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二十二  ……やられる?!

「おい」


 やけに低い声に振り返ると、そこには加藤とその取り巻きと見られる三、四人の男子が俺を睨みつけていた。部屋に帰ろうとして光と別れたばかりの廊下。生徒は部活をまだやっているのか、はたまた既に夕食に向かったのか人っ子一人いない。一対複数の、絶対不利な状況だ。

 光の集団暴行という言葉が頭をよぎる。このままだと……やられる?!


「何ですか?」


 取り巻きに囲まれて真ん中に立つ加藤に向き直り、俺は平然を装って聞いた。


「ちっ」


 どうやら加藤たちは俺が驚いて逃げ出すことを望んでいたらしい。望みどおりにさせるか。


「用がないなら、行きますけど」


「お前、遥と同じ部屋なんだろ。しかもバスケ部。答えろよ、神代」


 名前を憶えられている。


「そうですけど、何か?」


 どうやらこの俺の態度が気に障ったらしい。だんだん加藤のゴツイ顔が赤くなってくる。


「変なことしたら、承知しねーからな! あと、遥は俺のもんだ。覚えとけ」


 俺は冷静を装って言い返した。てか、敬語止めてやろう。イラつく。


「変なことはしねぇよ。そこは安心しろ。ただ、遥は誰のものでもねぇ。遥を手に入れたいんならもっと堂々とやれ。告白するだの、真面目に接近するだの、やり方はいろいろあるだろ。卑怯な手を使うな」


 急に反撃した俺を、加藤たちはびっくりしたように見て――取り巻きの一人がキレたのか、いきなり俺に殴り掛かってきた。突きだされる拳を軽く避ける。


「てんめぇ!」


「やめろ」


 勢い余って俺の後ろにおっとっとをし、叫んだ取り巻きに、加藤は静かに、けれどしっかり命令した。

 取り巻きは口を真一文字に結び、俺をぎっと睨んで加藤の隣に戻った。


「確かにこれは卑怯だ。でも、俺は逃したくないんだ。だから、俺は俺の信じたことをやる」


 その時の加藤の目が何だか寂しそうで――俺は言葉づかいを敬語に戻した。


「先輩の言い分はわかりました。でも、俺もスタンスは変えません。遥を、自由にしてやってください」


 加藤が眉をぴくりと動かし、少し考えてからちょっと笑った。


「お前、気に入ったぜ。俺たち相手にそれだけ真っ向から意見を言えるんだ、肝っ玉も座ってやがる」


 ぎょっとしたように取り巻きが加藤を見る。俺も、これだけ話の分かるヤツだとは思わなかった。


「俺と来ないか」


「それ、取り巻きになれってことですか?」


「まぁ、悪く言えばそうなるな」


「嫌です。そういうの苦手なんで。とにかく、集団暴行とか、そういう卑怯な真似はやめてください」


 加藤が頭を掻いた。それから、ぽんと手を打った。


「じゃあこうしよう」


 それからの言葉に、俺は眉を顰めた。

 彼は言ったのだ。

 ひとまず集団暴行はやめる。そして、バスケの公式試合で火地の民が雨出の民に負けたら、遥を解放する、と。

 逆に、雨出の民が火地の民に負けたら、俺が加藤の取り巻きになる。


「どうだ? 乗らねーなら遥は一生解放しねーからな」


 こいつ、どれだけ俺を取り巻きに加えたいんだよ。でも、このチャンスをうまく利用できれば――成功させられれば、万事OKだ。

 どうする、神代匡輝?


「ああ、言っておくが他の奴にはもう危害は加えない。そこは安心していい」


 それなら、失敗しても苦しむのは俺だけってことだ。

 よし。


「乗ります。約束は守ってくださいね」


「もちろんだ。日程はまだ決まってないが、楽しみにしてるぜ」


 そして嬉しそうに背を向け、歩いて行った。取り巻きは何だか悔しそうにしているが、俺を一瞥してから走って加藤を追いかけた。


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 夕飯を食べ終え(もちろん加藤の取り巻きが遥の隣である。その近くに加藤がいる)、部屋に戻ってきて一番風呂に入り、あがってから父さんに立花先生と話し合った内容のメールを打つと(もちろんこの学校の本質は伏せてある)、俺はふぅっと息を吐いてベッドに寝転がった。


