二十三 初遭遇 Ⅰ
「お兄ちゃんっ、朝だよっ」
ぼすんっ、と音がして、足に重みを感じた。何だよ、まだ寝たいのに。
閉じていたがる目をこすりながら――と言いたいところだがこすっちゃダメと言われ育てられてきたためこすれないので、目の周りを掻いて(すさまじく目がかゆいのだが)上体を起こすと、目の前に琳の顔があってびっくりした。
「おわっ」
「きゃっ」
どうやら俺の太ももの上に飛び乗っていたらしい。
何やってんだ、こいつは?
まず、いつもは俺が琳を起こすのに。何があったんだ?――と思っていると、着替えを終えた翡翠がテーブルに腰掛けてこっちを見ながらくすくす笑っている。けしかけた張本人はお前か、翡翠!
「ちょっと、いつまで乙女にお顔を近づけてるの、お兄ちゃん!」
ほんのり頬をピンク色に染めながらぷいっと顔をそむけた琳。そんな彼女に俺は冷静に言った。
「いや、お前が退かなきゃ動けない」
「あ、そっか」
ぴょんと俺から飛び降りると、琳は俺の目を見ないで、
「早く着替えてよねっ!」
と言い、翡翠の横のイスに座った。何だか、耳の先まで染まりはじめている。
「何でそんなにピンクになってんだ?」
「お、お兄ちゃんには、関係ないでしょっ!」
今朝は『ツン』ばかりの琳に若干不信感を抱きつつ、救いを求めるように翡翠を見た。
「匡輝くん、寝癖を整えてお着替えをしてきたら?」
「おう」
素直に従うことにした。
どうも俺は寝起きが悪い。しかも寝起きはいつもよりさらに目がかゆくなる。とりあえず洗面所に向かい、顔を洗った。さっぱりとして、目のかゆみが引いていく。よかった。
「うーん」
遥の伸びをする声が聞こえる。ようやく起きたか。
「今日は楽しみだね!」
「ええ、そうね。私はそのしょっぴんぐもーるという場所を知らないから……」
俺は物置部屋で着替えを済ませると(ペンダントは風呂に入る時も寝る時もつけっぱなしである)話の輪に加わった。
実は今日、特例で、近くの(といっても学園の敷地は広くその周りは森なので一般的に言うとだいぶ遠いらしいが)ショッピングモールに必要な用品を買いに行くことになっていた。本当は家に戻りたいのだが、遠すぎるのとLovelessに監視されているかもしれないのとで行かせてもらえなかった。もちろん、立花先生同伴の上である。休日の日曜日でもいいのではと思うかもしれないが、その日は何だか立花先生の都合が悪いそうで、俺たちは授業をサボって行くことになった。警護という名目で、遥も一緒だ。
「何か記憶が戻るかもしれないしな」
「何のこと?」
うんうんと三人で頷いていると、半眼の遥が聞いてきた。
まずい、こいつ事情知らないんだった。
琳があっ、と言い、翡翠が黙る。
「何かわたしに言えないことでもあるの? 言いなさいよ。仲間の問題は全員の問題じゃなかったの?」
どうしよう……と思案する時間は少なかった。
遥は、口が堅く約束も守る方だ。信用してもいいだろう。まず、自分の言葉には責任をもたなくてはならない。
俺は、事情を知る二人に目配せをした。二人とも同時に頷く。それを見て決心し、俺は遥に事情を話した。
「そうだったんだ」
小声で言うと、遥はぱっちりとした目で翡翠をじっと見つめた。
「俺たち以外の人には秘密だぞ」
「うん、わかってる。それにしても、記憶喪失なんて……」
翡翠は少し目を伏せた後、微笑んだ。すごく穏やかな笑みだ。
「嘘をついていてごめんなさい。記憶がないのは、仕方がないものと割り切っているわ。それに、もしかしたら匡輝くんの家の前で事故にあっただけかもしれないし」
「それが一番安心するね」
遥も俺と同じように、そんな簡単なことではないのではと考えているようだったが、口には出さない。不安にさせることをしたくないのだろう。
「よし、早く校門に行こう」
俺はパンと手を叩いた。制服姿で買い物に行くのは何とも微妙だが、私服は1着しかなく、まだ洗ったばかりで濡れているので仕方ない。
ショッピングモールに行くなんて何年ぶりだろう。食料品とかはいつも近くのスーパーで済ませるし、洋服も駅近くの店とかで買うから、あまりショッピングモールに行く必要はなかった。第一、行く足がないので(ショッピングモールが近くにあったわけではないし、俺たちはまだ車を運転できない)たまたま父さんが帰ってきたときに連れて行ってもらうとかしかなかった。
遥が慌てて外出準備をするため洗面所に駆けて行った。




