三十八 学園七不思議 Ⅱ
理科室は5階。理科室前の展示にあるビンに入ったネズミの心臓をじぃっと見ながらカズが言う。
「動いて……見えなくもない」
美術室は4階。今度は鍵が開いていなく、入れなかった。耳を澄ませると……。
チュウ、チュウチュウ。
……これ、ネズミの声じゃね?
さっきネズミの心臓を見たからか、なんだかみんなで気分を悪くしながら5階の音楽室へ向かう。また鍵がかかっていて入れなかったが、ドアの小窓からカズが中を覗き込み、
「あ、今ベートーヴェンがこっち見た!」
と言った。琳がさっと俺の後ろに隠れる。
「嘘つけ。ここからじゃベートーヴェンの肖像画は見えない」
「ちぇっ」
今度は1階の放送室に行ったが、何も変わった様子がない。放送室周りをうろうろしていると、カズが伸びをして言った。
「結局ほとんど嘘かよぉ、飽きてきた」
「だから言ったでしょ」
ふんと遥が言い、俺が腰に手を当てる。
「じゃあ帰るか」
「でもそれもつまんない。うーん、とりあえず次の見て、帰るか」
「『調理室の飛ぶ包丁』?」
「そう。何かエキサイティングな感じだよな!」
自分の言葉で元気を取り戻したカズがレッツゴー、と号令をかけ歩き出した。嘘が続いて怖くなくなったらしい琳が腕を振り上げ、遥が冷めた目線ながらもついていく。レッツゴーの意味がわからない翡翠も頭にはてなマークを浮かべながら歩き出し、俺は後ろを振り返ってから後に続いた。
真っ暗な校舎が息を潜めているだけだった。
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「今の、見たか?!」
「みみみみ、見た」
「ええ」
「み、見た気がするだけよ」
「見たぜ」
俺は目を疑った。4階の調理室。そのドアの小窓を全員で覗いたら、きらりと光るものが右から左へ飛んでいったからだ。
怖くなった俺たちの声が自然にトーンダウンしていく。
「おい、匡、入れよ」
「嫌だよ、危ねぇだろ」
「匡なら大丈夫!」
「ちょっ、遥、押すな!」
そんな任務の押し付け合いをしていると。
ヒュイン
小窓のすぐ近くを光るものが飛んでいき、音まで聞こえた。
「ぎゃあああ!」
「きゃああ!」
カズの悲鳴と女子3人の怖がる声が誰もいない廊下に響いたその時、ドアが開いた――。
「あれ、何してるの?」
あ、あれ?!
そこには、あの立花先生が立っていた。いつも通り白いYシャツを着崩している。きょとんと目を丸くしているのはお互い一緒だった。
「な、何してるのって……こっちのセリフですよ!」
カズがぜいぜい言いながら噛み付くように言った。俺だって心臓がビクッとなったからな。あの悲鳴、カズの驚きは半端じゃなかったんだろう。
立花先生が、ちょっと経ってからにやっと笑った。
「わかった。さては学園七不思議を調べてたんだろ」
「図星です、ハイ。夜校舎に忍び込んですいません」
「え、いけないの?」
おいぃ! 先生が校則忘れちゃダメでしょーが! 当の立花先生は後ろ手にドアを閉め、廊下の反対側の窓際に寄り、壁にもたれかかった。
「はい、校則で禁止されてます」
遥が言っても、
「あはは、民に関係しない校則は破るためにあるようなものだもんね」
へらへらと笑っている立花先生。これでも教師になれたのか……。
「立花先生は何をなさっていたのですか?」
翡翠がいぶかしげに聞くと、立花先生はにやりと笑った。
「知りたい?」
「はい」
素直な琳と翡翠が頷く。立花先生が半円状に先生を囲んでいる俺たちに顔を寄せた。どうせまた冗談でも言うんだろ。俺はさっと振り返り、ドアを開けた。
「あっ、ちょっと、匡輝!」
慌てて制止する先生を無視して中を覗き込む。電気はついていないが、普通の調理室だ。何も普段と変わった様子はない。が、黒板の前のテーブルに銀色の光るものがたくさん置いてある。黒板の反対の壁には、何やら黒いものが。
「電気、つけますよ?」
「あーあ、せっかく面白い嘘、考えついてたのに」
「嘘つくつもりだったって言っちゃうんですねもう」
俺は電気のスイッチがある方向へ歩き、オンにした。振り返ると、壁には黒いダーツボードが5つ。壁の右上、左上、真ん中、右下、左下に几帳面にかかっているんだ。しかしそれにささっているのは、ダーツではなく光るもの。
「げっ!」
入ってきたカズたちが声を上げる。俺もなんだか怖い。それぞれのダーツボードの中央付近にばかり、フォークやらナイフやらがささっていたからだ。いやこれ、夜中に見たらだいぶ不気味だわ。つーか調理した食べ物を食べるための食器をこの人は私物のように扱っているのか。これからここでの授業がある時はよく洗ってから使おう、と心に決めた。
「な、何スかこれ?」
