶をお出しできるように頑張ります」
「ほどほどに頑張って」
そう言って多少熱いが、卓巳は紅茶を一気に飲み干して再びベッドに寝転がる。
「一つだけ質問してもいいですか?」
卓巳は見慣れない天上を見上げながら言う。
「答えられる範囲ならお答えします」
「最近のお嬢は俺に厳しくないですかね?」
「厳しいという事は西沢さんに期待をしているのだと思います。少なからず愛華お嬢さまは西沢さんを悪いようには思っていないと私は感じています」
「そうですか……どうしてお嬢は俺を執事にしたのかな?」
「それについては私も疑問に思っていました。愛華お嬢さまと西沢さんは以前からお知り合いだったのですか?」
「いや、俺が知る限りでは昔会った記憶がない。それ以前に金持ちの知り合いなんて俺にはいない」
「ではどうしてでしょう?」
「さーね、金持ちの考える事は俺には分からん。まっ、俺に分かる事があるならお嬢は相当の変わり者って事ぐらいだけだ」
「ちなみに言いますが、この部屋で行われている会話も愛華お嬢さまが聞かれていますよ?」
カナメがそういい終えた途端に、部屋に備え付けてある電話が鳴る。
「……まるで鬼だな」
卓巳は大きなため息をつきながら言う。
電話の相手はいうまでも無く愛華で、電話に出た卓巳に「今すぐ部屋にいらっしゃい」と単刀直入に言って電話を切った。
そして卓巳は部屋に不釣合いで小汚い椅子に座り愛華と向かい合っている。
「私が何を言いたいのか分かりますよね?」
「サッパリ」
卓巳は何食わぬ顔で言うが、何を言いたいのかは察している。
そんな卓巳の態度に愛華はため息をつく。それからポケットからテープレコーダを出すと、再生ボタンを押す。
テープレコーダから先ほどの卓巳とカナメのやり取りが繰り広げられるが、卓巳は顔色一つ変えずに腕を組んで聞いている。
「それは俺の影武者だ」
全てを再生し終わったテープがまき戻されているBGMを聞きながら卓巳は適当な事を言って椅子から立ち上がる。
「そう、ならその影武者とやらをこの場に連れてきてちょうだい」
「……愛華様は俺に何をさせたい? 最近それについて疑問に思ってしょうがない」
「あら、影武者はもういいの?」
「……」
皮肉たっぷりの笑みを浮かべながら言う愛華を卓巳は無言のまま見据える。
やれやれといった感じで、愛華は肩をすくめる。
「……私はただ執事がほしかっただけよ。それ以外に何もないわ」
「なら俺は来週のお見舞いが終わった後に執事を辞めさせてもらう……」
卓巳は面倒くさいと思えてきた。
この執事としての仕事も、愛華を相手にするのも、さらには無理やりお見舞いに行かされている亜里沙の事も。全てが面倒で仕方がないような気がしてきた。
卓巳は愛華にもっと違った答えを求めていた。だが、その答えが普通すぎて、その普通が卓巳にそういった気持ちを芽生えさせた。もちろんその事に愛華だが、言った本人さえ気づいていない。ただ面倒くさい。それだけの気持ちが卓巳に芽生えるだけだった。
数秒愛華は言葉を発することができなかった。卓巳に言った意味が突然すぎて理解できなかったからだ。
そんな愛華とは正反対に卓巳は実に面倒くさそうに愛華に背を向けて歩き出す。
「……辞めるって、それの意味が分かっているの!」
そこでようやく愛華は我に返り、卓巳の背中に叫ぶ。
「父さんの会社は好きにしろ」
「本当にそれでいいの!?」
「ああ、それでいい。後は勝手にしてくれ」
卓巳はドアを開けて廊下に出る。
もちろん愛華は「ちょっと待ちなさい!」と卓巳の背中に叫ぶものの、当の卓巳は振り返る事は無かった。
愛華の部屋のドアによしかかりながら卓巳は遠い目で廊下を見る。
「……結局俺は……」
そこまで言って卓巳は黙り込んだ。
一度目をつぶり、目的がある訳もなく、ただ一歩前進する。
「……前までの生活に戻れるのか」
そう最後に呟いて卓巳は当ても無く歩き出した。




