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三  俺の羽風高ライフ

 翡翠初登校当日、共に下校後。家の玄関にて。


「うまくやれそうか?」


「ええ。みなさんとても優しいの。休み時間も私のところに来てお話してくれるのよ」


 転校生ってのはそんなもんだろう。入った頃、すんげぇ興味をもたれる。そこでうまく溶け込めるかが腕の見せ所。完全に溶け込むことはなかなか難しいけど、存在感を薄れされるくらいなら簡単にできるはず。俺は苦手だけど。いまだに人が集まってくる。でも、そこで変なところがある。親しい男友達は何人かできた。それなのに集まってくるのは女子が多い。弁当までつくってきてくれる子がいるくらいだ。何でだろ?

 翡翠を学校に入れるのは割と簡単だった。帰国子女で、もともと通っていた学校が無くなったため日本に帰ってきた、とかなんとかそれらしい嘘をつき、家のハンコを勝手に使って転入届を提出したら、すんなり入れてくれた。問題はこれからだ。翡翠は横文字――英語がわからない。英語しゃべって、なんかおねだりされたらすぐバレる。気を付けるように念を押してあるが、一応俺も気を配らなければならないだろう。


「それでね、男の子たちが、にやにやしてしきりに一緒に遊ぼうと誘ってくれるの。今日も家に誘われたのよ。でも、琳と一緒にお料理をする約束をしていたから、断ったわ」


 翡翠ー。行っちゃダメだぞー。それ、危険すぎるぞー。


「そ、そうか。毎日琳に料理教えてやってくれな」


 俺は翡翠にそういい、制服を脱ぐために二階へ向かった。ドアを開けると、一瞬翡翠の匂いがした。優しい、野花の匂い。それは、翡翠が俺の部屋で眠っているからだ。いやいや、違う。そういうことじゃない。翡翠が俺の部屋で、俺がソファで寝ているんだ。父さんの部屋には絶対に入ってはいけないと言いつけられていて、何より鍵がかかっていて開かない。一度悪ふざけで琳のヘアピン(部活の時だけつけるやつ)で開けようとしたら、防犯ブザーが鳴ってすぐ父さんから電話があった。さらに開かないとくる。ピッキング防止の仕掛けがあったらしい。あのときはさんざん叱られ、帰ってきたらベランダからつるし上げてやると脅された(あの温厚な父さんがあれだけ怒るんだ、相当のことだったに違いない)。帰ってきたときに忘れていたのが不幸中の幸いだったけど。だから、父さんの部屋のベッドでは寝られない。そして、家にはこれ以上の布団がない。つまり、俺か翡翠の寝る場所はないということだ。ここで布団を貸さなければ男がすたる。ってなわけで、俺はソファで寝ている。初めはやっぱりベッドがよかったけど、だんだん慣れてきた。俺は机の横に鞄をかけ、着替えようと部屋の窓のカーテンを閉めに行った。


「ん?」


 思わず窓を開け放ち、身を乗り出した。今、誰かいなかったか? しかも、リビングの方を見ていた――というより、観察していた? でもよく見直したら誰もいない。自転車に乗った顔見知り(ただの近所のおっちゃん)が、道路を走っていたくらいだ。おかしいな。今、絶対に人がいたはずなのに。気を取り直してカーテンを閉め、クローゼットに制服をしまう。体操服だけになって、俺は急いでリビングへ駆けた。ちょっと心配になったんだ。


「翡翠?」


「どうしたの?」


 翡翠は、リビングで制服姿のまま食材を出していた。急いで窓の方を見ても、やはり誰もいない。カーテンは開いているから、観察は確かにできる。通りがかりの人が可愛い子がいると思って見ていたのだろうか。俺は怖くなってカーテンを閉め、何も気取られないように翡翠に聞いた。


「何、してんだ?」


「今日は琳と本で見たお菓子をつくるから、卵を常温に戻そうと思っていたの。あ、お風呂は今温めているところよ。もう少しかかるかもしれないわ」


 つくづく気の利く娘である。


「お、おう。サンキューな」


「さんきゅう?」


「ありがとうって意味だよ」


 たまにこうなることがある。翡翠は横文字がわからないから。


「そうなの。難しいわね」


 頬に手をあて、さんきゅう、さんきゅうと口ずさみながら翡翠は階段をあがっていった。部屋はあるんだよ、部屋は。ゲストルーム。ただ、ベッドがないだけ。だから昼間、翡翠はゲストルームで過ごしている。俺はソファに腰掛け、テレビを見始めた。さっきの視線のことを、考えながら。


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 ここで、ある日の俺の羽風高ライフを紹介しよう。

羽風高校は、海の近くにある。ちなみに、俺たちの家は学校からもっと海の方に歩いていった場所だ。家の近くの森(俺がクマらしきものに遭った森だ)の方向が海だから、きっとあの先には海があるのだろう。わかっていても探索したくなるのが男心だと思うが。とはいえ、だからこの街は潮の香りが強く、また学校の購買には魚が使用された食べ物が多い。でも人気は肉。


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「おーい!」


 荒い息の音が多いなか、まだ俺は軽々走っていた。


「おうっ!」


 俺は呼ぶ声の方にパスを――せずにフェイントで逆方向のノーマークメンバーにパスし、そいつがゴールを決めた。朝練習のゲームでのことである。

 サッカーは、楽しい。走っているときは、どうやったらここを抜けられるか、どうやったらあのゴールに近づけるか、どうやったらうまくパスができるか、そんなことしか考えなくてよくなる。下駄箱に入っていた手紙の山にどう返事をしようかとか、最近マネージャーになりたいという女子が増えたからどうしようか悩んでいると言う先輩の睨む目とか、どうでもよくなる。

