14パシリ 二人の出会い
卓巳と亜里沙が出会ってから二日が過ぎた頃。
あまり人との付き合いが得意とは言えない卓巳は亜里沙と会ってもかなりぎこちなかったのだが、亜里沙はそんな卓巳とは正反対で、もう仲良しになりましたと言っているかのように気さくに話しかけてきた。
話の内容としては日常生活やら昨日見たテレビ番組の内容やらがメインだった。そしてお互い自分の病気やら怪我やらの話は一切しなかった。それが当たり前のように。
卓巳と亜里沙が話しこむ場所は決まっており、最初に会った場所。売店の固いソファだった。
亜里沙も卓巳同様に個室なのだが、男子部屋と女子部屋まで結構の距離がある。そのため卓巳が亜里沙の部屋に行くことはない。だけど女子部屋から男子部屋、主に売店などに行く場合に限って話しは別だ。女子部屋から売店に行く過程の道に卓巳の個室がある。それでも何故か話す場所は売店の固いソファと決まっていた。
それは今も同じで、固いソファに並び二人は並んでジュースを飲んでいる。
「そのジュースって美味しいの?」
不思議そうな顔で卓巳が持っているジュースを見る。
卓巳が持っているジュースは特別珍しいものではない。むしろメジャーすぎるぐらい有名なジュースだ。
「? 飲んだことないのか?」
「うん。体に悪いからお医者さんが飲んだらダメだって」
そう言って彼女は苦く笑う。
本当は飲んでみたい。そう何度も思った。美味しくって甘いお菓子も沢山食べたい。そう何度も思った。それでも亜里沙のお母さんや担当の医師はダメだといい続けていた。だから余計にそういった事に敏感になっていた。
「……そう、か」
「それだけ? ここは嘘でも体が良くなったら何でも奢ってやる。とか言ってほしかったんだけど」
「俺は守れない約束はしない主義なんでな」
「それなら仕方ないね」
あはは、と亜里沙は笑う。
「あっ、そうそう。前から一度聞こうと思っていたけどいいかな?」
「別にいいけどスリーサイズは教えないぞ」
「……西沢くんと初めて会った日のこと覚えている?」
卓巳の言葉を軽くスルーしながら言う。
さすがの卓巳でもそれぐらいは覚えている。固いソファに座りながらジュースを飲んでいたら笑顔の彼女が隣に座ってきた。たった二日前の事ぐらいしっかりと覚えていた。
「当たり前だろ? なにか、東郷は俺の事をバカにしているのか?」
「そんなわけないでしょ!? ただね、始めて話す前に廊下で黒服の人と西沢くんが話しているのが見えたの」
「ああ、あれか。それがどうかしたのか?」
「気を悪くしたらごめんね、それがどうしても気になって……」
亜里沙は最初に卓巳を見かけた時、黒服の大男と話している姿がミスマッチしていたため印象が濃かった。
「そうか……あれを見てしまったのか……東郷とは短い付き合いだったが仕方がない」
「も、もしかして……」
一瞬で全てを悟った亜里沙の表情が青ざめていく。
「すまないな、痛いのは一瞬だけだ。少しだけ我慢してくれ」
そういいながらパジャマの中に手を突っ込み、指で拳銃を持っているように見せかける。
「バーン!」
そう言うのと同時に笑いが込み上げてくる。
卓巳はあまり嘘をつくのが得意ではない。それは顔に出るためだからだ。だから今までかなり我慢していたのだが、それも限界。言い終えるのと同時に、笑った。けど、笑いと同時にわき腹に激痛が走ったため、結果としてやり損といえるだろう。
騙された当の亜里沙は、漫画でいうならば口を三角にし、潤んだ瞳で放心状態に陥っていた。その姿は可哀想というより、どこか愛らしかった。
「おい、しっかりしろ」
少し罪悪感に浸った卓巳は、軽く亜里沙の肩をゆする。
「ふ、ふえ? 私死んじゃったの? あれあれ?」
