第八章 月の下で
月が、鏡のような川面にゆらゆらと光を落としていた。
風は静かで、夜の帳がすべてを包み込んでいる。
美紀の胸には、さっき交わした口づけのぬくもりが、夜風に溶けるように、まだ淡く残っていた。
思いがけず触れ合ったあの瞬間――驚きはあった。けれど同時に、心のどこかで、それを望んでいた自分がいたことも否定できなかった。
そして、胸の奥で何かが静かにほどけていくのを感じていた。
晃市と並んで歩くうち、揺れ動いていた気持ちが、
いま目の前にある静けさのなかで、かたちになろうとしていた。
(早田さんになら、きっと……)
その思いは、言葉にもならず、まだ自分でもつかみきれないものだった。
けれど胸の奥に、小さな灯のように、たしかに息づいていた。
何かを求めていたわけじゃない。
ただ、誰にも見せたことのない自分を、この夜のどこかにそっと託してみたい――
そんな思いが、美紀のなかで静かに膨らんでいった。
川沿いの遊歩道には、小さなベンチが点々と並んでいた。
そのひとつの脇にある小さな芝の広場で、ふたりは足を止める。
周囲はほどよく手入れされた灌木に囲まれ、街灯の光は届かず、薄暗い影が静かに落ちている。
風はかすかな湿り気を含みつつも肌に心地よく、夜の空気をそっと運んでいた。
足元の芝は乾いてやわらかく、人の気配もなく、まるで誰にも見つからない隠れ家のようだった。
美紀は立ち止まり、晃市に向き直る。
わずかにためらいながらも、そっと言葉を口にした。
「早田さん……私がいいって言うまで、後ろを向いててもらえますか」
その声音には、照れや不安を隠すような硬さがあった。
それでも、瞳の奥には確かな意思が宿っている。
晃市は少し驚いたようにまばたきし、すぐにいつもの丁寧な口調で応じた。
「……わかりました」
そのあいだ、美紀は芝の上に立ち、まっすぐ前を向いたまま、しばらく動かなかった。
(何やってるんだろう、私……)
――やがて、ゆっくりと自分の胸に手を当てる。
心臓が、早鐘のように打ち続けている。
その鼓動の激しさに、思わず息を呑んだ。
美紀は小さく息を吐き、胸に置いていた手をそっと下ろした。
夜風が足元から吹き抜け、裾を揺らす。草の匂いが、鼻の奥にかすかに残った。
(……怖くなんかない。やるって決めたんだから)
美紀は晃市の背中を一度だけ見つめ、それから視線を落とした。
後頭部に手を伸ばし、軽く束ねていた髪をほどいた。
肩先にふわりと落ちる髪が、夜風にそよぎながら揺れる。
そのままジャージの前に手を移し、ジッパーにそっと指をかけた。
少しだけためらったが、すぐにそのまま一番下まで引き下げ、脱ぎ取った。
肩が、胸が、冷たい空気にさらされる。
背筋がわずかに震えるのを自覚しながらも、表情は崩さなかった。
次に、ブラジャーのホックに指をかける。
外すと、静かに前にずり下ろして脇へ置いた。
自分の乳房が夜の空気に晒されている――その事実を意識の端で感じながらも、彼女は目を閉じることなく動作を続けた。
美紀は一瞬ためらったあと、勢いよくジャージのズボンを脱いだ。
そして最後に、腰のゴムをつかみ、膝までパンティを一気に下ろした。
しゃがんで足から抜き取る。下着は、芝の上に落ちたまま静かに動かない。
――すべてを脱ぎ去った美紀の肌に、夜風が遠慮なく触れた。
風は背から腰のくびれ、丸く張り出した尻をなぞり、太ももへと滑り落ちていく。
胸のふくらみ、腹の丸み、陰毛までも露わにした身体は、月の光の下で静かに立ち尽くしていた。
汗を帯びた肌は生々しい熱を含みながらも、冷たい夜気の中で陶器のような艶をまとっていた。
脚は自然に開かれ、股間の湿り気が夜の空気にやわらかく溶けていく。
まだ誰の視線にも触れていないのに、すでにすべてを見せるためにそこに在る――
そう思わせるほど、その姿はあまりにも無防備で、美しかった。
全てを脱ぎ去った美紀は晃市にゆっくりと、震えを抑えながら声をかけた。
「早田さん、こっちを向いていいよ……」
早田晃市は、数歩離れたところからゆっくり向きを変えてその光景を目撃した。
声をかけようとしたが、何も言えなかった――
晃市が見るのは、これで二度目だった。
今夜の彼女は、前回よりもはるかに強く、美しく感じられた。
月夜の光に照らされた全裸の伊沢美紀の――堂々としながらも、女性的で豊満な身体を正面から見つめていた。
頬にはうっすらと汗がにじみ、首筋から胸元にかけての肌がかすかに光っている。
その瞳には、不安でも誇示でもない、ただ黙って受け止めようとする静かな意志が宿っていた。
視線は自然と、首元から肩、胸へと流れていく。
胸は標準よりわずかに大きく、下に向けてやわらかな重みを帯びていた。
腹部には出産と過食の名残があり、少し弛みながらも、穏やかな丸みを描いている。
腰から尻にかけての肉付きは豊かで、立っているだけでもその重みと柔らかさが伝わってくる。
下腹のすぐ下には、黒々とした陰毛が、豊かにやわらかく広がっていた。
そこから続く太ももは、しっかりとした厚みと体温を感じさせる。
ふくらはぎはほどよく引き締まり、足首はすっきりと整っていた。
晃市の視線は、そのまま静かに足先へと滑っていった。
