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四十  ベタ & スリーポイントシュート

 俺は一人で廊下を歩いていた。バスケ部の活動場所に行こうとしていたんだ。

 ぼーっと歩いていたのも悪かったのかもしれない。だが、廊下の角を曲がるとき、ベタだけど――ベタだけど、人にぶつかった。


「いてっ」


「きゃっ」


 その人が持っていたプリントの束が見事に床へ散らばり、慌ててお互いに拾い始める。いつもは服の中に隠しているペンダントが下を向いたために滑り落ちてきた。ぴたり、とその人の動きが止まる。不思議に思って見てみると、それは結衣香さんだった。


「あ」


「あ、匡輝さんだったんですか!」


 結衣香さんはよく俺たちと一緒にいる。おとなしくて、でも離れない。常に敬語。特に翡翠と仲が良くて、談笑しているところを見かける。仲間とまではいかないが、俺は友達だと思っている。


「どうかしたか?」


「い、いえ。そのペンダント、素敵だなぁと思って。どうやって手に入れたんですか?」


 俺は微笑んだ。


「ああ、これ母さんの形見なんだ」


「……そう、なんですか。変なことを聞いてしまって、すみません」


「いや、いいんだ」


 それからまた無言でプリントを拾い集め始める。

 形見だという重い話題を出したのが悪かったのか、俺たちの間には沈黙と散らばったプリントしかない。と、最後の一枚を取ろうとした俺の手と結衣香さんの手が触れ合った。

 別段気にせずに、すぐ手を離してお互い立ち上がる。

 プリントを手渡すと、もごもごとありがとうございます、と言われた。


「先生に届けるのか?」


「はい、そうです。匡輝さんは部活ですか?」


「ああ。手伝おうか? 一人じゃ大変だろ」


「い、いえ、結構です!」


 結構、と言われて少し傷ついた。かなり拒絶されたなぁ。


「そうか。ごめんな、ぶつかっちまって。痛いところとかないよな?」


「はい、大丈夫です。で、では、急ぐので」


「おう」


 それから結衣香さんはぺこりと頭を下げると、そそくさと走って行ってしまった。

 何だ?

 何か変な感じだ。何にあんなに焦っている?

 俺は結衣香さんの後ろ姿を見ていた。よたよた走っていく、小柄な少女の後ろ姿を。

 まあ、いいか。

 早く先生にプリントを届けなきゃとか思ってたんだろう。もともと恥ずかしがりみたいで勉強以外では目立つこともやらないし。

 俺は結衣香さんが見えなくなってから体育館へ向かった。


          >>>>>


 スリーポイントシュートは、入るとすっげぇ気持ちいい。バスケの経験がある人ならわかってくれるはずだ。あのシュパッというネットにボールが通る音は何度聞いても嬉しい。

 俺たち雨出の民チームは、通常の体育館練習メニューにスリーポイントシュートの練習が入っている。メンバーは二つに分かれ、片側の一人が走ってくるともう片側の人がボールをパスしてスリーポイントラインから打つ。それを交互にやっていくというものだ。打ったらリバウンドをとりに走るのは無論のこと。

 でもこれ、ちょっと危ないんだよな。

 今、カズが遥に手当てをしてもらっている。次の人が打ったボールが、頭にがつんっと当たったんだ。雨出の民チームにはマネージャーがいないから、遥にやってもらっているわけ。落ちてきたバスケットボールに当たるのは相当痛い。これも経験者ならわかるはずだ。頭できーんという音が鳴る。

 カズにはたんこぶが出来ているようだ。


「いってぇ~」


「黙ってなさいよ、このわたしが直々に手当てしてあげてるんだから。ありがたいことでしょ?」


 たんこぶの位置を触って確かめ、アイスクーラーから一つ凍った保冷剤を出すと、遥は手早くそれをタオルで巻き、カズのたんこぶに当てた。


「これで今日は安静にしてること。お風呂も禁止。わかった?」


「えー、今日はもう部活禁止なんスか?」


「そう。もう部屋に帰りなさいよ。練習中のこぼれ球に当たってもまた痛い思いをするだけ」


 カズが不満そうな顔で保冷剤を押さえながら立ち上がる。遥がお大事にね、と言って練習に戻った。その時だった。


「おい、何痛いぶってんのかなぁ、二年?」


 あいつらだ。陽向の取り巻き。

 あれ? いつもなら止める陽向は……? 俺の頭の中を読んだかのように言われる。


「今日はいねーんだよ」


 じゃあ、このままじゃ止める人もなく、喧嘩になる?

 それはまずい。


「何スか?」


 練習が出来ないイライラからか、好戦的なカズが声をかけてきた一人を睨み返す。


「何遥ちゃんに手当てしてもらってんだよ。火地の民のマネージャーなのに」


 一瞬怯んだものの、その取り巻きはカズに食って掛かった。


「何ですか、それ」


 そう言うが早いか、カズは、大声で笑い出した。

 ど、どうしたんだ、カズ?

 バスケ部が活動していた体育館内は、カズの大笑いによってしぃんと静まる。


「だ、大丈夫か、カズ?」


 横にいた俺はカズの顔を覗き込んで聞いた。カズは俺を見ると、取り巻きたちを指差して笑いながら大声で言った。


「だってこいつら、俺が遥先輩に手当てしてもらったくらいで嫉妬して喧嘩ふっかけてきてるんだぜ?! 恥ずかしい奴らだよな! いつになったら気づくんだろう!」


 おい、カズ、この状況でその事実を言うか、普通?!

 俺が慌てて取り巻きを見ると、彼らは顔を真っ赤にしてぶるぶる震えていた。今にも襲いかかってきそうだ。カズ、どうするつもりだ! 俺は喧嘩を好まない。


「てめぇ、覚悟は出来てるんだろーな?」


 拳を固めて一人が言う。


「何の覚悟? おれ、事実を言っただけで何の覚悟をしなきゃならないんですか?」


 カズの言葉を最後まで聞かずに、そいつは飛びかかった――。


「何してやがる!」


 よく通る、野太い声。

 声の出どころはすごい速さで近づいてくると、飛びかかってきた一人、また飛びかかろうとした他の取り巻きの前に立ちふさがった。つまり、俺たちの盾になってくれたわけだ。


「約束しただろ? もう手は出さないって。何で守れねーんだよ?」


 彼らがびくりとなったのがわかる。陽向で隠れて見えないが、きっとあいつら、顔が引きつっているだろう。どう見ても一番強いのは陽向だ。勝てないのは目に見えてる。


「おい。何でかって聞いてんだ」


 取り巻きたちはそわそわしだすと――。

 何も言わずに、走って逃げた。

 え? あんなに粋がってたのに?

 ぽかんとしている俺とカズを見て、陽向が心配そうに聞く。


「大丈夫だったか?」


「はい、ちょうどいいところに来てくれましたから」


 カズが言うと、陽向はにっと笑ってカズの頭をぽんと叩いた。その笑いは少し切なそうだった。


「ごめんな。血気盛んな奴らなんだ」


「わかります。でも挑発したカズも悪いんだぜ?」


 俺が軽く睨むと、カズはてへっと舌を出した。


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