卓巳の冗談を真に受けている亜里沙は自分が死んでいるのか、それとも現役バリバリ生きているのか分からない様子で足やら胸をペタペタ触っている。
「すまん、軽い冗談のつもりだったけど、ここまで本気にするとは予想外だ」
軽く笑いながら卓巳は言う。そうじゃないと、わき腹が悲鳴を上げるからだ。
「も、もー! 西沢くんのバカー!!」
顔をトマトのように真っ赤にし、できるだけ大きな声で叫ぶ。
けれども卓巳にとってはその姿もまた、愛らしい姿だと思い、少し心が和んだような気がした。
「それより胸から手を退けたらどうだ? あまり人前でそうするのはよろしくないかと思うけど」
つい先ほど足やら胸やらを触っていた手が、まだ胸を触っている形で、健全な卓巳にとって少々刺激的だった。
「……セクハラで訴えてもいいかな?」
「それはちょっと困るな。まぁ、それはそうと、話を戻すよ。あの黒服の人たちは何て言うのかな? ……簡単に言えば、職場仲間ってやつかな。といっても、この前初めてあったから職場仲間っていうのも微妙なニュアンスなんだけどな」
「西沢くんって私と同い年だよね? 何の仕事をしているの?」
首を傾げて、亜里沙は怪訝そうな顔をする。
「執事」
「執事ってあの執事?」
「あの執事だ。一応こう見えてもお嬢の専属執事だから結構偉いんだぞ」
「具体的にはどのへん?」
「偉いってことで?」
「うん。それ以前に使用人にも位ってあるの?」
「さぁ、俺も詳しくは知らん。けど、執事の中にも色々なカテゴリーがあって、オールマイティーな執事もいればメイドのような仕事をしている執事もいる。その中でも専属執事は色々な使用人の中でも一番位が高いらしいんだよ」
「なんで、らしいなの?」
「一応俺だってついこないだまで普通の高校生だったんだけど、不幸が積み重なりちょいっと前から執事に無理やりならされたってわけ。だからそういったことは無知なの」
「ふ〜ん、西沢くんも苦労しているんだね」
「まあな」
そっけなく返し、改めて自分が苦労しているのだと感じた。けど、苦労というよりかは、親に売られた性といっても過言ではない。そのため卓巳は思った。
別に裕福な暮らしじゃなくてもいい。だから親が親であってほしい。
そう思った。
「楽しそうね、お二人さん」
どこからともなく綺麗で透き通る愛華の声が売店に響く。それでもトゲがあるような声なのに、卓巳は直ぐに分かった。
卓巳は慌てて時間を確認すると、時間は既に五時をまわり、いつもなら既に愛華がお見舞いにきている時間だった。
少し機嫌が悪い愛華とは裏腹に、一面に花が咲いたような顔を亜里沙はした。
「ねぇねぇ、この綺麗な人って西沢くんの知り合い?」
うきうきしたようにわき腹をツンツンと突っつく。もちろん卓巳にとっては痛いから迷惑以外になにもない。
愛華と亜里沙が会うのは初めてなのはいうまでもなく、愛華のような綺麗な人に声をかけられるのも初めてだった。そのため亜里沙は憧れの瞳で愛華を見つめる。
「さっき話したお嬢だ」
「へ〜、この綺麗な人がそうなの」
「卓巳さん、隣の可愛い方を紹介してもらえます?」
ニッコリと笑みを見せる。
愛華は自分の家、主に部屋以外では素ではない。猫を被り、いい顔をする。そのため部屋なら卓巳の事を下僕とか言い今とは比べ物にならないぐらい何ともいえない性格をしている。
そんな事とは知らずに亜里沙は自分が可愛いと言われ、嬉しいのと同時に照れる。
(可愛いなんて、そんな……けど可愛いか。うふふ、照れる〜)
亜里沙はそんな事を思っていた。
「……ああ、彼女は東郷亜里沙。見ての通り入院中の身だ。ってかさ、本人に聞けばいいだろ? どうしてわざわざ俺が説明する必要がある?」
「そう、東郷さん私の執事が迷惑かけませんでしたか?」
