三十九 学園七不思議 Ⅲ
・琳祢・
遥が、遥の友達であるお鈴さんを見た(というか鈴の音を聞いた)人から話を聞いたらしく、目撃したというトイレにすぐ向かうことが出来た。二階の突き当りにあるその女子トイレはもちろん真っ暗で、不気味に見える。
お兄ちゃんが、つーか女子トイレ入るの気が引けるんだけど、とか何とか言ってたけど一人で言い訳して納得していた。
ドアが閉まっている女子トイレに誰が一番に入るかでもめたので、公平を期してじゃんけんをしたらあたしが負けた。やだよぉ! 怖いよぉぉ! こんなことになるならさっき止めておけばよかった。一番怖がりなのに一番のりなんてかわいそうと笑いながらお兄ちゃんが言ったので半泣きで殴りそうになった。何で一番に行ってくれないの、男のくせにぃ!
「早く行きなさいよ、わたしをいつまで待たせるつもり?」
何分か渋っていたら、ついに遥に急かされた。ひどいよ、あたしの気持ちも知らないでー! でも覚悟を決めなきゃいけない。あたしは大きく深呼吸をして、トイレのドアを開けた。
「ドア、開けといてね、絶対だよ!」
「大丈夫よ、頑張って」
翡翠がドアを押さえながら微笑んだ。本当はついてきてほしいけど、じゃんけんで負けた人はまずトイレの個室を全部調べてトイレ内を一周する約束だから、それを達成しないといけない。
「みんなそこにいてよ!」
「いるわよ、大丈夫」
あたしはおそるおそる足を踏み入れた。
あ、そうだ、電気をつければそんなに怖くない!
「ねぇ、電気つけてよ!」
「それが……つかないのよ。壊れているのかしら」
「大丈夫、みんないるから行って来いよ」
げっ。
あたしはトイレの中央まで来たところでその言葉を聞き、足を止めた。このトイレの電気がついているのを昼間に見たばかりだったからだ。夜だけ電気がつかないなんて、ありえる? ううん、おかしいよ。ってことは……。
りんっ。
はっと息をのむ。今、確かに――。
りんっ、りりんっ。
鈴の音が聞こえたっ!
「あら、ついたわ」
電気がちかちか点滅しながらもついた。でもそのつき方が余計に怖くて――。
「きゃぁあ!」
あたしは走ってトイレから出て、一番近くにいた翡翠に飛びついた。大きな胸に顔をうずめると、自分が震えているのがよくわかった。
「どうしたの?」
「き、聴こえなかったの?」
「まさか――」
「鈴の音。確かにしたよ……」
「嘘よ、聴き間違いじゃないの?」
遥がつっぱねるように言って、あたしは顔を上げた。
「じゃあ遥が見てくればいいじゃんっ!」
「つっ……いいわよ、このわたしが直々に証明してあげる。幽霊なんかいないってことをね!」
そう言って遥はトイレに入っていって。
「きゃぁぁあ!」
しばらくすると、その悲鳴とともに出てきた。
「ね、聴こえたでしょ?!」
翡翠から離れて遥の顔を窺うと、遥は青ざめて言った。
「うん。しかも音だけじゃない、影も――」
「影?」
お兄ちゃんが聞き返す。遥はがくがくと頷いた。
「うん。長い髪の人の影だった」
「何だよ、ベタだなそれ」
お兄ちゃんが頭の後ろで手を組んで言った。そんな呑気なお兄ちゃんを遥が睨む。
「じゃあ、次はあんたが――」
「次は私が行くわ。少し怖いけれど、最後も嫌だもの」
そう言うが早いか、翡翠は軽い足取りでトイレに入っていった。お兄ちゃんがそっとドアを押さえ、顔だけを中に入れる。あたしは怖くて遥の後ろに隠れていた。
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・匡輝・
俺は顔だけをトイレ内に入れていた。翡翠はきょろきょろしながら歩を進めていく。その時――。
りんっ、りんりんっ。
き、聴こえた……。俺が驚いていると、たたみ掛けるようにまた。そして――。
「わかる……わかるわ……あなたはあたくしと同じ、かん――」
声?! 翡翠のものじゃない!