「お兄ちゃん、大丈夫?」


 琳の心配そうな声に上の空でああ、と返し、携帯のメール送受信ボックスを見る。


『立花先生に事情は聴いた。大丈夫か?』


『おお、匡! もうだいぶ良くなって、明日には登校できそうなんだ。いい加減この入院室にも飽きてきたよ。唯一の救いはあのボインの先生ってとこだな』


 入院室は保健室の隣にある。待合室側ではない方の隣だ。入ったことはない。お見舞いも禁止らしい。


『それはよかった。話は変わるが……カズ、どうしてもサッカー続けんのか?』


 これはカズとのメールである。入院中で、体を動かしていないカズにこのような話は可哀想だが。


『うーん、匡と一緒の部活なら何部でもいーや』


 こんなやりとりを続け、カズとバスケ部に入部する約束をした。

 これで、五人。やっと試合が出来る人数だ。交代要員がいないから、誰か一人でも抜けたり怪我をしたりすれば終わりだが、何とか頑張って……。


「匡は、バカだよ」


 冷たい声がした。


「陽向たちに勝つなんて、出来るわけないじゃん」


「やってみなきゃわかんねぇだろ?」


 遥は夕飯の時に加藤たちから話を聞いたのだろう。

 よっ、と起き上がると、遥がまたベッドに腰掛けていた。顔は向けず、目だけで俺を見ている。


「プレーを見たことないからそう言うの。本当にすごいんだから」


「そうか。見てみたい」


「練習の時、嫌でも目を奪われるよ」


 遥が目を伏せる。


「遥、その陽向さんのことを嫌っていないのね」


 俺はいきなりかけられた翡翠からの言葉にびっくりした。当の翡翠はテーブルのイスに腰掛けて薄く微笑んでいる。


「な、何でそう思うの?」


 びくっと遥が顔を上げ、翡翠に聞いた。翡翠は優しい目をして言った。


「お話は弓道部の人から聞いたの。ずいぶんなことをされているみたいね。でも、先生に告げ口するなどの反発行為はしていないし、私があなたたちを見かけたときにはちゃんとしたお話をしているわ。普通その人が嫌いだったらそのようにしないでしょう? 何か嫌えないわけがあるんじゃない、遥?」


 遥が目を大きくし、そっぽを向いた。翡翠はすごい。そこまで読んでいたとは。

 でも、俺も同感だ。加藤は根っから悪いというわけでなさそうというのは会ってわかっている。


「別に、みんなに関係ないでしょ?」


「関係あるよ!」


 琳が遥を見て言う。


「遥は仲間だ。仲間の問題は全員の問題」


 俺も琳に続いて言った。遥が俺たちを順番に見、観念したようにふっと微笑んだ。


「やっぱりみんなの目はごまかせないや」


「話してくれるの?」


 琳が遥にそう言うと、遥はううんと首を振った。


「陽向との約束で、言えない。でも、確かにわたしは陽向を嫌ってなんかない」


 翡翠がそう、わかったわと言い、また微笑んで風呂に立った。まだ入っていないのは翡翠と琳だけだ。


「あ、待って、あたしも入る!」


「あら、一緒に入るの?」


 翡翠が着替えを持って風呂場に消えると、琳もそれを走って追いかけて行った――と思いきや、ひょっこり角から顔だけ出して遥に言った。


「遥、約束守って偉い! 遥が陽向先輩のこと信じるなら、あたしも信じるよ!」


 そして返事も待たずに向こうに消えた。俺が遥を見ると、遥は無表情を装っていたが、嬉しがっているのは見え見えだった。素直じゃないヤツ。


「俺も加藤は嫌いじゃない。何かわけがあるんだろう。深くは聞かないが」


「うん。陽向が人を本当に気に入るなんて、とっても珍しいね」


 二言目は小声で言い、遥はベッドに潜り込んだ。


「わたしはもう寝る。匡も夜更かしなんかするんじゃないわよ」


「わかってる。おやすみ」


 遥は何も言わず、すぐに寝息をたて始めた。眠いのを我慢していたのだろう。

 そのまま遥の安らかな寝顔を見ていると、携帯がバイブレーションした。

 父さんからだ。


『そうなんだ! さっすが僕の子供たちだね。わかった、寮なら仕方ないね。家に帰ってくる機会があればまたメールして。お父さん、もう匡輝と琳に会いたくてうずうずしてるんだ』


 よかった、何も突っ込まれなくて。父さんは素直だ。


『わかった。じゃ、おやすみ。仕事頑張って』


 とりあえず社交辞令的な返信をしてみた。ああ、変に勘ぐられなかったみたいで、本当によかった。一安心した。

 もうそろそろ寝ようと思ってベッドに入ると、すぐに微睡みはじめ……眠りに落ちた。


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