カズがダーツボードに向かって走っていき、くっつくくらいまで顔を近づけている。立花先生が黒板の前のテーブルまで行き、おもむろにたくさん置いてあるフォークを1つ取った。一度宙に投げ、くるりと回転させてからもう1度掴み、ダーツボードに向かって構える。普通のダーツの仕方とかじゃなくて、もっと――何ていうのかな、投擲風な? 結構かっこいい。
ささっているナイフ等を見ていたカズが、フォークを構えている立花先生に気づき、逃げようとしたが慌てていてしりもちをついた。両手でストップを示し、同じ言葉を繰り返す。
「ちょっ、待って!」
がくがくしながらカズが立ち上がるべきか立ち上がらないべきかと迷っていると、立花先生が……投げた?! あっ、と声を上げて壁に沿うように立っている琳たち3人が1歩前に出る。
ヒュッ――ザクッ
一瞬にして固まったカズ(目をぎゅっとつぶっている)の頭上すれすれに、見事なまでの弧を描いてフォークがささった。見ているこっちもほっと息をつく。
「たたた――立花先生のバカ!」
立花先生に面と向かって暴言を吐けるのはカズしかいない気がする。でもプライドの高いこの人、怒るんじゃねぇか……? しかし予想に反して立花先生は怒らず、楽しそうに笑った。
「狙い通りに出来てよかった」
「狙い通りに出来なかったらどうするつもりだったんスか?!」
「隠ぺい」
「こいつやべーよ! 関わっちゃいけない人だよ!」
カズはツッコミを終えると立ち上がり、よろよろと歩いて琳たちに並んだ。
「毎晩このようなことをやっていらっしゃるのですか?」
「うん。僕、銃とかでも戦えるんだけど、一番得意なのは短剣なの。でも、ただ短剣で刺すのだけじゃ芸がないでしょ? だから投擲も練習してるんだ。まあ、一種の訓練だよね」
ナイフを弄びながら立花先生が言う。
「偉いんだね、立花先生!」
琳が純粋に目を輝かせて言うと、先生は少し微笑んだ。
「来る戦いでは絶対に勝たなきゃいけないだろ? そうしなきゃ民は根絶やしにされてしまう」
先生もいろいろ考えるところがあるんだろう。ん? ふと疑問に思った。
「先生、嚮導係ですよね? 俺たちを連れてきたわけだし。ずっとこの学園にいていいんですか?」
俺たちがこの学園に来てから、立花先生がこの学園にいなかったことはないはずだ。嚮導するためには学校に潜入するほど手の込んだことをするわけだし、もっと外出するはずじゃないか? 別に今聞くことじゃないけど、立花先生について考えていたらつい気になってしまった。俺が聞くと、遥が驚いた顔をした。
「まさか、匡たちって立花先生に直々に嚮導してもらったの?」
「ああ。立花先生が学校に潜入してきたんだ」
遥は目を見開いて驚いている。立花先生が弄んでいたナイフを壁右上のダーツボードに投げてから言った。
「僕はいいの、ここにいて」
「立花先生は、嚮導係の長なんだよ。嚮導係っていうのは、元選抜クラスの選りすぐりしかなれないの。連れてくる民を守り通さなきゃいけないわけだから。先生は嚮導係10人、それを束ねてるんだけど……直々に動いたなんて、聞いたことない」
「そりゃそうだよ、初めてだったからね」
テーブルにもたれかかり、腰に手を当てていた立花先生は肩を竦めた。
「どうして、直々に動かれたのですか?」
立花先生が質問をした翡翠を無表情に見返して黙る。何だ、この間は?
「君たちは知らなくていいことだよ」
「でも……」
「僕は何かを決めたら絶対そうする主義だからね。おーしえない」
子供か。立花先生は不安と疑問の入り混じった顔をしているであろう俺たちに今度はいたずらっぽく微笑みかけた。
「学園七不思議、これから最後まで検証するのかい?」
俺たちは顔を見合わせた。
「おれ、もう眠すぎてヤバいからパスするわ。さっきビビりすぎてまだ心臓ドキドキしてるし」
確かにカズは眠そうだ。対して琳は目をぱっちり開けて、
「あたし最後までやる! 途中でやめるの、何か気持ち悪いし」
と言った。おいおい、さっきまでの怖がりはどこへ行った。
そのあと少し話し合って、カズ以外の4人で最後の七不思議――『トイレのお鈴さん』を検証しに行くことに決まった。
「行くんだね。本当にいいの?」
「何がですか?」
立花先生が何かを言おうとして一度口を閉じた。ん? どうして翡翠ばかり見るんだ? でも見られている当人は特に何も違和感を感じている様子もなく、真剣に見返している。女好きの立花先生のことだから、また、翡翠は可愛いなぁとか思ってるのかもしれない。
「別に。みんな根性あるなぁと思ってさ」
「学園七不思議の中で、2つは人間の起こしたこと、4つはガセ。本当だなんてありえませんよ。第一、幽霊なんているはずないし」
立花先生はそう言い切った遥を少し見ると、俺の背中を叩いた。
「さぁ、行っておいでよ。真実を確かめに」




