三十七 学園七不思議 Ⅰ
「トイレのお鈴さん?」
俺は思わず聞き返した。
「そう。夜になると鈴の音が聞こえて、女の人の影が見えるんだって」
夕食を終えた、食堂からの帰り道。たまたま一緒だったカズの言葉を聞いて、琳が耳を塞ぐ。
「影だけか?」
「うん、影だけ。で、声も聞こえるらしいぜ。でもそれがはっきりしなくてな、何か探してる感じだってさ」
「怖いよぉ」
「ああ、それね。学園七不思議の最後」
よしよしと琳の頭を撫でている翡翠を見ながら興味なさげに遥が言った。
「『図書室の光るマジカルブック』『理科室の動くねずみの心臓』『美術室の泣く彫像』『音楽室の喋る肖像画』『放送室の幽霊アナウンサー』『調理室の飛ぶ包丁』そして『トイレのお鈴さん』。これが学園七不思議なんだと」
「ふぅん」
特に興味がない。
「何でそんな冷たいんだよ!」
「冷たくしてねぇよ」
ぷぅ、と頬を膨らませるカズのその頬をぱしんと叩き、前に向き直った。
「なあなあ、学園七不思議、検証してみようぜ!」
そう来ると思ったからだよ。
「嫌だ。面倒くさい」
「あたし怖い」
「私も怖いわ」
「あのねぇ、学園七不思議なんて誰かが勝手に作り出した妄想だよ? 夏にみんな面白がって検証してたけど、本当だなんて聞いたことない。それに、わたしが来てから少しして言われ始めたのばかりだし」
「だからそこをおれたちで暴くんですよ、遥先輩!」
鼻息を荒くしてカズが言った。
「でも、消灯後は学校立ち入り禁止よ?」
「お堅いこと言うなよ翡翠ちゃん! そんなのばれなきゃいいに決まってるだろう?」
「怖いの嫌だぁ」
「いるかいないかわからない方がもっと怖いよ。ここはバシッと! 確かめようぜ」
カズの上手い説得(というか意見の押し付け)により、俺以外の3人は行く気になってしまった(翡翠はちょっと後ろめたそうにしているが)。
「さあ匡、あとはお前だけだ!」
腕を組んで目をそらす。
「俺は行かねぇぞ」
「そうか……残念だぜ、匡。本当に、いいんだな?」
カズが上目づかいに俺を見る。彼が俺にお願いをする時にやる仕草だ。でもそれにはひっかからない。
「ああ。行かなくていい」
するとカズは大きく息を吸い込み――
「こいつ夜な夜な同室の女子を襲――いてっ!」
慌てて頭に拳骨をくらわせると、この嘘つき拡声器が止まった。
「バッカ、何とんでもねぇこと言ってんだよ」
みんな不思議そうに、立ち止まった俺たちを見ながら通り過ぎていく。
「こいつ夜な夜な――」
ガツッ。
「俺は匡が来ると言うまでやめないぞ! こいつ夜な――」
「わかった! 行くから!」
あんまり殴るとカズがもたないし、悪い噂を流されたくない。半分呆れて言うと、カズが嬉しそうにはにかんで見せた。
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「やっぱり順番通りに行くのが粋ってもんよ!」
はしゃぐカズがどこかで仕入れてきたらしい懐中電灯を持って先頭を歩き、しんがりは俺が務めている。完全に消灯はされない寮と違って、真っ暗の学校内。夜中に俺たちは部屋を抜け出し、七不思議検証を始めた。
「ってことは、図書室から行くの?」
遥の肩に両手を伸ばしてしがみついている琳が聞いた。
「そう。『図書室の光るマジカルブック』。あんまり怖くなさそうだろう?」
「うん」
「それがな、そのマジカルブックを見た人は、その本に顔を覚えられて、今度図書室に来た時に油断したら最後、食べられちまうんだってさ」
嘘に決まってるだろ。行方不明者が出たら大騒ぎになってもっと早く噂が回ってくるはずだ。第一本が人を食べる? 逆に笑えてきた。
嘘くさ、と思っている俺に対して、琳がうぅ、と言って身震いした。
1階から図書室のある3階まで上がり、図書室のドアの小窓から中を覗き込むカズ。
「うーん、特に変わった様子はないな。入れますかね?」
「無理よ、図書室の先生はいつも鍵を閉めて帰るの。だから、開くはずな――」
「開いたー」
遥の冷めた声にカズの楽しそうな声が重なった。ドアがぎぃと開き、意気揚々とカズが入っていく。どんだけ肝がすわってるんだ、こいつは。ちょっとは怖がれよ。
恐る恐る翡翠が後に続く。遥もちょっと腰が引けているが琳の手前怖がれないのか、
「きっと閉め忘れたのよ」
と言って琳をひっつけたまま入っていった。俺も少しわくわくする気持ちを隠して中に入った。
「誰か、いますかー?」
しぃん。
「ねぇ、やっぱり帰ろうよぉ」
琳が今にも泣きだしそうな声で言う。
カチッ
確かに今、音がした!