すべてを見終えたとき、晃市はようやく目を戻した。
そこにあったのは、ただの裸身ではなかった――
生活と時間の積み重ねが形になった、美紀そのものの姿だった。
そして晃市は、ゆっくりと彼女の背後に回った。
気配を感じ取った美紀が、肩をすくめるように一瞬身を縮めたが、逃げることはなかった。
彼女は背筋を伸ばし、背中を晃市に委ねたまま、ただ静かに立っていた。
晃市の視線は、なだらかな肩甲骨の陰影をなぞったあと、ゆっくりと腰の曲線へと落ちていく。
そして彼はそっとしゃがみ込み、美紀の尻の丸み、さらにその奥――誰にも見せない場所へと視線を導かれていった。
そこは、誰に見られても決して口を開かないような、静かで強い意志のようなものを感じさせる場所だった。
今回で二度目の光景――それなのに、まるで初めて見るような神聖さがあった。
晃市は背後から美紀の黒いしげみに覆われた唇のような箇所に、あの時以来再び指を沿わせた。
美紀の口から声にならない切ない声が聞こえた。
そして前と同じように入口から少しだけ指先を入れた。
前とはまったく違う潤いと熱さ。
さらにこの前より奥に晃市は指先を侵入させた。
(……これが、伊沢さんのすべてなんだ)
その瞬間、晃市の心には言葉にならない感情が広がっていった。
それは尊敬と、慈しみと、祈るような想いがまじった――静かで強い感動だった
同時に美紀も苦しげに、快感を抑えきれない声をあげた。
晃市の視線と熱い息を感じながら、美紀はゆっくりと膝をつき、両肘を前について地面に身を預けた。
豊かに張り出した尻を晃市の方へと向け、静かに腰を突き出す。
月の光を受けた肌が淡く光り、丸みを帯びた尻の谷間から、奥の陰影までもがはっきりと浮かび上がる。
大きく開いた脚のあいだからは、陰毛に縁取られた柔らかな襞が露わになり、ぬめるような湿り気がその存在を際立たせていた。
尻の奥の窪みもまた、恥じらいを超えて晒されたまま、月光の中でわずかに脈を打っているように見える。
その姿勢には、羞恥を乗り越えた意思と、晃市への深い信頼が静かに滲んでいた。
晃市は、そのすべてを息を呑むように見つめていた。
理性がかろうじて身体を止めていたが、胸の奥には荒ぶるような衝動が渦巻き、己にはすでに血が集まり、熱く膨張していた。
彼女の肌も、形も、そしてそのすべてを見せようとする行為も――
何もかもが、美しく、切実で、胸を締めつけるほどだった。
「……あんまり見ないでくださいね」
美紀がぽつりとつぶやいた。
その声には羞恥もあったが、拒絶の気配はどこにもなかった。
晃市はほんの短い間を置いて、静かに答えた。
「見ているだけじゃありません……こんなにも美しい伊沢さんを、ちゃんと心で受け止めています」
彼の声には、かすかな震えが混じっていた。
抑えきれない昂りが、皮膚の下で脈打つように燃えていた。
美紀はそのまま、静かに上体を起こして立ち上がった。
晃市の正面に歩み寄り、そっと彼の胸に手を置いた。
その手のひら越しに伝わってくる鼓動が、彼の想いのすべてを語っていた。
「……ありがとう」
美紀はそれだけ言い、彼の胸に顔をうずめた。
晃市も、そっと両腕を回して彼女を抱き寄せた。
ふたりはそっと芝の上に身を横たえ、月の光を背に頬を寄せ合った。
寄せられた肌がじんわりと温かく、呼吸が重なって湿り気を帯びる。
晃市の下半身はすでに裸で、美紀の太ももがやわらかく彼に触れていた。
布の隔たりがなくなった肌と肌の接触は、はっきりと熱を帯び、互いの存在を深く実感させた。
晃市がゆっくりと腰を動かすと、美紀の身体がわずかに応え、ふたりは静かにひとつになった。
ゆっくりと、深く、互いの奥へと踏み込んでいくたびに、どちらともなく吐息が漏れる。
草の感触が背中をくすぐり、微かな振動が静かに波紋のように全身へ伝わっていく。
動きが次第に大きくなり、晃市の手が美紀の背をしっかり支える。
交わるたび、美紀は小さく身をよじりながら、そのすべてを受け入れていた。
やがて最後の瞬間、ふたりの身体が強く重なり、熱が一気に解き放たれる。
ぬるんだ静寂の中で、交わったふたりはただ寄り添い、崩れるように横たわった。
夜風が肌をなで、しばらくのあいだ、ふたりは何も語らずに、ぬくもりを共有し続けていた。
その後ふたりは、まだ全てを身につけぬまま、芝の上にそっと腰を下ろした。
肌と肌がかすかに触れ合う距離で、言葉もなく、夜の静けさに身を委ねていた。
草の香りと川の音、そしてすぐそばにあるぬくもりが、静かな余韻として心に残っていく。
やがて、美紀は立ち上がり、そっと服を拾って身支度を整えた。
晃市もスウェットパンツをはき直し、紐を締める。
言葉は交わさずとも、ふたりの間には確かな想いが流れていた。
並んで立ち上がると、ふたりはしばし夜空を仰いだ。
川沿いの風が頬をなで、静かにふたりの時間を包んでいた。
「……変わっちゃったかも、私たち」
美紀の声は、夜風に乗って、やわらかく晃市の耳に届いた。
「うん。でも……悪くない変化だと思っています」
そう返した晃市の言葉に、美紀の口元がふっとほどけた。
それは、ほんのかすかな――けれど確かな笑みだった。
――ふたりだけの、静かな未来を照らす、小さな灯りのように。