 俺は幼稚園生の頃から運動ができた。野球やサッカーはもちろん、水泳やテニス、剣道など、ちょっと種類が違うようなやつも得意だった。でもその中でよく足を使うのが好きで、今はサッカーに落ち着いている。だから羽風高校のサッカー部にも、すぐに入部した。自慢じゃねぇけど、けっこううまい方だと思う。県内強豪校との練習試合で点もいれられたし。まぁ、仲間のお蔭なんだけど。


「おっしゃぁ、ナイスパス!」


 イェイ、とハイタッチしてきたのは同じクラスで、特に仲のいい西村一也にしむらかずや。黒髪に、なぜだか灰色の瞳をもっている。身長は低め。あだなはもちろんカズもしくはキング。サッカー部の元エース(今は俺がエースと呼ばれている)で、調子が良く、クラスのムードメーカー的存在である。


「カズもナイスシュート!」


 互いにハイテンションの俺たちは、肩を組んだ。双方の汗がくっつくけど気にならない。


「汗がすごいわ。拭いたら?」


 サッカー部のマネージャーに就任した(俺からあまり離れたくないとのことで)翡翠がタオルを寄越した。


「ありがとねぇ、翡翠ちゃん。いやぁ、今日も別嬪! いいなぁ、匡はこんなかわいい従妹がいて」


 ネコナデ声でカズが言い、翡翠の頬がほんのりピンクに染まった。翡翠は、ここでは俺の従妹ということで通している。神代翡翠。そう名乗っている。記憶喪失ということも伏せてある。からかわれたりすると嫌だから。あ、カズは俺を匡と呼ぶ。小さいころから俺のあだ名は匡だった。


「もう、カズくんったら」


「こらそこ! まだゲーム終わってねーぞ!」


 顧問の、学校一怖い先生、足利が俺たちに怒鳴った。はい、すいませんっ、と勢いよく返事をし、また走り出す。足利はスキンヘッド。それが余計に怖い。でもそれは生徒にとって利点でもある。足利の影の名前は義満。実際はもちろん違うが。

 結局、人数の多い三年生対少なめの一・二年生の試合は、俺たちの圧勝に終わった。あーあ。あとでまた睨まれんだろーな。


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 授業の合間。大爆笑のクラス内。笑いの中心はもちろんカズだ。カズの話は、いつもおもしろい。こういう人っていないか? どうやってそのネタ仕入れてるんだ、ってくらい、いつも話がおもしろいヤツ。


「カズの話やっぱキングだわぁ~」


 誰かが呟いてまた大爆笑になった。当のカズは顎に指をあててカッコつけている。


「はいはい、座れー。授業始めるよー」


 と、そのときガラガラと戸が開き、気のない先生の声がして、みんながやっと自席に戻り始めた。せっかく楽しかったのになぁ。キーンコーンカーンコーン、とチャイムが鳴り、授業が始まる。でも何人かはすでに寝ている。カズもその一員。俺? 俺は寝ない。こう見えても、成績はまぁまぁいい。中学校時代は、約一四〇人の学年中で十位以下にはなったことがなかった。

 前に座っている翡翠は、真剣そのもので授業を受けている。ただ数学の時間、コンパスがわからず困惑していた。こんぱす? それはどのようなものですか? みたいな。先生がぽかんと口をあけていたので、俺が閉じた。

 ……俺も笑われた。


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 昼食は、もちろんみんなで食べる。みんなというのは、カズとその他もろもろの男友達、いくらかの女子のことだ。翡翠が来てから、女子が前ほどは集まらなくなった。弁当の数も少なく。特に今日は、珍しく一つもない。翡翠が何をしたというわけでもない。彼女はうまくやっている。休み時間も人気だし。ただ昼食の時だけは面倒見のよい女子グループに誘拐されるので、一緒ではない。それ以外はいつも一緒。


「翡翠ちゃん、家ではどんな感じなんだ?」


「おいおい、それ毎日聞いてるぜ?」


 被害があるのは俺である。翡翠の話を毎日させられる。でも、いつもカズが救ってくれる。


「そんなことよりさぁ、聞いてくれよぉ~」


本当に気が利く。しかも利かないふりをしているところがかっこいい。


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「やべーよ、俺今日カツサンドしか食ってねぇよ腹減ったよ」


「ん? カズサンドなんかあんのかー?」


 放課後練習の自主練時間、リフティングをしようとボールにサッカー部員がたまったときのことだった。きゃぁきゃぁ、と黄色い声援が聞こえ、振り返ると後輩や同級生やら先輩やら(あ、全部か)がサッカーのフィールドのフェンスに食いついているところだった。俺と目が合った後輩が叫ぶ。


「きゃー、神代先輩だっ!」


「こっち向いてください! やっぱかっこいい!!」


「ちょっとあんた後輩の分際で! 神代くん、わたしたちの方向いて!」


「おれのことなら存分に見てくれー!」


 よくこの現象が起こる。何なんだ? 俺の何がかっこいいんだ? よくわからない。俺が困惑しているとカズが言い、笑った人もいれば、誰だあいつみたいな目で見た人もいた。その隙に足利が後輩に怒鳴る。


「練習の邪魔だ、どけ!!」


 さすがの野次馬も先生には逆らえないのか、すぐに散っていった――ふりをしてまた来てまた怒られを繰り返していた。


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 これが俺の羽風高ライフ。

 サッカー中心だけど、とにかく楽しい。前の学校よりずっと。

 これがこれからもずっと続く……はずだった。

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