「きゃあっ」
翡翠と琳が耳を塞ぎ、遥が首をひっこめる。
「音だ。この本棚の裏かな?」
盲進カズが本棚の裏に消える。俺もそっちに歩き出した。と。
「のわっ!」
「どうした?!」
慌てて駆けると、向こうを向いてカズがしりもちをついていた。その方向を見ると、影が――。
「……って、人じゃねぇかよ」
「何でそんな冷静なんだよ?! 人がいるって、お、おかしいだろう?!」
「え、人いるの?!」
言葉のみの情報下で遥が大きめの声を出す。琳が嫌だぁ、と叫んだ。
「ちょっと、そんな化け物扱いしないでくださいよ」
聞き覚えのある声に俺が視線を影に移すと、それは立ち上がった。
白い髪に小柄な背丈、可愛らしい顔立ち。あのブランク・デュ・拓斗がそこにいた。右手に分厚い本、左手に懐中電灯を持っている。パジャマ姿だ(スウェットなどでなく、完全なパジャマ。可愛い)。
「拓斗、か。何やってたんだ?」
「たっくん?!」
琳が拓斗の姿を確認し、頬を緩ませた。
「琳祢ちゃん」
拓斗もなんだか嬉しそうだ。何だ何だ、この2人、デキてるのか?
琳に続いて翡翠と遥も顔を見せ、ほっと安堵の表情を見せた。
「僕、将来医師になって、苦しんでいる人を救いたいんです。でも医学書は図書室外に持ち出し禁止で。どうしても勉強したくて、週に二、三回夜、図書室に忍び込んでるんです。ヘアピンで、鍵開けて。今は怒られるのが怖くて、とっさに隠れてしまいました。ごめんなさい」
少し後ろめたそうに言うと、深々と頭を下げた拓斗。
やべぇ、純粋すぎて惚れそうだわ。いや、違う、別に男が好きってわけじゃないけども。琳を預けるならこういう崇高な意思をもっていて優しい人がいい。それでちゃんと琳を幸せにしてやってほしい……。
俺が親心に浸っていると、カズが現実に引き戻しやがった。
「なあなあ、学園七不思議、知ってるか?」
「はい、知ってます。図書室のは、『光るマジカルブック』ですよね?」
「そうそう。何か見たことないか?」
「いえ、何も。僕がここに通い始めるまでは、そんな噂なかったんですけどね」
「そうか。ごめんな、読書中に。夜更かしするんじゃないぞ」
カズも拓斗を気に入ったのか、頭をくしゃくしゃ撫でている。拓斗が気持ちよさそうに目を細めた。
「なんだ、七不思議、しょっぱなからガセかよー」
「行こうか」
そう言って俺たちは拓斗に背を向け――
カチッ
その音がして五人同時に振り返る。そこには――。
「なんだ、『光るマジカルブック』って、この子の懐中電灯に照らされた本のことだったのかよ?!」
光る本が、浮いているように見えた。
「カチッ、ってのは懐中電灯のスイッチの音か」
拓斗が持っている本に向けて懐中電灯をつける。すると本が照らされる。部屋は真っ暗だから、明るいのは本と懐中電灯のみ。
こういうわけだったのか。
「はい?」
不思議そうな拓斗を残して、俺たちは部屋を出た。
「学園七不思議、1つ解明~」