「大丈夫かっ?!」
俺はトイレ内に飛び込んだ。そこには、信じられない光景があった。
トイレの奥を見ているためこっちに背をむけている翡翠。そして長い茶髪に、黄緑色の瞳をもった成人女性。顔は綺麗なのに蒼白で、生きているものとは思えない。着物か? 詳しくないのでわからないが、そんなようなものを着ていて、少し驚いた表情で翡翠を見つめている。
「え、ええ」
翡翠が俺を振り返り、頷いた。いきなり現れたのであろう女性はゆっくり俺の方を向き、目を見開いた。気持ち口元を綻ばせ、一歩俺に近づいてきたので、思わず少し後じさりしてしまう。
「やっと見つけた……あたくしの――」
やっと見つけた? 俺の疑っている目に怖気づいたのか、この人(人っつーか、何つーか……)はぴたりと立ち止まり、うつむいてしまった。
「あの、どちらさんで? どこから出てきたんですか?」
俺は恐る恐る顔を覗き込んで言った。その人は顔をゆっくり上げて俺を見返すと、首を横に振って呟いた。
「やっぱり違う……貴方は、あたくしの探し求めている者じゃない……」
探している? 見つけた? 謎は深まるばかりだが、そういえばカズがお鈴さんは何かを探している感じらしいと言っていた。
じゃあ――本当にこの人が?
勇気を振り絞ったのか好奇心に負けたのか、はたまた両方なのかわからないが、琳と遥の入ってくる音がした。はっと息をのんでいる。
「お鈴、さん?」
「今のあたくしは、そう呼ばれているみたい……生前の記憶で抜けているところがあってわからないの」
俺が半信半疑のまま言うと、お鈴さんはまっすぐ俺を見て頷いた。
嘘だろ、と言いたい気持ちを抑える。生前の記憶とか言ってるし、何よりいきなり現れた。
この人は、幽霊なんだ。
もう一度よく観察しなおすと、左手に二つ鈴を持っていることに気づいた。これが音を出していたのか。
「さっきはごめんなさい、あまりに驚いたものだから。言ったことは忘れてちょうだい」
お鈴さんは翡翠と俺にぺこりと頭を下げた。忘れてほしいと言われてしまうと、言いかけた言葉を聞きにくくなってしまう。
「お鈴さんは、何か探してたんでしょ? 何を探してたの?」
おい琳、忘れてくれって言ってただろ? こいつ普通に聞いたぞ。でもその勇気がありがたくもあった。
「……あたくしは、息子を探しているの」
普通に返すお鈴さんが素直すぎて困る。
「息子?」
遥が聞き返し、お鈴さんは頷いた。
「そう、息子。あたくし、産んだ直後に死んでしまったみたいで……。子供を取り上げて、男の子とわかって、泣き声が聞こえて――そして死んでしまったみたいなの」
琳は目頭が熱くなったのか、顔を手で覆った。一斉に黙ってしまった俺たちを見て、お鈴さんは儚く微笑んだ。
「時間はたくさんあるから、息子を絶対に見つけてみせるわ」
そんな簡単なことではないかもしれない。お鈴さんは何年前に亡くなったんだろう。もし江戸とか明治時代の人だったりしたら、もう――息子さんは生きていない。
「何でこんな薄汚いトイレなんかにいるんですか?」
遥が聞くと、お鈴さんがきょとんとした顔をした。翡翠が気をまわして助け舟を出す。
「厠のことです」
「ああ――あたくし、厠で産んだのよ。一人でね。だからかしら、厠にしか出られないの」
そして一人で死んでいったのか。息子さんは、ちゃんと見つけてもらえたのだろうか。
つーか息子さんが生きていたとしても、お鈴さんが厠にしか出られないならなかなか探すの難しいぞ。
「でも、どうしてここの厠なの?」
「わからないけれど……あなたたちは民でしょう?」
民、という言葉に過剰に反応した俺たちは、同時に頷いた。
「あたくしも民。ということは、あたくしの息子も民。ここには民がたくさんいる。だからかしら。わたくしが探している息子が行くのは男性の厠。本当は男性の厠に行くべきだとわかっているから、男性と女性の厠を行ったり来たりしているの。ずっと男性の厠にいるのは、気がひけるから」
民同士は出会いやすい。立花先生の言葉を思い出した。まあ、この場合出会うためにここにいるんだけど。
「そろそろ夜も更けてきたわ。子供は寝る時間よ」
「あたしたち、子供じゃないもん」
ぷぅっと頬を膨らませた琳を愛しそうに見て、お鈴さんは俺たちに背を向けて――すぅっと空気に溶けるように消えた。
「また来てね……」
りんっ、という鈴の音を鳴らして。




