#10
「幸せにしたいなんて、初めて言われたよ」
「ははっ。俺も初めて言いました」
ライトに照らされる桜が、暗い夜空を覆い隠す。
美しい景色に佇む彼の泣き顔は、これまでで一番綺麗だった。
ここはゴールではなく、スタートだ。でもここに来るまで本当に長く、険しかった。
闘っていたのは彼の方だ。何度座り込んでも、一歩も進めない日があっても、引き下がることはしなかった。だから辿り着けたんだろう。
「……大丈夫」
影山は夜空を仰いで呟いた。その言葉は心の中に留めて、もう一度彼の手を引いた。
悲しい音が、人々の笑い声で消えていく。泣き叫んでいた幼い子どもも、親からお菓子をもらった瞬間笑顔になった。
何も特別じゃない風景を二人で眺めた。夜風に急かされるように石畳の道を抜けて、市街へ向かう。予約していたホテルに到着した途端、たまっていた疲れがどっと押し寄せてきた。
「やっぱりもう歳かもしれないな」
ベッドに倒れて呟くと、窓の外を眺めていた影山が振り向いた。
「何言ってんです、品場さんはまだまだ若いでしょ。お酒頼みます?」
「うーん……」
瞼を伏せて考えていると、ベッドが軋んだ。触れそうな位置に影山が座っている。やがて手が触れて、覆いかぶさってきた。先程とは違う深い口付けに熱が高まる。結局“こっち”に走ってしまうんだから、自分も彼も相当だ。
でも今夜は特別ということにしよう。なんせ、彼に触れるのは明日からしばらくお預けだろうから。
カウンドダウンが始まる。
手を繋いで、もう一度額を擦り合わせた。
今夜は同じ夢を見られるだろうか。いや……。
神様。
どうか今夜だけは、彼と同じ世界に行かせてください。
同じ夢を見たい。現実ではどう頑張ったって、彼と同じ角度で世界を見ることはできないから。
闇が薄れ、光の範囲が広くなる。品場は瞼を伏せた。
この世から遊離し、人々を蝕む毒を吸い取る。そんな夢を見た。口から吐き出した毒は皆子どもになった。その子は病に罹った人々の昔の姿。かつての自分。過去の自分が、未来の自分を侵す癌細胞に変異する。
宿主が暗くなる時をじっと待っている。これは逃避ではない。むしろ進化だ、と思った。滅亡に向かう世界の中で、人々は容易に自死する力を手に入れた。
記憶と人格を失い、人としての輪郭を崩していく。
自らを傷つけ、死を迎えることに特化した生き物は古代にも存在した。その生き物は結局絶滅してしまったけど、人間も同じ道を辿ろうとしているのかもしれない。永遠に生き残る種などいない。生きる時に生きて、滅ぶ時に滅ぶ。