「おい、人の話を流すな!」
「ちょっとセクハラ発言がありましたけど、西沢くんはとっても優しくしてくれますよ。まぁ、無愛想なのが少し残念ですけどね」
小さく笑う。もちろん卓巳は全く笑えない。この後に愛華に何を言われるかと考えたら、かなりテンションが下がる。
「セクハラ発言ですか……卓巳さん、後でお話をしなければいけませんね」
顔が引きつっている愛華の笑顔。
青ざめる卓巳。
嬉しそうな亜里沙。
それぞれ、いや卓巳だけは一つ問題の種ができた事にがっくりと肩を落とした。
「まぁ、それはそうと、東郷さん?」
「あっ、はい。なんでしょう?」
「卓巳さんは私の事をあまり良いように思っていないようなので、私がいない間は卓巳さんの事を頼みましたよ」
そんな愛華の姿に卓巳はお母さんのように見えた。
発言だけではなく、時々見せる心遣いやら仕草がそう見えた。それでも年頃の卓巳にとっては、そんな発言もまた嫌で仕方がない。
「おまえは俺のおかんか!?」
「あら、卓巳さんは主人である私におまえと言うのですか?」
「……愛華さま」
あまりお嬢さまという存在から縁のない亜里沙の前で、愛華さまと言った事に卓巳は少し恥じらいを覚えた。
学校ではこれが常識なのだが、一歩外に出ると常識とは少し違っている。それは庶民の方が富豪よりはるかに多いため、誰かの事をお嬢さまと言う機会がないからだ。だから富豪の常識は庶民には非常識となる。これは富豪と庶民に関係なく、色々な面からでもいえるだろう。
「それでいいのです。それで、卓巳さんにカナメが話したい事があるそうです。部屋で待っているので、後ほど二人で話してください」
卓巳はどことなく何を話すのか予想はできた。決して悪い方向の話ではないと思っていても、怪我のきっかけとなったカナメの蹴りが明細によみがえり、ひしひしと腹部辺りに痛みが走る。
「分かった」
「心配はなさらなくても大丈夫ですよ。カナメには私から誤解を解きましたので、もう乱暴することはないと思います」
「それについては何も心配はしていない」
「と、いいますと?」
愛華はてっきりカナメから説教をされるのかと思っていたらしく、予想もしない返事に首を傾げる。
「おまえ……愛華さまがするようにとカナメさんに言えば、カナメさんは愛華お嬢さまの事を軽蔑するんじゃないのか? それなら別に誤解を解かなくてもよかったと思って、な」
「卓巳さんは私の事を心配してくれるのですか?」
「そうじゃない。邸で愛華さまとカナメさんは結構一緒にいることが多いだろ? だから気まずい関係になると嫌じゃないか。それに、嫌な事は全部俺に押し付けても別にいいんだぞ?」
「少しは男らしいところもあるのね。けど大丈夫よ。カナメと私の関係は卓巳さんが思っているよりも深いですから」
「そうか、ならいいんだが」
「ええ」
ニッコリと愛華が微笑む。
卓巳はその笑顔が作り物だと感じていたが、突然の笑顔に少し胸がドキッとする。けど、愛華は別に作った笑顔ではなかった。卓巳の思いがけない言葉に少し心が躍り、その結果として自分でも信じられないほど素直に笑顔ができた。
「それでは東郷さん? 卓巳さんをお借りしますがよろしいでしょうか?」
「あっ、はい。どうぞです」
軽くお辞儀して愛華は歩き出す。
「じゃあまたな」
卓巳はそれだけを言い残し、先に歩いている愛華の後を追う。
少し歩いたところで、卓巳は愛華の隣を歩き、
「今日もお嬢さまを演じきっているな」
そう小さく呟く。
「当たり前です。いかなる場合も人の目を気にしなければ、どこから噂が流れるか分かりませんからね」
卓巳は「そうか」と、ぶっきらぼうに答え軽く欠伸をしながら愛華と共に部屋に向かった。




